フィンランドの契約法を弁護士が解説

近年、高度な情報通信技術や環境サステナビリティ分野におけるイノベーションの震源地として、北欧市場への進出を検討する日本企業が急増しています。その中でもフィンランド共和国(以下、フィンランド)は、透明性の高いビジネス環境と充実したスタートアップ支援体制を背景に、欧州展開の戦略的拠点として極めて魅力的な選択肢となっています。
しかし、国境を越えた商取引において最も致命的な法務リスクとなるのは、現地の法制度に対する理解不足です。日本国内の商慣習や日本の法律の常識をそのまま海外のビジネスに当てはめることは、「知らなかった」ではすまされない重大なコンプライアンス違反や予期せぬ巨額の損害賠償請求を招き、組織秩序への悪影響を及ぼす危険性を孕んでいます。
第一に、フィンランドの契約法は日本の民法と同様に契約の自由と信義誠実の原則を基盤としていますが、裁判所が契約内容を事後的に調整する広範な裁量を有しており、企業間取引であっても不当な条項が書き換えられるリスクが存在します。
第二に、口頭での合意が原則有効とされる一方で、不動産取引においては日本の実務とは全く異なり、公証人の関与を契約の有効要件とする極めて厳格な方式要件が定められています。
第三に、契約交渉段階からの積極的な情報開示が法的な義務として重く課せられており、これを怠った業者が損害賠償責任を問われた最高裁判所の判例が存在します。
第四に、消費者契約や労働契約においては、経済的弱者を保護するための強行規定が日本の法制以上に強力に機能しており、有期雇用契約の締結制限など、外資系企業であっても例外なく厳格なコンプライアンスが要求されます。
これらの現地の独自ルールを深く理解し、適切な契約実務を構築することが、フィンランドでのビジネスを成功に導くための不可欠な前提となります。本記事では、フィンランドにおける契約法の全体像を俯瞰し、日本企業の経営者や法務部員が事業展開にあたって直面しやすい法務リスクの観点から、日本の法律体系との重要な異同について詳細に解説します。
この記事の目次
フィンランドにおける契約の自由と商事契約の法的調整リスク
契約法を支える基本理念と信義誠実の原則
フィンランドの私法体系において、商取引の最も基本的なルールを提供しているのが1929年に制定された契約法(Laki varallisuusoikeudellisista oikeustoimista,228/1929)です。この法律の根底には、当事者が自らの自由な意思に基づいて契約の相手方や内容を決定できるという「契約の自由」の原則が確固たる基盤として据えられています。資本主義経済の発展に伴い、国家の不必要な介入を排除し、個人の自由な選択を最大限に保障することが社会全体の利益に繋がるという理念に基づき、いったん有効に成立した契約は法的に完全に拘束力を持つという原則(Pacta Sunt Servanda)が貫かれています。
この基本構造自体は日本の民法体系と極めて類似しており、日本企業にとっても直感的に理解しやすい部分です。しかし、契約の解釈や当事者の振る舞いを評価する上で、フィンランドの司法実務は「信義誠実の原則(Good Faith and Loyalty)」に極めて大きな比重を置いています。契約書面に明記された文言の形式的な履行にとどまらず、相互に相手方の正当な利益を尊重し、取引の目的が円滑に達成されるよう誠実に協力する包括的な忠実義務が当事者双方に課せられます。
企業間取引における契約法第36条の適用と日本法との違い
日本の法務担当者がフィンランドの契約実務において最も警戒すべき法務リスクの一つが、フィンランド契約法第36条に基づく契約条項の事後的調整です。同条項は、契約の内容が著しく不当である場合、あるいは契約締結後の事情変更によってその条項の適用が当事者の一方に著しく過酷な結果をもたらす場合、裁判所がその条項の効力を調整し、または適用を完全に排除できる権限を定めています。
日本の法律実務において、対等な企業間の商事契約(BtoB)が事後的に裁判所によって修正されることは、民法上の公序良俗違反など極めて限定的な例外を除き、原則として想定されていません。日本の消費者契約法は消費者保護の観点から不当条項を無効としますが、企業間取引においては「自己責任」と「契約書面の絶対性」が強く重視されます。これに対し、スウェーデンやノルウェーなど北欧諸国との法的な協調の歴史を持つフィンランドでは、第36条の適用範囲が消費者契約に限定されておらず、企業間の商業契約においても適用される余地が法律上明確に確保されています。
