在外インド人(NRI)の採用と税務:居住ステータス判定と源泉徴収実務

インドにおいて、ビジネスを展開しIT分野をはじめとする高度人材を確保する上で、在外インド人すなわちNRIを採用することは日本企業にとって重要な経営戦略です。しかし、国境を越えた人材マネジメントを適切に行うためには、インド特有の複雑な税制や社会保障制度に対する正確な理解が不可欠です。
本記事では、2026年4月に施行された新たなインド所得税法(Income-tax Act, 2025)に基づく厳格な居住ステータス判定の基準や、全世界所得に対する課税リスクについて最新の法令情報を交えて詳しく解説します。本記事で示す条文番号は同法(2026年4月1日施行)に基づきます。なお、2026年中に行う2026-27賦課年度(2025年度の所得)の確定申告には従前の1961年所得税法が適用され、対応する条文はそれぞれ第115BAC条(税率表)・第192条(給与源泉徴収)・第206AA条(PAN未提出時の税率)となります。いずれも税率表の数値は新法と同一です。さらに、適正な源泉徴収処理のあり方や近年監視が強化されている外国資産開示ルールが雇用企業と従業員に与える影響を整理し、インドに関連する事業展開における円滑な人事と税務コンプライアンスの実現を支援します。
この記事の目次
インド所得税法における居住者判定の厳密な枠組み
インドにおいて、個人が居住者として扱われるか非居住者として扱われるかは、各課税年度におけるインド国内での滞在日数に基づいて機械的かつ厳格に判定されます。2026年4月1日から施行された新インド所得税法(Income-tax Act, 2025)第6条によれば、原則としてある課税年度(Tax Year)において合計182日以上インドに滞在した個人は居住者とみなされます。また、当該年度の滞在日数が60日以上であり、かつ直前4年間の滞在日数が合計365日以上である場合も居住者として判定されます。この点において、日本の所得税法が、生活の本拠である住所や1年以上の居所の有無という実質的かつ総合的な基準を用いて居住性を判定しているのとは大きく異なり、インドの法令は明確な日数基準を採用している点に留意が必要です。
例外的な措置として、インド国籍を有する者やインド系市民(PIO)がインドを訪問する場合、上記の60日という基準は182日に緩和されます。ただし、インド国内を源泉とする所得が150万ルピーを超える場合には緩和措置が制限され、60日ではなく120日以上の滞在で居住者として扱われます。さらに、近年強化されているのがみなし居住者(Deemed Resident)制度です。インド国籍を有し、国外源泉所得を除く総所得(=インド国内源泉の所得)が150万ルピーを超える個人が、居住地やドミサイル(Domicile)を理由として他のいかなる国においても納税義務を負わない場合、インド国内での滞在日数にかかわらずインドの居住者とみなされます。これはノマドワーカーのように、意図的に各国の滞在日数を調整して無税状態を作り出す租税回避行為を防ぐためのインド独自の制度設計です。
参考:ITD(インド所得税局 / Income Tax Department)|居住ステータス(Residential Status)解説
インドの居住ステータスに基づく全世界所得への課税リスク

インドの税制において居住者は、「通常の居住者(ROR)」と「非通常居住者(RNOR)」の2つのカテゴリーに細分化されており、この区分が全世界所得に対する課税リスクを決定づけます。通常の居住者に分類された場合、インド国内で発生した所得のみならず、日本を含む世界中で稼得したすべての所得に対してインドで課税されます。一方で、直近10年間のうち9年間非居住者であった場合や直近7年間のインド滞在日数が合計729日以下であった場合は、非通常居住者(RNOR)として分類されます。みなし居住者制度によって居住者と判定された者も、自動的にこの非通常居住者として扱われます。非通常居住者および非居住者については、原則としてインド国内で発生または受領した所得やインドから管理されている事業による所得のみが課税対象となります。
