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ギリシャでの契約書作成時に問題となる民法・契約法

ギリシャでの契約書作成時に問題となる民法・契約法

現地の法制度、特に契約法への理解は、現地での契約書作成や交渉等の場面で不可欠です。ギリシャの民法は、日本の民法と同様に大陸法系の法体系に属し、当事者間の自由な意思に基づく合意を重視するという共通の土台を持っています。しかし、その根底には、日本法とは一線を画す「信義誠実(καλή πίστη)」の原則が深く根差しており、この原則が契約の安定性や予測可能性に大きな影響を及ぼします。

英米法のように契約書に記載された文言が絶対視される傾向があるのとは対照的に、ギリシャ法では、契約の交渉から履行に至るまで、裁判官が「信義誠実」原則に基づいて不均衡な契約を修正する強い権限を持ちます。この点は、日本企業がギリシャで契約を締結する際に最も注意すべきポイントと言えるでしょう。

本稿では、ギリシャ法における「信義誠実」原則の法的根拠と実務上の影響を、日本法との比較を通じて詳細に解説し、契約上の潜在的リスクを回避するための具体的な留意点を提供します。

ギリシャ民法典の全体像

ギリシャの私法は、主にギリシャ民法典(Astikos Kodikas)に規定されています。この法典は、長きにわたるギリシャ・ビザンツ法の伝統と、国外、特にドイツ民法典の影響を受けて、1946年に制定されました。この歴史的背景は、日本の民法がドイツ民法を範として作成された経緯と共通しており、両国法が「私的自治の原則」や「契約自由の原則」といった概念を共有する基盤を形成しています。

ギリシャ民法典は、総則、契約法、物権法、家族法、相続法の五つの「編」(books)から構成されています。日本の民法典も同様に、総則、物権、債権、親族、相続という構成を取っており、この体系的な類似性は、日本法の知識を持つ専門家にとって、ギリシャ法の理解を容易にする側面があります。例えば、契約は原則として特別な形式を必要としない「契約の自由」が認められており、口頭契約も有効とされています。

しかし、同じ大陸法系の共通のルーツを持ちながらも、両国法における思想的な違いは、特に「信義誠実」原則の運用において顕著に表れます。ギリシャの法概念は、古代ギリシャ・ローマ時代から続く「公正性」や「公平性」という価値観が法に深く組み込まれていると考えられます。この思想的な背景が、日本の信義則が主に権利の濫用を禁止したり、契約解釈の補充に用いられるという「消極的」な役割に留まるのに対し、ギリシャ法が裁判官に契約内容を「修正」させるほどの「積極的」な権限を付与する根本的な理由であると言えるでしょう。これは、法律が単なる技術的なルールではなく、社会的な公正を能動的に実現するツールとして捉えられていることを示唆しています。 

ギリシャの「信義誠実」原則と裁判官の強力な裁量権

ギリシャの「信義誠実」原則と裁判官の強力な裁量権

ギリシャ法における「信義誠実」原則は、契約の全段階にわたってその効力を発揮する、極めて強力な概念です。この原則が具体的にどのように機能するのかを、契約の各段階ごとに見ていくことが重要です。 

原則の法的根拠と適用範囲

まず、契約の交渉段階から信義誠実義務は発生します。ギリシャ民法典第197条は、契約交渉中の当事者は「信義誠実と商慣習」に従って行動すべきであると規定しています。さらに、第198条は、一方の当事者が悪意ある行為を働いた場合、たとえ契約が締結されなかったとしても、相手方に対して損害賠償責任を負う可能性があることを明記しています。これは、交渉中に相手方の判断に影響を与える「重要な情報」を意図的に隠蔽するなどの不誠実な行為が、法的な責任を問われる可能性があることを意味します。

次に、契約の解釈段階です。ギリシャ法では、契約の解釈は文言に厳格に縛られず、当事者の「真の意思」に基づいて行われます。ギリシャ民法典第173条は、いかなる意思表示も、言葉にこだわることなく、当事者の真意に従って解釈されるべきであると定めています。そして、第200条は、契約条項の解釈において「信義誠実と一般的な商慣習」が考慮されることを規定しています。

最後に、契約の履行段階です。ギリシャ民法典第288条は、債務の履行は「信義誠実と取引慣行」に従って行われるべきであると定めています。この条項は、契約締結時には予期できなかった状況(例えば、世界的な経済危機)が生じ、当初の契約内容を維持することが一方の当事者にとって著しく不利益となる場合に、裁判官が介入して契約内容の再調整を命じる根拠となります。

ギリシャの代表的な判例

ギリシャの最高裁判所であるアレイオス・パゴス(Άρειος Πάγος)は、この「信義誠実」原則に基づき、契約の修正を命じる判例を積み重ねてきました。特に、経済情勢の劇的な変化によって契約の「基礎」が崩れた場合に、裁判所が積極的に介入する姿勢が示されています。

注目すべき代表的な判例の一つに、最高裁判所判決1733/1986があります。この事案では、エジプト・イスラエル戦争の勃発とそれに伴う石油価格の急騰、そして世界的な経済危機が、売主の提供する給付を「著しく不利益なもの」にしたと判断されました。裁判所は、これらの事象が契約当事者が予測できなかった事態であり、生活費の急激な上昇を招いたとして、売主が提供する給付額を30%増額するように命じました。

また、最高裁判所判決716/1992では、印紙税が2.4から3.6に増額されたことが契約の「基礎の転覆」であると認められました。裁判所は、この税率の変更が一方の当事者に、予期された利益の一部を失うという形で、重大な損害をもたらすと判断し、契約の再調整を是認しています。

