経営者の資産と会社を守る――デジタル時代のファミリーガバナンス構築法

「会社のネットバンキングの認証は、自分のスマートフォンで行っている」「重要なシステムの管理者設定は、自分しか変更できない」。こうした状態に心当たりのある経営者の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
限られた人数で事業を運営する中小企業では、経営者が資金繰りからITサービスの契約・管理まで担うことがあります。その結果、取引先への支払い、顧客情報の管理、自社Webサイトの運用など、事業を支える権限が経営者個人の端末やアカウントに集中することがあります。さらに、経営者個人が暗号資産やネット証券の金融資産を保有している場合には、会社の業務を継続する準備と、個人の財産を承継する準備の両方が必要です。
本記事では、中小企業の経営者に向けて、会社と個人のデジタル資産を整理し、事業継続と円滑な承継につなげる方法を、ファミリーガバナンスの視点から解説します。
この記事の目次
ファミリーガバナンスの新常識:なぜ経営者のデジタル資産管理が必要なのか
経営者一族の財産や理念を守るためのルール作りにおいて、デジタル資産は非常に重要な位置を占めるようになっています。ここでは、デジタル資産がどのような意味を持つのか、そのスムーズな承継のためにはどのようなルール作りが必要になるのかを詳しく解説します。
経営者への権限集中が、事業継続の弱点になる
経営者が重要な契約やシステムを自ら管理することには、意思決定の速さや管理のしやすさという利点があります。一方で、会社の規模や利用サービスが増えても管理方法を見直さなければ、経営者が不在になった際の対応が難しくなります。
例えば、経理担当者が請求書を作成できても、振込の承認は社長の端末でしか行えない場合があります。また、従業員が顧客管理システムを利用できても、アカウントの復旧や契約更新は社長しかできないというケースもあります。
このような状態では、通常業務が動いている間は問題が見えにくく、入院や事故、急な退任などをきっかけにリスクが表面化します。確認すべきなのは、パスワードの保管場所だけではなく、経営者が対応できなくても、必要な業務と管理操作を会社として継続できるかという点です。
会社の財産と個人の財産を区別して、承継を設計する
中小企業の事業承継では、後継者の選定、自社株式の承継、相続時の納税資金の確保などを関連付けて考える必要があります。経営者が個人で保有する暗号資産やネット証券の金融資産についても、こうした承継計画の中で把握しておくことが重要です。
ただし、会社の財産・契約上の権利と、経営者個人の財産は区別しなければなりません。社長のスマートフォンで管理しているからといって、会社の資産が社長個人の相続財産になるわけではありません。また、会社を継ぐ後継者が、経営者個人の財産をすべて取得するとは限りません。
会社については、必要な権限を役員や担当者へ引き継ぐ体制を整えます。個人の財産については、誰に承継させるか、どのように手続を進めるかを検討します。その上で、両者の準備に食い違いが生じないよう調整することが、経営者に求められる備えです。
管理対象となるデジタル資産・権限の例
本記事では、電子的に記録・管理される財産に加え、事業上重要なデータやシステムの利用・管理権限を、広く「デジタル資産」として取り上げます。
| 管理対象 | 主な例 | 承継に向けた確認事項 |
| 会社の資金管理に関わる権限 | 法人インターネットバンキング、決済サービス | 操作・承認権限、認証端末、担当者変更の手続 |
| 会社の業務を支えるデータ・権限 | 会計、給与、顧客管理、クラウドストレージ | 契約名義、管理者、復旧方法、バックアップ |
| 売上・信用に関わる権限 | ドメイン、ECサイト、公式SNS、広告アカウント | 管理者の交代、更新期限、支払方法 |
| 経営者個人の金融資産等 | 暗号資産、ネット銀行の預金、ネット証券の株式・投資信託、NFT | 資産の所在、保有記録、相続手続、納税資金 |
これらは、財産としての価値と事業上の重要性が重なる場合もあります。分類だけで終わらせず、利用できなくなった場合に何が止まるのかまで確認することが大切です。
ファミリーガバナンスで、家族と会社の役割を明確にする

デジタル資産の重要性を理解した上で、会社や家族を守るためには、組織的な資産管理の仕組みを構築する必要があります。
家族で共有する方針と、会社が決める運用を整理する
ファミリーガバナンスとは、創業家一族の理念や財産を次世代へ引き継ぎ、企業価値を長期的に維持するためのルールや仕組みです。親族が株主や経営者として関わる企業では、家族間の認識の違いが、経営や事業承継にも影響することがあります。
