ジョージアの開放的な不動産市場に関する包括的分析

ユーラシア大陸の結節点、シルクロードの要衝に位置するジョージア(旧グルジア)は、近年、その急激な経済改革と「ビジネスのしやすさ(Ease of Doing Business)」における世界的な高評価により、国際的な投資家から熱視線を浴びています。特に日本の経営者や法務担当者にとって、ジョージアの不動産市場は、比較法学的にも実務的にも極めて興味深い事例を提供しています。
その最大の特徴は、農地を除く不動産について外国人に対する所有制限が事実上皆無であるという「開放性」と、ブロックチェーン技術を世界に先駆けて導入した登記システムにより、最短で即日、場合によっては1時間以内に権利移転が完了するという驚異的な「迅速性」にあります。しかし、法務デューデリジェンスの観点からは、「手続きが早い」ことは必ずしも「リスクがない」ことを意味しません。むしろ、日本法とは異なる物権変動の概念や、急速な法改正の背後にある政治的・社会的文脈、特に2019年に施行された農業用地に関する厳格な規制の細部を正確に理解しなければ、予期せぬ法的瑕疵やコンプライアンス違反に直面する可能性があります。
本記事は、ジョージアの不動産法制を日本の法律実務家および経営層向けに体系的に解説するものです。単なる手続きガイドにとどまらず、ジョージア民法(Civil Code of Georgia)の構造的特徴、憲法改正に伴う農地所有規制の変遷、そして登記実務の法的性質について、具体的な法令や判例、ICSID(国際投資紛争解決センター)における仲裁事例などを交えながら、包括的に詳述します。
この記事の目次
ジョージア法体系の基礎構造:大陸法への回帰
ジョージアの法体系を理解する上で、まず認識すべきは、同国が日本と同様に大陸法(シビル・ロー)の系譜に属しているという事実です。ソビエト連邦の崩壊後、ジョージアは急速な法整備を進め、1997年に施行された現行のジョージア民法は、ドイツ民法(BGB)を強力なモデルとして起草されました。これは、明治期にドイツ法の影響を強く受けた日本の民法典と、ジョージア民法が法理的な「親戚関係」にあることを意味します。したがって、物権法定主義、契約自由の原則、信義誠実の原則といった日本の法務担当者に馴染み深い概念が、ジョージア法においても中核を成しています。
しかし、その運用においては、旧ソビエト連邦時代の官僚主義からの脱却を目指した極めて現代的かつラディカルな行政改革が反映されており、特に不動産登記法分野においては、日本よりもはるかに簡素化・デジタル化が進んでいる点が特徴です。本記事では、特に第2編「物権法」における不動産所有権の移転メカニズムと、第3編「債権法」における売買契約の特質に焦点を当てて分析を行います。
ジョージア民法における不動産物権変動の論理

日本の不動産取引実務に慣れた経営者がジョージアに進出する際、最も注意すべき法理的な違いは、物権変動の効力発生時期に関する規定です。日本の民法177条では、不動産の物権変動は登記がなければ「第三者に対抗できない」とされていますが、当事者間では意思表示のみで効力が生じると解されています(対抗要件主義)。これに対し、ジョージア民法第183条は、より厳格な「効力発生要件主義(Constitutive Registration)」を採用しています。
同条は、不動産の所有権を取得するためには、書面による譲渡契約の締結および公的登録簿(Public Registry)への購入者の登録が必要であると規定しています。この条文が示唆する法的な含意は極めて重大です。すなわち、売買契約書に署名し、代金を支払ったとしても、それだけでは所有権は一切移転しません。登記が完了したその瞬間に初めて、物権変動の効力が生じるのです。これは日本の農地法許可前の売買契約や、未登記建物の売買とは根本的に異なる法的安定性を提供し、「隠れた所有者」が存在する余地を極限まで排除する制度設計と言えます。
さらに、ジョージア民法第312条は、公的登録簿の記載内容に強力な推定力を与えています。同条によれば、公的登録簿の記録は、その不正確さが証明されない限り、真正であると推定されます。善意の取得者に対しては、たとえ登録内容が事実と異なっていたとしても、その登録は正しいものとみなされます。日本では「登記に公信力なし」とされ、真の所有者が別に存在する場合、登記簿を信じて取引した善意の第三者であっても保護されないリスクがありますが、ジョージアではこの条項により、登記簿を信頼して取引を行った者は法的に強力に保護されます。この「公信力の付与」は、外国人投資家が安心して市場参入するための最も重要な法的インフラの一つとなっています。
ジョージア国家公共登録庁(NAPR)と世界最速の登記システム
ジョージアの不動産取引を語る上で、国家公共登録庁(NAPR:National Agency of Public Registry)の存在は欠かせません。NAPRは法務省傘下の公法上の法人であり、不動産および事業体の登記を一元管理しています。
