インド競争法:和解制度(Settlement)とコミットメントの活用法

2024年の改正競争法によりインドで新たに導入された和解(セトルメント)とコミットメント(確約)制度は、巨大なインド市場においてビジネスを展開する企業にとって、極めて重要な法務上の選択肢となります。本記事では、インド競争委員会(CCI)の本格的な調査が完了する前に、企業側から自発的な改善策を提示することで、巨額の罰金を回避あるいは大幅に軽減できる新制度の実務的な仕組みを詳述します。
特にITやデジタル市場において、再販売価格の維持や排他的条件付取引などの垂直的制限行為、あるいは市場における支配的地位の濫用といった競争法違反のリスクが発覚した際、長引く訴訟を避けて迅速な法的解決を図るために本制度をどのように活用すべきか、最新の法令や画期的な適用事例を交えて包括的に解説します。
この記事の目次
インド競争法における2024年改正と新制度導入の背景
インドの急速な経済成長とデジタルエコノミーの拡大に伴い、市場競争の公正性を担保する競争法の重要性はかつてないほど高まっています。インド政府は、2002年競争法を大幅にアップデートする目的で2023年競争(改正)法を成立させ、2024年3月6日にその中核となる各種規定を施行しました。これに合わせてインド競争委員会(CCI)は、同日に「2024年インド競争委員会(和解)規則」および「2024年インド競争委員会(コミットメント)規則」などを官報で公布し、即日施行しました。
この2024年インド競争法改正の最大の目的は、当局と企業との間の長期にわたる法廷闘争を削減し、市場における反競争的状態をより迅速に是正することにあります。従来のインド競争法実務においては、当局による調査から最終的な排除措置命令や巨額の制裁金納付命令が下されるまでに数年を要し、さらに不服申立審判所や最高裁判所での争いが続くことが常態化していました。特に変化の激しいデジタル市場においては、事後的な規制(エクス・ポスト)では市場の寡占化に迅速に対応できないという課題が、インド議会等でも指摘されていました。
今回導入された新制度の対象となるのは、インド競争法第3条4項が禁じる垂直的制限行為(再販売価格の維持、排他的供給契約、抱き合わせ販売など)および第4条が禁じる支配的地位の濫用行為です。なお、同業他社間でのカルテルや談合といった水平的協定(第3条3項)は極めて悪質性が高いとみなされるため本制度の対象外とされており、別途設けられているリニエンシー(課徴金減免)制度の枠組みで対処される点に留意が必要です。この2024年インド競争法改正および制度に関する公式なプレスリリースは、インド政府広報局の公式ウェブサイトで確認することができます。
コミットメント制度の詳細な手続きとインドでの実務的メリット

2024年インド競争法改正により新設された第48B条に基づくコミットメント(確約)制度は、当局による本格的な事実調査が行われる前の極めて初期の段階で、事案を解決するための枠組みです。インド競争委員会(CCI)が企業に対して競争法違反の疑いがあると判断し、事務局長(DG)に対して詳細な調査の開始を命じた後、実際にDGからの調査報告書が提出されるまでの間に限り、企業はこのコミットメントの申請を行うことができます。
実務上の厳格な要件として、企業はCCIによる調査開始命令を受領してから45日以内に申請を行わなければなりません。正当な理由がある場合に限り、さらに30日間の延長が認められますが、極めて短期間での意思決定が要求されます。コミットメント制度を利用する場合、企業は対象となる行為を停止するための、将来に向けた行動是正策を提示します。和解制度とは異なり、コミットメントにおいては問題とされる行為の一部に対する部分的な確約(パーシャル・コミットメント)の提示も認められていますが、その場合、残りの違反嫌疑に関する調査は継続されます。
コミットメント制度を活用する最大の実務的メリットは、DGによる長期的かつ広範な証拠収集や立ち入り検査といった詳細な調査プロセスを完全に回避できる点にあります。CCIがこの確約により市場の競争環境が十分に回復すると判断した場合、原則として制裁金を科すことなく、法的な違反の認定を記録せずに手続きを終了させます。制度上、このコミットメント手続きは申請が受理されてから原則として130営業日以内に完了することが定められており、企業はコンプライアンスリスクを早期に遮断し、事業活動への悪影響を最小化することが可能です。このコミットメント規則の公式文書は、インド競争委員会の公式ウェブサイトで確認することができます。
和解制度(Settlement)の手続きとインド競争法における特徴
一方、2024年インド競争法改正により新設された第48A条に基づく和解(Settlement)制度は、事務局長(DG)による詳細な調査がすでに完了し、企業側に不利な調査報告書が提出された後に利用する枠組みです。