在外インド人(NRI)を日本の企業が採用した後に、当該従業員がインドへ帰国するようなケースでは、このステータスの移行が重大な意味を持ちます。インドに帰国して通常の居住者となった瞬間から、日本法人が支給する給与や付与したストックオプション等のインセンティブ報酬、米国市場で運用しているETFの譲渡益などであっても、全世界所得としてインドの課税対象に組み込まれます。日本の税制にも「非永住者」という概念があり、過去10年以内の居住期間が5年以下の外国人に対する国外源泉所得の課税免除制度が存在しますが、インドのRNORステータスは通常、帰国後2〜3年程度しか維持できないため、より短期的な視点での対応が迫られます。
雇用企業としては、対象となる従業員がいつ通常の居住者に移行するのかをあらかじめシミュレーションし、非通常居住者である期間を有効に活用して報酬の支払いや資産の整理を行うといった税務上のサポートを提供することが求められます。
新税制(Income-tax Act, 2025 第202条)に基づく個人の所得税スラブ税率(2026-27年度)は以下の通り設定されており、ステータスに応じた適切な納税計画が不可欠です。
| 課税対象所得(ルピー) | 適用税率 |
| 400,000まで | 免税 (Nil) |
| 400,001 ~ 800,000 | 5% |
| 800,001 ~ 1,200,000 | 10% |
| 1,200,001 ~ 1,600,000 | 15% |
| 1,600,001 ~ 2,000,000 | 20% |
| 2,000,001 ~ 2,400,000 | 25% |
| 2,400,001以上 | 30% |
インドにおける源泉徴収(TDS)の適正な処理とコンプライアンス
インドにおける源泉徴収(TDS)制度は、広範な取引に適用され、給与支払いに関しても厳格な規定が設けられています。所得税法第392条に基づき、雇用主は従業員の年間所得とそれに適用される累進税率を見積もり、給与支払いの都度、見積もり上の平均税率で税金を控除し、政府に納付する義務を負います。この給与に対する源泉徴収義務は、従業員が居住者であるか非居住者であるかを問わず、インド国内で提供された役務に対する対価である限り適用されます。日本の源泉徴収実務では、非居住者に対して一律20.42%の税率で源泉分離課税を行うのが一般的ですが、インドにおいては非居住者であっても事前の申告に基づき、各種控除を考慮した通常の所得税スラブ税率を適用して源泉徴収額を算出する点で手続きの実質が異なります。
ただし、従業員がインドの永久アカウント番号(PAN)を提出しない場合、所得税法第397条(第2項)の規定により、源泉徴収税率は20%または適用されるべき本来の税率のいずれか高い方が強制的に適用されるというペナルティ措置が存在します。したがって、NRIや外国人を雇用する際には、入社段階で確実にPANを取得させ、雇用主に提出させる社内プロセスを構築することが、源泉徴収のコンプライアンスを維持する上で不可欠となります。
さらに、2026年4月に施行された新所得税法に伴い、TDSに関連する申告フォームが大幅に刷新されました。企業は、これらの新しいフォームに対応したシステム改修やオペレーションの構築を行う必要があります。
| 旧フォーム(1961年法) | 新フォーム(2025年法) | 目的・用途 |
| Form 16 | Form 130 | 給与所得向け年間TDS証明書 |
| Form 16A | Form 131 | 給与以外の支払い向けTDS証明書 |
| Form 24Q | Form 138 | 給与向け四半期TDS申告書 |
| Form 26Q | Form 140 | 給与以外の四半期TDS申告書(居住者向け) |
| Form 26AS | Form 168 | 年間情報ステートメント(AIS) |
参考:ITD(インド所得税局 / Income Tax Department)|源泉徴収(TDS)解説
インドにおける外国資産開示(Schedule FA)の厳格化と重要判例

インドでは、居住者(非通常居住者を除く)に対して確定申告書内に設けられた外国資産開示スケジュール(Schedule FA)を通じて、インド国外に保有するすべての資産を開示することを義務付けています。対象となる資産には、国外の銀行口座や不動産だけでなく、外国法人が付与した未上場の株式やESOPなどの金融資産も広く含まれます。日本法人で勤務していたNRIが、インドに帰国して通常の居住者となった場合、日本で開設した銀行口座の残高や日本法人から付与された株式報酬などを漏れなく申告しなければなりません。申告を怠った場合、ブラックマネー法(The Black Money (Undisclosed Foreign Income and Assets) and Imposition of Tax Act, 2015)に基づき、100万ルピーの重い罰金が科されるリスクがあります。ただし、同法第43条ただし書により、不動産を除く国外資産の価額の合計が200万ルピー(20 lakh)以下の場合には、この罰金は科されません。
