オーストリアの会社法が定める会社形態と会社設立

オーストリア(正式名称、オーストリア共和国)でのビジネス展開を検討する日本人にとって、現地の法人設立プロセスは、日本の法体系との違いから複雑に感じられるかもしれません。特に重要なのが、会社の法的な存在を確立する「商業登記簿(Firmenbuch)」への登録と、事業活動を開始するための「事業ライセンス(Gewerbeberechtigung)」の取得という、二つの独立した法的手続きから構成されている点です。
本記事では、この二段階のプロセスと、その背景にあるオーストリアの法思想を深く掘り下げて解説します。また、日本の読者が特に知るべき、有限会社(GmbH)と株式会社(AG)という主要な会社形態の特徴、そしてそれぞれに求められる「二つの業務執行者」の役割についても詳細にご紹介します。この記事を通じて、貴社がオーストリアでの事業展開を円滑に進めるための実践的な知見と、法的リスクを管理する上での重要な視点を提供することを目指します。
この記事の目次
オーストリアの会社形態
個人事業・人的会社・資本会社
オーストリアの法人法は、個人事業、人的会社、そして資本会社という三つの主要なカテゴリーに大別されます。このうち、日本の法体系と最も親和性が高く、実際に多くの投資家が選択するのが、資本会社に分類される有限会社(Gesellschaft mit beschränkter Haftung, GmbH)と株式会社(Aktiengesellschaft, AG)です。これらの会社形態は、その事業規模や目的によって明確な違いがあり、日本の経営者や法務部員が適切な選択を行う上での鍵となります。
有限会社法の定める有限会社(GmbH)
有限会社(GmbH)は、オーストリアで最も普及している資本会社形態であり、その法的根拠は有限会社法(GmbH-Gesetz, GmbHG)に定められています。GmbHの最大の利点は、比較的安価な設立費用とシンプルな手続きにあります。最低資本金は10,000ユーロと規定されており、会社設立時にはそのうち少なくとも5,000ユーロを現金で払い込む必要があります。近年の法改正により、GmbHの設立手続きはさらに簡素化されました。特に、単一の創業者である自然人が、唯一の業務執行取締役を兼任する一人GmbHの場合、公証人認証を必要としない簡略化された手続きが可能です。また、複数の株主による設立においても、ビデオ会議システムを利用した「遠隔公証人認証(Fern-Notariatsakt)」が導入されており、物理的な制約を越えて手続きを進めることができるようになりました。
会社法の定める株式会社(AG)
一方、株式会社(AG)は、より大規模な事業運営や、株式市場への上場を視野に入れた法人形態です。その法的根拠は会社法(Aktiengesetz, AktG)に定められています。AGの設立には、最低70,000ユーロという多額の資本金が必要であり、設立時にその最低4分の1にあたる17,500ユーロの払込みが求められます。AGは、所有と経営の分離が厳格であり、業務執行を担う「取締役会(Vorstand)」と、その監督を担う「監査役会(Aufsichtsrat)」から成る、二層構造のガバナンスが義務付けられています。これにより、株主の保護と経営の透明性が高められますが、その分、設立と運営にかかる手間とコストはGmbHよりも大きくなります。
有限会社と株式会社の比較
日本の読者にとって、これらの会社形態を選択する上では、事業の性質、将来の成長戦略、そして資金調達の計画を総合的に考慮することが重要です。特に、日本の株式会社(最低資本金1円)と比較した場合、オーストリアのAGの最低資本金の高さは、事業開始の初期段階における大きな障壁となり得ることを示しています。以下に、GmbHとAGの主要な違いを比較した表を示します。
有限会社(GmbH) | 株式会社(AG) | |
---|---|---|
法的根拠 | 有限会社法(GmbHG) | 株式法(AktG) |
最低資本金 | 10,000ユーロ | 70,000ユーロ |
設立手続き | 比較的簡易(公証人認証必須、一部簡易設立可能) | 複雑(公証人認証必須) |
機関設計 | 業務執行取締役(Geschäftsführer) | 取締役会(Vorstand)と監査役会(Aufsichtsrat) |
株式・持分の譲渡 | 公証人認証を要し、比較的困難 | 株式の発行・譲渡が容易 |
会計監査 | 特定の条件で義務 | 常に義務 |
