ドイツでの契約書・規約・約款で問題となる一般取引条件(AGB)統制

ドイツ(正式名称、ドイツ連邦共和国)でビジネスを展開する際、注意すべき分野の一つが、一般取引条件(Allgemeine Geschäftsbedingungen, AGB)の統制です。日本の民法が定める定型約款の規制(民法548条の2以下)と比較し、ドイツ法の下では、企業が複数の契約で定型的に使用するためにあらかじめ作成した約款や利用規約(AGB)は、ドイツ民法典(Bürgerliches Gesetzbuch, BGB)の第305条以下による非常に厳格な審査の対象となります。この規制は、経済的に優位な立場にある利用者が、相手方当事者、特に消費者に対し、不合理な不利益を与えることを防ぐ目的で設けられていますが、その適用はB2B取引にも厳しく及びます。
日本企業がドイツ向けに契約書を作成するにあたっては、日本の法務実務の感覚が通用しない三つの決定的なリスクが存在します。第一に、責任制限や保証条項がAGBと認定された場合、その有効性を確保するためには、個別合意(Individualabrede)の存在をAGBの使用者側が厳格に立証しなければなりません。第二に、B2B取引であっても、ドイツの裁判所は中核的義務(Kardinalpflicht)の違反に対する単純な過失責任の制限を極めて限定的にしか認めません。そして最も重大な点として、条項が僅かに法規制の限界を超えて無効と判断された場合、ドイツ法は「有効性維持的減縮」(geltungserhaltende Reduktion)を原則として否定するため、企業が意図した責任上限が完全に消滅し、予期せぬ無制限の法定責任を負うことになります。さらに、2024年11月19日の連邦裁判所(BGH)の最新判決が示す通り、日本のサービス規約で一般的に使用される「みなし同意」のロジックは、ドイツ法の下では原則として通用しません。
本記事では、これらの相違点と実務上の対策について詳細に解説します。
この記事の目次
ドイツAGBの適用範囲と個別合意(Individualabrede)による規制回避
ドイツ法におけるAGBの定義
ドイツ法におけるAGBの定義は、BGBの§305 Abs. 1 S. 1に定められています。AGBとは、「一方の契約当事者(利用者)が、契約締結に際して相手方当事者に提示する、多数の契約で使用するためにあらかじめ作成されたすべての契約条件」を指します。
ある条項がAGBと見なされるのは、以下の三つの要件をすべて満たす場合です。
- 定型化されていること(vorformulierte)
- 複数の契約で使用する意図があること(für eine Vielzahl von Verträgen)
- 個別交渉されていないこと(nicht ausgehandelt)
日本の定型約款規制との実務上の決定的な差異は、たとえ個別の取引ごとに契約書を交わしたとしても、その契約書内の条項が、企業内で標準化されたテンプレートに基づいており、実質的な交渉を経ていない場合、その条項はAGBとして認定されるリスクが極めて高いという点です。ドイツの裁判所は、形式的な署名や個別文書の交換だけでは、個別交渉を認めません。
AGBが契約内容として有効に組み込まれるためには、利用者が相手方当事者に対し、その内容を知る機会を合理的な方法で提供し、相手方がその適用に同意していることが必要です(BGB §305 Abs. 2 BGB)。ただし、B2B取引においては、相手方がAGBの存在を知っているだけで、明示的な同意がない場合でも、異議を唱えなければ組み入れが認められる余地がありますが、これはあくまでAGBが契約の要素となるための形式的要件であり、内容審査の厳格さとは切り離して考える必要があります。
個別合意(Individualabrede)の優越と使用者側の立証責任
AGBの規制を回避し、条項の有効性を確保する唯一の確実な方法は、その条項が個別交渉された合意(Individualabrede)であることを証明することです。個別的な合意は、AGBに優先するとBGB §305b BGBに明確に規定されています。
この個別合意が認められるための要件は非常に厳格であり、その立証責任は常時AGBの使用者側(企業側)が負います。個別交渉があったと認定されるためには、以下の二つの要件を満たすことが求められます。
- 交渉意思の明示:条項の利用者が、その内容について真に交渉を行う意思を相手方に明確に示すこと
- 変更の現実的な機会:相手方当事者が、条項の変更を提案し、その提案が最終契約に組み込まれる現実的な機会を持つこと
単に契約書に「本条項は交渉可能である」と形式的に記載するだけでは不十分です。ドイツの裁判所は、当事者が真摯に向き合い、条項内容の是非について実質的な議論を行ったかという観点から、交渉の過程を厳しく審査します。
この要件の厳格さは、日本企業にとって実務上重大な教訓となります。ドイツ向けの契約書を起草し、特に責任制限や保証など重要なリスク配分条項についてAGB規制を避けたい場合、交渉過程を極めて緻密に文書化することが不可欠です。具体的には、相手方からの提案を組み入れたこと、それに対する自社の応答、そして最終的な合意に至るまでの電子メールや交渉の議事録を全て記録に残す必要があります。形式的な契約書作成ではAGB認定のリスクを回避できず、結果としてAGBの厳しい内容審査に晒されることになります。
