ギリシャの「形成判決」と契約書法務のための必要知識

ギリシャ(正式名称、ギリシャ共和国)での事業展開を検討する場合、その民法や契約法についての知識だけでなく、裁判における「形成判決」という概念についても、理解しておく必要があります。これは、裁判所が、契約書の内容を変更・修正するという、日本にはないタイプの判決であり、ギリシャでのビジネスにおける契約書作成や交渉の場面では、この「形成判決」の存在を前提とした検討が必要になるからです。
すなわち、日本の裁判所が、契約の履行を命じたり、権利の存否を確定したりする役割を主に担うのに対し、ギリシャの裁判所は、当事者間の合意がなくとも、判決によって既存の契約内容を直接的に変更する、より強力な権限を有します。これは、当事者の自由な意思に基づく契約の原則とは一線を画すものであり、特に長期にわたるビジネス契約において、予期せぬ法的リスクとなり得ます。
本稿では、この「形成判決」の特異性を日本の法制度と比較しながら詳細に解説し、ギリシャでの事業を成功させるための実務上の留意点とリスク管理の重要性について説明します。
この記事の目次
ギリシャ民事訴訟法における判決類型と「形成判決」
ギリシャは、ローマ法とドイツ法の影響を強く受けた大陸法体系を採用しており、その民事法秩序は「ギリシャ民法典」と「ギリシャ民事訴訟法典」によって形成されています。日本の法体系と多くの共通点を持ちますが、裁判所の権限に関する根源的な違いが存在します。
ギリシャの民事訴訟法では、裁判所の判決は、その機能に応じて大きく三つの類型に分類されます。一つは、特定の給付(例:金銭の支払い、物の引き渡し)を被告に命じる「給付判決」です。これは、日本の民事訴訟において最も一般的な判決類型であり、給付を強制するための執行力を持つ点が特徴です。二つ目は、特定の法的関係(例:契約の有効性)の存否を確定する「確認判決」です。そして三つ目が、日本の法務実務にも同じ名称の概念が存在するものの、その意味合いが大きく異なる「形成判決」(constitutive judgmentまたはformative judgment)です。
形成判決は、単に権利義務の存在を確定したり、履行を命じたりするに留まらず、判決それ自体が当事者間の既存の法的関係を直接的に変更、創設、または消滅させる効力を持つという点で、先の二つの判決類型と決定的に異なります。これは、判決が確定すれば、当事者による追加的な行為を待つことなく、自動的に新たな法的状態が「形成」されることを意味します。この強力な法的効果こそが、ギリシャ法における形成判決の核心であり、日本法の下でのビジネスに慣れた人が理解すべき最も重要な点と言えるでしょう。
日本法における「形成判決」の概念とギリシャ法との違い

日本法にも「形成判決」という概念は存在します。日本の民事訴訟法では、「給付の訴え」「確認の訴え」「形成の訴え」という民事訴訟の三つの類型の一つとして「形成の訴え」が位置づけられており 、この訴えに対する判決が「形成判決」と呼ばれています。これは、裁判所の判決によって、特定の権利義務や法律関係を直接的に発生・変更・消滅させることを目的とするもので、法律状態の変更を宣言する判決とされています。例えば、離婚の訴えや、会社設立無効の訴え、あるいは共有物分割の訴えなどが、この形成判決の具体例として挙げられます。
しかし、日本の形成判決が認められるのは、法律が形成の訴えとその具体的な効果を明示的に定義している場合に限られます。例えば、離婚訴訟は民法第770条、会社法は第828条にそれぞれ根拠があります。
ギリシャの形成判決は、名称こそ同じでも、日本の形成判決とは、その性質を異にしています。
ギリシャにおける形成判決の法的根拠と具体例
ギリシャ民法典第388条と第288条
形成判決の具体的な適用例として、契約締結後に予期せぬ事情が変化した場合の、裁判所による契約の再調整権限があります。ギリシャ民法典には、この再調整を可能にする明確な規定が存在し、特に第388条(AK 388)がその法的根拠となります。
