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シンガポールの税法を弁護士が解説

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シンガポールの税法を弁護士が解説

日本企業のグローバル化が加速する中、東南アジアの経済的ハブであるシンガポール共和国(以下、シンガポール)への進出や事業拠点の移転は、多くの経営者や法務担当者にとって極めて重要な経営戦略上の選択肢となっています。この戦略を成功に導くための最大の鍵となるのが、シンガポールの特有かつ企業誘致に最適化された税法体系の正確な理解です。シンガポールの税制の根幹を成すのは所得税法(Income Tax Act)であり、同法は日本のような全世界の所得に対して課税を行う全世界所得課税方式とは異なり、国内で発生した所得および国外から国内へ送金等された所得のみを課税対象とする「ワン・テリトリー(領土内所得)課税」を採用しています。

法人税においては、基本税率が一律17%と極めて低水準に抑えられているだけでなく、設立から3年以内の新会社に対する大幅な免税制度(SUTE)や、既存企業向けの部分免税制度(PTE)が完備されており、実効税率をさらに引き下げることが可能です。また、日本法における法人税と配当所得課税の二重課税問題を解消するワン・ティア(一段階)課税制度が導入されており、法人が稼得した利益を株主に対して無税で配当できる仕組みが整っています。キャピタルゲインについても原則として非課税とされており、株式売却益に関するセーフハーバー規定(第13W条)が2025年予算案において要件緩和を伴って恒久化されるなど、投資やM&Aを促進する環境が維持されています。

個人所得税に目を向けても、累進課税の最高税率は2024年賦課年度以降で24%に留まり、最高55%に達する日本の所得税・住民税の負担と比較して圧倒的な優位性を誇ります。さらに、相続税および贈与税が法的に存在しないことは、同国が世界中の富裕層やファミリーオフィスを引き付ける最大の要因となっています。財・サービス税(GST)は2024年1月1日より9%へと引き上げられましたが、輸出物品や国際的なサービス提供にはゼロ税率が適用されるなど、国際競争力を削がないための緻密な制度設計がなされています。

しかしながら、こうした圧倒的な低税率環境を享受する一方で、近年は国際的な租税回避に対する規制が急速に強化されています。実体を持たない企業による国外資産の売却益に対して課税を行う新規定(第10L条)が2024年に施行されたほか、経済協力開発機構(OECD)が主導する「第2の柱」に基づくグローバル・ミニマム課税制度が2025年1月から開始され、巨大多国籍企業に対する15%の最低税率が導入されました。

本記事では、これら法人税、個人所得税、GST、その他の関連税制から最新の判例法理、さらには国際課税ルールの変更に至るまで、シンガポールの税法を網羅的かつ詳細に解説し、日本の法令との決定的な異同を明らかにすることで、同国への進出を検討する経営層および法務部員に不可欠な実務的知見を提供します。

シンガポール所得税法の基本構造とワン・テリトリー課税の原則

シンガポールの税制を理解する上で最も重要な前提となるのが、1947年に制定され幾度もの改正を経て現在に至る所得税法(Income Tax Act)の体系です。日本の法人税法および所得税法が、内国法人や居住者に対して国内外を問わず稼得したすべての所得に課税する「全世界所得課税方式」を採用しているのに対し、シンガポールの所得税法は厳格な「領土内所得課税(ワン・テリトリー課税)」を原則としています。

この原則は、所得税法第10条(1)項に規定されています。同項によれば、課税の対象となるのは、シンガポール国内で発生し、または国内を源泉とする所得、および国外で稼得されシンガポール国内で受領された所得に限定されます。したがって、シンガポール法人が国外の事業や投資から得た利益であっても、それを国外の銀行口座に留保し続ける限りにおいては、シンガポールにおける課税権は及ばないという極めて有利な構造を有しています。

国外源泉所得が「シンガポール国内で受領された(Received in Singapore from outside Singapore)」とみなされる法的要件については、所得税法第10条(25)項において以下の3つの具体的な基準が明記されています。第一に、当該所得がシンガポール国内に送金され、伝達され、または持ち込まれた場合です。第二に、当該所得がシンガポール国内で営まれる事業に関して生じた負債の返済または相殺に充てられた場合です。第三に、当該所得がシンガポール国内に持ち込まれる動産(事業用の設備や原材料など)の購入資金として用いられた場合です。これらの要件のいずれかに該当した時点で、国外所得は課税対象として捕捉されます。

