香港の労働法を弁護士が解説

香港(中華人民共和国香港特別行政区)は、1997年に英国から中国へ返還された後も、「一国二制度」の下で資本主義経済と独自の法体系を保っています。その法体系は、英国から受け継いだコモンロー(裁判所の判例の積み重ねを法源として重んじる英米法の体系)です。香港の憲法に当たる中華人民共和国香港特別行政区基本法が、外交と防衛を除く高度な自治を保障しています。
香港の労働法は、日本の労働法制と比べると使用者側にとって柔軟な仕組みです。日本では、労働契約法第16条により、客観的に合理的な理由がなく社会通念上も相当といえない解雇は無効となります。香港では、予告期間を置くか、その代わりに予告手当を支払えば、解雇の理由を示さずに雇用契約を終えられるのが原則です。ただし、勤続24か月以上の従業員には不合理解雇の規制があり、勤続年数に応じた補償金の支払も必要になるため、日本より手間や費用がかからないとは限りません。
香港で雇用関係の基本を定めているのは、雇用条例(Employment Ordinance、Cap. 57)です。2026年1月18日施行の改正で、法定給付を受けるための「連続性契約」の要件が緩められ、短時間で働く従業員も給付を受けやすくなりました。日本と違って、一般の従業員について法定の労働時間上限や割増賃金の定めはなく、就業規則の作成・届出義務もありません。そのぶん、雇用契約書と社内規程が労使間のルールを決める役割を担います。
一方で、法定最低賃金の毎年の見直しや、2030年に向けて年17日まで増える法定休日など、労働条件の底上げは進んでいます。2025年5月1日からは、解雇時の補償金である遣散費や長期服務金を、強制性公積金(MPF。積立型の退職年金制度)の使用者拠出分で相殺する仕組みが、同日以後の勤続分について廃止されました。解雇に伴う使用者の現金の負担は増えています。
本記事では、日本企業が香港で従業員を雇ってから雇用を終えるまでの場面を念頭に、香港の労働法を解説します。雇用条例の適用範囲、雇用契約、賃金・労働時間・休暇、解雇のルール、遣散費・長期服務金とMPF、駐在員の雇用関係、制限条項、労災補償・差別禁止・紛争解決・個人情報保護の順に、日本法との違いを交えて見ていきます。
この記事の目次
香港の労働法の基礎と雇用条例の適用範囲
香港の労働法制は、成文法と判例法(コモンロー)の組み合わせで成り立っています。成文法の中心となるのが雇用条例で、香港では立法会が制定する法律を「条例(Ordinance)」と呼びます。日本の地方自治体の条例とは別物です。「Cap. 57」は、香港の法令集でその条例に付けられた章番号です。雇用条例は、賃金の保護、休日・休暇、解雇の制限や終了時の補償など、労働条件の最低基準を広く定めています。使用者と同居する家族など一部の例外を除き、香港で働く従業員に広く適用され、役職や給与水準、国籍による適用除外はありません。雇用条例が定める権利や保護を消滅させたり減らしたりする契約条項は無効です(第70条)。
参考:香港労工処|Employment Ordinance(Cap. 57)
香港の労働実務で重要な概念が「連続性契約(Continuous Contract)」です。同じ使用者に一定期間・一定時間以上続けて雇われている雇用契約のことで、これに当たるかどうかで受けられる給付が変わります。雇用条例の対象となる従業員は、労働時間にかかわらず、期日どおりの賃金の支払、賃金からの控除の制限、法定休日の付与といった基本的な保護を受けます。連続性契約の従業員は、これに加えて休息日、年次有給休暇、疾病手当、遣散費・長期服務金なども受けられ、法定休日の休日手当も、休日の直前に連続性契約で3か月以上勤務していることが条件です。従来の要件は、同じ使用者に4週間以上継続して雇用され、毎週18時間以上働くことでした(4週・18時間から「418ルール」と呼ばれます)。
この要件は、2026年1月18日施行の2025年雇用(改正)条例により「468ルール」に変わりました。4週間以上継続して雇用されていることを前提に、次のどちらかを満たせば連続性契約に当たります。一つは毎週17時間以上働くこと、もう一つは、17時間に満たない週があっても、その週を含む直近4週間の合計労働時間が68時間以上であることです。シフト勤務やパートタイムの従業員も、法定給付の対象に入りやすくなりました。連続性契約に当たらないことの立証責任は使用者にあるため、短時間の従業員については週ごとの労働時間を記録しておくことが欠かせません。
