【令和8年6月】知財取引における優越的地位の濫用とは?新たに公表された「知財取引指針」を解説

「著作権はすべて当社に譲渡してください」「対価は制作費に含まれています」——こうした契約条件を一方的に押し付ける行為が、独占禁止法違反になる可能性があると、政府が初めて全業種向けに明示しました。
令和8年(2026年)6月24日、公正取引委員会・中小企業庁・特許庁の3省庁が共同で「知的財産権・ノウハウ・データの適切な取引のための優越的地位の濫用等に関する指針」(以下、知財取引指針)を公表しました。
参考:経済産業省|「知的財産権・ノウハウ・データの適切な取引のための優越的地位の濫用等に関する指針」及び「契約書ひな形」を公表します
これは、デザイン、映像制作、システム開発、広告制作など、あらゆる業種の発注者・受注者に影響が及ぶ重要な指針です。本記事では、この新指針が実務に与える影響と、発注側企業が今すぐ見直すべき契約実務について解説します。
この記事の目次
新たな「知財取引指針」策定の背景

知財取引指針が策定された背景には、日本のビジネス現場で長年続いてきた不公平な取引慣行があります。これまで、大企業や元請け企業がフリーランスや中小企業に業務を委託する際、契約書に「本業務で生じた著作権等の知的財産権は、無償で発注者に譲渡する」という条項が一方的に組み込まれるケースが少なくありませんでした。
受注側としては、この条件を断れば「今後の取引を打ち切られる」「別の業者に発注される」という懸念があるため、署名せざるを得ないという構造がありました。近年では、生成AIの学習データとして過去の制作物を無断利用されるリスクも高まっており、クリエイターや中小企業の権利保護が急務となっていました。
こうした「断れない立場」を利用した行為を規制するのが、独占禁止法が定める「優越的地位の濫用」です。
優越的地位の濫用とは、自己の取引上の地位が相手方に対して優越している当事者が、その地位を利用して、正常な商慣習に照らして不当に不利益を与える行為を指します。具体的には、対価の不当な引き下げ(買いたたき)や、協賛金などの不当な負担の強要などが該当します。今回の指針は、この「不当な不利益」の中に、著作権の無償譲渡の強要も含まれることを明確にしたものです。
知財取引指針(知的財産取引適正化)とは?優越的地位の濫用に関する包括基準
今回の指針は、知的財産権に関する優越的地位の濫用について、初めて包括的な基準を示した画期的なものです。
公正取引委員会など3省庁が策定:全業種を対象とした初の包括的指針
公正取引委員会、中小企業庁、特許庁は、令和7年8月から「知的財産取引適正化ワーキンググループ」を開催し、議論を重ねてきました。
これまでもスタートアップや製造業に特化した指針は存在していましたが、今回の知財取引指針は全業種を対象としています。企業や事業団体への聞き取り調査をもとに、実際に現場で起きている約70の事例を盛り込み、具体的な行為ごとに違反の疑いがあるかどうかを整理した点が最大の特徴です。
知財取引指針の法的な位置づけ:独占禁止法違反の「判断基準」に
知財取引指針自体は法律ではなくガイドラインであるため、これに違反したからといって直ちに刑事罰が科されるわけではありません。
しかし、この指針は公正取引委員会が独占禁止法違反(優越的地位の濫用)として調査を行い、排除措置命令や課徴金納付命令を出す際の「判断基準」として機能します。「知らなかった」「業界の慣行だった」という言い訳は通用しなくなるため、企業にはこの指針に沿ったコンプライアンス体制の構築が求められます。
なお、今回の指針公表と同日に、中小受託取引適正化法(取適法)の運用基準改正案と、フリーランス法(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律)の考え方改正案についても意見募集が開始されています。独禁法を主軸としつつ、中小企業・フリーランスを守る関連法も連動して整備が進んでいる点は押さえておきたいところです。
知財取引指針が示す「違反のおそれがある行為」とは
指針では、独占禁止法違反のおそれがある行為として約70の具体的事例が挙げられています。ここでは、実務で問題になりやすい行為を4つの類型に分けて紹介します。
情報管理・NDA
発注者が自らの優越的地位を利用し、不当に情報を取得したり、NDA(秘密保持契約)を悪用したりする行為です。
- 工場見学などの場で、取引の目的に照らして合理的範囲を超えてノウハウの開示を求める
- NDAの締結を拒否し、そのまま取引を継続させる(取引解消をちらつかせる)
- 自社グループにだけ情報開示を認める片務的なNDAを強要する
- 秘密情報をAI学習データとして無断で利用する
著作権・知財の対価
今回のニュースの核心部分です。知的財産権の譲渡や許諾に対して、適切な対価を支払わない行為が該当します。
- 著作権の無償譲渡を一方的に求める
- 著しく低い対価で著作権・ノウハウの譲渡を要請する
- デザイン案・ラフ稿などの中間成果物の著作権まで無償で取得する
- 著作者人格権の不行使条項を一方的に押し付ける
出願・特許への干渉
受注者が独自に生み出した発明について、発注者が不当に介入する行為です。
- 受注者が単独で行うべき特許出願に干渉する
- 共同出願を強制し、発明者でない発注者を出願人に加えさせる
- 出願内容の修正を一方的に求める
訴訟リスクの転嫁・共同研究
知財に関するトラブルの責任を押し付けたり、共同研究の成果を独占したりする行為です。
- 発注者側に責任があるのに、知財訴訟の解決責任を受注者に丸投げする
- 第三者から知財侵害で訴えられた際の損害賠償を受注者にのみ負担させる
- 共同研究の成果を発注側に一方的に帰属させる
- 受注者による共同研究成果の利用を不当に制限する
全70事例の詳細は、公正取引委員会が公表した知財取引指針のプレスリリースをご参照ください。
著作権無償譲渡や著作者人格権不行使が違反にならないケース