ただし、内国歳入庁(IRAS)の行政上の譲歩的措置(Administrative concession)として、国外で稼得した所得をシンガポール国内に還流させることなく、直接別の海外投資に充当(再投資)した場合には、第10条(25)項に基づく国内での受領とはみなされず、課税のタイミングはその投資が将来実現し、最終的な収益がシンガポール国内に持ち込まれる時点まで繰り延べられます。この規定は、シンガポールを統括拠点として多国籍に資金を運用する日本企業にとって、極めて柔軟かつ効率的なキャッシュ・マネジメントを可能にする制度設計となっています。

参考:シンガポール共和国司法長官室の公式法令データベース

シンガポール法人税制の詳細と企業誘致のための優遇措置

シンガポール法人税制の詳細と企業誘致のための優遇措置

一律17%の基本税率とワン・ティア課税制度

シンガポールの法人税(Corporate Income Tax)は前年度所得に対する賦課課税方式(Preceding year basis)を採用しており、基本税率は一律17%に設定されています。日本では、国税である法人税に加えて、地方税である地方法人税、法人住民税、法人事業税が複雑に加算され、実効税率が約30%に達することと比較すると、シンガポールの法人税制は税率が低いだけでなく、地方税が存在しないという点で計算構造が極めて簡素です。

さらに、日本法との比較において経営戦略上極めて重要な違いとなるのが、「ワン・ティア課税制度(One-tier taxation system)」の採用です。日本では、法人が利益に対して法人税を納付した後、その税引き後利益を原資として株主に配当を行う際、配当を受け取る株主(個人または法人)に対しても原則として所得税等または法人税が課税されます。この「二重課税」を排除するために受取配当等の益金不算入制度などが複雑に設計されています。これに対し、シンガポールのワン・ティア課税制度下においては、シンガポール税務上の居住法人が支払うすべての配当金は、それを受け取る株主(個人・法人、居住者・非居住者を問わず)の段階で完全に非課税となります。法人の段階で17%の課税が行われた利益は、それ以上の租税摩擦を生じることなく、そのまま株主の純粋なリターンとなるため、持株会社を通じた配当還元策を最適化する上で圧倒的な利点をもたらします。

新設会社および既存企業に対する大幅な免税制度

シンガポールが起業家や多国籍企業を惹きつける最大の理由の一つが、17%という低い基本税率を実質的にさらに引き下げる強力な免税制度(Tax Exemption Schemes)の存在です。所得税法は、一定の要件を満たす課税所得に対して、段階的な免税措置を認めています。

第一に、新設会社に対する免税制度(Start-up Tax Exemption:SUTE)です。この制度は、設立から最初の3回の連続する賦課年度(Year of Assessment:YA)に該当する企業に対して適用されます。具体的な控除額として、最初の10万SGDまでの課税所得のうち75%(最大75,000SGD)が免税となり、続く10万SGDの課税所得のうち50%(最大50,000SGD)が免税となります。すなわち、合計20万SGDの課税所得に対して、最大125,000SGDの免税枠が与えられることになります。ただし、不動産開発会社(Property development companies)および投資持株会社(Investment holding companies)は、このSUTEの適用対象外とされています。

第二に、設立から4年目以降の企業や、SUTEの要件を満たさないすべての企業に対して適用される部分免税制度(Partial Tax Exemption:PTE)です。この制度では、最初の1万SGDまでの課税所得のうち75%(最大7,500SGD)が免税となり、続く19万SGDの課税所得のうち50%(最大95,000SGD)が免税となります。これにより、合計20万SGDの課税所得に対して最大102,500SGDの免税枠が恒久的に提供されます。

制度名称適用対象となる課税所得の階層免税される割合最大免税額
新設会社に対する免税制度(SUTE)最初の100,000SGD75%75,000SGD
次の100,000SGD50%50,000SGD
合計200,000SGD125,000SGD
部分免税制度(PTE)最初の10,000SGD75%7,500SGD
次の190,000SGD50%95,000SGD
合計200,000SGD102,500SGD