参考:香港労工処|A Concise Guide to the Employment Ordinance
香港での雇用契約の締結と社内規程の役割

日本と香港の労働実務を比べたとき、企業法務の担当者が最初に直面する違いは就業規則の位置付けです。日本では、常時10人以上の労働者を使う使用者は、就業規則を作成して労働基準監督署に届け出なければなりません(労働基準法第89条)。労働条件は就業規則で画一的に定められます。
これに対し、香港の雇用条例には就業規則の作成や行政機関への届出を義務付ける規定がありません。労働条件の細部は、個別の雇用契約書と、企業が任意に定める社内規程(従業員ハンドブック)で決まります。雇用契約は口頭でも成立しますが、使用者は雇用開始前に、賃金(残業代の率や手当を含む)、賃金期間、予告期間、年末支払の有無などの雇用条件を従業員に明確に知らせなければなりません。書面の契約であれば写しを従業員に渡し、口頭の契約でも従業員から書面で求められれば条件を書面で示す必要があります。紛争を防ぐため、雇用契約は書面で結ぶのが実務の基本です。
雇用契約書には、試用期間、賃金額と支払時期、労働時間、休暇、予告期間、賞与の支給条件などを書いておきます。日本企業が見落としやすいのが、年末賞与(1か月分の給与を年末に上乗せする、いわゆる「13か月目の給与」)の扱いです。日本では、賞与の額を業績や査定で決める運用が広く行われています。これに対し香港の雇用条例は、1997年6月27日以後に結ばれた雇用契約について、書面で反対の意思を示していない限り、年1回の支払や年次賞与は会社の裁量によるものではないと推定しています。裁量による賞与(Discretionary Bonus)とするなら、その旨と支給の条件を契約書に書き、実際にも業績などで判断する運用を続ける必要があります。雇用条例上の年末支払に当たると、年の途中で雇用が終了した従業員にも、勤務期間に応じた按分額を支払う場面があります。
香港の賃金・労働時間・休暇の規制
賃金の支払時期と控除の制限
雇用条例は、賃金期間の終了後できる限り速やかに、遅くとも7日以内に賃金を支払うよう義務付けています。遅れた場合は未払額に利息を付けて支払わなければならず、故意かつ正当な理由なく支払わなかった使用者は刑事罰の対象になります。会社の違反が取締役や管理職の同意・黙認・怠慢によるものであれば、その個人も同じく処罰され得ます。賃金から差し引けるのは、欠勤による減額、従業員の過失による使用者の物品の損壊・紛失の賠償(1件300香港ドルまで、合計で賃金の4分の1まで)、MPFの従業員拠出分など、法律が認める事由に限られます。
香港の法定最低賃金と年次見直し
香港では最低賃金条例(Minimum Wage Ordinance、Cap. 608)に基づき、全域で一律の法定最低賃金が定められています。2025年5月1日に時給42.1香港ドルに引き上げられた後、一定の算定式で毎年改定額を決める仕組みに変わり、2026年5月1日からは時給43.1香港ドルです。日本の地域別最低賃金と違って地域差はなく、住み込みの家事労働者や一定の学生インターンなどを除く労働者に一つの時給が適用されます。賃金期間ごとの賃金総額は、総労働時間に最低賃金を掛けた額を下回ってはならず、月給1万7,600香港ドル以下の従業員については総労働時間を記録しておく必要があります。
参考:香港労工処|Statutory Minimum Wage
労働時間と残業代
日本の労働基準法は、法定労働時間を原則として週40時間・1日8時間と定め、これを超える労働に割増賃金の支払を義務付けています。これに対し香港には、一般の成人労働者について法定の労働時間上限や割増賃金を定めた法律がありません。残業代を払うかどうか、どう計算するかは雇用契約の定めによります。ただし、前述の最低賃金の下限があるため、賃金水準の低い従業員の長時間労働には実質的に支払が必要です。契約で残業手当を定めればその支払義務を負い、休息日の就労も原則として強制できません。労働時間と残業の扱いは、雇用契約で明確に決めておくことが大切です。