ギリシャ民法典第388条は、契約締結時に当事者が信頼を置いていた状況が、予測し得ない形で著しく変化し、信義則(Good Faith)に照らして契約の履行が過度に不公平となった場合に適用されます。この要件が満たされた場合、被害を受けた当事者は、契約の解除を求めるか、または裁判所に対して契約内容の再調整を求めることができます。この第388条に基づく再調整の権利は、その性質上、形成権であると明確に位置づけられています。この条文は強行法規とされており、当事者が事前に裁判所の司法調整を求める権利を放棄することは無効です。この規定は、特に新型コロナウイルス感染症のパンデミックのような、予測不能な広範な経済的混乱が生じた際に、契約を調整する根拠として注目されました。
さらに、契約の再調整は、より広範な「信義誠実の原則」を定めたギリシャ民法典第288条(AK 288)によっても正当化され得ます。第288条は、あらゆる債務の履行は信義誠実に行われるべきであるという一般原則を定めており、裁判所は、当事者の利益を客観的な基準と取引上の認識に合わせて評価し、債務の履行を拡張または制限することができます。この条文は、第388条の厳格な要件(予見不可能性や過度の不公平)を満たさない場合でも、裁判所が契約の公平性を回復するために介入する根拠となり得ます。
形成判決の裁判例
例えば、裁判所は、特に長期賃貸借契約において、経済状況の劇的な変化によって契約内容が不公平になった場合、賃料を再調整する権限を行使します。この司法的な介入は、民法典第288条の信義則に基づいて行われます。この場合、裁判所が下す判決は形成的なものです。つまり、判決が確定した時点で、元の契約に定められていた将来の賃料増額条項は無効となり、判決によって定められた新たな賃料が、元の契約に取って代わります。最高裁判所(Άρειος Πάγος)全会合議体判決第3/2014号は、司法的な賃料再調整が形成的な性質を持つことを確認し、元の契約における賃料増額合意が将来にわたって効力を失うことを明確にしました。
また、最高裁判所(Άρειος Πάγος)判決第415/2004号は、報酬が最初に決定された時から支払い時までに、ハイパーインフレーションなどにより通貨が著しく下落した場合、民法典第288条を根拠として、契約上の名目価値ではなく、実質的な購買力に相当する金額への調整が認められました。これは、契約を名目通りに履行することが信義則に反すると判断された典型例です。
同様に、テッサロニキ控訴裁判所(Εφετείο Θεσσαλονίκης)判決第1663/2022号は、変動為替相場のローン契約において、為替レートの激変により債務者の返済負担が過度に増大したため、裁判所が月々の返済額を調整したものです。裁判所は、為替変動によって銀行の利益が信義則に反するほど不公平になったと判断し、民法典第288条に基づいて契約内容を形成的に変更しました。
ギリシャの裁判官は、特定の状況変化に特化した第388条と、より広範な第288条という二つの法的根拠を用いて、事案に応じて柔軟な判断を下すことが可能であり、そして、現実にこうした判決が下されます。この二重の法的根拠の存在は、裁判の予見可能性を低下させ、当事者にとっては潜在的なリスクを増大させると言えるでしょう。
日本法における「事情変更の原則」とギリシャ法の比較
ギリシャの形成判決による契約再調整権限がなぜ日本企業にとって特別なリスクとなるのか、その決定的な理由は、日本法との根本的な違いにあります。
日本の民法には、契約締結後の事情変更を理由に契約内容を変更する旨を定めた一般規定は存在しません。学説や判例上「事情変更の原則」という法理が認められてはいるものの、その適用要件は極めて厳格です。具体的には、以下が主要な要件とされています。
- 契約の基礎となっていた事情に著しい変化が生じたこと
- その変化が契約締結時に予見不可能であったこと
- 変化の結果、当初の契約内容に当事者を拘束することが信義則上著しく不当であると認められること