デジタル資産の管理でも、家族と会社の役割をあらかじめ明確にしておくことが有効です。家族会議では、個人資産の承継方針、緊急時の連絡先、専門家への相談窓口などを共有します。会社では、役員や実務担当者を交え、システムの管理者、権限の付与、認証手段、復旧手順などを決めます。
このとき、家族全員に会社のパスワードや顧客情報を共有する必要はありません。会社の情報へアクセスできる範囲は、業務上の役割や権限に応じて定めます。親族であることと、会社のシステムを操作する権限があることは、分けて考える必要があります。
ファミリー憲章に基本方針を、社内規程に実務手順を残す
家族間で合意した方針は、「ファミリー憲章(家族憲章)」に記載しておくと、世代交代の際にも共有しやすくなります。例えば、次のような事項が考えられます。
- 会社の財産・契約と個人の財産・契約を区別して管理すること
- 経営者不在時に、家族と会社の間で連絡を取り合う担当者
- 個人資産の目録や承継関係書類の保管場所・確認窓口
- 事業承継と個人資産の相続について、定期的に確認する機会
ファミリーガバナンスで定めておくべき内容については、下記の記事にて詳しく解説しています。
一方、会社のシステムごとの管理者や復旧手順は、社内の管理台帳やBCPに記載し、必要な担当者が確認できる状態にします。パスワードや復元フレーズなどの秘密情報は、憲章や一般の管理台帳とは分けて、安全に保管します。
ただし、ファミリー憲章への記載だけで、当然に法的拘束力が生じたり、財産やシステムの管理権限が移転したりするわけではありません。内容に応じて、適式な遺言、契約、会社の意思決定、サービス提供者所定の変更手続を組み合わせる必要があります。
参考:経済産業省|ファミリーガバナンス・ガイダンス(2026年6月5日公表)
個人向けの承継機能だけでは、会社の業務継続を確保できない
サービスによっては、利用者の死亡や長期間の利用停止に備え、指定した相手が一定のデータを取得できる機能があります。ただし、対象となる情報や利用条件には制限があり、会社の管理者権限まで引き継げるとは限りません。
会社の業務に利用するサービスについては、法人向けの管理機能や管理者変更手続を確認し、経営者の個人アカウントに依存しない運用を検討することが重要です。個人名義で契約したサービスを会社へ移す必要がある場合には、契約名義の変更やデータ移行が可能かも確認します。
事業承継の際には、財産や契約上の権利を誰が承継するかに加え、実際に業務を担当する人が必要な操作を行える状態にしておく必要があります。
デジタル資産の管理不足が経営に及ぼす3つのリスク

ここでは、デジタル資産を適切に管理しなかった場合に起こりうる具体的な3つのリスクについて解説します。
支払い・請求・顧客対応が滞るリスク
経営者しか利用できない認証端末や管理者アカウントがあると、本人不在時に、振込承認やアカウントの復旧などが進められなくなるおそれがあります。
例えば、顧客管理システムの管理者設定が社長個人のメールアドレスと端末に依存している場合、担当者がログインできなくなっても、社内で復旧できない可能性があります。また、サービスの更新通知が社長にしか届かなければ、契約や支払方法の変更に気付かず、利用に支障が生じることも考えられます。
影響はシステムの設定によって異なりますが、支払い、請求、受注、給与計算などが滞れば、資金繰りや取引先・従業員との信頼関係にも関わります。BCPでは、経営者不在時に止まる操作を具体的に洗い出し、優先順位を付けて対策する必要があります。
個人資産の相続対応が、後継者の経営負担になるリスク
後継者が経営者の相続人でもある場合、事業の引継ぎと個人財産の相続対応を並行して進めることになります。暗号資産やネット証券の資産が十分に整理されていなければ、資産の所在確認や必要書類の収集に時間がかかり、経営に集中しにくくなるおそれがあります。
暗号資産を相続した場合、その財産的価値は相続税の課税対象となります。パスワード等が分からず換金できないからといって、当然に課税対象から外れるわけではありません。相続税の申告・納付が必要な場合、その期限は原則として相続の開始があったことを知った日の翌日から10か月以内です。
また、交換業者に預けた暗号資産と、自己管理ウォレットで管理する暗号資産では、対応が異なります。交換業者では所定の相続手続を進められる場合がありますが、自己管理ウォレットでは、秘密鍵や復元フレーズを失い、ほかに復旧手段がなければ、送付・換金ができなくなるおそれがあります。
相続後の売却で税務上の利益が生じれば、所得税等も検討する必要があります。売却代金の全額が利益になるわけではなく、譲渡原価や手数料等を踏まえた計算と、取引時点の税制の確認が必要です。
経営者としては、個人資産の所在・取引履歴を整理し、自社株式を含む相続全体の納税資金を検討しておくことが、後継者の負担を軽減する備えになります。その際、会社の運転資金と個人の納税資金は区別して計画することが重要です。
