インドにおける取締役の信託的義務:会社法2013年第166条の深掘り

インドで事業を展開するうえでは現地の法規制に対する深い理解が不可欠であり、とりわけ会社運営の中核を担う取締役の役割と責任を正確に把握しておく必要があります。インドの会社法は2013年に全面的な改正が行われ、企業の透明性や社会的責任を重視する現代的なアプローチが採用されました。この法改正の柱の一つが、会社法第166条に明文化された取締役の信託的義務です。
取締役は会社や株主に対する伝統的な義務にとどまらず、従業員や地域社会、さらには環境保護に対しても誠実に行動する義務を負うことが法律で定められました。利益相反の厳格な回避や独自の判断による誠実な義務の遂行など、明文化された基準は高く、これに違反した場合には高額な罰金などの刑事罰が科されるリスクがあります。
本記事では、インドの会社法第166条が規定する取締役の義務の具体的な内容を詳述し、不当な解任リスクや法的責任を避けるための「適切な意思決定の記録」の残し方について、法務ガバナンスの観点から解説します。
この記事の目次
インド会社法第166条に明文化された取締役の広範な義務の内容
インドの会社法2013年第166条は、取締役が果たすべき信託的義務を6つの項目にわたって具体的に明文化しています。かつての1956年会社法やイギリスのコモンローに依存していた曖昧な義務基準は、この条文によって明確な法定要件へと進化しました。この規定は企業規模の大小を問わず、インドのすべての会社の取締役に適用されます。
| 会社法第166条の該当項 | 取締役が果たすべき義務の概要と目的 |
| 第1項 | 会社の定款の規定に厳格に従って行動し、定款の範囲内で業務を遂行する義務 |
| 第2項 | 会社全体の利益を促進し、株主、従業員、地域社会、環境保護のために誠実に行動する義務 |
| 第3項 | 十分かつ合理的な注意、熟練、勤勉さをもって職務を遂行し、独自の判断を下す善管注意義務 |
| 第4項 | 会社の利益と相反する、または相反する可能性のある状況に直接的あるいは間接的に関与しない利益相反の回避義務 |
| 第5項 | 取締役自身やその親族、パートナーに対して不当な利益を獲得しようとしない義務(認定時は当該利益と同額を会社へ返還) |
| 第6項 | 取締役の役職を他者に譲渡または割り当てない義務(いかなる譲渡も無効とされる) |
第1項では、取締役は会社の定款の規定に厳格に従って行動しなければならないという基本的な義務が定められています。続く第2項では、会社全体の利益を促進するために誠実に行動する義務が規定されていますが、その対象は株主のみにとどまらず、従業員、地域社会、さらには環境の保護にまで及ぶと明記されています。これは富を公共の利益のために用いるというガンディーの信託統治の哲学や世界的潮流を反映したものであり、企業が多様なステークホルダーに奉仕すべきとする画期的な規定です。
第3項では、取締役は十分かつ合理的な注意と熟練および勤勉さをもって職務を遂行し、独自の判断を下さなければならないという善管注意義務が定められています。第4項は、会社の利益と相反する、または相反する可能性のある状況に直接的あるいは間接的に関与してはならないという利益相反の回避義務です。第5項では、取締役自身やその親族、パートナーなどの関係者に対して不当な利益や優位性を獲得しようとしてはならず、不当な利益を得たと認定された場合には、その利益と同額を会社に返還する法的責任を負うことが規定されています。
最後に第6項において、取締役はその役職を他者に譲渡してはならず、そのような譲渡は一切無効であることが示されています。
参考:India Code(インド政府法令データベース)|The Companies Act, 2013 (Act No. 18 of 2013)
日本の法律との比較におけるインド独自の善管注意義務と忠実義務

インドで会社運営を行う際には、日本の会社法との構造的な違いを正確に認識しておく必要があります。日本の会社法においても取締役の善管注意義務や忠実義務は定められていますが、インドの会社法第166条は企業の社会的責任をガバナンスの根幹に据えるという点で独自のアプローチをとっています。
| 比較項目 | インドの会社法における規定 | 日本の会社法における規定 |
| 義務の対象範囲 | 会社、株主、従業員、地域社会、環境保護に対する責任が第166条に明文化されている | 主に会社に対して善管注意義務および忠実義務を負うことが定められている |
| 利益相反の扱い | 利益相反状況への関与自体を第166条第4項で厳格に禁止し、該当取引への参加が禁じられる | 取締役会(または株主総会)の事前承認を得れば利益相反取引を行うことが可能 |
| 義務違反時の罰則 | 民事上の損害賠償や利得返還に加え、第166条第7項に基づく罰金などの刑事罰が直接規定される | 主に会社に対する任務懈怠責任や損害賠償といった民事責任の追及が中心となる |