しかし、日本の裁判所では、この原則を根拠として契約内容の直接的な「変更」を命じた最高裁判所の確立した事例は存在せず、認められるとしても契約の「解除」に留まるのが通説・判例の傾向です。例えば、ゴルフ場会員権の事例に関する、最高裁判所平成7年9月21日判決は、会員権契約締結後に生じたゴルフ場のり面の崩壊という事情の変更について、ゴルフ場経営会社には予見可能性があったことや帰責事由がないとは言えないことを理由に、事情変更の原則の適用を否定しています。
一方、前述のとおり、ギリシャ法では明文規定に基づき、裁判所が当事者の合意を凌駕して契約内容を強制的に「形成」する権限を持っています。これは、日本の法制度が「当事者が合意した契約は厳格に守られるべき」という契約自由の原則を極めて重視するのに対し、ギリシャ法は、この原則に加えて、裁判所の積極的な介入による「社会的な公正」や「契約の公平性」の維持も重視しているという、法思想の根本的な違いから生じていると言えます。
ギリシャ法(形成判決) | 日本法(事情変更の原則) | |
---|---|---|
法的根拠 | ギリシャ民法典第388条等の明文規定 | 判例法理 |
裁判所の権限 | 判決自体が契約内容を直接的に変更、創設、または消滅させる効力を持つ | 原則として、契約の「解除」を認めるに留まり、「変更」は認められない |
適用要件 | 当事者の予見し得ない著しい状況変化と、信義則に反する過度な不公平性 | 厳格な要件(予見不可能性、帰責事由の欠如等)を満たす必要がある |
実務上の傾向 | 広く用いられる | 適用事例は極めて限定的 |
ギリシャでのビジネス展開におけるリスク管理

前章までの解説を踏まえると、ギリシャで事業を展開する日本企業が、特に長期的な契約や経済変動の影響を受けやすい契約を締結する際には、予期せぬ契約内容の変更リスクに晒される可能性があることを十分に認識しておく必要があります。このリスクを管理するためには、単に日本での常識に頼るのではなく、ギリシャ法特有の考え方に基づいた対策を講じることが不可欠です。
まず、最も有効なリスク管理手段の一つとして、紛争解決手段を国際商事仲裁とすることが挙げられます。ギリシャの裁判所は形成判決という強力な権限を有しますが、仲裁は通常、当事者の合意を最大限に尊重する傾向にあります。契約書に仲裁条項を盛り込むことで、ギリシャの裁判所の裁量的な介入を回避し、より予測可能性の高い紛争解決を目指すことが可能となります。
次に、契約書の作成段階で、予期せぬ事態に備えた「ハードシップ条項」を詳細に規定することも有効です。ただし、ギリシャにはすでに民法典に明文規定が存在するため、この条項が完全な防波堤にはならないことを理解しておく必要があります。それでも、再交渉のプロセスや、再調整が困難な場合の契約解除の条件などを具体的に定めることで、紛争発生時の交渉の指針を確立することができます。
最後に、ギリシャの民事訴訟法は、頻繁に改正が行われ、常に変化している分野であると言われています。このため、現地での事業展開にあたっては、最新の法令や判例の動向を継続的に追跡し、契約内容や事業モデルが法的なリスクに晒されていないかを定期的に検証する必要があります。
まとめ
ギリシャの法制度における「形成判決」の概念は、当事者の合意がなくても裁判所の判断によって契約内容が直接的に変更され得るという、日本の法体系にはない強力な権限です。これは、契約自由の原則を根底に置く日本の法務実務とは異なる法思想から生まれたものであり、特に長期のビジネス契約において、予期せぬ法的リスクをはらんでいます。
このリスクを適切に管理するためには、国際商事仲裁の活用を検討するなど、ギリシャ法特有の制度を深く理解した上で、契約戦略を構築することが不可欠です。このような複雑な法的問題への対応は、高度な専門知識と経験を要します。当事務所は、ギリシャでの事業展開を成功に導くための法的アドバイスと実務サポートを提供いたします。お困りの際は、お気軽にご相談ください。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務