主な用途 | 中小企業、新興企業、グループ子会社 | 大規模企業、上場企業、公的機関 |
オーストリアの法人設立手続における二段階プロセス

商業登記簿(Firmenbuch)への登録
オーストリアでの法人設立は、日本の法体系と異なる二つの独立したプロセスから構成されます。第一段階は「商業登記簿(Firmenbuch)への登録」、第二段階は「事業ライセンス(Gewerbeberechtigung)の取得」です。この二段階構造を理解することが、オーストリアでのビジネスを法的に適正に開始するための不可欠な前提となります。
商業登記簿(Firmenbuch)は、オーストリア連邦最高裁判所(OGH)によって管理される公的な登録簿です。有限会社や株式会社は、この商業登記簿に登録されることで、日本の会社設立登記と同様に、初めて法的な人格(Rechtspersönlichkeit)を付与されます。この登録簿には、会社の商号、所在地、事業目的、資本金の額、そして業務執行者の氏名などが公示されます。申請には、公証人による認証を受けた定款(Gesellschaftsvertrag)や、業務執行取締役の署名証明書、銀行による払込資本金の証明書など、厳格な形式要件を満たす書類の提出が求められます。商業登記は会社の法的存在を公示する機能を持つ一方で、後述する判例が示すように、この登記上の情報がその人物の実際の責任を完全に免除するわけではありません。これは、登記が善意の第三者を保護することを主目的とし、その背後にある実態を重視するオーストリアの法思想を反映しています。
事業ライセンス(Gewerbeberechtigung)の取得
商業登記が完了しただけでは、多くの場合、事業活動を直ちに開始することはできません。オーストリアの商法(Gewerbeordnung 1994, GewO 1994)に基づき、ほとんどの事業活動には、別途、商法上の事業ライセンス(Gewerbeberechtigung)の取得が義務付けられています。このライセンスは、会社の法人格とは独立した、事業そのものに対する許可であり、事業の性質に応じて「自由営業(Freie Gewerbe)」と「規制営業(Reglementierte Gewerbe)」に分類されます。自由営業は、特別な専門知識や資格を必要としない事業であり、所定の要件を満たせば届出によってライセンスが取得可能です。一方、規制営業は、建築、電気工事、不動産仲介、金融サービスなど、消費者や公衆の安全に関わる専門性が要求される事業であり、厳格な資格証明(Befähigungsnachweis)が必須となります。
この二段階構造は、商業法が会社の「法人格」という法的存在を規定するのに対し、商法が「事業活動」という経済活動を規制するという、オーストリア特有の二重の法体系を象徴しています。これは、特に専門性が要求される分野において、行政が事業遂行能力を厳格に審査し、消費者や取引の安全を保護しようとする強い思想から来ていると言えるでしょう。
オーストリア法人における二つの「業務執行者」
商業法上の業務執行取締役(Handelsrechtlicher Geschäftsführer)
オーストリアの法人設立において、日本人にとって最も馴染みのない概念が、異なる役割を担う二つの「業務執行者」の存在です。商業登記簿上の業務執行取締役(Handelsrechtlicher Geschäftsführer)と、商法上の事業許可責任者(Gewerberechtlicher Geschäftsführer)の区別を正確に理解することは、オーストリアでの事業運営における法的リスクを管理する上で不可欠です。
商業法上の業務執行取締役(Handelsrechtlicher Geschäftsführer)は、会社の日常的な経営を担い、対外的な代表権を持つ人物です。その役割は日本の代表取締役と類似しています。この人物は、有限会社法または会社法に基づき、会社に対して忠実義務を負い、その職務の遂行に細心の注意を払うことが求められます。過失によって会社に損害を与えた場合、多額の賠償責任を負う可能性があるだけでなく、資本維持義務の違反や、会社が支払不能または債務超過に陥った際の倒産手続きの遅延など、広範な法的責任を問われる可能性があります。
商法上の事業許可責任者(Gewerberechtlicher Geschäftsführer)