なお、AGBの中に、契約の書面形式を規定する条項(例:「契約の変更は書面でのみ有効」とする二重の書面形式条項)が含まれていたとしても、その後に当事者が口頭で個別合意を行った場合、個別合意の優先原則(§305b BGB)により口頭合意が有効となります。これは、ドイツ法が、AGBの利用者が一方的に契約の柔軟性を制限することを厳しく拒否し、形式よりも実質的な当事者の意思を優先していることを示しています。
ドイツのB2B取引における内容審査と中核的義務(Kardinalpflicht)

AGB規制のB2B取引(Unternehmer)への波及
ドイツのAGB規制は、本来消費者保護を強く目的としていますが、B2B取引(契約相手が事業者:Unternehmerである場合)においても、その厳格さが及んでいます。
BGB §310 Abs. 1 BGBは、B2B取引の場合、消費者向けの具体的な禁止条項(§§308, 309 BGB)は直接適用されないと規定しています。これは、事業者は法務知識を有し、自己の利益を守る能力があると推定されるためです。
しかし、ドイツの裁判所、特に連邦裁判所(BGH)は、これらの具体的な禁止条項の「法的な基本思想」を、BGB §307の一般条項(信義誠実の要求に反して契約相手に不合理な不利益を与えてはならない)を通じて、B2B取引のAGB審査に適用する傾向を強めています。この法理により、B2B契約のAGBであっても、消費者取引と変わらないレベルで厳しい内容審査に晒されるリスクがあります。
責任制限条項の無効化と中核的義務(Kardinalpflicht)
AGBに含まれる責任制限条項については、B2B取引であっても、以下の事由に基づく責任の制限は無効とされます。
- 故意(Vorsatz)による責任。
- 重過失(Grobe Fahrlässigkeit)に基づく責任。
これらの責任の制限は、ドイツの公序良俗に照らして許容されないとされています。
さらに、ドイツ法は、契約の適切な履行に不可欠な中核的義務(Kardinalpflicht)の違反に対する責任についても、制限を厳しく課しています。中核的義務とは、契約の実現にとって不可欠であり、その違反によって契約の目的達成が危うくなるような義務を指します。
中核的義務違反による単純な過失(einfache Fahrlässigkeit)に基づく責任は、通常予見可能な典型的な損害(typischerweise vorhersehbarer Schaden)の範囲を超えて制限することはできません。
日本企業が契約書で一般的に設定する「総契約金額を上限とする責任制限条項」は、一見有効に見えても、中核的義務違反が生じた場合、その上限が「予見可能な典型的な損害」として裁判所が判断する金額よりも低ければ、無効とされる可能性があります。ドイツ法の下では、企業が想定する責任上限の自由度は非常に低く、特にITサービスのダウンタイムなど、ビジネスの中核に関わる義務を制限する際は、裁判所がどの程度の損害を「予見可能な典型的な損害」とみなすかを慎重に見極める必要があります。
ドイツ法における「有効性維持的減縮」(geltungserhaltende Reduktion)の否定
日本法における縮小解釈の余地とドイツ法
日本の契約法では、仮に条項が無効と判断されても、その条項の趣旨を活かすために、可能な範囲で有効な部分を維持しようとする解釈(縮小解釈)の余地がある場合があります。例えば、過大な違約金条項について、合理的な範囲にまで減額して有効とする解釈がなされることがあります。
しかし、ドイツ法においては、契約条項が法的に無効または不当であると判断された際に、その条項を許容される限界まで戻して有効性を維持しようとする解釈である「有効性維持的減縮」(geltungserhaltende Reduktion、いわゆるブルーペンシル・ルール)は原則として否定されています。
この原則の否定は、AGBの利用者が意図的に規制の限界を超えて自己に有利な条項を作成し、それが無効となった際に、有効な部分に縮小されることで救済されるのを防ぐという、AGB規制の「抑止的・懲罰的」な機能を担っています。
無効化による予期せぬ法定責任
AGBの条項が、例えば、その内容が契約相手に不合理な不利益を与える(BGB §307)または透明性を欠く(§307 Abs. 1 S. 2 BGB)といった理由で無効と判断された場合、その条項全体が完全に契約から排除されます(無効条項の完全排除)。
無効な条項が契約内容から取り除かれた結果、契約に生じたギャップは、BGBの法定規定(Dispositives Gesetzesrecht)によって埋められます(BGB §306 Abs. 2 BGB)。この法定規定は、通常、逸失利益(entgangener Gewinn)を含む、損害の全範囲をカバーする無制限の責任を規定しています。
この結果、企業が慎重に責任上限(例:総契約金額)を設定したにもかかわらず、そのAGB条項が僅かに法規制の限界を超えていたという理由で無効とされた場合、設定した上限全体が消滅し、予期せぬ無制限の法定責任を負うことになります。これは、企業の財務リスク計算を根本から狂わせる可能性があり、AGB起草者は、無効化されるリスクを最小限に抑えるよう、許容される責任制限の範囲内で極めて保守的な条項作成を求められます。
ドイツ法における「みなし同意条項」(Zustimmungsfiktion)の最新判例による否定

BGH 2024年11月19日判決(Az. XI ZR 139/23)の分析
