【デジタルアセットM&A #3】M&Aにおける中の人の「転生」「競合」を防ぐ競業避止の契約実務

インターネット技術の進展に伴い、YouTubeチャンネルやSNSアカウント、VTuber事業といったデジタルアセットを対象とする企業買収(M&A)が活発化しています。これらのデジタルアセットの経済的価値は、特定のキャラクターIPや配信者の属人的な魅力、すなわちブランドの「のれん」に深く依存しています。そのため、買収完了後に主要な演者や元オーナーが離脱し、類似のプラットフォームで別名義にて活動を再開する、いわゆる「転生」や「間接的競業」を行うことにより、買収されたアセットが瞬時に形骸化するリスクが実務上の最大の課題となっています。
日本法をはじめ、米国や英国などの主要な法域において、個人の職業選択の自由や競争法による規制と、契約に基づく競業制限のバランスをどのように取るべきかは、投資価値の毀損を防止する観点から極めて重要な論点です。本記事では、最新の国際的な判例法理や規制動向を踏まえ、実効性のある競業避止義務の設計手法について詳解します。
この記事の目次
デジタルアセットM&Aにおける演者の「転生」リスク
デジタルアセットのM&Aを成功に導くためには、まずその価値がどのように形成され、どのような要因によって脅かされるのかを正確に把握する必要があります。特に演者やインフルエンサーの存在がビジネスに与える影響は計り知れません。
属人性に依存するビジネスモデルが生むアセットの「空箱」化
有形資産や特許権などの伝統的な知的財産権を対象とする事業譲渡とは異なり、インフルエンサーやVTuberのM&Aにおいては、そのアセットの価値の源泉が特定の個人(演者、声優、配信者などの「中の人」)の技能やペルソナに強く結びついています。企業がキャラクターアバターの著作権や登録商標を適法に譲り受け、数千万円から数億円規模の対価を支払ったとしても、裏側で稼働していた演者が離脱し、別のアカウントで同一の声、話し方、配信スタイルを用いて同様の配信活動を再開すれば、ファンコミュニティやスーパーチャット、メンバーシップによる直接的な収益基盤は瞬時にその「転生」先へと流出してしまいます。この結果、買い手企業の手元には、フォロワー数こそ多くともエンゲージメントが完全に消失した、実質的な「空箱」であるアカウントのみが残されることになります。したがって、デジタルアセットM&Aにおいては、単なるアセット(権利)の移転だけでなく、キーマンの離脱後の行動を法的に制御する仕組みが不可欠となります。
国際的強制執行の現実性を示した裁判例:WACTOR訴訟
演者の離脱や契約違反に伴うのれん価値の毀損に対して、司法がどのような実効的救済を与えることができるかを示す重要な裁判例が、VTuber事務所を運営する株式会社WACTORが提起した一連の損害賠償請求訴訟です。同社は、秘密保持義務や競業避止義務に違反して契約を一方的に破棄し、他社プラットフォームでの配信活動を行ったり、敗訴の事実を隠蔽して投資を募るYouTube番組に出演するなどの重大な違約行為を重ねた複数の所属ライバーに対して訴訟を提起しました。
裁判所はライバーらの違反行為を明確に認定し、WACTOR側への損害賠償として合計1,000万円を超える支払いを命じる勝訴判決を下しました。さらに、スペイン現地の弁護士事務所を代理人として選任し、現地語での裁判対応を経て勝訴を獲得したことで、日本国内と同様に海外現地での財産の差し押さえといった強制執行手続を可能にする国際的な執行プロトコルを確立しました。
この先例は、属人性の高いアセットの買収において、契約違反に対して妥協のない法的追及を行うことの実効性を証明しており、グローバルなM&A取引におけるキーマンとの契約承継や再締結の重要性を裏付けています。
参考:株式会社WACTOR|過去の重大な契約違反4名を訴訟・4件勝訴。裁判所は違反者にWACTORへ合計1,000万円を超える損害賠償の支払いを命令
競業避止義務の法的限界と公序良俗・独占禁止法上の論点
買収後の価値流出を防ぐために競業避止義務を課す手法は極めて有効ですが、個人の権利保護とのバランスから、その効力に厳格な制約が設けられています。ここでは、契約の有効性を左右する判断基準と、実務に大きな影響を与えた判例を分析します。
司法が厳格に審査する競業避止義務の有効性判断「6つの要素」