一方、商法上の事業許可責任者(Gewerberechtlicher Geschäftsführer)は、商業登記とは独立して、事業ライセンス(Gewerbeberechtigung)を取得・維持するために商法上の要件を満たす責任者です。この人物は、事業を遂行するための商法上の資格を証明する役割を担います。規制営業の場合、その事業に必要な専門資格や経験を証明する「資格証明(Befähigungsnachweis)」が必須となります。また、この役割を業務執行取締役と別の人物が担う場合、その人物は週間の通常労働時間の半分以上をその事業に費やす被雇用者として登録される必要があります。さらに、事業許可責任者は、会社の業務執行取締役から、事業ライセンスに関連する業務を自己責任で遂行する権限を付与される必要があります。
二つの業務執行者の関係
この二つの業務執行者の存在は、オーストリアの法制度における重要な特徴です。商業法上の業務執行取締役は、会社の「法的・経済的」な全体責任を負い、事業許可責任者は「商法上の規制遵守」という特定の専門的責任を負うという関係性です。これらの役割は同一人物が兼任することも可能ですが、多くのケースで、事業の経営者(投資家)が必ずしもその事業の技術的な専門家である必要はないという柔軟な法制度を反映して、役割分担がなされています。同時に、これは、特定の専門業務における消費者保護や安全性を確保するため、実務に精通した責任者の存在を行政が厳格に要求していることを示唆しています。
オーストリア会社法の主要な最高裁判例
オーストリアの会社法は、条文の規定だけでなく、連邦最高裁判所(OGH)の判例によってもその解釈が深化し、実務上の規範が形成されています。ここでは、日本の読者が特に知るべき、オーストリアの司法が持つ特有の法思想を浮き彫りにする重要な判例をいくつか紹介します。
法人格の形式に関する実態的判断
まず、有限会社(GmbH)の資本保護原則の類推適用に関する判例です。OGHは、2008年5月29日の判決(2 Ob 225/07p)において、無限責任社員である自然人が存在しない「GmbH & Co KG」(GmbHが唯一の無限責任社員となる人的会社)について、その実質が資本会社と変わらないとして、有限会社法上の厳格な資本保護原則を類推適用すると判断しました。この判断は、法人格の形式(人的会社)にとらわれず、その実質(債権者に対する無責任体制)に着目して法を適用する、という姿勢によるものです。こうした判例法理により、実質的な経営実態によって、予期せぬ法的義務や責任を負う可能性があると言えます。
役員登記の機能
次に、業務執行取締役の退任と刑事責任に関する判例です。2014年3月6日の判決(12 Os 156/13b)において、OGHは、退任を表明したものの、商業登記簿上の変更を行わないまま引き続き会社の業務に関与した元業務執行取締役が、その後の会社の行為について刑事責任を問われた事案について判断を下しました。この判決は、業務執行取締役の退任の効力自体は会社に対する意思表示によって発生するものの、その人物が「あたかも業務執行者であるかのように」振る舞った場合、その行為に対して責任を負う可能性を示しました。これは、商業登記簿が第三者の保護を目的とする「公示」機能に留まり、その人物の実際の行為に対する責任を免除するものではないことを意味します。
まとめ
オーストリアでの法人設立は、日本の会社設立とは異なり、商業登記簿への登録による「法人格の取得」と、事業ライセンスの取得による「事業活動の許可」という、二つの独立した法的プロセスが存在します。この構造は、商業法が会社の法的存在を、商法が事業そのものをそれぞれ独立して規律するというオーストリア法体系の根幹をなすものです。この二つのプロセスは、実務上、「商業法上の業務執行取締役」と「商法上の事業許可責任者」という二つの異なる役割を担う人物の存在によって機能しています。日本の経営者や法務担当者は、これらの二つの役割の区別と、それに伴う責任の所在を正確に理解することが不可欠です。
このように複雑で多岐にわたる法的手続きは、オーストリアの法制度に精通した専門家によるサポートなくして円滑に進めることは極めて困難です。当事務所は、オーストリア法に関する深い知見と、最新の法令・判例動向に基づいた助言を通じて、貴社のオーストリアでの事業展開を包括的にサポートします。定款作成から商業登記、事業ライセンスの取得、そして複雑なガバナンス設計に至るまで、貴社が法的リスクを最小限に抑え、スムーズに事業を開始できるよう尽力いたします。貴社の成功に向けて、まずは当事務所にご相談ください。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務