これらに加えて、毎年の国家予算案(Budget)の決定に基づき、一時的な法人税リベート(Corporate Income Tax Rebate)が付与されることが通例となっています。例えば、2025年の所得に対して課税が行われる2026年賦課年度においては、適格な企業に対して2,000SGDの非課税の現金給付(CIT rebate cash grant)が行われるほか、この現金給付の要件を満たさない企業を含めた全企業に対して、最大40,000SGDを上限とする50%の法人税リベートが適用されることが決定しています。

参考:内国歳入庁(IRAS)法人税率及び免税制度公式ウェブサイト

シンガポールのキャピタルゲイン非課税と判例による解釈

日本の税法では、法人が資産を売却して得た利益はすべて包括的に「益金」に算入され、通常の事業収益と同じ税率で法人税が課せられます。対照的に、シンガポールの税制における最も顕著な特徴は、原則としてキャピタルゲイン(資本的利益)税が存在しないことです。株式の譲渡益、不動産の売却益、あるいは事業そのものの売却益であっても、それがキャピタルゲインであると認定される限り、一切の課税を受けません。

しかしながら、シンガポールの所得税法には「収益(Revenue)」と「資本(Capital)」を厳密に区別する明文の定義規定が存在しません。実務上、ある資産の売却益が非課税のキャピタルゲインに該当するのか、それとも所得税法第10条(1)(g)項または(a)項に基づき課税対象となる通常の事業収益(Trading gains)に該当するのかは、事実関係に基づく個別具体的な判断に委ねられています。IRASは、取引の目的、取引の頻度、資産の保有期間、資金調達の方法などを総合的に考慮する「Badges of Trade」という基準を用いて、その性質を判断します。

この区別に関して、シンガポールの司法は重要な判断基準を示してきました。代表的な高等裁判所の判例である「ABD Pte Ltd v Comptroller of Income Tax(判決年月日:2010年4月8日)」において、裁判所は支出や収入が資本的性質を持つか収益的性質を持つかを判定する上で、「複合的かつ統合的なアプローチ(composite and integrated approach)」を提示しました。これは、単一の要素のみで判断するのではなく、取引の全体像を俯瞰して本質的な性質を究明する手法です。

さらに、控訴院(最高裁判所)で争われた「BFC v Comptroller of Income Tax(判決年月日:2014年7月25日)」は、資金調達に伴う費用が収益的支出として控除可能か、資本的支出として控除不可かが真正面から問われた極めて重要な判例です。この事件では、ホテルを運営する納税者が発行した債券に係る利息、ディスカウント(割引発行差金)、および償還プレミアムの税務上の扱いが争点となりました。裁判所は、所得税法第14条(1)(a)項に基づく利息の損金算入要件と、第15条(1)(c)項が定める資本的支出の控除禁止の枠組みを詳細に検討しました。そして、借入金の使途や目的(ホテルの改装、既存借入の借り換え、日常業務の資金繰りなど)を分析し、資金調達の目的そのものが資本的資産の形成や保持に向けられている場合には、それに関連する費用もまた資本的性質を帯びると判示しました。

これらの厳格な判例法理から、納税者が形式的にキャピタルゲインや収益的支出と主張したとしても、裁判所は取引の経済的実態に踏み込んでその本質を決定するということが言えるでしょう。

シンガポールの株式売却益に関するセーフハーバー規定

シンガポールの株式売却益に関するセーフハーバー規定

キャピタルゲインか事業収益かの判断は上述の通り事実認定に依存するため、企業再編やM&Aを行う多国籍企業にとっては重大な税務上の不確実性を伴います。この不確実性を排除し、シンガポールを投資の拠点として確固たるものにするため、所得税法第13W条に「セーフハーバー(安全港)」規定が設けられています。

この第13W条の規定によれば、売却対象となる企業(被投資会社)の普通株式を、売却する企業が少なくとも20%以上、かつ売却日の直前まで24ヶ月間という継続した期間にわたって法的にかつ実質的に保有していた場合、その株式の売却から生じる利益は無条件で非課税のキャピタルゲインとして取り扱われます。この要件を満たす限り、IRASから事業収益として課税されるリスクを完全に回避することができます。