契約書に競業避止義務が記載されているからといって、無制限に演者の活動を禁止できるわけではありません。契約終了後の個人の活動制限は、憲法第22条第1項が担保する「職業選択の自由」を著しく制約する性質を持つため、民法第90条が定める「公序良俗」の観点から厳格な司法審査の対象となります。これまでの判例法理において、退職後や契約終了後の競業避止義務が有効と判断されるためには、以下の6つの要素をすべて満たす合理的な範囲内でのみ許容されます。
- 正当な利益の存在:保護に値する企業の営業秘密や独自のノウハウなどが存在すること。
- 対象者の地位・立場:制限を課される者が企業の重要情報に深く関与する地位や立場にあること。
- 地域の限定:禁止される地域の範囲が合理的に限定されていること。
- 期間の限定:禁止される期間が必要最小限(一般に1年から2年以内)であること。
- 職種・行為の限定:制限対象となる職種や行為の範囲が特定の直接的な競合行為に限定されていること。
- 代償措置の有無:制限に対する「代償措置」として十分な金銭的対価(上乗せ退職金、特別手当、またはM&Aにおける十分な売却プレミアムなど)が支払われていること。
これらの要素、とりわけ明確な代償措置がない一方的な不作為義務の賦課は、裁判において公序良俗違反として認められないリスクが高くなります。
専属契約終了後の活動制限を無効とした事例:ヴィジュアル系バンド知財高裁判決
この活動制限の法的限界を安易に超えようとしたプロダクションに対し、司法が厳しい無効判定を下した事例が、知的財産高等裁判所令和4年12月26日判決(令和4年(ネ)第10059号、一審は東京地方裁判所令和4年4月28日判決・令和元年(ワ)第35186号)です。この事案では、ヴィジュアル系バンドのメンバーと所属事務所との間の専属契約において、契約終了後6ヶ月間にわたり、他の事務所との契約締結や実演を目的とするあらゆる契約締結を事務所の承諾なしに禁ずる条項の有効性が争われました。一審の東京地裁は本条項を有効としましたが、知財高裁はこれを全面的に覆し、当該条項は「公序良俗に反し無効」であると判示しました。
知財高裁は、専門的な芸能活動を生業として生計を立ててきたアーティストに対し、契約終了後に実演活動を一律に禁止する行為は、生計の途を奪い生存を脅かす重大な人権侵害(生存権の脅威)であると厳しく指摘しました。さらに、締結当時のアーティスト側の若さや法律知識の乏しさ、事務所側との取引条件の交渉力の格差といった「情報の非対称性」を認定し、業界の不当な慣行に依拠した事務所側の行為は、優越的地位の濫用として独占禁止法第19条に違反し公序良俗に反すると結論付けました。加えて、無効な条項を根拠に「メンバーの活動は契約違反である」と第三者関係先へ通知した事務所の行為に対し、営業上の信用毀損による共同不法行為の成立を認め、メンバー1人あたり各90万円(および弁護士費用各9万円)の損害賠償支払いを命じました。
この判決は、代償措置を伴わずに「辞めた後の表現活動や実演活動を一律に縛る」というドラフティングが、現代の労働・競争政策の枠組みにおいて違法行為とみなされるリスクを浮き彫りにしています。
米国における非競争条項の最新規制とM&Aにおける「事業売却例外」

デジタル領域における取引がグローバル化する中で、海外、特に米国における規制動向への理解は欠かせません。労働者の保護を重視する連邦レベルの動向と、M&A取引に不可欠な例外規定の現在地を整理します。
連邦取引委員会(FTC)による全国的禁止ルールの崩壊と個別執行へのシフト
デジタルメディアやマルチチャンネルネットワークの本場である米国においても、非競争条項に対する規制は激しい政治的・司法的対立を経て大きく変遷しています。連邦取引委員会(FTC)は2024年4月23日、雇用主が労働者と交わすほぼすべての退職後の非競争条項を原則として一律禁止する最終規則(16 CFR Part 910)を採択しました。しかし、この包括的な規制に対し、直後に企業側からの激しい法的反発が発生しました。同年のRyan LLC v. FTC事件において、テキサス州連邦地方裁判所のAda Brown判事は、FTCには本規則のように既存の非競争条項をほぼ一律に無効化するような広範な実体的規則制定権限はFTC法上認められないとして、このルールの効力を全国的に差し止める命令を下しました。
その後、連邦政権の移行に伴う方針転換を受け、FTCは2025年、テキサス州連邦裁判所のRyan LLC事件およびフロリダ州連邦裁判所のProperties of the Villages事件における各上訴をそれぞれ取り下げました。2026年2月には、FTCは連邦規則集(CFR)から本規則を公式に削除し、一律の包括的全国禁止ルールの構築を完全に断念しました。その結果、米国の規制環境は各州の個別州法(例えば、高所得者のみに限定するコロラド州法など)のモザイクに回帰することになりましたが、FTC自体はFTC法第5条が禁ずる「不公正な競争方法」に基づき、個別のケースバイケースによる強硬な執行へと戦略をシフトさせています。