もちろん、高度に専門的な企業間で締結されたライセンス契約や合弁契約において、裁判所が安易に第36条を発動して法的安定性を覆すことは稀です。しかし、予測不能な経済的激変などの特殊な状況下で、自社の優越的地位を利用して相手方に一方的な不利益を押し付けるような条項を無批判に行使した場合、フィンランドの裁判所によってその合意自体が書き換えられるという致命的なリスクが存在します。したがって、日本の感覚で「契約書にサインさせたから絶対的だ」と過信することは、組織秩序に対する重大な脅威となり得ます。
フィンランド契約成立の方式要件に関する日本法との異同

口頭契約の法的有効性と実務上の証明リスク
フィンランド契約法の第1章において、契約は一方の「申込み」と他方の「承諾」という意思表示の合致によって成立すると規定されています。法律に特別な明文の規定がない限り、当事者の合意は書面による必要はなく、口頭での合意であっても法的な拘束力を持ちます。この「方式の自由」は日本の民法と共通するルールです。
しかし、実際のビジネス環境において口頭契約に依存することは、紛争発生時の立証責任の観点から極めて危険です。言った言わないの争いになった場合、自らの主張を裏付ける証拠が乏しければ、権利を実現することは不可能です。そのため、フィンランドの法務専門家は、いかに短期的で軽微な取引であっても、後日の予期せぬ法的トラブルを回避するために、必ず書面または電子データによる契約書を作成し、合意内容を明確化することを強く推奨しています。
不動産取引における公証人の関与と絶対的要件
方式の自由が原則とされるフィンランド契約法制において、日本企業が進出の際に最も注意を払うべき重大な例外が、不動産の売買契約における極めて厳格な方式要件です。事業所や工場の設立のためにフィンランド国内の不動産を直接取得する場合、日本の不動産取引実務の感覚を適用することは許されません。
フィンランド不動産法典(Code of Real Estate,540/1995)第2章第1条は、不動産の譲渡に関する契約は必ず書面で締結されなければならないと明記しています。さらに、譲渡の意思、対象不動産、売主と買主の特定、および売買代金という必須要件を記載した書面に対し、売主と買主が署名するだけでなく、すべての署名者が同席する場で公証人がその署名と意思を法的に証明しなければならないという厳格な義務が課されています。
| 比較項目 | フィンランドの不動産売買契約要件 | 日本の不動産売買契約要件 |
| 契約の成立要件 | 書面の作成が必須(不動産法典第2章第1条)。 | 当事者の意思の合致のみで成立(書面は法的な有効要件ではない)。 |
| 第三者の関与の必要性 | 公証人の立会と証明が契約自体の有効要件。 | 司法書士は主に第三者対抗要件である「登記」の手続きを代理する。 |
| 方式違背の法的効果 | 法的拘束力を生じない(無効)。 | 契約自体は有効だが、登記がなければ第三者に対抗できない。 |
| 二重価格の禁止規定 | 契約書面上の価格を超える代金の請求権は法律上無効となる。 | 税務上の問題は生じるが、当事者間の合意自体の効力は直ちに否定されない。 |
この比較から明らかなように、日本では契約自体は当事者間の合意で成立し、司法書士の役割は主に権利保護のための登記手続きに留まるのに対し、フィンランドでは公証人の関与が契約の有効性を根底から左右する絶対的な成立要件となっています。公証人の手続きを欠いた合意はいかなる法的効力も持ちません。また、税務逃れを防ぐため、実際の取引価格が契約書に記載された価格を上回る二重契約を結んだ場合、売主はその超過額を法的に請求する権利を完全に失うという規定も存在します。これらの要件を見落とすことは、数億円規模の投資が法的に保護されないという壊滅的なリスクに直結します。
フィンランドの契約交渉段階における高度な情報開示義務と判例
交渉段階からの信義誠実の原則の適用
フィンランドの契約法実務が日本の常識と大きく異なるもう一つのポイントは、信義誠実の原則に基づく「忠実義務」が、契約締結後の履行段階のみならず、契約に向けた事前の交渉段階からすでに強力な法的拘束力を持って当事者を縛っているという事実です。
自社の利益を最大化するための交渉を行うことはビジネスとして当然ですが、フィンランドの法律下では、相手方が当該取引に関して重大な誤認をしていることを察知した場合や、取引の根幹に影響を与える専門的なリスク要因を把握している場合には、自発的にその情報を相手方に開示して不利益を未然に防ぐ積極的な義務が課せられます。この義務に違反した場合、契約が成立する前であっても損害賠償責任を負うことになります(契約締結上の過失)。
情報提供義務違反を認定したフィンランド最高裁判所の判例