さらに、2025年度の国家予算案において、この第13W条に関して企業にとって極めて有利な要件緩和と制度の拡充が発表されました。第一に、本制度はこれまで2027年12月31日までの時限的措置(サンセット条項)とされていましたが、この期限が撤廃され、恒久的な制度として定着しました。第二に、2026年1月1日以降に行われる売却から、対象となる資産の範囲が拡大され、適用される会計基準下で「資本(Equity)」として計上される優先株式(Preference shares)の売却益も免税の対象に含まれることとなりました。第三に、従来は単一の売却法人のみで「20%以上の株式保有」という要件を満たす必要がありましたが、2026年以降は、企業グループ全体の合算ベースでこの20%基準を満たしているかどうかの判定が可能となります。

これらの改正から、多国籍企業はグループ内の柔軟な組織再編や投資回収において、かつてないほどの税務上の確実性と機動性を確保できるということが言えるでしょう。

参考:シンガポール内国歳入庁 第13W条公式ガイドライン

シンガポールにおける国外資産売却益課税(第10L条)の導入

キャピタルゲイン非課税の原則とセーフハーバー規定が存在する一方で、シンガポールの税制史における大きな転換点となったのが、2024年1月1日より施行された所得税法第10L条の導入です。この新規定は、EU(欧州連合)の行動規範グループが指摘した国際的な租税回避リスクに対応するものであり、実体を伴わないペーパーカンパニーを利用した過度な節税策を封じ込めることを目的としています。

第10L条の規定内容は、関連グループに属する企業が「国外資産(Foreign assets)」を売却し、その売却益がシンガポール国内で受領(前述の第10条(25)項に基づく送金や債務返済等)された場合において、当該企業がシンガポール国内に「十分な経済的実体(Adequate economic substance)」を有していないときには、その売却益を所得税法第10条(1)(g)項に基づく課税対象所得とみなすというものです。この規定の最大の衝撃は、たとえその売却益が本来であればキャピタルゲインに該当するものであっても、あるいは第13W条のセーフハーバー要件を満たすものであっても、経済的実体が欠如していれば問答無用で課税対象となる点にあります。

対象となる国外資産には、海外に所在する不動産や有形動産のほか、無形資産(知的財産権など)も含まれます。経済的実体の有無は、シンガポール国内におけるフルタイムの従業員数、事業所の存在、事業運営に要する経費の額、および中核的な収益創出活動(経営の意思決定など)がシンガポール国内で行われているかといった要素を総合的に勘案して判断されます。なお、金融機関の事業活動に付随する売却や、特定の税制優遇措置(インセンティブ)を享受している法人の事業活動に関連する売却は、一定の要件下でこの規定の適用から除外されます。

これらの法改正から、単に税率が低いという理由だけでシンガポールに持株会社を設立し、実務をすべて日本から遠隔で操作しながら国外資産の売却益を非課税でシンガポールへ還流させるという伝統的な租税回避スキームは、もはや通用しなくなったということが言えるでしょう。

シンガポール個人所得税の仕組みと日本法との決定的な違い

シンガポール個人所得税の仕組みと日本法との決定的な違い

居住者に対する低水準の累進課税

シンガポールの個人所得税(Personal Income Tax)は、個人の居住性(Tax Residency)によって課税方式が根本的に異なります。税務上の居住者に対する所得税は累進課税方式がとられていますが、その税率は日本と比較して極めて低く設定されています。2024年賦課年度以降の改定により、最高税率は24%となりました。この24%という税率は、課税所得が1,000,000SGDを超える部分にのみ適用され、それ以下の所得階層に対しては0%から23%の間で細かく段階的な税率が適用されます。

日本の個人所得税が、国税たる所得税(最高45%)と地方税たる住民税(一律10%)の合計で最大55%に達することと比較すると、シンガポール(地方税は存在しません)における個人の手取り額(可処分所得)は圧倒的に多くなります。さらに、独立50周年などの国家的節目には特別な税額控除が実施されることがあり、例えば2025年賦課年度(2024年に稼得した所得)においては、「SG60パッケージ」の一環として、すべての居住者に対して納税額の60%(最大200SGDを上限)を控除する個人所得税リベートが付与されます。