具体的には、2026年4月に大手害虫駆除業者Rollins, Inc.(Orkinブランド等)に対し、約18,000名におよぶ労働者の非競争条項の適用停止を命じる同意命令を下し、2025年後半にはGateway Services, Inc.に対し、約1,800名のスタッフを不当な拘束から解放する措置を講じています。このように、個別のケースにおける「合理性」の有無が厳しく追及されるトレンドは揺らいでいません。
デジタルM&Aの切り札としての「事業売却例外」
一方で、このような包括的禁止や個別の執行強化の動きにあっても、一貫して保護されている中核的な例外規定が「事業売却例外」です。FTCが検討していた規則においても、また各州法やコモン・ロー(判例法)の原則においても、事業そのものの売却、親会社の譲渡、あるいは運営用資産の実質的すべてを売却する「売り手(創業者や主要株主など)」に対して課される非競争条項は、全面的に禁止の対象外とされています。
これは、事業ののれんを構築した売り手自身が、売却の対価として高額な買収プレミアムを直接受け取るため、当事者間の交渉力が対等であること、エンドユーザーや営業データを保護するために一定の制限を課すことには十分な合理的理由があると考えられているためです。したがって、YouTubeチャンネルやインフルエンサー企業のM&Aを実行する場合、のれんの直接の創出者たる「売却主(元オーナー)」に対しては、コモン・ローに基づく審査においても、数年間(一般に3年から5年程度)にわたる直接的かつ強力な競業避止義務を適法に課すことが十分に可能です。
英国高等法院のSpill Bidco判決が示す実体重視の法理
直接的な活動制限を契約で規定したとしても、当事者が形式的な文言の不備を突いて「裏方」や「資金提供」という形で競業を支援するケースは後を絶ちません。こうした狡猾な契約回避行為に対し、実体に基づき厳格な判断を示した英国の重要判例を紹介します。
形式的契約回避を阻む「競合事業への関与」の解釈
デジタルアセットの買収完了後に発生する深刻なトラブルの一つとして、売却主が「みずから表舞台で直接類似の事業を運営するのではない」という形で、契約文言の隙を突き、巧妙に競合行為を支援するケースがあります。例えば、売却代金を元手に、別名義(家族、知人、あるいは解雇された元スタッフなど)で類似の競合チャンネルを立ち上げさせ、みずからは株式や役職を持たずに裏から資金提供や経営指導を行って、買い手ののれん価値を掠め取る行為です。この形式的な回避行為に対し、司法が「実体」を重視して競業違反を厳格に認定したケースが、イギリス高等法院において下されたSpill Bidco Ltd v Wishart EWHC 2513 (Comm)判決です。
実質的な創業資金の提供が構成する競業避止義務違反
事案の背景として、製造販売グループの創業者であったBruce Wishart氏は、2022年12月にPEバックの特別目的会社であるSpill Bidco社に対して全株式を売却しました。この際、株式譲渡契約において、譲渡完了後3年間は直接的・間接的を問わず競合事業へ従事・関与・利害関係を持ってはならないという厳格な非競争制限に合意していました。
しかし売却後、Wishart氏は解雇された元同僚が立ち上げた競合会社に対し、人道支援やローン名目で計18万ユーロ超の資金を提供したほか、サプライヤーの紹介、価格設定への助言、倉庫の貸与、主要顧客への虚偽の信用補完といった実質的な支援を行いました。これを察知した買い手側は、Wishart氏が保有していた約1,270万ポンド(約24億円相当)にのぼるローンノート(投資証券等)を契約違反に基づき無償で強制キャンセルするという強硬なペナルティを発動します。
これに対しWishart氏は、みずからは株主や役員ではなく、友情に基づく融資であるため「関与」には当たらないと抗弁しました。しかし、2025年のイギリス高等法院は、競合ビジネスの立ち上げに必要な基本資本を融資の形で能動的に提供すること以上に、深く効果的に競合事業へ関与する手段はないと断言し、形式的な名義にとらわれず契約違反を認定しました。このSpill Bidco判決は、デジタルアセットM&Aにおいて、元オーナーが売却資金を元手に裏方や単なる債権者として他人に類似のVTuber事務所等を作らせる抜け穴を完全に塞ぐ、強力な法的理論を提供しています。