指針は、すべての著作権無償譲渡や著作者人格権不行使を禁止しているわけではありません。適法と判断されるケースについても整理されています。
正当な対価込みで双方が著作権譲渡を合意しているケース
指針では、契約時の全体対価に著作権の譲渡費用が含まれていると明確に整理されている場合、通常は問題視されないと明記されました。「この金額で著作権の譲渡まで含む」という前提で双方が自由な立場で合意していれば、直ちに違反とはなりません。
問題となるのは、発注側が優越的地位を背景に、事前の合意なく「一方的に」無償での権利譲渡を迫ったり、相場から「著しく低い対価」を押し付けたりする行為です。これらは独占禁止法違反の疑いが強まります。
著作者人格権の不行使条項が違反にならないケース
「著作者人格権(氏名表示権や同一性保持権など)を行使しない」とする契約条項も、すべてがNGになるわけではありません。
例えば、一般的な企業のWebサイトデザインやマーケティング資料のように「作成者の名前を表示しないことが正常な商慣習」となっている場合や、権利を制限する代わりに相当の対価が支払われている場合は、通常は問題ありません。
しかし、明確な理由や対価の補填がないまま、発注側の都合だけで一方的に不行使を義務付けることは、指針において「不当な不利益課せ」にあたる可能性が示されています。
発注側企業が今すぐ見直すべきこと
今回の指針公表を受けて、発注側企業は自社の契約実務を直ちに見直す必要があります。
自社の契約書を点検する
まずは、現在使用している業務委託契約書やNDAのひな形を点検しましょう。
今回の指針と同時に、3省庁は「契約書ひな形」も公表しています。このひな形では、知的財産権の移転について以下のような記載例が示されています。
第5条 (成果の帰属及び取扱い)
1 本業務を遂行する過程で、乙が甲の秘密情報に依拠して発明、考案、意匠、著作物その他の知的財産権の目的となるものを得た場合には、当該発明等に係る知的財産権は、原契約に定める報酬、費用、その他一切の支払い債務を甲が履行した時点で乙から甲に移転するものとする。
経済産業省|付属資料「契約書ひな形」
ポイントは、知的財産権の移転が「対価の支払い履行」と連動している点です。「タダで渡す」のではなく、「報酬を払ったことと引き換えに権利が移る」という構造になっています。また、ひな形では権利を受注者側に帰属させたまま発注者にライセンスのみを付与する選択肢も示されており、「譲渡か許諾かは当事者間で協議して選択すべきもの」という考え方が根底にあります。
さらに、受注者が契約前から保有していた既存の知的財産権(固有知的財産権等)については、「乙が有する固有知的財産権等の開示、提供を行う場合には、対価を含め、別途協議する。」とされています。既存技術やノウハウを提供させる場合は、その対価を別途明確に定めることが求められています。「開発費に全部込み」という一括処理が問題になりやすい典型的な場面です。
「十分な協議」の記録を残す
指針の中で繰り返し強調されているのが「当事者間で十分に協議した上で決定することが望ましい」という点です。
契約条件を決定するプロセスにおいて、受注者と実質的な交渉を行った事実を記録に残すことが重要です。電子メールのやり取りや議事録など、一方的な押し付けではなく双方向の協議があったことを客観的に証明できる体制を整えましょう。
受注者からの対価交渉には応じる義務がある
受注者から知財の対価について協議の申し入れがあった場合、誠実に応じる必要があります。
指針では、望ましい対価設定の選択肢として、売上に応じた報酬(レベニューシェア)や一時金の支払い、利用範囲を制限した契約などを紹介しています。「作業の対価(工賃)」と「知的財産権の対価」を明確に区分し、合理的な算定根拠に基づく契約を締結することが、トラブル防止の鍵となります。
まとめ:知的財産取引については専門家に相談を
今回の知財取引指針の公表は、日本の取引慣行における「著作権はタダで渡して当然」という構造を、国が正面から問題視した歴史的な転換点です。3省庁が全業種を対象に約70の違反疑い事例を明示したことで、「業界の慣行だから」という言い訳はもはや通用しなくなりました。
発注側企業にとって今求められるのは、「一応対応した」というレベルで満足することなく、現在使用している契約書の条項が指針の趣旨に真に合致しているかを、法務部門を中心に厳格に見直すことです。著作権の帰属、対価の算定根拠、協議プロセスの記録——これらを整備することは、単なるコンプライアンス対応にとどまらず、受注者との信頼関係を築き、サプライチェーン全体の持続的な成長へとつながるものです。
自社の契約条項の適法性に不安がある場合や、受注者との対価交渉の進め方に迷いがある場合は、企業法務に強い弁護士に早めに相談されることをお勧めします。
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