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法律記事MONOLITH LAW MAGAZINE

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インドでの雇用契約書設計:解雇、競業避止、秘密保持条項の有効性

インドでの雇用契約書設計:解雇、競業避止、秘密保持条項の有効性

インドにおけるビジネス展開において適切な雇用契約書の設計は、現地での労務トラブルや知的財産の流出を未然に防ぐための極めて重要なプロセスです。とくにインドでは日本と異なり、労働者の保護範囲や退職後の競業避止義務の有効性について独特の法規制と判例法理が形成されています。近年インド政府は複雑な労働法制を統合する新労働法典を制定し、これに伴い「ワーカー」の定義が拡大されるなど労務環境は大きな転換期を迎えています。

本記事では、インドの最新法令と重要な判例を交えながら、解雇、競業避止、秘密保持条項の有効性と紛争予防に向けた実務上の雇用契約書起案方法について詳細に解説します。

インドにおける新労働法典と雇用契約書設計の重要性

労働法制の統合と「ワーカー」定義の拡大

インド政府は従来多岐にわたっていた29の労働関連法を簡素化し、賃金法典(Code on Wages, 2019)労使関係法典(Industrial Relations Code, 2020)労働安全衛生・労働条件法典(Occupational Safety, Health and Working Conditions Code, 2020)社会保障法典(Code on Social Security, 2020)という4つの新労働法典に統合しました。インドにおいて雇用契約書を設計する上で最も留意すべき点の一つが、この新法典への移行に伴う「ワーカー(労働者)」の定義の拡大です。

日本の労働基準法では事業に使用され賃金を支払われる者は原則としてすべて労働者として保護の対象となります。しかしインドでは「ワーカー」と「非ワーカー(マネジメント層や管理監督者)」とで適用される法的保護の枠組みが根本的に異なります。労使関係法典によれば、ワーカーには手作業、未熟練、熟練、技術的、運用的、事務的作業を行う者が含まれますが、管理監督的地位(supervisory capacity)にある者のうち月額の賃金が18,000ルピーを超える者は除外されると定義されています。従来はこの上限基準額が10,000ルピーであったため、今回の引き上げによりこれまで非ワーカーとして扱われていた現場の監督者クラスの多くが新たにワーカーとして保護対象に組み込まれることになりました。

これによりインドでビジネスを展開する企業は、対象となる従業員に対して法定の解雇要件を厳格に適用する必要が生じています。既存のマネジメント層向け雇用契約書であっても、実態として管理監督的地位になく賃金基準を下回る場合はワーカーとして扱われるリスクがあるため、職務権限や報酬体系の見直しが急務となります。

参考:MoLE(インド労働雇用省 Ministry of Labour & Employment)|4労働法典(賃金/労使関係/職業安全衛生・労働条件/社会保障)の公式情報・施行状況

賃金の定義の変更と基本給要件

さらに賃金法典においては「賃金(wages)」の定義も統一され厳格化されました。新たな定義では賃金は基本給、手当、休業手当などから構成されますが、賞与や住宅手当などの除外項目が総報酬の50パーセントを超える場合、その超過分は賃金に加算して計算されなければならないというルールが設けられました。これは法定給付金を低く抑えるために基本給を極端に低く設定し、各種手当を手厚くするという従来の給与設計を防ぐための措置です。雇用契約書における報酬条項を起案する際には、この50パーセントルールを遵守した構成にしなければ、後日退職金(グラチュイティ)や社会保障費用の算定において予期せぬ未払い債務が発生する危険性があります。

インドの雇用契約書における解雇条項の実務と判例

インドの雇用契約書における解雇条項の実務と判例

対象者の属性による解雇要件の違い

インドにおける解雇手続きは、対象者が前述のワーカーに該当するか否かによって適用される要件が大きく異なります。日本においては労働契約法第16条により、客観的に合理的な理由を欠き社会通念上相当であると認められない場合には解雇権の濫用として無効となるという極めて強力な労働者保護が存在します。これに対しインドにおいては、対象者の属性に応じて法令の要件と雇用契約書の規定を満たすことで手続きを進めることが制度上は可能です。

対象者がワーカーに該当する場合、労使関係法典に基づく厳格な手続きが求められます。同法典では解雇(リトレンチメント)を行う際、従業員数が300人未満の事業所では1ヶ月前の解雇予告または予告手当の支払いが必要となります。さらに勤続1年につき15日分の平均賃金を解雇補償金として支払う義務があります。また新たな制度として解雇された労働者の再教育を支援する労働者再教育基金(Worker Re-skilling Fund)に対して、雇用主が対象労働者の直近の賃金15日分を拠出することが新たに義務付けられました。

