スウェーデンのNasdaq ストックホルムと上場基準を弁護士が解説

Nasdaq ストックホルムは、スウェーデンの首都ストックホルムに本拠を置く証券取引所で、米国のNasdaq, Inc.のグループ企業であるNasdaq Nordicの一部として運営されています。同市場は、欧州連合(EU)の統一的な法規制に準拠しつつ、独自の柔軟な制度を持つことで知られており、特に成長企業にとって、独自のメリットを提供しています。
本記事では、Nasdaq ストックホルムの歴史と概要、ニューヨークのNASDAQとの関係性、同市場を支える法的・規制の枠組み、詳細な上場基準について解説します。
この記事の目次
スウェーデンNasdaq ストックホルムの概要と歴史的背景
歴史と現在の立ち位置
Nasdaq ストックホルムは、1863年に設立されたストックホルム証券取引所(Stockholmsbörsen)を起源としています。同取引所は、1998年に先物取引所OMに買収され、そのOMは2003年にヘルシンキ証券取引所と合併し、OMXを形成しました。このOMXが2008年、米国のNasdaq, Inc.によって買収され、現在に至るまで、同社のグループ企業であるNasdaq Nordicの一部として運営されています。
Nasdaq ストックホルムは、スウェーデンという一つの国内での市場統合を経て、北欧・バルト諸国市場という広範な地域ハブへ成長し、最終的にグローバルな金融テクノロジー・プラットフォームに組み込まれていった、ということになります。この歴史的経緯からも、同市場への上場は、スウェーデンの国内市場に留まらず、より広範な投資家層や資本市場へのアクセスを意味すると言えるでしょう。2021年3月時点で、Nasdaq ストックホルムには832社が上場しており、そのうち後述するメイン・マーケットに385社、セカンダリー市場であるNasdaq First NorthやFirst North Premierに447社が名を連ねています。
ニューヨークのNASDAQとの関係性
Nasdaq ストックホルムは、Nasdaq, Inc.の直接の子会社であり、米国に本拠を置くニューヨークのNASDAQと親子関係にあります。両者は、Nasdaq Nordicという共通のサービスプラットフォームとブランドを共有し、テクノロジーと情報面で密接に連携しています。しかし、Nasdaq ストックホルムは、スウェーデン証券市場法(lag (2007:528) om värdepappersmarknaden)や欧州の各種指令・規則といった、独自の法的枠組みの下で自律的に運営されています。
この関係性から、Nasdaq ストックホルムを「ニューヨークのNASDAQの支店」と捉えるのは正確ではありません。共通の技術基盤とブランド力を持つ一方で、スウェーデンおよびEUの法規制に準拠する独自の市場として機能しています。
スウェーデンの資本市場を支える法的枠組み
主要な法律と監督機関
スウェーデンの証券市場は、スウェーデン証券市場法(lag (2007:528) om värdepappersmarknaden)を法的根拠としています。同法は、証券取引所に対し、公正で秩序ある、かつ効率的な取引のための明確かつ透明なルールを持つことを義務付けています。
この法律を監督する主幹官庁は、スウェーデン金融監督庁(Finansinspektionen:FI)です。FIは、市場の健全性を確保するため、Nasdaq ストックホルムを含む各種金融機関の運営を監督する広範な権限を有しています。また、EU加盟国として、スウェーデンの資本市場は、EUの各種規則が直接適用されるという特徴を持ちます。例えば、市場の公正性と透明性を高めるための市場濫用規則(Market Abuse Regulation:MAR)や、金融商品の取引ルールを定める金融商品市場指令(MiFID II)といったEU法に準拠する必要があります。
「コンプライ・オア・エクスプレイン」原則と日本法との違い
スウェーデンでは、国家による法律と監督庁の監督に加え、業界団体による自主規制が資本市場の重要な柱となっています。その代表が、上場企業に適用されるスウェーデン企業統治規範(Swedish Corporate Governance Code)です。この規範は、スウェーデン証券市場法を補完し、企業統治のより高い水準を定めています。