休息日、法定休日、各種休暇
法定休日は段階的に増やされており、2022年の仏誕(釈迦の誕生日)、2024年のクリスマス後最初の平日、2026年のイースターマンデー(復活祭の翌月曜日)が加わって、2026年時点で年15日です。2028年にグッドフライデー(復活祭前の金曜日)、2030年にグッドフライデーの翌日が加わり、最終的に年17日になります。法定休日は、手当を払って休日を与えない扱い(買い取り)が認められず、働かせる場合は代わりの休日を与えなければなりません。銀行や官公庁が休む一般休日とは別の制度で、オフィス勤務では一般休日を休みとする例も見られるため、どちらに合わせるかを社内規程で決めておきます。香港の主な休日・休暇は次の表のとおりです。
| 休日・休暇 | 主な内容 |
| 休息日 | 連続性契約の従業員に、7日ごとに少なくとも1日の休息日を与える |
| 法定休日 | 2026年時点で年15日。2028年に16日、2030年に17日 |
| 年次有給休暇 | 連続性契約で12か月勤務するごとに付与。勤続年数に応じて7日から最大14日 |
| 有給病気休暇(疾病手当) | 勤続1年目は1か月につき2日、2年目以降は4日を積み立て(上限120日)。原則として連続4日以上の病気休暇に、平均日額賃金の5分の4を支給 |
| 出産休暇・父親休暇 | 出産休暇14週間、父親休暇5日間。連続性契約で40週以上勤務などの要件を満たせば、使用者が平均日額賃金の5分の4を支払う(出産休暇の第11〜14週分は上限8万香港ドルで、政府に払い戻しを申請できる) |
日本の労働基準法では、6か月継続勤務し全労働日の8割以上出勤した労働者に10日の年次有給休暇が付与され、勤続6年6か月で20日になります。香港の年次有給休暇は1年目が7日、勤続9年以上で14日なので、法定の日数では日本より少なくなります。一方、日本の祝日は労働基準法上休ませる義務がないのに対し、香港の法定休日は付与が法律で義務付けられています。
香港における雇用関係の終了と解雇のルール

香港の雇用終了の実務は、日本法と考え方が根本的に異なります。日本にも労働基準法第20条の解雇予告(30日前の予告か予告手当)がありますが、それを満たしても、労働契約法第16条の要件を欠く解雇は無効です。そのため使用者からの一方的な解雇は難しく、退職勧奨による合意退職を探るのが一般的です。
これに対し香港の雇用条例は、予告期間を置くか予告手当を支払えば、理由を示さずに雇用契約を終了できるという原則から出発します。予告期間には法定の下限があり、試用期間の最初の1か月は予告不要、その後は7日以上です。試用期間が無いか終えた連続性契約では、合意した期間(7日以上)、契約に定めがなければ1か月以上となります。予告手当は、直近12か月の平均賃金を基に計算します。ただし後述のとおり、勤続24か月以上の従業員には解雇の正当な理由を示す必要が生じ得るため、理由と経緯の記録は残しておくべきです。
即時解雇と即時辞職
雇用条例第9条は、従業員が雇用に関して、合法かつ合理的な命令に故意に従わない、不行跡(misconduct)がある、詐欺や不誠実な行為がある、職務を常習的に怠る、のいずれかに当たる場合や、コモンロー上予告なしに契約を終了できるその他の場合に、予告も予告手当もなしに解雇すること(即時解雇)を認めています。香港政府で労働行政を担う労工処(Labour Department)の手引きも、即時解雇は重い懲戒処分で、特に重大な非行がある場合や、繰り返し警告しても改善しない場合に限られるとしています。単なる能力不足は第9条の事由に当たらないため、能力を理由とするときは予告解雇によります。要件を満たさない即時解雇は、予告手当や長期服務金などの支払に加え、不合理解雇の救済の対象にもなり得ます。
一方、従業員も雇用条例第10条に基づき、暴力や疾病による身体への危険を合理的に恐れる場合や、使用者から不当な扱いを受けた場合などには、予告なしに即時辞職できます。
雇用保障による不合理解雇の規制