居住性の判定と非居住者に対する厳格な課税

個人の税務上の居住性は、暦年(1月1日から12月31日)においてシンガポール国内に183日以上滞在または就労したか否かによって判定されます。滞在日数が183日未満の場合、非居住者(Non-resident)として扱われます。なお、就労期間が2つの暦年にまたがる場合で、合計滞在日数が183日以上となる連続した期間がある場合には、特例として両方の年について居住者として扱われる行政上の譲歩措置が存在します。

非居住者に対する課税制度は、居住者とは明確に区別されています。非居住者は、基礎控除、配偶者控除、生命保険料控除などの各種の個人的な所得控除(Personal reliefs)を一切受けることができません。その上で、通常の給与所得(Employment income)については、一律15%の税率を適用して計算した税額か、あるいは居住者と同じ累進税率を適用して計算した税額のいずれか高い方が適用されます。

ここで日本企業の駐在員や経営者が特に注意すべき点は、法人の取締役(Director)が受け取る役員報酬や取締役会への出席報酬については、この15%という軽減された給与税率の適用が認められないことです。非居住者の取締役が受け取る報酬には、非居住者向けの基本税率である24%が源泉徴収により一律に課税されます。

また、シンガポール国内での滞在日数が年間60日以下の短期就労者については、その就労から得られる給与所得は完全に免税となる制度があります。しかし、この短期就労免税措置も企業の取締役や公的なエンターテイナーには適用されないため、日本の親会社の役員がシンガポール子会社の役員を兼務し、年間数日だけシンガポールに出張して役員報酬相当の業務を行った場合でも、厳格に24%の税率で課税されるリスクに留意する必要があります。

対象者・所得区分適用される税率
居住者(183日以上滞在)累進課税(最高24%)、各種所得控除あり
非居住者(通常の給与所得)一律15%、または居住者用累進税率のいずれか高い方
非居住者(取締役報酬・役員報酬)一律24%の源泉徴収税
短期就労者(60日以下、取締役除く)完全免税(0%)

相続税および贈与税の完全な不在

シンガポールが世界中の富裕層、投資家、そして事業承継を控えた日本の経営者から絶大な支持を集めている最大の制度的要因が、相続税(Estate Duty)および贈与税(Gift Tax)が法的に一切存在しないという事実です。シンガポールの相続税は2008年2月15日をもって完全に廃止されました。日本では、基礎控除を超える相続財産に対して最高55%の累進税率が適用され、長年かけて築き上げた企業価値や自社株式を次世代に引き継ぐ際の税負担が、企業の存続を脅かす致命的なリスクとなるケースが多発しています。

これに対し、シンガポールに居住し、同国に資産を保有する限り、どれほど莫大な資産であっても税負担ゼロで次世代へ承継することが可能です。この環境は、一族の資産を管理するファミリーオフィスの設立拠点として最適な条件を提供しています。ただし、日本の居住者である経営者がシンガポールへ移住し、無税での事業承継を図ろうとする場合、日本の税務当局が課す国外転出時課税制度(出国税)や、贈与者・受贈者の双方が10年を超えて海外に居住していなければ日本の相続税・贈与税の対象となる「10年ルール」など、日本法側の極めて厳格な網目をクリアする必要があり、単なる移住だけで日本の課税権を免れることは困難です。

シンガポール財・サービス税(GST)の仕組みと近年の動向

税率の引き上げと輸出に対するゼロ税率

シンガポールにおける間接税であり、日本の消費税に相当するものが財・サービス税(GST:Goods and Services Tax)です。GSTの税率は社会保障や医療費の増大に対応するため段階的に引き上げられており、2023年1月1日に7%から8%へ、そして2024年1月1日をもって現在の9%へと改定されました。年間課税売上高が100万SGDを超える事業者はIRASに対するGSTの登録義務を負い、国内での商品販売やサービス提供、および輸入物品に対して9%のGSTを上乗せして徴収し、国に納付する責任を持ちます。

日本の消費税法が輸出免税を定めているのと同様に、シンガポールのGST制度においても、国際市場における自国企業の競争力を維持するため、輸出物品や海外の顧客に対する国際的なサービス(International Services)の提供にはゼロ税率(0%)が適用されます。これにより、シンガポールを拠点としてグローバルにサービスを展開する企業は、仕入れにかかったGSTを還付(Input tax claim)として取り戻しつつ、売上に対するGST負担を排除することができます。