最も顕著な違いは、インドの会社法が取締役の義務の対象として従業員や地域社会、さらには環境保護を明文で規定している点です。日本の法律では、取締役は主に会社に対して善管注意義務を負い、間接的に株主の利益を最大化することが求められますが、環境や地域社会への義務が会社法レベルで直接的に明文化されているわけではありません。インドでビジネスを展開する際には、利益追求だけでなく地域社会への還元や環境への配慮を経営の意思決定プロセスに公式に組み込むことが法的に求められている点に留意する必要があります。
さらに、利益相反取引の取り扱いについても大きな違いがあります。日本の法律では、取締役が会社と利益が相反する取引を行う場合でも、事前に取締役会などの承認を得る手続きを踏むことで合法的に取引を実行できる余地が広く認められています。しかし、インドの会社法第166条第4項は、利益相反の状況そのものへの関与を厳格に禁じています。これに加えて同法第184条では、取締役が関連する契約や取り決めについて詳細に開示することを義務付けており、該当する事案の討議や採決に参加することを禁じています。
このようにインドでは、取締役の自己取引や利益相反に対する法的な牽制が日本よりも厳格に制度化されており、独立した視点からの意思決定が制度上求められています。
利益相反の回避および独自の判断に関するインドの主要な判例
インドにおける取締役の義務違反に関する実際の司法判断は、法律がどのように適用されるかを示しています。デリー高等裁判所が2016年1月27日に命令を出した「Rajeev Saumitra対Neetu Singh」事件では、会社の取締役が在任中に競合する別会社を設立し、元の会社の顧客や経営資源、商標を不当に流用した行為が争われました。裁判所は仮処分(interim injunction)申立ての段階で、当該取締役の行為が会社法第166条の信託的義務・利益相反の回避義務に一応(prima facie)違反すると暫定的に認定しました。ただしこれは本案審理を経た最終判断ではなく、判決は認定が暫定的(tentative)である旨を明記しています。もっとも裁判所は不当利得の返還を命じてはいません。通常なら差止を出す事案としつつ本件の特殊性から通常の差止は出さず、被告側企業の会計を四半期ごとに提出させLocal Commissionerを選任して本案審理後の利益調整に備える暫定措置をとりました。標章「PARAMOUNT」の不使用も裁判所の差止命令ではなく被告代理人の申立て(undertaking)に基づくものです。
このようにインドの裁判所は、取締役が在任中に競合事業を営み会社の資源を流用する行為について、仮処分の段階でも信託的義務違反の可能性を認め、暫定的な監督措置をとる姿勢を示しています。
また、取締役の独自の判断と誠実な義務の遂行についても重要な判例があります。インド最高裁判所が2021年3月26日に判決を下した「Tata Consultancy Services Limited対Cyrus Investments Pvt. Ltd.」事件は、巨大グループ企業の経営権を巡る争いであり、執行会長の解任が少数株主への抑圧や不当運営に該当するかが問われました。最高裁判所は、取締役会が信頼喪失(loss of confidence)を理由に執行会長を解任したことは、会社法第241条・第242条にいう少数株主への抑圧や不当運営には当たらないと判断し、復職を命じたNCLAT命令(2019年12月18日)を取り消しました。第241条の手続では解任の当否そのものではなく、それが抑圧・不当運営に該当するかのみが問われるとしています。本判決は、取締役会による執行役員の解任が信頼喪失に基づく経営判断であり、それ自体は抑圧・不当運営には当たらないと位置づけたものです。判決理由の中で、取締役が誠実に会社および利害関係者の最善の利益のため独自の判断(会社法第166条第3項)をもって職務を行う義務にも言及しています。
同事件における判決文の詳細は、インド最高裁判所の公式記録で確認することができます。
インド会社法違反に伴う刑事罰と継続的なコンプライアンスの要求

インドの会社法第166条に定められた義務に違反した場合、取締役には個人の責任として厳しいペナルティが科されます。具体的には同条第7項の規定により、義務に違反した取締役には10万ルピー以上50万ルピー以下の罰金が科されます。これは単なる行政的な指導ではなく刑事罰としての性質を持つため、個人の経歴に重大な影響を及ぼす可能性があります。さらに不当な利益を得た場合には、前述の通りその全額を会社に返還する義務も重なります。税務や労働法規など他の関連法令が絡む場合には、罰金だけでなく懲役刑に処されるリスクも否定できません。