解雇しやすいとはいえ、使用者に完全な自由があるわけではありません。雇用条例第VIA部(第6A部、雇用保障)は、勤続24か月以上の従業員に対する「不合理解雇」と、連続性契約の従業員の雇用条件を同意なく変える「不合理な変更」を規制しています。使用者は、第32K条の五つの正当な理由のいずれかを示せなければ、救済を命じられ得ます。五つの理由とは、従業員の行為、能力・資格、人員削減など事業上の真にやむを得ない事情、法令上の要請、その他の相当な理由です。勤続24か月以上の従業員を能力不足で解雇するなら、評価の結果や書面での警告、改善の機会を与えた記録を残しておくことが重要です。
さらに、妊娠中、有給病気休暇中、労働災害で療養中の従業員や、労働組合の活動に参加した従業員などを、法律が禁じる形で解雇すると刑事罰の対象にもなります。こうした解雇は「不合理かつ違法な解雇」と呼ばれ、不合理解雇と違って勤続24か月の要件がありません。日本のように解雇が無効になるのではなく、労働事件を専門に扱う裁判機関である労資審裁処(Labour Tribunal)が、復職・再雇用の命令か、終了時の給付(予告手当や遣散費・長期服務金など)の支払を命じる仕組みです。不合理解雇では、復職・再雇用の命令に使用者と従業員双方の同意が要ります。不合理かつ違法な解雇では使用者の同意がなくても命じられることがあり、15万香港ドルを上限とする補償金が加わることもあります。
香港の遣散費・長期服務金とMPF相殺の廃止
使用者の都合で雇用を終了させる場合に大きな金銭的負担となるのが、遣散費と長期服務金です。遣散費は人員削減(余剰人員)などで解雇された従業員に、長期服務金は長く勤めた従業員が人員削減以外の理由で雇用を終えたときなどに、使用者が支払う法定の補償金です。日本の退職金と違い、法律で支払が義務付けられています。
| 項目 | 遣散費(Severance Payment) | 長期服務金(Long Service Payment) |
| 適用要件 | 連続性契約の下で24か月以上勤務し、余剰人員(Redundancy)を理由に解雇された場合や一時帰休(レイオフ)の場合 | 連続性契約の下で5年以上勤務し、解雇された場合(重大な非行による即時解雇と、余剰人員を理由とする解雇を除く)や、有期契約が余剰人員以外の理由で更新されずに満了した場合。一定の高齢・健康上の理由による辞職や在職中の死亡も含む |
| 計算式(月給制) | 最終月給×2/3×勤続年数(月給は22,500香港ドルが上限) | 最終月給×2/3×勤続年数(月給は22,500香港ドルが上限) |
| 上限額 | 390,000香港ドル | 390,000香港ドル |
遣散費と長期服務金の両方を受け取ることはできず、支払われるのはどちらか一方です。雇用終了時の支払は、遣散費を除き、終了日から7日以内に行わなければなりません(遣散費は従業員の請求から2か月以内)。期限までに支払わないと刑事罰の対象になるため、日本本社の決裁を待って遅れることがないよう準備しておきます。
香港のMPF制度
香港には日本の厚生年金のような拠出型の公的年金制度や雇用保険がなく、その代わりに、使用者と従業員が毎月掛け金を出し合って退職時に受け取る強制性公積金(MPF)という積立型の制度があります(強制性公積金計劃条例、Mandatory Provident Fund Schemes Ordinance、Cap. 485)。使用者は従業員の関連所得(基本給に手当・賞与などを加えた所得)の5%を毎月拠出し、従業員も原則として関連所得の5%を拠出します。拠出の基礎となる関連所得には上限があります。関連所得が一定額に満たない従業員は本人の拠出が不要ですが、使用者の拠出は必要です。
2025年5月1日施行のMPF相殺廃止
従来、使用者は、支払う遣散費や長期服務金を、自らが積み立ててきたMPFの使用者拠出分で相殺できました。2022年雇用及び退職計画法例(相殺措置)(改正)条例(Employment and Retirement Schemes Legislation(Offsetting Arrangement)(Amendment)Ordinance 2022)により、この相殺の仕組みは2025年5月1日(移行日)から廃止されました。