これらの判例は、ギリシャの裁判官が契約書に書かれた文言を絶対的なものとは見なさず、契約締結後の経済的、社会的状況の変化を考慮に入れて、実質的な公平性を能動的に追求する姿勢を示しています。これは、日本法における信義則の運用とは一線を画すものであり、ギリシャでのビジネスを検討する上で最も重要な実務的注意点の一つと言えるでしょう。

日本法の「信義則」との相違点

日本民法第1条第2項に定められる「信義則」も、権利の行使および義務の履行は信義に従い誠実に行うべきであると定めています。しかし、その実務上の役割は、主に権利濫用の禁止や、契約書の文言が不明確な場合の補充的な解釈原則として機能するにとどまります。契約交渉段階での信義則違反による損害賠償請求も、その要件は厳格であると言えます。

一方で、ギリシャ法における「信義誠実」原則は、単なる解釈の補助や権利濫用の抑止にとどまらず、裁判官が「不均衡な契約」を能動的に修正するほどの強大な権限を付与している点が決定的に異なります。一方の当事者が、相手方の「必要性、虚弱性、未経験」を不当に利用して、自己の対価と比べて著しく不釣り合いな利益を得た場合、その契約は無効と見なされる可能性があります。

両国法におけるこの根本的な思想の違いを理解することは、ギリシャでのビジネスを成功させる上で最も重要な出発点となります。

ギリシャ法日本法
法的根拠ギリシャ民法典第197条、第198条、第200条、第288条など、複数の条文に明記 日本民法第1条第2項(「信義則」)が代表的 
適用段階交渉、解釈、履行の全ての段階で適用される 主に権利の行使・義務の履行段階での権利濫用禁止や、契約解釈の補充に用いられる 
裁判官の権限不均衡な契約内容を修正する強力な裁量権を持つ 契約の補充的解釈や権利濫用防止にとどまり、契約内容の修正権限は限定的
主要な役割実質的な公正性と公平性を積極的に実現する 権利行使の制約や法解釈の補充といった消極的な役割が中心 
実務上の注意点契約書面だけでなく、交渉過程や実質的な公平性への配慮が必須 原則として契約書面の内容が絶対的な基準となる 

ギリシャでの契約交渉・解釈・履行における実務上の注意点

交渉段階でのリスク管理

ギリシャ法の下では、交渉中の不誠実な行為が法的な責任を生じさせる可能性があります。このため、単に聞かれたことにのみ答えるという姿勢では不十分であり、契約の判断に影響を与える重要な情報は、誠実かつ透明な形で開示することが求められます。将来的な紛争に備え、交渉過程における重要なやり取り(メールや議事録など)は詳細に記録・保管しておくことが賢明な対策となります。これは、裁判官が当事者の「真意」を判断する際の重要な証拠となりうるからです。 

契約書作成段階

契約の原則として口頭契約も有効ですが、不動産取引など特定の契約類型では、公証人による文書作成・認証が法律上必須となります。この法定の要件を満たさない契約は無効とされてしまうため、契約類型ごとの形式要件を事前に確認することが不可欠です。 

さらに重要なのは、契約書の文言だけでなく、その実質的な公平性を確保することです。ギリシャの裁判官は、契約条項が現地での商慣習に照らして著しく不当でないか、一方の当事者にとって過度に不利益な内容でないか、という点を重視します。したがって、契約を起草する際には、日本的な視点だけでなく、現地の商慣行や社会通念に照らして不当な条件が含まれていないかを慎重に検討する必要があります。 

紛争発生段階

日本企業が慣れ親しんだ「契約書に書かれているから」という論理が、ギリシャでは必ずしも通用しない可能性があることを認識しておく必要があります。紛争解決においては、契約書面だけでなく、その契約が成立した背景や、履行過程での当事者の行動が問われることになります。

このような状況に対応するためには、ギリシャの法務に精通した専門家を早期に交え、現地の商慣習や「公平性」の観点から、裁判を避けた和解交渉を目指すことが賢明な戦略と言えるでしょう。日本語を母国語とするギリシャの弁護士や、日本の専門家との連携に慣れた現地弁護士の存在は、コミュニケーションの障壁を下げ、円滑な紛争解決を可能にする上で大きな助けとなります。

まとめ

ギリシャの民法・契約法は、日本の法体系と類似しているように見えて、その核心である「信義誠実」原則の運用において、根本的な思想的違いが存在します。この原則が裁判官に付与する強力な裁量権は、契約の安定性を揺るがすリスクであると同時に、予期せぬ状況変化に対応できる柔軟性を持つ側面も持ちます。

ギリシャでのビジネスにおける成功は、単に緻密な契約書を作成するだけでなく、交渉段階から実質的な公平性を重視し、現地のビジネス文化と法的慣行を深く理解する姿勢にかかっています。契約書面が「全て」ではないという認識を持ち、当事者の真意と公平性を重視した交渉と履行を行うことが、将来的な紛争を未然に防ぐ鍵となるでしょう。

モノリス法律事務所は、このような複雑な法制度下でのビジネス展開を検討される日本の企業の皆様に対し、法務デューデリジェンス、契約交渉支援、紛争解決サポートなど、包括的なリーガルサービスを提供しています。ギリシャでの事業展開に際して法的な懸念をお持ちの場合には、貴社のビジネス目標に沿った最適な法的戦略を構築するためのお手伝いをいたします。どうぞお気軽にご相談ください。

関連取扱分野:国際法務・海外事業

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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