日本のサービス規約や約款で広く使われている「みなし同意」のロジックは、ドイツ法の下では消費者取引において原則として通用しないことが、ドイツ連邦裁判所(BGH)の最新の判例によって確認されました。
BGHは、2021年4月27日の判決(Az. XI ZR 26/20)に続き、2024年11月19日の判決(Az. XI ZR 139/23)において、銀行のAGBに含まれていた、契約条件や料金の変更について、顧客が一定期間内に異議を述べなかった場合に同意したと「みなす」条項(Zustimmungsfiktionsklausel)を、消費者との取引において無効と判断しました。
この判断の根拠は、BGBの原則として、契約の成立や変更には両当事者の明確な意思表示(Willenserklärung)が必要であるという点にあります。BGHは、顧客が単に異議を述べずに口座を継続的に利用したという事実を、契約条件の変更に対する同意の意思表示とは見なされないと明確に示しました。
裁判所は、銀行口座へのアクセスは、現代の経済・社会生活への参加に不可欠な前提条件であるため、顧客が口座の利用を継続することは、AGBの変更への積極的な同意ではなく、単に日常生活の「要件と慣習」に従っているにすぎない、と判断しました。
日本のデジタルサービスへの影響と今後の留意点
日本のITサービスやSaaS契約などで一般的な「お客様が引き続き本サービスを利用した場合、本規約の変更に同意したものとみなします」というロジックは、ドイツの消費者保護規制の下では、法的効力を持たないことが確定しています。
みなし同意条項が無効化された結果、契約には変更に関する規定が欠けることになります。BGHは、この契約のギャップは、補完的な契約解釈ではなく、BGBの法定規定(§306 Abs. 2 BGB)によって埋められるべきであり、明確な顧客の意思表示による合意(BGB §§311 Abs. 1, §§ 145 ff. BGB)が必要であると結論づけました。
ドイツ市場でデジタルサービスを提供する日本企業は、契約条件の変更、特に料金や重要な義務の変更を行う際、単なる通知ではなく、顧客に積極的に変更に「同意する」ボタンを押させるなど、明確な意思表示を記録し、そのプロセスを文書化する仕組みを導入しなければなりません。この明確な意思表示の要件は、将来的にB2B取引においても、サービス継続が「経済生活の不可欠な前提」と見なされるような状況下では、類推適用される可能性を十分に考慮する必要があります。
ドイツAGB統制と日本の定型約款規制の主要な異同点
以下に、ドイツのAGB統制と日本の定型約款規制における主要な異同点を比較します。特に日本の実務に馴染んだ法務担当者の方々にとって、リスクの度合いが異なる点に注意が必要です。
ドイツ法(AGB規制, BGB §§305 ff.) | 日本法(定型約款, 民法548条の2以下) | |
---|---|---|
AGB認定の判断基準 | 定型化、複数使用意図、個別交渉の不在。個別契約書内の条項も厳格な審査対象。 | 定型取引の要件あり。合意の有無が重視される。 |
個別合意の立証責任 | 利用者側(企業側)が負う。交渉の機会提供と文書化が必須。 | 一般に企業側が負うが、ドイツほど立証のハードルは高くない。 |
B2B取引の内容審査 | BGB §307を通じ、消費者保護の法理が強く波及。特に中核的義務(Kardinalpflicht)の違反に対する制限が厳格。 | B2Bでは原則として契約自治が尊重されるが、信義則上の制限はある。 |
無効な条項の処理 | 「有効性維持的減縮」は原則否定。条項全体が無効となり、法定規定(無制限責任を含む)が適用される。 | 条項の趣旨を活かす縮小解釈の余地がある。 |
みなし同意条項 | 原則無効。明確な意思表示(Willenserklärung)が必須 (BGH 2024年判決)。 | 合理的な範囲での変更通知と不異議による変更が認められる場合がある。 |
まとめ
ドイツの一般取引条件(AGB)の統制は、日本の法務実務の感覚とは一線を画する厳格さを持っています。AGBが契約に組み入れられるか否かの形式的な要件にとどまらず、その内容審査はB2B取引においても中核的義務(Kardinalpflicht)の観点から厳しく行われます。
特に日本企業にとって致命的なリスクとなるのが、AGB条項が僅かでも法規制の限界を超えて無効と判断された瞬間に、「有効性維持的減縮」(geltungserhaltende Reduktion)が否定され、予期せぬ無制限の法定責任を負う可能性があるという点です。企業が意図した責任上限が完全に消滅し、逸失利益を含む多額の損害賠償請求に直面するリスクを避けるためには、AGBの起草段階からBGBの厳格な要件を反映させることが不可欠です。
また、責任制限や保証など、リスク配分に関する重要な条項についてAGB規制を避けたい場合は、個別合意(Individualabrede)を成立させるべく、交渉過程の意図と結果を極めて綿密に文書化し、立証責任を果たせる体制を構築する必要があります。さらに、デジタルサービスを提供する企業は、連邦裁判所の最新の判断を受け、「みなし同意」ではなく、明確な意思表示に基づく契約変更プロセスを確立することが急務です。
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カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務