税率移行期の過渡的措置とリバースチャージ

税率が8%から9%へ引き上げられた2024年1月1日をまたぐ取引においては、実務上極めて複雑な過渡的取り扱い(Transitional rules)が適用されます。GSTの適用税率は、原則として「インボイスの発行日」「代金の受領日」「商品やサービスの提供日」という3つのイベントがいつ発生したかによって決定されます。

IRASのガイドラインによれば、例えば2023年12月20日に商品を購入し、その時点で8%の税率が記載されたインボイスを受け取っていたとしても、実際の商品の引き渡しが2024年1月15日に行われ、かつ代金の支払いも2024年1月3日に行われた場合には、全体の取引に対して9%のGSTが適用されます。この場合、販売側は元の8%のインボイスを取り消すためのクレジットノートを発行し、新たに9%のGSTを記載したタックスインボイスを再発行する義務を負います。

また、デジタルサービスや専門的コンサルティングなどを含む輸入サービスについては、日本における「リバースチャージ方式(事業者向け電気通信利用役務の提供に係る課税)」と同様のメカニズムが導入されています。シンガポール国内のGST登録事業者が海外のサプライヤーからサービスを調達する場合、海外のサプライヤーに代わって、輸入者自らが9%のGSTを算出し、IRASに対して申告・納付する義務(Reverse charge)を負うことになります。

その他のシンガポール重要税制:源泉徴収税と印紙税

その他のシンガポール重要税制:源泉徴収税と印紙税

非居住者への支払いに対する源泉徴収税(Withholding Tax)

シンガポール法人が国外の非居住者(個人および法人)に対して特定の支払いを行う場合、支払者側で税金を差し引き、IRASに納付する源泉徴収税(Withholding Tax)の義務が課せられます。これは日本の源泉所得税制度と類似していますが、対象となる支払いと税率が細かく規定されています。

主な対象支払いと源泉徴収税率は以下の通りです。第一に、非居住者への配当(Dividends)については、前述のワン・ティア課税制度の恩恵により完全に非課税であり、源泉徴収税率も0%です。第二に、非居住者への利子(Interest)や手数料など、借入金に関連する支払いについては、原則として15%の最終源泉徴収税が課せられます。第三に、特許権、商標権、ノウハウなどの知的財産の使用に対するロイヤリティ(Royalties)や、動産の使用料については、原則10%の軽減された最終源泉徴収税が適用されます。第四に、非居住者の法人から提供された経営指導料(Management fees)や技術支援料について、それらがシンガポール国内で提供されたサービスに対する対価である場合は、法人の基本税率である17%が源泉徴収されます。個人のプロフェッショナル(コンサルタントなど)に対する支払いの場合は、総収入額の15%、または必要経費を控除した純所得に対する24%のいずれかを選択適用します。

対象となる支払いの種類源泉徴収税率(原則)備考
配当(Dividends)0%ワン・ティア制度により非課税
利子(Interest)15%最終分離課税
ロイヤリティ(Royalties)10%最終分離課税
取締役報酬(Director’s fees)24%非居住者個人の場合
専門家への報酬(Professionals)15%(総額)または24%(純額)選択適用
経営指導料(Management fees)17%非居住者法人の場合(国内での役務提供)

ただし、日本とシンガポールの間には租税条約(Avoidance of Double Taxation Agreement)が締結されており、適切な手続きを経て居住者証明書等を提出することにより、これらの国内法上の税率がさらに免除されたり、より低い条約税率に減免されたりする場合があります。

印紙税(Stamp Duty)の限定的適用と不動産への重課

日本の印紙税法が、契約書、領収書、約束手形など、日常的なビジネスで発生する極めて広範な文書に対して印紙税を課しているのに対し、シンガポールにおける印紙税(Stamp Duty)は適用対象が非常に限定的です。主に課税対象となるのは、不動産の譲渡・賃貸借に関する文書、および株式の譲渡に関する文書のみです。

しかし、対象が限定的である反面、不動産取引に対する課税は政策的な理由から極めて高額に設定されています。特に、シンガポール国民以外の外国人(法人を含む)が住宅用不動産を購入する際には、通常の買手印紙税(Buyer’s Stamp Duty)に加えて、追加買手印紙税(ABSD:Additional Buyer’s Stamp Duty)という多額のペナルティ的な税が賦課されます。これは、海外からの投機的な資金流入によって国民の居住用不動産価格が高騰することを防ぐための強力な市場介入措置として機能しています。