この規範の最も重要な特徴であり、日本法との決定的な違いの一つが、その核心にある「コンプライ・オア・エクスプレイン(Comply or Explain)」原則です。この原則は、上場企業が規範の全てのルールを遵守することを義務付けるものではありません。特定のルールを遵守しないと判断した場合、企業はその理由を明確かつ論理的に説明し、公開することが求められます。
この原則は、日本のコーポレートガバナンス・コードにも見られますが、スウェーデンでは、「なぜ遵守しないのか」という説明責任が市場(投資家)からの評価に直接結びつく文化が根付いています。この企業統治に対する姿勢は、日本企業がスウェーデン市場で成功するために不可欠な理解と言えるでしょう。
スウェーデンNasdaq ストックホルムへの上場基準

メイン・マーケット(Main Market)
Nasdaq ストックホルムのメイン・マーケットは、スウェーデンおよびEUの規制に基づき上場基準が定められています。主な要件は以下の通りです。
定量的要件
- 時価総額:上場前に、発行済株式の合計時価総額が100万ユーロ以上であることが求められます。
- 株主数と流通株式:株式クラスの25%が公衆の手に渡っているか、または、株式クラスの10%が公衆の手に渡っており、かつその価値が5,000万SEK(約495.5万米ドル)以上であることが「十分に分散している」と見なされます。また、500人以上の株主がそれぞれ500ユーロ以上の株式を保有することも要件となります。
- 財務履歴:原則として、直近3期分の監査済み年次財務諸表を開示している必要があります。
- 運転資金:上場後少なくとも12ヶ月間、計画された事業運営に十分な運転資金があることを証明しなければなりません。
定性的要件と手続
- 経営陣と取締役会:企業を管理し、上場企業としての義務を遵守するのに必要な能力と経験を持つ取締役会が構成されていることが求められます。
- 目論見書:EU目論見書規則(Regulation (EU) 2017/1129)に準拠した目論見書を作成し、スウェーデン金融監督庁(FI)の承認を得る必要があります。目論見書は原則としてスウェーデン語または英語で作成することが可能です。
ファースト・ノース・グロース・マーケット(First North Growth Market)
Nasdaq ストックホルムには、メイン・マーケットに加えて、成長企業や中小企業を主な対象とするファースト・ノース・グロース・マーケット(First North Growth Market)という代替市場が存在します。この市場は、金融商品市場指令(MiFID II)に基づく「マルチラテラル・トレーディング・ファシリティ(MTF)」として分類され、メイン・マーケットに比べて要件が緩やかです。
この市場の最も特徴的な制度が、認定アドバイザー制度(Certified Adviser)です。First Northに上場する企業は、上場期間中を通じて認定アドバイザーを雇用し続けることが義務付けられています。このアドバイザーは、企業が市場のルールブックを遵守しているかを継続的に監視し、市場の透明性と投資家保護を担保する役割を担います。この制度は、上場審査時だけでなく、上場後も専門家が伴走者として企業のコンプライアンスを支援するという点で、日本の主幹事証券会社の役割とは大きく異なります。
また、ファースト・ノース・グロース・マーケットには、より高い水準の開示と企業統治を目指す企業向けの「プレミア・セグメント(First North Premier Growth Market)」が設けられています。このセグメントは、メイン・マーケットへの「踏み石(stepping stone)」として位置付けられており、より厳格な基準を満たすことで、投資家からの信頼を向上させる「品質保証(Quality Stamp)」の役割を果たします。プレミア・セグメントに上場する企業は、標準のFirst Northルールよりも高い上場要件に準拠します。具体的には、財務諸表をIFRSに準拠させて作成し、上場前に少なくとも1つの監査人によるレビュー済みの財務報告書(四半期報告書や年次報告書など)を公表することが求められます。さらに、メイン・マーケットと同一の開示要件に従う義務があります。
スウェーデンNasdaq ストックホルムと日本市場(東証)との比較
基本的な構造として、Nasdaq ストックホルムのメイン・マーケットは東証のプライム市場に、ファースト・ノース・グロース・マーケットはグロース市場に相当する市場ですが、東証が株主数や収益性といった「実績」や「規模」を厳格な定量基準として重視する傾向が強いのに対し、Nasdaq ストックホルムは数値的な閾値が低いという傾向にあり、「事業の将来性」や「ガバナンスの健全性」といった定性的な側面を重視していることがうかがえます。