移行日より前から雇われ、移行日以後に雇用が終了する従業員の場合、移行日前の勤続期間に対応する部分は、移行日直前の月給を基に計算し、引き続きMPFの使用者強制拠出分で相殺できます。一方、移行日以後の勤続期間に対応する部分は強制拠出分で相殺できず、使用者が自ら支払う必要があります。使用者の任意拠出分や勤続に基づく謝礼金(gratuity)による相殺は、移行日の前後を問わず引き続き認められます。相殺の廃止によって、余剰人員の整理や長期勤続者の解雇に伴う現金支出は増えており、「解雇は簡単で安く済む」という見方はもはや通用しません。
参考:香港労工処|A Concise Guide to the Employment Ordinance(附録2 MPF相殺の廃止)
日本から香港へ派遣する駐在員の雇用関係

日本企業が香港に現地法人を設立し、日本から駐在員を派遣する場合、香港の出入国管理を担う入境事務処(Immigration Department)の一般就業政策に基づく就業ビザが必要です。申請のスポンサーになるのは、設立した香港の現地法人です。
参考:香港入境事務処|General Employment Policy(GEP)
実務では、日本の出向元との雇用関係を維持したまま(在籍出向)、香港法人とも雇用契約を結ぶ形が見られます。この場合、日本の労働法と香港の雇用条例が重なって適用され得るため、香港での職務内容、報酬、指揮命令系統をどちらの契約で定めるかを整理しておく必要があります。帰任に伴って香港法人との雇用契約を終了させると、香港での勤続年数によっては長期服務金などの支払義務が生じ得るため、帰任時の契約終了の方法もあらかじめ契約書で定めておくと安心です。
MPFについては、香港での滞在を認められた期間が13か月以下の場合や、香港以外の地域の退職年金制度に加入している場合には、加入が免除されます。13か月以下による免除は、滞在期間が延長されて13か月を超えると終わり、使用者はその後60日以内に加入手続をとる必要があります。日本の年金制度に加入したまま派遣される駐在員は、後者による免除を受けられる可能性があります。ただし日本と香港の間には社会保障協定がないため、免除が認められなければ日本の年金とMPFの両方に加入することになります。着任前に、加入を示す書類と手続を確認しておきます。
参考:強制性公積金計劃管理局(MPFA)|MPF Coverage
香港の雇用契約書における制限条項とコモンロー
就業規則の作成義務がない香港では、自社を守るための条項を雇用契約書に組み込んでおく必要があります。特に重要なのが、退職後の競業避止、秘密保持、顧客や従業員の引き抜き禁止といった制限条項です。
コモンローでは、退職後の行動を縛る条項は、個人が自由に職業や営業を営むことを制約する「営業制限(restraint of trade)」に当たり、原則として無効と推定されます。この条項を有効とするには、使用者が次の2点を示す必要があります。一つは、営業秘密や顧客との関係など、単に競争を避けたいという以上の、法的に守るべき正当な利益があることです。もう一つは、期間・地理的範囲・制限する活動の範囲が、その利益を守るのに必要な限度にとどまっていることです。
香港の裁判所は、雇用契約の競業避止条項をこうした基準に照らして厳密に審査します。期間が不必要に長い条項や地理的範囲が広すぎる条項は、過剰な制約として無効と判断されるおそれがあります。裁判所が過剰な条項を合理的な範囲に書き直すことは期待できず、条項全体が効力を失うおそれもあるため、従業員の役職や扱う情報に応じて期間と範囲を絞って設計します。
香港の労災補償・差別禁止・紛争解決と個人情報保護
労災補償と労働安全衛生
雇員補償条例(Employees’ Compensation Ordinance、Cap. 282)は、業務が原因で、かつ業務中に起きた事故による負傷や疾病について、使用者の過失の有無を問わない補償制度を定めています。使用者は、業務上の事故による負傷は14日以内、死亡は7日以内に労工処に報告しなければなりません。同条例上の責任をカバーする保険に加入していなければ、従業員を雇用すること自体ができません(第40条)。この義務は、香港法人と雇用契約を結ぶ駐在員にも及びます。日本の労災保険は、海外派遣者特別加入をしない限り香港の事業場で働く駐在員に原則として及ばないため、両方の補償の範囲を確認しておく必要があります。職場の安全確保には職業安全及健康条例(Occupational Safety and Health Ordinance、Cap. 509)が適用され、違反には罰則があります。