多国籍企業に対するシンガポールの国際的最低課税ルール

シンガポールが長年にわたり維持してきた17%という低い法人税率と各種免税措置による優位性に、歴史的な修正を迫る外部要因となったのが、経済協力開発機構(OECD)が主導するBEPS(税源浸食と利益移転)プロジェクトの「第2の柱(Pillar)」です。シンガポール共和国政府は、このグローバル・ミニマム課税制度である「GloBEルール(Global Anti-Base Erosion Rules)」を、2025年1月1日以降に開始する事業年度から正式に導入しました。この画期的な新ルールの適用対象となるのは、直近の4事業年度のうち少なくとも2つの事業年度において、最終親会社の連結財務諸表上の年間総収入額が7億5,000万ユーロ(約1,200億円)以上に達する巨大な多国籍企業グループです。

シンガポールにおける第2の柱の実施は、主に以下の2つの法的メカニズムによって構成されています。第一に、所得合算ルール(IIR:Income Inclusion Rule)です。これは、多国籍企業グループの最終親会社または中間親会社がシンガポールに所在する場合において、その傘下にある海外子会社(低課税構成会社:LTCE)の実効税率が15%を下回っているとき、その不足する税額をシンガポールの親会社の段階で上乗せして課税・徴収するルールです。

第二に、国内トップアップ税(DTT:Domestic Top-up Tax)です。これは、シンガポール国内に所在する多国籍企業の構成会社が、SUTEやPTEなどの優遇税制を適用した結果として、シンガポール国内での実効税率が15%を下回ってしまった場合、外国にある親会社の所在地国でIIRによってその差額を徴収されるのを防ぐため、シンガポール共和国政府自らが15%に達するまでの差額分(トップアップ税)を優先的に国内で徴収する仕組みです。

なお、もう一つの構成要素である軽課税所得ルール(UTPR:Undertaxed Profits Rule)の導入時期については、国際的な実施状況を見極めつつ後日検討されることとなっています。

これらの導入から、巨大な売上規模を持つ日本の多国籍企業がシンガポールに進出し、各種の優遇税制を駆使して実効税率を限界まで引き下げたとしても、最終的にはDTTまたはIIRによって15%までの差額が徴収されることになり、過度な低税率による租税回避のメリットは大幅に縮減されたということが言えるでしょう。一方で、年間総収入が7億5,000万ユーロに満たない中小企業や中堅規模の企業に対してはこのミニマム課税の適用はなく、引き続き17%の基本税率と各種の強力な免税制度の恩恵をフルに享受することが可能です。

参考:OECD第2の柱に関するIRAS公式ウェブサイト

まとめ

本稿で詳述した通り、シンガポールの税法体系は、法人税率の一律17%、キャピタルゲイン税や相続税・贈与税の不在、そして領土内所得課税という、日本企業から見て圧倒的な優位性を持つ基盤を提供しています。設立直後の新会社を強力に支援する免税制度(SUTE)や、株式売却益の非課税をグループ全体で確約するセーフハーバー規定(第13W条)の拡充など、ビジネスの機動的な成長と組織再編を後押しするインセンティブは現在も極めて充実しています。しかしその一方で、国際的な租税回避に対する国際社会の視線はかつてなく厳しさを増しており、シンガポールもその例外ではありません。

経済的実体のない企業に対する国外資産売却益課税(第10L条)の新設や、巨大多国籍企業に対する最低税率15%を強制するOECD第2の柱(GloBEルール・DTT)の導入に見られるように、単なる器としてのペーパーカンパニーによる節税策は完全に封じられ、制度は高度化かつ複雑化の一途を辿っています。日本法とシンガポール法が交錯するクロスボーダーの事業展開において、意図せぬ課税リスクやペナルティを回避し、税務効率を真の意味で最大化するためには、事業規模、目的、そしてシンガポール国内における経済的実体の構築を含めた緻密な事前設計が不可欠となります。

モノリス法律事務所では、海外進出を検討される日本企業の皆様に対し、現地の法令や最新の判例動向を踏まえた多角的な視点から、最適なビジネスストラクチャーの構築をサポートいたします。

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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