和解の申請は、企業がDGの調査報告書またはその機密バージョンを受領してから45日以内に行う必要があります。こちらも正当な理由があれば30日間の延長が可能です。和解手続きにおいては、企業はCCIの管轄権を明示的に受け入れた上で、問題とされた行為の包括的な是正案を提示しなければなりません。コミットメント制度とは異なり、和解手続きにおいては部分的な和解は認められず、DGの調査報告書で認定されたすべての違反嫌疑に対して完全な和解を提供する必要があります。さらに、国際的なビジネスを展開する企業への要請として、他の国や地域の競争当局が同様の違反を調査しているか否かの詳細をCCIに開示する義務が課されています。
和解制度の実務的メリットは、違反認定に基づく本来の最高額の制裁金に対して一定の割引が適用される点と、不服申立等によるその後の長期にわたる法廷闘争を確実に回避できる点です。申請を行う際、インドにおける総売上高が5億ルピーまでの企業は25万ルピー、それ以上の企業はより高額な申請手数料を納付する必要があります。CCIは、企業が提示した和解案に同意した場合、最終的な和解金(Settlement Amount)を算定して通知します。企業は、この通知から15日以内に和解金の額を受諾し、30日以内に支払いを完了しなければなりません。
この和解金額についての再交渉や修正は認められていません。インド競争法第53B条の規定により、この和解命令に対する不服申立は一切認められておらず、支払いが完了すればその事案は完全に終結し、絶対的な法的安定性が得られます。手続き全体は、原則として180営業日以内に完了します。この和解規則に関する一般声明は、インド競争委員会の公式ウェブサイトで確認することができます。
以下の表は、コミットメント制度と和解制度の主な要件と違いを整理したものです。
| 比較項目 | コミットメント(確約)制度 | 和解(セトルメント)制度 |
| 根拠となるインド競争法条文 | 第48B条 | 第48A条 |
| 申請が可能なタイミング | 調査開始命令後からDGの調査報告書提出前まで | DGの調査報告書受領後からCCIの最終命令前まで |
| 申請の法的期限 | 調査開始命令の受領から45日以内 | 調査報告書の受領から45日以内 |
| 部分的な対応の可否 | 部分的な確約(Partial Commitment)の提示が可能 | 報告書の全違反に対する完全な和解のみ可能 |
| 金銭的支払いの性質 | 制裁金や和解金の支払いは原則として不要 | CCIが算定する和解金の支払いが必須 |
| 手続きの完了期限 | 申請から130営業日以内 | 申請から180営業日以内 |
| 不服申立(上訴)の可否 | 不可 | 第53B条に基づき不可 |
インド競争法の和解・コミットメント制度と日本の独禁法との違い

日本企業がインドにおいてこれらの新制度を利用する際、日本の独占禁止法における制度との構造的な違いを正確に理解しておくことが不可欠です。
日本においても、2018年のTPP(環太平洋パートナーシップ)協定発効に伴う独占禁止法改正により確約手続が導入されました。日本の確約手続は、公正取引委員会から違反の疑いがある旨の通知を受けた事業者が、自発的に排除措置等の確約計画を提出し認定を受ければ、排除措置命令や課徴金納付命令を免れるという仕組みです。日本の実務においては、調査の進捗度合いに関わらず、包括的にカバーする単一の制度としてこの確約手続が運用されています。
これに対し、2024年の改正インド競争法では、調査の進捗段階に応じて、報告書提出前のコミットメントと報告書提出後の和解という二つの全く異なる制度に厳格に分断されている点が最大の違いです。特に、日本の確約手続では課徴金に相当する金銭の支払いは伴いませんが、インドの和解制度では調査のリソースを既に消費した当局に対する代償として、明確に和解金の支払いが要求されます。さらに、インドの制度は45日以内という申請期限が法律上極めて厳格に規定されており、日本企業は問題発覚後、インドの現行法令とビジネス実態を照らし合わせて直ちに是正策の策定と経済的合理性の評価を下すという、極めてスピード感のある意思決定を迫られます。
インドにおける裁判例と和解制度の適用事例
インドの競争法体系において、当局と当事者間の和解的な解決が許容されるかについては、2024年の明文規定化以前から法廷で深く議論されてきました。その基礎となった重要な判例が存在します。
マドラス高等裁判所は、2015年3月27日の判決(当事者名:The Tamil Nadu Film Exhibitors Association 対 Competition Commission of India)において、当時の競争法には明示的な和解規定が存在しなかったにもかかわらず、当事者間で和解や妥協に至ることは法の枠組みの中で可能であるとの判断を示しました。同裁判所は、反競争的慣行が継続せず、支配的地位の濫用が是正され、かつ消費者の利益や取引の自由を損なわないという条件を満たす限り、CCIが和解を承認する権限を事実上支持しました。この司法の柔軟な解釈が、のちの2024年法改正による明文化の強力な土台となりました。このマドラス高等裁判所の判決に関する詳細は、インドの法律情報データベース等で確認することができます。
