ブルネイのM&Aに関する法律を弁護士が解説

ブルネイ・ダルサラーム国(以下、ブルネイ)は、東南アジアのボルネオ島北部に位置し、豊かな石油および天然ガス資源を背景に高い経済水準を維持してきた国家です。しかし、近年の資源価格の変動や将来的な資源枯渇のリスクを見据え、ブルネイ政府は「ワワサン・ブルネイ2035(Wawasan Brunei 2035)」という長期的な国家ビジョンを掲げています。このビジョンの中核をなすのが、エネルギー産業に極端に依存した経済構造からの脱却と、経済の多角化の推進です。
この国家方針のもと、ブルネイでは外国直接投資(FDI)の積極的な誘致が行われており、通信、金融、農業、製造業など、非エネルギー分野における産業育成が急務とされています。こうしたダイナミックな経済構造の転換期において、ブルネイにおけるM&A(合併・買収)市場は、市場規模こそ比較的小さいものの、日本企業をはじめとする外資系企業にとって新たなビジネス展開の足がかりとして大きな注目を集めています。
本記事の要点として、ブルネイにおけるM&Aの実務は、日本の法制度とは根本的に異なるコモンロー(英米法)体系に基づく独特の手続きと規制の枠組みの下で行われるということが挙げられます。第一に、会社法に基づく組織再編を行う場合、日本の会社法のように株主総会の決議のみで効力が発生するわけではなく、裁判所の関与と認可(Sanction)が要求される手続きが存在します。
第二に、独占禁止法にあたる「競争令2015(Competition Order 2015)」に基づく企業結合審査では、日本のような事前の義務的届出制度ではなく、当事者の判断に委ねられる「任意通知(Voluntary notification)」の仕組みが採用されています。
第三に、原則として外資誘致に積極的である一方で、農業や電気通信などの特定の業種においては、ブルネイ人による一定の出資比率(ローカルエクイティ)や雇用義務が厳格に求められる外資規制が存在します。
さらに、税制面ではキャピタルゲイン税が非課税であるという強力なインセンティブがある反面、株式譲渡等の契約書には厳格な期限を伴う印紙税(Stamp Duty)の納付義務が課されており、これを怠ると裁判での証拠能力が否定されるという重大な法的リスクが存在します。
本記事では、想定読者である日本人の経営者や法務部員の皆様に向けて、これらの重要な違いを詳しく比較しながら、ブルネイにおけるM&Aを成功に導くための実践的な法律知識を解説していきます。
この記事の目次
ブルネイの経済的背景と国家方針に基づくM&A環境
ブルネイの経済は歴史的に国内総生産の半分近くを石油および天然ガス部門に依存してきましたが、近年は持続可能な成長を目指し、政府主導で多角化政策が強力に推し進められています。この政策は、外国からの直接投資を呼び込むための法制度の整備や、親ビジネス的な税制の構築に直結しています。
ブルネイの投資環境としての最大の魅力は、その特異で有利な税制にあります。ブルネイでは個人所得税、売上税、輸出税、製造税が免除されており、M&Aの実務において投資の意思決定を左右するキャピタルゲイン税も一切課されません。法人税率は18.5パーセント(石油・天然ガス関連事業の場合は55パーセント)に設定されていますが、新規に設立された企業や一定の要件を満たす中小企業に対しては、最初の数年間にわたる免税措置や大幅な税額控除が用意されています。このような税制上の優遇措置は、買収後の事業統合プロセスや将来的なエグジット(投資回収)を検討する日本企業にとって、極めて有利な条件を提供しています。
ブルネイ会社法に基づく企業結合の実務と日本法との決定的差異

ブルネイにおける企業の設立、運営、および組織再編は、主にブルネイ会社法(Companies Act, Chapter 39)によって規律されています。日本企業がブルネイの現地企業を買収する場合、単純な株式譲渡のほかに、現地の会社法に基づく和解および整理(Compromise or Arrangement)を通じたスキームが用いられることがあります。この手続きは、日本の会社法における組織再編手続きとは根本的な思想が異なるため、実務上のスケジュールやリスク管理に重大な影響を及ぼします。
日本の会社法では、合併や会社分割などの組織再編を行う場合、合併契約書などを作成したうえで、原則として株主総会の特別決議(議決権の3分の2以上の賛成)を経ることで手続きが進行します。債権者に対しては官報公告や個別催告を通じた異議申立手続き(債権者保護手続き)が設けられていますが、手続きの全般は当事会社による自治的なプロセスであり、裁判所が事前に介入して認可を与えることはありません。