インドの企業環境では創業家や親会社の意向が強く反映される傾向があり、そのもとで任命された名目上の取締役や社外取締役は、大株主の指示に盲目的に従ってしまうリスクがあります。しかし、インドの法律はこのような受動的な態度を決して保護しません。会社の不正行為や利益相反の事実を知らなかったという弁明は、事前の会議資料にその兆候が示されていた場合、法廷や規制当局の前では通用しません。十分な調査や確認を怠ったこと自体が第166条第3項における独自の判断と善管注意義務の違反とみなされます。
したがって、取締役は自身の役割と法的責任を自覚し、日常の業務執行で法令遵守を優先し、独立した視点で意思決定に関与する必要があります。
適切な意思決定の記録を通じたインド取締役の解任リスク低減
取締役が自身の身を守り、不当な解任リスクや刑事罰を避けるための最大の防衛策は、法務ガバナンスを徹底し「適切な意思決定の記録」を公式に残すことです。インドの会社法2013年第118条は、取締役会の議事録の作成と保管について極めて厳格なルールを定めています。法律によれば、すべての会議の議事録は会議から30日以内に作成されなければならず、そこには公正かつ正確な議事の要約が含まれている必要があります。
とりわけ重要なのは、反対意見を記録に残すことです。取締役会で決定された事項に賛成できない場合や、特定の議案が会社やステークホルダーの利益に反すると考えられる場合、取締役は会議に出席して反対意見を表明し、その事実を議事録に記録させる権利と義務があります。同法第118条第4項は、議案に対して異議を唱えた取締役、または同意しなかった取締役の名前を議事録に記載することを義務付けています。もし会議にただ出席し沈黙を保ったまま決定が下された場合、後日その決定が違法行為や第166条の義務違反とみなされた際に、連帯して法的責任を問われます。反対したという事実を議事録に残すことは、インドにおいて取締役が自身の身を守るための確実な法的手段です。
参考:India Code(インド政府法令データベース)|The Companies Act, 2013 (Act No. 18 of 2013)(§118)
さらに、利益相反に関しても厳格な手続きが求められます。会社法第184条の規定により、取締役は毎会計年度の最初の取締役会で、または自身の利害関係に変更があった最初の会議で「Form MBP-1」と呼ばれる法定書式を用いて、他社や団体との関係や株式保有状況を開示しなければなりません。自身が関与または利害関係を有する契約が議題に上った場合には、その事実を直ちに開示し、当該議題の討議および採決から退出した事実を議事録に明記することが法律で求められています。
現地パートナー企業との合弁事業などで外国企業側から派遣された取締役は、言語や企業文化の障壁から議論の流れに流されてしまう危険性があります。こうした法定手続きの遵守と正確な議事録の蓄積が、法務ガバナンスの基盤となり、不当な法的責任から自らを守る盾となります。
まとめ
ここまで解説してきたように、インドの会社法2013年第166条は取締役に対して広範かつ厳格な信託的義務を課しています。株主や会社に対する伝統的な責任にとどまらず、従業員や地域社会、さらには環境保護に対する配慮までもが取締役の法定義務の一部として明文化されている点は、インドでビジネスを展開するにあたり特に留意すべき独自の特徴です。また、利益相反の回避や不当な利益の獲得禁止といったルールは厳格に適用され、違反した場合には高額な罰金などの刑事罰や不当利得の返還義務が課されるリスクがあります。これらの厳しい責任を全うし不要な法的トラブルや解任リスクを避けるためには、日々の取締役会において独自の判断を下すとともに、反対意見の表明や「Form MBP-1」による利益相反の開示といった手続きを議事録として正確に記録し続けるという法務ガバナンスの徹底が不可欠です。
しかしながら、急成長を続けるインドの法制環境は非常に複雑であり、現地の最新の法律や手続きを正確に把握し適法な企業運営を維持することは決して容易ではありません。モノリス法律事務所はIT関連の法務に高い専門性を有するとともに、インドの現地の法律事務所と強固に提携しています。そのため、現地の最新の法令や実務手続きに精通しており、インド市場でビジネスを展開する企業に対して、現地の法律に完全に対応した法的アドバイスや各種手続きのサポートをワンストップで提供することが可能です。複雑なインドの法環境においても安全かつ確実なビジネスの成長を実現しコンプライアンス上のリスクを最小限に抑えるために、ぜひ専門家の知見をご活用ください。
モノリス法律事務所は、インド法務に関する調査および情報提供を目的として、現地法律事務所Quest IP Attorneysと非独占的な提携関係(Associate Firm / Correspondent Firm)にあります。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務



