この契約交渉段階における情報開示義務の厳しさを明確に示した画期的な判例として、フィンランド最高裁判所が1993年10月14日に下した判決(事件番号KKO 1993:130、当事者:Hangon kaupunki対Vesto Oy及びVesi-Pekka Oy)が存在します。この事案は、発注者であるハンコ市(Hangon kaupunki)と、豊富な専門実績を持つ請負業者の建設会社(Vesto Oy及びVesi-Pekka Oy)との間で進行していた深海埠頭の建設請負契約の交渉に端を発します。
契約締結に向けた交渉の過程で、発注者である市は本来の建設計画に対して独自の設計変更を提案しました。しかし、請負業者は自らの高度な専門的見地から、その設計変更をそのまま採用すれば、結果として建設される埠頭が当初意図された目的や安全性の基準を満たさなくなることを事前に明確に認識していました。それにもかかわらず、請負業者はその致命的な欠陥を発注者に指摘・警告することなく沈黙を保ち、そのままの条件で総額2170万マルカに及ぶ大規模な一括請負契約に合意し、工事を進めてしまいました。完成後、当然のごとく建築物に不具合が発生し、市は請負業者に対して莫大な損害賠償を求める訴訟を提起しました。
フィンランド最高裁判所は、専門業者としての請負業者が有する知識と、交渉段階における信義誠実の原則を極めて重視しました。裁判所は、請負業者が発注者の計画の誤りを認識しながらそれを速やかに指摘しなかった不作為を、明確かつ重大な情報提供義務違反であると認定しました。その結果、請負業者は自らの沈黙と怠慢によって発注者に生じた損害を全面的に賠償する法的責任を負うこととなりました。
この判決に関する公式な情報は、フィンランド司法省が運営する公式データベースFinlexで確認することができます。
これらの厳格な司法判断から、フィンランドのビジネス環境においては「契約書に書いていないから言わなかった」「相手が自らの責任で気づくべきだった」という形式的な自己防衛は法廷において一切通用しないということが言えるでしょう。取引相手に対する誠実な助言と透明性の高いコミュニケーションが、法的要請として強く求められているのです。
フィンランドの消費者保護と労働関係における強力な強行規定

消費者保護法による不当条項の徹底排除
企業間取引においては契約の自由が一定程度尊重されるフィンランドですが、企業が一般の消費者向けに商品やサービスを提供するBtoCビジネスを展開する場合、状況は一変します。フィンランドの消費者保護法(Consumer Protection Act,38/1978)は、EUの厳格な消費者保護指令と完全に調和しており、その大部分が当事者の合意によっても変更できない「強行規定」として構成されています。
同法第3章第1条は、商品やサービスの価格等の事情を総合的に考慮した上で、消費者にとって不当とみなされる契約条項を事業者が使用することを明確に禁止しています。さらに第4章の規定により、事業者が用意した定型的な約款や利用規約の中に著しく不均衡な条項が存在した場合、その条項は裁判所によって消費者に有利な形に調整されるか、あるいは完全に無効とされます。また、規約の文言が曖昧である場合には、いかなる状況下でも常に消費者に最も有利な解釈が採用されるという厳格なルールが存在します。
事業者の情報開示義務を問う消費者契約の判例
消費者ビジネスにおいて、商品自体の品質だけでなく、消費者の経済的利益に関わる付随的な情報提供がいかに重要かを示したのが、フィンランド最高裁判所の2008年10月9日の判決(事件番号KKO 2008:91、当事者:A及びB対株式会社)です。事案の概要として、消費者であるAとBは、自宅の壁紙の張り替えなどの修繕工事を行うために、ある株式会社とサービス契約を締結しました。フィンランドの税制では、消費者が自宅の修繕を専門業者に依頼した場合、一定の条件を満たせば税額控除(家事控除)を受けることができる制度があります。しかし、この控除を適法に受けるためには、工事を請け負う業者が税務当局の「前払登録簿(prepayment register)」に正式に登録されていることが必須要件でした。
契約締結の際、この税制上の要件や業者の登録状況に関する話題は一切出ず、業者からも何らの事前説明も行われませんでした。消費者は工事完了後に税務申告を行いましたが、業者が未登録であったことを理由に税務当局から控除の適用を否認されました。これに納得できない消費者は、業者が重要な情報開示を怠ったことで経済的損害を被ったとして訴訟を起こしました。最高裁判所は、消費者保護と信義誠実の原則の観点から、事業者は消費者が当然に期待するであろう税制上の利益に直結する重要な事実(自らが登録簿に記載されていないという事実)について、契約締結前に自発的かつ明確に情報を提供する義務があったと断じました。その結果、義務違反を犯した事業者に対し、消費者が本来受けられるはずであった家事控除相当額の賠償を命じました。