これに対し、ブルネイ会社法の第151条および第152条に基づく「和解および整理」の手続きを用いて再編を行う場合、当事者の合意や株主総会の決議だけでは法的な効力は生じません。ブルネイにおいて会社が債権者または株主との間で事業再編を提案する場合、まず裁判所に対して申し立てを行い、裁判所の命令によって関係者の会議を招集する必要があります。そして、その会議に出席して投票した債権者または株主の「金額(価値)の4分の3以上」を代表する過半数が再編案に合意しなければなりません。さらに、この可決要件を満たした上で、その合意が再び裁判所によって正式に認可(Sanction)されて初めて、すべての当事者を法的に拘束する効力が発生します。
この裁判所による認可手続きは、イギリスの会社法に由来する「スキーム・オブ・アレンジメント」の概念を踏襲したものであり、少数株主や債権者の利益が不当に害されていないかについて、裁判所が実質的な公平性を審査する機能を果たしています。したがって、ブルネイにおけるM&Aでこのスキームを採用する場合、日本の感覚よりも法的手続きに要する期間をはるかに長めに見積もり、現地の弁護士を通じた綿密な法廷戦略を構築する必要があります。
ブルネイにおける会社再編や裁判所の認可を伴う合意手続きの詳細については、ブルネイ財務経済省が公開している以下の公式資料をご確認ください。
参考:ブルネイ会社法(Companies Act, Chapter 39)
ブルネイにおける倒産法制の刷新と事業再生手続きを通じたM&A
経営不振に陥ったブルネイ企業を買収し、事業の立て直しを図る「ディストレストM&A」を検討する場合には、2016年に制定された倒産令(Insolvency Order 2016)に対する深い理解が不可欠となります。かつて、企業の倒産に関する規定は会社法の中に組み込まれていましたが、本令の施行によって独立した法体系として整備され、企業の清算だけでなく、より現代的で柔軟な事業再生手続きが導入されました。
この倒産令において特に注目すべき制度が、「司法管理(Judicial Management)」および「会社任意整理(Company Voluntary Arrangements)」です。日本の民事再生法に類似した機能を有していますが、その運用には大きな違いがあります。ブルネイにおいて司法管理の申し立てが行われ、裁判所がこれを受理すると、対象会社に対して広範なモラトリアム(債務の支払猶予および債権者による強制執行の禁止)が強力に適用されます。その後、裁判所によって選任された専門家である司法管理人(Judicial Manager)が、従来の経営陣に代わって会社のすべての経営権と財産管理権を掌握します。
日本企業がスポンサーとしてこのような再生対象企業を買収する場合、旧経営陣ではなく、絶対的な権限を持つ司法管理人と直接交渉を行い、債権者集会の合意を取り付けながら事業を譲り受けるプロセスを踏むことになります。日本の民事再生手続きでは経営陣が引き続き業務を遂行するDIP(Debtor in Possession)型が主流ですが、ブルネイの司法管理制度は管財人主導で行われるため、現地の法務手続や倒産実務に精通したアドバイザーの支援を得ながら交渉を進めることが極めて重要です。
ブルネイ競争令2015による合併規制と独自の審査制度

ブルネイ市場への参入や現地企業の買収にあたっては、独占禁止法にあたる競争法規制を遵守することが強く求められます。ブルネイでは、市場の効率性と消費者の利益を促進し、公正な競争環境を維持することを目的として「競争令2015(Competition Order 2015)」が制定されました。
反競争的行為の禁止と段階的な施行
競争令2015は、市場における公正な競争を阻害する行為として、主に以下の3つの類型を禁止しています。 第一に、価格カルテルや入札談合、市場分割といった「反競争的合意(第11条)」。 第二に、市場において圧倒的なシェアを持つ企業が、不当な廉売や取引拒絶を行う「支配的地位の濫用(第21条)」。 第三に、市場の競争を著しく制限する結果をもたらす「反競争的合併(第23条)」です。
ブルネイ政府はビジネス環境への急激な影響を緩和するため、これらの規制を段階的に施行してきました。2020年に第11条の反競争的合意に関する規定が先行して施行された後、ブルネイ競争・消費者委員会(CCBD)は、第21条および第23条についても完全施行を発表しました。これにより、ブルネイにおけるM&Aは競争法の本格的な監視下に入ることとなり、第23条に基づき、ブルネイ国内のいずれかの市場において競争を著しく制限する(Substantial lessening of competition)と見込まれるM&Aは明確に禁止されることとなりました。