項目 | Nasdaq ストックホルム (メイン・マーケット) | 東証プライム市場 | Nasdaq ファースト・ノース・グロース・マーケット | 東証グロース市場 |
時価総額 | ≥ 100万ユーロ(上場前) | ≥ 250億円(上場時見込み) | 基準なし | 基準なし |
事業継続年数 | 3年以上(監査済み財務諸表) | 3年以上 | 基準なし | 1年以上 |
株主数 | 500人以上 | 800人以上 | 基準なし | 150人以上 |
流通株式時価総額 | ≥ 5億SEK(または25%以上) | ≥ 100億円 | 基準なし(流通株式比率が重要) | ≥ 5億円 |
流通株式比率 | 25%または10%かつ時価総額5,000万SEK以上 | 35%以上 | 10%以上 | 25%以上 |
純資産 | 基準なし | ≥ 50億円 | 基準なし | 正数 |
利益 | 収益性を示す財務諸表 | 直近2期合計≥ 25億円 | 基準なし | 基準なし |
特筆すべき制度 | EU目論見書承認、FI監督、自主規制 | 主幹事証券会社による審査 | 認定アドバイザー必須、目論見書免除の可能性 | 事業計画の開示義務 |
実務上の違いとしては、スウェーデンでは特にファースト・ノース・グロース・マーケットにおいて、上場後も「認定アドバイザー」が企業のコンプライアンス維持に継続的に関与する点が挙げられます。スウェーデンの認定アドバイザーは、上場後の負担やリスク管理の観点から、長期的な関係性を持つ伴走者としての役割を担っていると言えるでしょう。
スウェーデンの上場企業と関連判例の分析
主な上場企業と業種動向
Nasdaq ストックホルムには、世界的に有名な企業が多数上場しています。例えば、製薬大手のアストラゼネカ(AstraZeneca)、産業技術のABB、自動車のボルボ(Volvo)やボルボ・カーズ、ファッションブランドのH&M、通信機器のエリクソン(Ericsson)などが挙げられます。これらの企業は、Nasdaq ストックホルムが単なる北欧の市場ではなく、グローバルな主要企業を誘致する能力を持つ、信頼性の高い市場であることを示しています。
一方で、現状では日本の企業の直接上場は確認できません。これは、日本の企業が欧州での上場を検討する際に、より知名度の高いニューヨーク(米国預託証券、ADR上場など)を主な選択肢とする傾向が強いことによるものでしょう。
証券市場に関連する裁判例と規制当局の対応
スウェーデンの資本市場の健全性は、規制当局の厳格な監督によって支えられています。その具体例として、スウェーデン金融監督庁(FI)が2024年6月19日に、Nasdaq ストックホルム自体に対して、不適切な取引監視を理由に1億スウェーデンクローナ(約13.5億円)の行政罰金を科した事例があります。この行政罰金は、Nasdaq ストックホルムが2021年から2022年にかけて、疑わしいインサイダー取引の監視と報告義務を怠ったことによるものです。監督当局が取引所の運営者に対してすら厳格な監督権限を行使しており、市場全体の健全性に対する強いコミットメントがあることを示す事例だと言えるでしょう。
また、市場操作(market manipulation)に関する裁判例も存在します。スベア控訴裁判所(Svea hovrätt)が2021年12月23日に下した判決(事件番号B 4123-20)は、個人投資家による特定の取引が市場操作に該当するとして、行政罰金処分を支持しました。この判決は、たとえ小規模な取引であっても、それが市場に価格や需要に関する誤ったシグナルを送る意図で行われた場合、市場操作として厳しく判断され得ることを示すものだと言えます。
まとめ
スウェーデンの資本市場は、EU法に基づく強固な法的枠組みと、業界主導の柔軟な自主規制を巧みに組み合わせた、独特のシステムを持っています。特に、日本市場とは異なる「コンプライ・オア・エクスプレイン」原則や「認定アドバイザー」制度は、形式的な遵守に留まらない企業統治を求める文化を反映しています。
スウェーデンへの上場は、欧州市場への足掛かりとして機能するだけでなく、厳格かつ透明性の高い市場環境と、企業の成長段階に合わせた柔軟な上場パス(First NorthからMain Marketへ)を提供していると言えるでしょう。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務