デジタルアセットM&Aにおける価値毀損を防ぐための契約実務

これまで見てきた日米英の法理や判例を踏まえ、実務において価値毀損を未然に防ぐための具体的な契約設計の手法を解説します。凡庸なテンプレートを排し、個別のリスクに適合した精密なドラフティング技術が求められます。
制限対象となる「行為」の網羅的かつ合理的な定義
これらの一連のケースから得られる教訓は、アセット譲渡契約書や株式譲渡契約書における非競争条項のドラフティングには、従来の一律のテンプレート文面を完全に超えた精密な設計が求められるという事実です。
まず、制限対象となる「行為」の定義については、単に「競合他社を経営し、または雇用されること」を禁じるだけでは、裏からの融資やアドバイス、機材やアセットの無償提供といった間接的な競業を看過することになります。そのため、契約書上には「直接・間接を問わず、競合事業に資本出資もしくは融資(債権者としての関与を含む)を行い、または機材貸与、コンサルティングの提供、サプライヤー・取引先の紹介、もしくはその他一切の実質的支援を無償・有償を問わず行うことを禁止する」旨を明確に規定しなければなりません。
生存権侵害を回避し有効性を担保するための「対価(代償措置)」の明示化
同時に、「公序良俗(民法第90条)」違反による契約全体の無効化を徹底的に回避するためには、活動制限の範囲を「守るべき正当な利益」に必要最小限に絞り込み、かつ「適切な代償措置」を客観的に認識できる形に構築することが重要です。
例えば、VTuberの演者に対して活動を制限する場合、単に「すべての実演配信活動を禁ずる」とするのではなく、「当該IPの視聴者層と直接競合し、または同一のファン層を不当に誘引するアバターやコンセプトを用いた配信実演活動」に対象を絞るべきです。これにより、個人の汎用的なイラスト制作や声優活動といった「個人の生活の糧」までを不当に奪い取る過剰な拘束を回避し、生存権侵害としての無効リスクを下げることができます。そして、制限を課することに対する対価(非競争プレミアム)として、M&Aの譲渡代金の一部、または退職時や契約終了時の特別報酬の内訳として「非競争合意に対する対価:●●円」を個別の合意内で明確に特定・分離して支払うスキームを設計します。客観的な代償措置の明示こそが実務上の最大の盾となります。
違反発生時における救済措置(リメディ)と売却代金留保の仕組み
のれんの毀損や「転生」による損害額の立証は、M&A後の民事裁判において困難を極めます。したがって、契約違反が発覚した時点で自動的に買い手を保護する経済的救済策(ペナルティ等)を、あらかじめ組み込んでおく必要があります。
具体的には、買収対価の一括払いを避け、一部の支払いを数年間保留する、目標達成型の「アーンアウトスキーム」を採用する、あるいは「エスクロー口座」に対価を留保するといった方法をとります。前述のSpill Bidco事件のように、売り手に「ローンノート(貸付債権・投資証券)」を保有させることも非常に有効です。
そして、非競争合意への違反が確認された際には、「エスクローから対価が自動返還される」、または「未払い債権が全額無償で強制消滅する(for nil consideration)」といった自己完結型の条項を網羅しておきます。これにより、買い手側の損害立証の負担をなくし、違反に対する強力な経済的抑止力を担保できます。
まとめ:デジタルアセットM&Aにおける競業避止は弁護士に相談を
YouTubeチャンネルやVTuber事業を対象とするデジタルアセットM&Aにおいて、譲渡完了後ののれん価値の保全は、契約を媒介とする「人の行動制御」が成功するか否かにかかっています。かつて主流であった画一的な競業避止条項は、日本法上の公序良俗・独占禁止法による司法審査、米FTCの強硬な個別執行トレンド、そして英国におけるSpill Bidco判決が示す実体重視の法理を前に、容易に無効化されるか抜け穴を突破される運命にあります。M&Aの企図するシナジーと投資価値を守るためには、保護すべき営業上の利益に活動制限の範囲を厳密に絞り込み、客観的な代償措置を契約書上で可視化するとともに、違反発生時の代金償還スキームを取引構造そのものに落とし込むことが強く求められます。これらを精緻にデザインすることこそが、現代のデジタル領域におけるM&A取引を成功へ導くための前提条件です。
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