任意通知制度の採用と日本法との比較
競争令2015における企業結合(合併・買収)審査の最大の特徴であり、日本法との決定的な違いとなるのが「任意通知(Voluntary notification)」の仕組みを採用している点です。
日本の「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(独占禁止法)」では、買収会社と対象会社の国内売上高が一定の基準額(例えば、買収会社が200億円、対象会社が50億円など)を超えるM&Aを行う場合、事前に公正取引委員会に対する届出を行うことが法的な義務とされています。そして、届出受理後30日間は原則としてM&Aを実行することができないという、強力な待機期間が設定されています。
一方、ブルネイの競争令では、M&Aを実行する前にCCBDへ通知する法的な義務は一切存在しません。当事者は事前(Ex-ante)または事後(Ex-post)のいずれのタイミングであっても、その合併が第23条に違反するかどうかについて、自発的にCCBDに通知し、判断を求めることができます。
しかし、届出が任意であるからといって、無断でM&Aを進めることが安全であるとは決して言えません。この制度の構造から、当事者による自発的かつ高度な法務リスク管理が求められているということが言えるでしょう。なぜなら、CCBDは当事者からの通知が行われていない合併案件であっても、市場競争に悪影響を及ぼす疑いがある場合には独自に職権で調査を行う権限を有しているからです。もし事後的な調査によってそのM&Aが競争を著しく制限すると判断された場合、CCBDは対象企業に対して合併の解消(資産の強制的な分割や売却)や強力な是正措置を命じることが可能です。さらに、違反が認定された企業には、最大3年間にわたり年間売上高の最大10パーセントに相当する極めて多額の制裁金(Financial Penalty)が科されるリスクがあります。
したがって実務上は、買収対象企業の市場シェアが高く、競合他社同士の統合に該当するような案件においては、あえてクロージング前にCCBDに対して任意通知を行い、正式な承認(クリアランス)を得る手続きを踏むことが強く推奨されます。これにより、将来的な取引の無効化や巨額の制裁金リスクを完全に排除することが可能となります。
この競争法規制に関する公式なガイドラインなどは、ブルネイ競争・消費者委員会の公式ウェブサイトで確認することができます。
ブルネイの外資規制とローカル要件に関する実務上の留意点
ブルネイは経済の多角化を目指して外国資本の導入を積極的に推進しており、日本の「外国為替及び外国貿易法(外為法)」のような網羅的で厳格な事前届出制度は存在しません。原則として、外国企業による100パーセント出資の現地法人設立や株式の買収が広く認められています。しかし、すべての産業分野において無条件に外資の参入が許可されているわけではなく、国家の安全保障や現地産業の保護を目的とした個別法規による外資規制が存在します。
日本企業がターゲットとする業種によっては、現地の法律や監督官庁のガイドラインに基づき、ブミプトラと呼ばれるマレー系ブルネイ人の資本(ローカルエクイティ)の一定割合の参加が、事業ライセンスの取得や維持の条件として義務付けられている場合があります。
代表的な規制分野として、農業分野と通信インフラ分野が挙げられます。農業や一次産業において、ブルネイ政府が管轄する用地を利用して投資を行う場合、少なくとも30パーセントの現地資本参加が義務付けられています。また、公衆電気通信ネットワークの提供などに関わる通信分野においては、ブルネイ国民またはブルネイ企業との合弁事業(ジョイントベンチャー)を通じる必要があり、外国資本の出資比率は最大で51パーセントに制限されています。
M&Aのストラクチャーを策定する初期段階において、対象会社が保有する許認可や事業内容がこれらの外資規制の対象となっていないかを、法務デューディリジェンスを通じて厳格に確認することが不可欠です。万が一、外資規制を潜脱する目的で名義借りのような不適切なスキームを構築した場合、ライセンスの即時剥奪や事業継続の危機に直面することになります。現地の法規制や税制、行政手続きは特殊性が高く不透明な部分も存在するため、ブルネイへの進出や買収スキームの検討時には、国際業務に対応した専門コンサルティングや、現地の法務事情に精通した専門家のサポートを受けるのが一般的です。