一方で非ワーカーの解雇については、主に各州が定める店舗・施設法(Shops and Establishments Act)および個別の雇用契約書が適用されます。例えばデリー州の店舗・施設法(Delhi Shops and Establishments Act, 1954)第30条では、3ヶ月以上勤続した従業員を解雇する場合、1ヶ月前の書面による通知またはそれに代わる賃金の支払いが必要とされています(非行を理由とする解雇の場合を除く)。

なお2026年の同法改正(Delhi Shops and Establishments (Amendment) Act, 2026・2026年3月11日官報公布)が施行されると、同法の適用は20人以上を雇用する事業所に限定される見込みですが、同改正は施行日を別途官報告示で定めるとしており、2026年7月4日時点で施行日の告示は確認できず未施行です。このように解雇規制の有無・内容・適用対象は州ごとに異なるため、各州の店舗・施設法を個別に確認する必要があります。

雇用契約書を起案する際には、これら法令の最低基準を上回る形での通知期間や補償内容を明記し、かつ重大な服務規律違反(非行や横領など)があった場合の即時解雇条項を綿密に設計することが労務紛争を予防する上で重要です。また非ワーカー向けの契約書においては、後日ワーカーであると主張されるリスクを軽減するため、自らの裁量で業務を決定できる権限や経営への関与度合いを職務記述書として明確に定めておくことが推奨されます。

インドでの雇用契約書における競業避止義務の限界と関連判例

契約法第27条に基づく退職後の競業避止の無効

インドの雇用契約書において最も注意を要し、かつ日本と大きく異なるのが競業避止義務の扱いです。日本の法律では退職後の競業避止義務であっても、期間や地域および職種の範囲が合理的であり、一定の代償措置が講じられていれば有効と認められるケースが多く存在します。しかしインドでは1872年インド契約法(Indian Contract Act, 1872)第27条が、営業ののれんを売却する場合の例外を除き、何人の合法的な職業や取引、またはビジネスの遂行を制限する契約もその限度において無効であると厳格に定めています。

この規定に基づくインドの法理は長年の判例によって確固たる原則として確立されています。雇用期間中における他社での就業を禁じる条項については有効性が認められています。インド最高裁判所はNiranjan Shankar Golikari v. The Century Spinning And Mfg.Co.Ltd.(1967年1月17日判決)において、タイヤコード糸の製造技術の訓練を受けた従業員が雇用期間中に競合他社へ転職した事案につき、雇用期間中の競業避止条項は合理的であり取引の制限には当たらず有効であると判断し、契約期間満了までの差止命令を支持しました。

しかし退職後の競業避止義務については全く異なるアプローチがとられます。インド最高裁判所はSuperintendence Company Of India (P) Ltd. v. Krishan Murgai(1980年5月9日判決)において、雇用終了後2年間にわたり同種の事業を行うことを禁じた条項について、たとえ期間や地域が限定的であったとしてもインド契約法第27条に基づき無効であるとの判断を下しました。裁判所は雇用主と従業員の間には交渉力に格差があり、退職後の制限は従業員の生計を立てる権利を不当に奪うものであると指摘しています。

さらにPercept D’Mark (India) Pvt. Ltd. v. Zaheer Khan(2006年3月22日判決)においてもインド最高裁判所は、契約期間終了後に及ぶ第一拒否権(優先交渉権)条項について、個人の自由な経済活動を制限し取引の制限にあたり原則として無効となる旨を示しました(暫定的差止の可否を判断した事案)。

ガーデンリーブ条項の扱い

退職後の競業避止が認められない環境下で、企業が従業員の競合他社への転職を実質的に遅らせる手段として用いる「ガーデンリーブ条項(給与を支払いながら自宅待機させる措置)」についても慎重な設計が求められます。ボンベイ高等裁判所はVFS Global Services Private Limited v. Suprit Roy(2007年12月10日判決)において、雇用関係が実質的に終了し通知期間が経過した後に効力を発するガーデンリーブ条項は、労働者の職業選択の自由を奪うものでありインド契約法第27条に違反し無効であると判示しました。

したがってインドの雇用契約書では、退職後の競業避止義務が限定的にしか認められない法務環境を前提としてビジネスを守る術を模索しなければなりません。競合への転職自体を直接的に禁じることができない以上、次項で詳述する秘密保持条項および引き抜き防止(ノンソリシテーション)条項をいかに強化して知的財産を守るかが極めて重要な防衛策となります。

参考:India Code(インド政府法令データベース)|The Indian Contract Act, 1872

秘密保持条項によるインドの知的財産保護と最新の判例動向

秘密保持条項によるインドの知的財産保護と最新の判例動向

スプリングボード・アドバンテージの禁止

退職後の競業避止条項が原則無効となるインドにおいて、技術情報や営業秘密を守るためには秘密保持条項を強固に設計することが実務上の最適解となります。インドの裁判所は競業避止義務とは異なり、秘密保持義務については退職後であっても有効に存続し、その違反に対しては差止や損害賠償を認める傾向にあります。