そして2024年の和解規則施行後、世界中のIT業界から注目を集めた初の適用事例が直ちに誕生しました。これが、スマートテレビ向けOS市場におけるGoogleの和解案件です。
インド競争委員会は2025年4月21日、情報提供者(Kshitiz Arya氏およびPurushottam Anand氏)とGoogle LLC、Google India Private Limited、Xiaomi Technology India Private Limited、TCL India Holding Private Limitedの間で争われていたAndroid TV案件について、新設された和解規則(第48A条)に基づくGoogleの和解案を承認する決定を下しました。この事件では、Googleがテレビ端末メーカーに対して自社のアプリストア等のプリインストールを義務付ける契約(TADA)や、Androidの競合フォーク版の開発を制限する契約(ACC)を結ばせていたことが、第4条の支配的地位の濫用に該当するとしてDGの調査を受けていました。
Googleは、長引く訴訟を回避するため、和解規則に基づきニュー・インディア・アグリーメント(New India Agreement)と称する抜本的な改善策を提示しました。これには、Play Store等のアプリを他のサービスと抱き合わせることなく単独でライセンス提供することや、端末メーカーが競合するOSを搭載したデバイスを自由に販売できる権利を認めることが含まれていました。CCIは、この是正策を高く評価し、算出された本来の制裁金に対して15%の和解ディスカウントを適用し、最終的な和解金として2億240万ルピー(Rs. 20.24 crore)を決定して手続きを完全に終結させました。この和解承認に関する公式なプレスリリースは、インド政府広報局の公式ウェブサイトで確認することができます。
このGoogleの事例は、テクノロジー関連において強力な市場シェアを持つ多国籍企業が、インド現地の競争当局と鋭く対立することなく、自発的なビジネスモデルの修正と和解金の支払いによって迅速に法的リスクを清算した模範的なケースとして、インドへ進出する日本企業にとっても重要な実務的指針となります。
制度の取消しリスク(インド競争法第48C条)とコンプライアンス

和解およびコミットメント制度は企業にとって強力な解決手段ですが、その利用には重大なコンプライアンス上の責任が継続して伴う点に注意が必要です。インド競争法第48C条は、和解またはコミットメント命令の取消しおよび罰則について厳格に規定しています。
企業がCCIと合意した是正措置の履行を怠った場合、あるいは申請時に事実の完全かつ真実な開示を行っていなかったことが後日発覚した場合、さらには市場状況などの事実に重大な変更が生じた場合、CCIは一度下した和解命令やコミットメント命令を一方的に取り消す権限を有しています。命令が取り消された場合、中断されていた調査プロセスが即座に再開されるだけでなく、企業に対してはCCIが要した法的費用として最大1,000万ルピー(Rs. 1 Crore)の支払いが命じられる可能性があります。
したがって、制度を利用する企業は、単に申請を行って目前の危機を脱するだけでなく、社内のビジネスプロセスを確実に改修し、CCIに対する定期的なコンプライアンス報告を怠らないよう、厳格な事後モニタリング体制を構築することが法律上強く求められています。
まとめ
2024年に導入されたインド競争法の和解およびコミットメント制度は、予期せぬコンプライアンス危機に直面した際の被害を最小化する、極めて有効な防衛策となります。特に急成長するインド市場では、現地代理店との価格設定や独占契約が意図せず垂直的制限とみなされるリスクが常に潜んでいます。問題の端緒を把握した直後から45日以内という極めてタイトなスケジュールの中で、インド競争委員会が納得する高度な是正策を立案し、かつ的確な和解交渉を行うためには、インド現地の競争法実務に精通した専門家の知見が不可欠です。
モノリス法律事務所はIT関連分野を中心とする高度な専門性を有しており、提携するインド現地の法律事務所と緊密に連携することで、最新の現地法令に基づくコンプライアンス体制の構築から、当局調査が開始された際の緊急対応、和解やコミットメント手続きの戦略的遂行に至るまで、インド事業を法的な側面から包括的にサポートすることが可能です。制度を正しく理解し、迅速な初動対応を取ることが、巨大市場インドでの持続的な成功を守るための最大の鍵となります。
モノリス法律事務所は、インド法務に関する調査および情報提供を目的として、現地法律事務所Quest IP Attorneysと非独占的な提携関係(Associate Firm / Correspondent Firm)にあります。
カテゴリー: クロスボーダー
