ブルネイの株式譲渡における印紙税の実務と法的リスク

ブルネイにおけるM&Aの大きなインセンティブとして、前述の通りキャピタルゲイン税が非課税であることが挙げられます。日本国内のM&Aでは、株式譲渡によって生じた利益に対して約20パーセントの税金(法人の場合は実効税率に応じた法人税)が課されるのが一般的ですが、ブルネイではこれが免除されるため、投資対効果を最大化することが可能です。
一方で、日本の実務感覚のままでは見落としがちであり、決して軽視してはならないのが「印紙税(Stamp Duty)」の存在です。日本でも契約書に対する印紙税制度は存在しますが、株式譲渡契約書そのものは原則として非課税文書として扱われます。しかしブルネイにおいては、ブルネイ印紙税法(Stamp Act, Chapter 34)に基づき、株式譲渡証書(Instrument of Transfer)に対して明確な印紙税の納付義務が課せられます。
ブルネイの株式譲渡に関する印紙税は、固定額ではなく、取引金額または対象株式の時価のいずれか高い方を基準として計算される従価税(Ad Valorem Duty)の方式がとられています。具体的な税率は以下の表の通りです。
| 株式譲渡証書の記載形式 | 印紙税の計算基準(通貨:ブルネイ・ドル) |
| 譲受人の氏名・名称が明確に記載されている場合 | 取引金額100ブルネイ・ドルまたはその端数につき 0.10ブルネイ・ドル(実質0.1パーセント) |
| 譲受人の氏名・名称が空欄(白地譲渡)の場合 | 取引金額100ブルネイ・ドルまたはその端数につき 0.30ブルネイ・ドル(実質0.3パーセント) |
印紙税の納付には、極めて厳格な期限が設けられています。ブルネイ国内で譲渡証書が署名(実行)された場合は「実行日から14日以内」、ブルネイ国外で署名された文書がブルネイ国内に持ち込まれた場合は「持ち込まれた日から30日以内」に納税およびスタンピング(検印)を完了させなければなりません。
この期限を徒過した場合、不足税額の2倍から4倍、あるいは所定の固定罰金のうちいずれか高い方のペナルティが課されます。さらに重大な法的リスクとして、適切に印紙税が納付されていない証書や契約書は、ブルネイの裁判所において民事訴訟の証拠として提出することが法律上認められません(証拠能力の否定)。これはつまり、買収成立後に表明保証違反などで売り手に対して損害賠償を請求しようとした際、印紙税の未納が原因で契約書の存在と効力を裁判所で証明できないという致命的な事態に陥る危険性を意味します。
したがって、クロージング後のポストM&A手続きの一環として、迅速かつ確実な印紙税の納付手続をプロセスに組み込むことが不可欠です。印紙税に関する最新の規定や公式な解説は、ブルネイ財務経済省の公式ウェブサイトで確認することができます。
まとめ
ブルネイは、政府主導による経済多角化の推進や、キャピタルゲイン税の非課税といった投資家にとって非常に魅力的な事業環境を提供しています。しかし、その法制度はイギリスのコモンロー体系を色濃く反映しており、日本の法律とは根底から異なる部分が多々存在します。会社法に基づく和解および整理の手続きにおいて裁判所の認可が必要となる独自のプロセス、独占禁止法(競争令)における任意通知制度がもたらす自発的なリスクヘッジの必要性、倒産令に基づく司法管理制度の特殊性、そして特定の産業における外資規制や厳格な印紙税の納付義務など、実務上留意すべき法的なハードルは決して低くありません。
特に、競争法の分野においては新たな規制が完全施行されたばかりであり、今後の監督当局による法運用の動向を慎重に見極める必要があります。ブルネイにおけるM&Aを成功に導くためには、日本の実務感覚に頼るのではなく、現地の法規制に関する深い理解と、それに適合した緻密なスキームの構築が不可欠です。事前の法務デューディリジェンスを徹底し、外資規制や税務上のリスクを正確に評価することが、買収後のスムーズな事業統合の前提となります。
モノリス法律事務所では、日本企業の皆様がブルネイをはじめとする海外市場へ進出する際のM&A戦略や現地の法規制対応について、法務面から総合的にサポートいたします。クロスボーダー取引における複雑な契約書の作成や条件交渉、各種法規制の適合性調査など、ビジネスの成功に向けた安全な体制構築をお手伝いいたしますので、ブルネイでの新たなビジネス展開をご検討の際は、ぜひお気軽にご相談ください。
カテゴリー: クロスボーダー
タグ: ブルネイ・ダルサラーム国海外事業
