ジョージアの行政改革の象徴とも言えるのが、主要都市に設置された「パブリック・サービス・ホール(Public Service Hall)」、通称「ジャスティス・ハウス」です。ここでは、パスポートの発行、法人設立、不動産登記、納税手続きなど、300以上の行政サービスがワンストップで提供されています。日本の法務局における手続きとは異なり、ジョージアの登記申請には原則として司法書士のような仲介者は不要です。当事者双方がパブリック・サービス・ホールに出向き、登録官の面前で契約書に署名することで手続きが完了します。
また、NAPRはすべての登記情報をデジタル化しており、誰でもインターネットを通じて不動産の所有者、面積、担保設定状況、差押えの有無を確認することができます。この透明性は、デューデリジェンスのコストを劇的に下げています。さらに2016年、ジョージア政府はビットフューリー社と提携し、不動産登記システムにブロックチェーン技術を導入しました。NAPRのデータベースに不動産取引が登録されると、そのデータのハッシュ値がビットコインのブロックチェーンに書き込まれます。これにより、政府内部の人間であっても過去の登記記録を改ざんすることは事実上不可能となり、投資家はNAPRが発行する電子証明書の真正性をパブリックなブロックチェーンと照合することで検証可能です。
特筆すべきは、追加料金を支払うことで審査時間を短縮できる「特急サービス」です。これはジョージア政府決議第509号に基づき法的に制度化されています。例えば、通常の4営業日処理であれば手数料は50ラリ(約2,750円)ですが、翌日処理であれば150ラリ、即日処理であれば270ラリ程度となります。さらに、350ラリ(約19,250円)の手数料を支払うことで、わずか1時間以内に登記を完了させることも可能です。日本の登録免許税が物件価格に応じた従価税であるのに対し、ジョージアの手数料は物件価格に関わらず定額であり、大規模取引におけるコストメリットは計り知れません。
外国人によるジョージアの不動産取得:「完全自由」と「厳格規制」の二重構造
ジョージアの不動産法制を理解する上で最も重要なのが、「非農業用地(Non-Agricultural Land)」と「農業用地(Agricultural Land)」に対する規制の明確な二分法です。ここを混同することは、投資における致命的な法的瑕疵につながります。
都市部の住宅、アパート、オフィスビル、ホテル、商業施設などが建つ土地は、通常「非農業用地」に区分されます。このカテゴリーにおいては、外国人(個人・法人問わず)に対する取得制限は一切存在しません。ジョージアに居住していなくても、ビザなしの観光滞在であっても購入可能であり、日本法人名義や日本人個人名義での直接登記が認められています。憲法に基づき、所有権の保護に関して自国民と完全に同等の権利が保障されています。
一方で、農地(Agricultural Land)に関しては、2017年の憲法改正で「国家資源」と定義され、2019年に施行された「農業用地所有権に関する有機法」によって、原則として外国人の所有が禁止されました。同法において農業用地とは、牧草地、干草地、耕作地、および多年生植物を含む土地、さらにはホームステッド(農家住宅用地)を指します。地方のリゾート物件やワイナリー用地などは、現況が建物用地であっても登記上の地目が「農業用地」のままであるケースが多く、注意が必要です。
かつては、現地法人を設立することで農地取得規制を回避するスキームが存在しましたが、現行法ではこの抜け穴は完全に塞がれています。同法は、ジョージア国内法人が農地を所有する場合の要件として、「支配的パートナー(Dominant Partner)」の国籍を問題とします。具体的には、法人の持分・株式の50%超を保有する、あるいは実質的に決定的な影響力を行使できるパートナーが外国人または外国法人である場合、そのジョージア法人は農業用地を所有することができません。つまり、日本企業が100%出資するジョージア子会社は、法的には「外国人が支配する法人」とみなされ、農地の取得は不可能です。
ただし、法律は完全に門戸を閉ざしているわけではありません。同法は、国家経済に寄与する重要なプロジェクトについては、例外的に外国支配法人による農地所有を認めています。外国支配法人は、農業生産、革新的な活動、観光インフラ整備等に関する具体的な「投資計画(Investment Plan)」を作成し、政府に提出する必要があります。ジョージア政府(内閣)の個別決定により承認されれば所有が可能となりますが、もし投資計画に基づく義務を履行できなかった場合、その土地を1年以内に売却する義務が生じ、売却できない場合は国家によって収用されるという厳格な条件が付されます。
実務ガイド:ジョージアの取引フローと契約実務

ジョージアでの不動産取引は迅速ですが、その分、事前準備の質が問われます。まず、NAPRのウェブサイトで物件固有の「カダストラルコード」を入力し、デューデリジェンスを行うことが不可欠です。これにより、売主が真の所有者か、銀行借り入れの担保になっていないか(抵当権)、税金滞納や裁判による差押えがないか、そして何より地目が「農業用地」ではなく「非農業用地」であるかを即座に確認できます。