この外国資産開示の不作為に対する罰金に関連して、実務上重要な判例が存在します。インドの所得税審判所(ITAT)ムンバイ特別法廷が、2025年10月14日に下した「Vinil Venugopal v. DDIT (Inv.)」事件の判決です。この裁判において最大の争点となったのは、ブラックマネー法第43条に規定される100万ルピーの罰金が自動的かつ義務的に科される性質のものか、それとも税務当局に一定の裁量権が認められるかという点でした。
裁判所は、条文で用いられている「may(することができる)」という言葉が強制を意味する「shall(しなければならない)」ではなく、裁量を示すものと解釈しました。故意の脱税目的ではなく、単なる確認不足や見落としといった過失による申告漏れ(技術的または軽微な違反)であり、納税者が事後的に適切な開示を行ったような場合には、税務当局が罰金の免除を決定する権限を有すると判示しました。この判決は、過酷な罰金に直面していた多くの納税者にとって救済の道を開く画期的なものです。しかし、依然として、税務調査の対象となること自体が従業員にとって、精神的かつ経済的に大きな負担となるため、企業としては自社の従業員に対して事前の適切な申告を促す啓発活動や外部専門家による申告サポートを提供することが推奨されます。
日印社会保障協定に基づく社会保障制度の二重加入防止
税務と並んで国境を越えた人事異動において大きな課題となるのが、社会保障制度への二重加入問題です。日本とインドの間では社会保障協定が発効しており、年金制度の二重加入の防止と加入期間の通算が可能です。インドの被用者積立基金(EPF)や被用者年金制度(EPS)は、雇用主と従業員双方に高い拠出負担を強いますが、協定の枠組みを正しく活用することで不要なコストを削減できます。
具体的には、日本からインドへ5年以内の見込みで一時的に派遣される従業員については、派遣前に日本年金機構から適用証明書の交付を受けることで、インド側の社会保障制度への加入が免除され、引き続き日本の制度のみに加入することが認められます。逆に、NRIを含むインドの居住者が日本法人に採用され、日本で就労する場合には日本の厚生年金保険等に加入しますが、将来インドに帰国した際には日本での加入期間をインドの制度において受給資格期間として通算できます。
これにより従業員は、年金の掛け捨てリスクを回避できるため、グローバル人材を採用する際の大きなアピールポイントとなります。企業は採用対象者の滞在予定期間や将来のキャリアプランを考慮し、両国の法令に基づき適切な制度加入の免除または通算の手続きを漏れなく実施する責任があります。
参考:日本年金機構(Japan Pension Service)|社会保障協定の仕組み(英語)
まとめ
インドに関連するビジネスにおいて、在外インド人などの高度人材を適正に採用し、運用していくためには、現地の法令に裏付けられた確実な対応が求められます。インドの居住ステータス判定は、日数のカウントにより機械的かつ複雑に設計されており、判定結果次第で全世界所得への課税リスクが大きく変動します。また、給与等の支払い時における源泉徴収制度の厳格な運用やブラックマネー法に基づく外国資産開示スケジュールの義務化など、雇用企業が従業員と連携して取り組むべきコンプライアンス上の課題は多岐にわたります。日印社会保障協定の活用も含め、国境を越えた人材マネジメントには、日本とインド双方の最新法令や判例動向を俯瞰した戦略的な法務および税務のサポートが不可欠です。
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モノリス法律事務所は、インド法務に関する調査および情報提供を目的として、現地法律事務所Quest IP Attorneysと非独占的な提携関係(Associate Firm / Correspondent Firm)にあります。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務



