デリー高等裁判所はJohn Richard Brady and Ors v. Chemical Process Equipments P Ltd(1987年7月6日判決)において、家畜飼料生産ユニットの図面や技術情報を共有された元従業員がそれを無断で使用して自社製品を開発した事案について、原告の差止請求を認めました。裁判所は英国の判例法理を引用し、秘密情報にアクセスした者がその情報を不正利用して他者よりも不当に有利なスタートを切る先行利益(スプリングボード・アドバンテージ)を得ることは許されないと明言しています。この判決はインドにおける営業秘密保護の重要な基礎となっています。

顧客リストやデータベースの権利帰属

法律事務所の元アソシエイトが顧客データベースを持ち出した事案であるDiljeet Titus v. Alfred A Adebare(2006年5月8日判決)において、デリー高等裁判所は、雇用関係(契約上のサービス)において作成された顧客リストや法的データベースの著作権は特段の合意がない限り雇用主に帰属すると判示しました。裁判所は元従業員による当該データの持ち出しと利用を禁じる差止命令を下し、雇用主が自らの投資とリソースを用いて構築した情報の独占的権利を保護しました。

さらにカルカッタ高等裁判所によるHi-Tech Systems & Services Ltd. v. Suprabhat Ray(2015年判決)では、元従業員が在職中に取得した顧客データや価格情報などの商業上の秘密を利用して競合事業を行おうとした事案において、実際の損害が発生する前であっても将来の権利侵害を予防するための差止命令(quia timet injunction)を出すことができると判断しています。

引き抜き防止条項の有効性

秘密保持条項と並んで重要なのが、顧客や他の従業員を引き抜くことを禁じるノンソリシテーション条項です。競業避止条項とは異なり、引き抜き防止条項は合理的な範囲であれば有効と判断される余地があります。デリー高等裁判所はWipro Limited v. Beckman Coulter International S.A.(2006年7月11日判決)において、企業間の契約における引き抜き防止条項は従業員の就労そのものを禁じるものではなく、インド契約法第27条の無効要件には該当しないと判断しました。この法理は雇用契約における元従業員による引き抜き行為の制限にも一定の根拠を与えるものとして実務上重視されています。

これらの判例から、雇用契約書を起案する際には何が会社の「秘密情報」に該当するのかを広範かつ具体的に定義することが不可欠です。単なる一般名称ではなく、顧客リスト、ソースコード、アルゴリズム、価格戦略、独自のノウハウなど保護すべき対象を列挙し、さらに雇用期間中に作成されたすべての著作物やデータベースの権利が会社に帰属することを明記する必要があります。

比較項目インドにおける法的枠組み日本の一般的な労働法理
解雇時の保護ワーカーに対しては厳格。法定の解雇予告、解雇補償金、再教育基金への拠出等が必要。解雇権濫用法理により極めて厳格に保護され、金銭解決制度は法定されていない。
退職後の競業避止無効。インド契約法第27条により原則として全ての就業制限が無効とされる。期間、地域、職種などの範囲が合理的であり、代償措置があれば有効とされる場合がある。
秘密保持・IP保護有効。スプリングボード法理等により、退職後も著作権や営業秘密の保護が強く認められる。有効。不正競争防止法や契約に基づき保護される。
ガーデンリーブ雇用関係終了後の効力延長を目的とする場合は無効とされるリスクが高い。雇用期間中であれば業務命令として適法に実施可能。

まとめ

インドにおいてビジネスを展開する企業にとって、新労働法典によるワーカー定義の拡大と独特の判例法理を踏まえた雇用契約書の設計は重要な課題です。解雇条項については対象者がワーカーに該当するか否かを的確に見極め、法令が求める解雇補償金や再教育基金への拠出要件を網羅的に反映させる必要があります。また退職後の競業避止義務が原則として無効とされる厳しい法務環境下では、企業が培ってきた知的財産や営業秘密を守るためのアプローチを抜本的に変える必要があります。顧客リストや独自のノウハウの権利が会社に帰属することを明示し、詳細かつ具体的な秘密保持条項および引き抜き防止条項を設計することが情報漏洩を防ぐ最も確実な防衛策となります。

モノリス法律事務所はインドの法律事務所と提携しており、現地の最新法令や複雑な手続きに対応できる体制を整えています。とくにIT関連に専門性を有する知見を活かし、情報保護を徹底した雇用契約書のレビューから新規起案、現地法に即した高度な労務紛争の予防策の構築まで、インドでビジネスを展開する皆様を強力にサポートいたします。法的リスクを最小化し安定した事業運営を実現するために、現地法令に精通した専門家による雇用契約書の監査とアップデートをぜひご検討ください。

モノリス法律事務所は、インド法務に関する調査および情報提供を目的として、現地法律事務所Quest IP Attorneysと非独占的な提携関係(Associate Firm / Correspondent Firm)にあります。

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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