契約実務においては、特に新築物件の場合、「フレーム(Frame)」と呼ばれる引渡し状態の定義に注意が必要です。ジョージアでは日本のような「完成引き渡し」が当然ではなく、内装仕上げの程度によって3段階で引き渡されるのが一般的です。コンクリート躯体のみで窓や配管もない「ブラック・フレーム」、壁・床のレベリングやライフラインの引き込みが済んだ「ホワイト・フレーム」、そして内装や暖房システムまで完了し家具を入れれば居住可能な「グリーン・フレーム」です。契約書において、どの状態で引き渡されるかを明確に定義しなければ、後のトラブルの原因となります。
契約締結と登記申請は、通常同時に行われます。売主と買主がパブリック・サービス・ホールへ出頭し、登録官の面前で契約書に署名し、手数料を支払えば手続きは完了します。また、銀行のプレミアバンキング部門などを利用し、銀行内で決済と同時に登記申請を行う「認定利用者」制度を活用すれば、代金支払いと権利移転のタイムラグによるリスクを最小化できます。
ジョージアの税務とコスト構造:日本との比較
ジョージア不動産投資の魅力の一つは、その極めて低い税負担とトランザクションコストにあります。日本には不動産取得税や登録免許税が存在しますが、ジョージアには不動産取得税および移転税が存在しません。かかる費用は、前述のNAPR登記手数料と、必要に応じた弁護士費用のみであり、初期投資コストを大幅に抑制できます。
保有期間中にかかる固定資産税も低率です。個人の場合、家族の年収に応じて税率が変動しますが、多くは評価額の1%未満であり、年収が一定以下の場合は非課税となるケースもあります。法人の場合も資産の簿価に対して年間1%が上限とされています。
売却時の譲渡所得税については、個人であれば原則5%ですが、2年以上保有した居住用不動産を売却する場合は非課税となります。法人であれば法人税の対象となりますが、ジョージアは「エストニアモデル」を採用しており、利益を配当せず再投資に回す限り課税が繰り延べられるため、実質的な税負担をコントロールすることが可能です。なお、土地の売買は原則として付加価値税(VAT)の対象外ですが、建物の売買や商業用不動産の取引においてはVATが課される場合があるため、事前の確認が必要です。
ジョージアにおける投資保護と紛争解決:ICSID仲裁事例から学ぶ
ジョージアへの投資を検討する際、カントリーリスクへの懸念は無視できません。ジョージアは日本を含む多数の国と二国間投資協定(BIT)を締結しており、内国民待遇、収用に対する補償、送金の自由などが国際法上保障されています。
万が一、ジョージア政府と外国投資家の間で紛争が生じた場合、現地の裁判所ではなく、ワシントンD.C.にあるICSID(国際投資紛争解決センター)に仲裁を申し立てることが可能です。過去には、エネルギーインフラ事業に関する権利侵害が争われた事案(Ioannis Kardassopoulos v. Georgia)において、仲裁廷がジョージア政府による権利収用を認め、投資家に対して多額の損害賠償を命じた事例があります。政府が敗訴し賠償責任を負ったという事実は、逆説的に言えば国際仲裁メカニズムが機能していることを示しており、投資家にとっての最後の砦となり得ます。
まとめ
ジョージアの不動産法制は、そのシンプルさとスピードにおいて、日本の複雑かつ重厚な手続きに慣れた私たちに新鮮な驚きを与えます。NAPRによる効率的な登記システム、ブロックチェーンによる権利保全、そして非農業用地における外国資本への完全な開放は、グローバルな投資環境として極めて高い水準にあります。
しかし、その入りやすさゆえに、十分な法的調査を省略してしまう投資家が少なくありません。特に「農業用地規制」という落とし穴や、新興国特有の行政リスク、施工品質リスクは、表面的な手続きの速さだけではカバーできない問題です。
日本の経営者・法務担当者の皆様には、まず投資対象となる土地の「地目」をカダストラルコードベースで徹底的に確認することを強く推奨します。リゾート地や地方都市への投資では、現況と登記簿上の地目が異なるケースが散見されます。また、農地取得が必要な大規模プロジェクトの場合、正面から「投資計画」を策定し、政府承認を得るプロセスを経ることが、事業の長期的安定につながります。そして、登記自体は簡易であっても、契約書のドラフティングや紛争解決条項の設計には、現地の法律と商慣習に精通した専門家の関与が不可欠です。
ジョージアは、適切な法的リスク管理を行えば、ユーラシアでも屈指の魅力的な不動産市場となり得ます。本レポートが、貴社のジョージア進出における羅針盤となることを願ってやみません。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務
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