この判決に関する公式な情報は、Finlexで確認することができます。
この判例から、フィンランドでBtoCビジネスを展開する外資系企業は、自社のサービスが消費者の法的・税務的権利に与える影響までを完全に把握し、不利益をもたらす可能性のある事項はすべて事前に開示しなければならないということが言えるでしょう。
労働契約法における無期雇用の原則とコンプライアンス
消費者保護と並んで、契約の自由が著しく制限されるもう一つの領域が労働関係です。フィンランドの労働契約法(Employment Contracts Act,55/2001)は、労働者保護を目的とした強力な強行規定の集合体であり、労働者に不利な条件を合意によって定めることは一切許されません。日本企業が現地法人を設立し、スタッフを雇用する際に特に直面しやすい法的障壁が、有期雇用契約に関する極めて厳格な規制です。
日本の労働契約法下では、有期労働契約は一定の期間(原則5年)の反復更新を経た後に無期転換権が発生するという緩やかな規制枠組みが取られていますが、フィンランド労働契約法第1章第3条の規定はこれとは根本的に異なります。フィンランドでは、雇用契約は最初から「無期契約(期限の定めのない契約)」であることが絶対的な原則とされています。
| 比較項目 | フィンランドの労働契約規制 | 日本の労働契約規制 |
| 有期雇用の原則 | 原則禁止。無期契約が基本原則。 | 当初からの有期雇用契約の締結は広く認められている。 |
| 有期契約の締結条件 | 代替要員の確保など、法律上の「正当な理由」が必須要件。 | 締結自体に特段の法的な理由付けは要求されない。 |
| 違法な有期契約の効果 | 正当な理由のない有期契約は、自動的に無期契約とみなされる。 | 更新上限の規制違反や雇止め法理の適用により保護される。 |
| 団体協約の効力 | 産業別の団体協約が強い拘束力を持ち、非組合員にも適用される(一般的拘束力)。 | 企業別の労働組合が中心であり、協約は組合員に適用されるのが原則。 |
フィンランドにおいて、使用者が労働者と有期雇用契約を締結するためには、正当な理由が存在しなければなりません。これに反して正当な理由なく締結された有期契約は、法律上自動的に無期契約として扱われます。さらに、フィンランドは労働組合の組織率と政治的影響力が非常に強大な国であり、各産業分野における労働組合と使用者団体の間で締結された団体協約が、個別の雇用契約に優先して適用されます。これに違反する労働条件の設定は直ちに無効となるため、日本本社の人事制度をそのままフィンランドの現地法人に適用することは、多大な労使紛争のリスクを招く結果となります。
まとめ
ここまで解説してきた通り、フィンランドの契約法は、契約の自由というビジネスの普遍的な大原則を維持しつつも、信義誠実の原則を通じた高度な情報開示義務の要求、不当条項に対する裁判所の事後的な介入、そして不動産取引などの特定の領域における極めて厳格な方式要件の義務付けなど、日本法とは大きく異なる独自の法的枠組みを有しています。さらに、消費者や労働者といった当事者を保護するための強行規定は、外資系企業に対しても容赦なく適用され、契約書面の文言以上に、現地の法解釈の動向に沿った実務対応が強く求められます。
日本企業がフィンランドの先進的な市場環境において持続可能かつ安全なビジネスを展開し、組織秩序への悪影響を未然に防止するためには、「日本の常識は通用しない」という前提に立ち、契約交渉の初期段階から現地の法規制を精緻に組み込んだリスクマネジメント体制を構築することが不可欠です。契約書の表面的な翻訳や定型フォーマットの使い回しでは、予測不可能な法的トラブルや巨額の損害賠償請求を防ぐことはできません。モノリス法律事務所では、高度に専門化する国際的な法規制環境下において、日本国内での豊富な企業法務の実績と緻密なリーガルリサーチの知見を活かし、海外市場への展開を見据えた企業に対する包括的な法的サポートを提供いたします。フィンランドにおける安全な契約スキームの構築や、コンプライアンス要件に適合した事業展開の戦略立案に関して、皆様のビジネスを力強くサポートいたします。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務

