参考:香港労工処|A Concise Guide to the Employees’ Compensation Ordinance
職場の差別禁止とセクシュアル・ハラスメント
香港には、平等機会委員会(Equal Opportunities Commission)が所管する4つの差別禁止条例があります。
| 差別禁止条例 | 概要 |
| 性別差別条例(Cap. 480) | 性別、婚姻状況、妊娠、授乳を理由とする差別やセクシュアル・ハラスメントを禁止 |
| 障害差別条例(Cap. 487) | 身体的・精神的障害を持つ者に対する差別やハラスメントを禁止 |
| 家庭崗位差別条例(Cap. 527) | 近親者の世話をする責任(家族状況)を理由とする差別を禁止 |
| 種族差別条例(Cap. 602) | 人種、皮膚の色、世系、民族的または国民的出身を理由とする差別やハラスメントを禁止(国籍や居住資格そのものは差別事由に含まれない) |
これらの条例は、採用、昇進、解雇などあらゆる雇用の場面での差別を禁じています。職場のセクシュアル・ハラスメントについては使用者の法的責任が問われ得ますが、使用者が合理的に実行できる防止措置をとっていたことを示せれば、責任を免れる余地があります。防止方針の策定や研修を行い、その記録を残しておきます。
参考:平等機会委員会|What you should know under Hong Kong’s anti-discrimination ordinances
労働組合と労働紛争の解決
香港の労働組合条例(Trade Unions Ordinance、Cap. 332)は労働組合の結成を認めていますが、使用者に団体交渉を法的に義務付ける仕組みはありません。労働紛争では、1人あたり1万5,000香港ドル以下の請求は小額薪酬索償仲裁処(少額の賃金請求を簡易に扱う審判機関)が、それを超える請求や不合理解雇の事案は労資審裁処が扱います。労工処の労資関係科では紛争の調停も行っています。労資審裁処の手続では原則として弁護士が代理人になれないため、社内の担当者が対応する準備が必要です。
従業員の個人情報の保護
採用時や雇用期間中に集める従業員の個人情報は、個人データ(プライバシー)条例(Cap. 486)で保護されます。香港で個人情報保護を監督する個人資料私隠専員公署(PCPD)は、人事管理に関する実務規範を公表しています。この規範に沿って、収集目的を示す、必要以上に集めない、適切に保管・廃棄する、といった対応をとる必要があります。日本本社と人事情報を共有する場合は、収集時に知らせる目的にその旨を含めておくことが重要です。
参考:香港個人資料私隠専員公署(PCPD)|Code of Practice on Human Resource Management
まとめ
香港の労働法制は、日本と比べて解雇の手続が原則として緩やかで、労働時間の法定上限もありません。ただし、最低賃金条例による賃金の下限や雇用契約上の義務はあり、使用者に何でも許されるわけではありません。近年の法改正も労働者保護を強める方向に進んでいます。2026年1月の「468ルール」への変更、2025年5月のMPF相殺の廃止、法定最低賃金と法定休日の段階的な引き上げがその例で、雇用終了時の金銭的な負担も増えています。
解雇の前には、勤続24か月以上かどうかと第32K条の理由を示す記録があるか、遣散費・長期服務金の額(移行日の前後に分けた相殺の可否を含む)、妊娠中・病気休暇中・労災療養中など解雇が禁じられた場面に当たらないかを確かめておく必要があります。就業ビザ、MPFの手続、差別禁止、個人情報保護への対応も欠かせません。
当事務所では、香港への進出や現地での事業展開をご検討の日本企業に対し、香港の法制度に沿った雇用契約書の作成・確認、駐在員の雇用契約の形の整理、解雇時の補償金の確認、競業避止条項の設計など、日本法の感覚では判断しにくい点についてサポートいたします。香港での雇用や労務管理でお困りの際は、お気軽にご相談ください。
