不正アクセスへの対応が遅れ、被害が広がるリスク
強い権限を持つアカウントが経営者1人に集中していると、そのアカウントが侵害された場合に、複数のシステムへ被害が及ぶおそれがあります。本人が対応できなければ、不審な操作の確認や利用停止、復旧も遅れかねません。
対策としては、担当者に必要最小限の権限を付与し、多要素認証や操作記録の確認を行うとともに、緊急時に対応できる担当者と手順を定めます。
同じパスワードを複数人で共有するだけでは、誰が操作したのか分かりにくくなるなど、別の問題が生じます。通常業務の権限と緊急時の対応方法を整理し、会社として管理できる体制を作ることが必要です。
デジタル資産を安全に管理・承継する3つの実践ステップ

数々のリスクを理解した上で、実際にデジタル資産をどのように管理し、次世代へ引き継いでいくべきか、具体的な実践方法を解説します。
ステップ1:会社と個人の資産・権限を棚卸しする
まずは、会社で利用するサービスと、経営者個人が保有する資産を、それぞれ一覧にします。会社の棚卸しは、経理、総務、IT担当者や外部の保守事業者と協力して進めると、経営者自身が把握していない契約や設定も確認しやすくなります。
会社の管理台帳には、サービス名だけでなく、契約名義、利用部署、管理者、認証手段、更新期限、支払方法、問い合わせ先を記載します。併せて、「利用できない場合に止まる業務」と「代わりに対応できる人」を確認します。
個人の資産目録には、取引所や金融機関の名称、保有資産、取引履歴の保管場所、相続手続の窓口などを整理します。個人資産の詳細は、会社の管理台帳と閲覧範囲を分けて管理します。
最初から全項目を整えることが難しい場合には、振込、給与、請求、顧客対応など、停止した場合の影響が大きい業務から着手するとよいでしょう。
ステップ2:通常の管理担当者と、緊急時の対応者を決める
次に、会社の各サービスについて、日常的に管理する担当者と、その人が不在の場合に対応する担当者を定めます。サービスの仕様に応じて、個別の管理者アカウントや代替の認証手段を用意し、特定の人の端末だけに依存する状態を見直します。
「社長が承認する業務」を整理する際には、システムを操作する権限と、会社として取引等を決定・承認する権限の両方を確認する必要があります。認証情報を受け取っただけで、会社のあらゆる判断や取引ができるわけではありません。
個人資産については、死亡時と意思能力を失った場合を区別し、誰が、どの条件で、必要な情報を確認できるようにするかを検討します。秘密情報の保管・引渡しを専門家へ依頼する場合にも、対応範囲や本人確認、代替の受領者などを契約で明確にしておくことが重要です。
認証情報の預託と、財産を管理・承継させる信託は異なる仕組みです。遺言や相続手続、会社の権限付与、サービス提供者の手続と整合させながら準備を進めます。
ステップ3:「社長に聞かずに対応できるか」を定期的に確認する
管理台帳や手順書は、作成後の見直しが欠かせません。担当者の退職、端末の買替え、サービスの追加、支払方法の変更などにより、実際の設定と記録がずれることがあるためです。
例えば年1回の定期確認に加え、人事異動や主要システムの変更時にも内容を更新します。会社の運用確認には実務担当者を、個人資産や承継方針の確認には必要な家族や専門家を交え、関係者ごとに確認する範囲を整理します。
確認の際には、手順書の有無だけでなく、経営者へ連絡できない状況でも、担当者が問い合わせ先や復旧手順を把握できるかを点検します。業務への影響を避けながら、可能な範囲で代替手順も確認しておくとよいでしょう。弁護士、税理士、ITの専門家と連携し、法的な権限、税務上の扱い、システムの設定を併せて見直すことで、実際の経営に役立つ管理体制を維持しやすくなります。
まとめ:デジタル資産の管理を事業継続と承継の準備に組み込む
中小企業のデジタル資産管理では、会社の業務を動かす権限と、経営者個人の財産を、それぞれ適切に管理することが重要です。経営者への依存が大きい状態を見直すことは、急な不在への備えになるとともに、将来の後継者への引継ぎも進めやすくします。
まずは、社長しか操作・復旧できないサービスを洗い出し、契約名義、担当者、認証手段を確認することから始めましょう。その上で、家族間の承継方針をファミリー憲章に、会社の実務手順を管理台帳やBCPに整理し、必要な法的手続とシステム上の設定を整えていくことが大切です。
デジタル資産の管理や相続、そしてファミリーガバナンスの構築は、従来の法律の知識だけでは十分にカバーすることができません。暗号資産の仕組み、クラウドサーバーの構造、そして最新のサイバーセキュリティを深く理解している専門家のサポートが不可欠です。
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