スイスの金融サービス法規制と医薬品広告規制の重要ポイント解説

スイスは長年にわたり国際金融の中心地として機能してきましたが、近年、デジタル化とグローバルなコンプライアンス要求の高まりに対応するため、法制度の抜本的な改革を進めています。日本の企業がこの市場に参入を検討する際、スイス金融市場監督局(FINMA)の厳格な監督体制、特に金融サービス法(FinSA)および金融機関法(FinIA)に基づくライセンス要件を深く理解することが不可欠です。外国企業に求められる相互主義原則の遵守や、スイス居住取締役の配置義務といった要件は、日本の法規制には見られない特有の構造的制約であり、事前の戦略的な組織設計が求められます。
また、イノベーション促進のために導入された「フィンテック・ライセンス」には、預金運用や利息支払いが禁止されるという、従来の銀行業の核を排除した明確な制約が存在します。一方、ライフサイエンス分野においては、医薬品広告規制が日本とは一線を画す厳格さを持っています。処方箋薬の一般消費者向け広告(DTC)は絶対的に禁止されており、インターネット上の情報発信においても、パスワード保護を義務付けた医療専門家(HCP)への限定公開や、患者の体験談が「広告」と見なされる厳格な境界線が存在します。
スイス市場への展開を成功させるためには、これらの規制環境における日本法との決定的な違いを明確に把握し、現地法に完全に適合するよう組織とコミュニケーション戦略を再構築することが不可欠となります。本記事では、日本の経営者や法務担当者の皆様がスイスでのビジネス展開を検討される際に不可欠な、上記法規制の具体的な要点と日本法との主な相違点を解説します。
この記事の目次
金融サービス分野の法規制:FINMAによる監督体制と市場参入要件
スイス金融市場監督局(FINMA)の役割と金融市場規制の枠組み
スイスの金融市場は、独立した監督機関であるスイス金融市場監督局(FINMA)によって監督されています。FINMAは、銀行、資産運用会社、保険会社など、金融サービスを提供するすべての事業体に対してライセンスを付与し、監督する役割を担っています。2020年1月1日に施行された金融サービス法(FinSA)および金融機関法(FinIA)は、スイスの金融市場法制の新たな主要な柱として機能しています。
FinSA(Financial Services Act)は、金融サービスの提供に関する顧客保護を目的としています(FinSA Art. 1)。同法は、金融サービス提供者に対して、誠実性、勤勉性、透明性の要件を設定し、金融商品(financial instruments)の提供を規制することで、スイス金融センターの評判と競争力を高めることに貢献しています。FinSAが定義する金融サービスには、金融商品の取得・処分、注文の受領・伝達、資産運用(ポートフォリオマネジメント)、および投資助言などが含まれます。
一方、FinIA(Financial Institutions Act)は、金融機関として活動するための要件を規定しています。FinIAの目的は、投資家や顧客の保護、および金融市場の適切な機能を確保することであり(FinIA Art. 1, 2)、ポートフォリオマネージャー、受託者(trustees)、集合資産管理者、ファンド運用会社、証券会社などが同法の適用対象となります。FinSAとFinIAの導入により、それまで集合投資スキーム法(CISA)に散在していたライセンスや監督に関する規制が整理・統合され、FINMAがこれらの法律と、その施行令(FinSOやFINIO-FINMAなど)に基づいて監督を実施する体制が確立されました。
外国企業がFINMAライセンスを取得するための重要要件と日本法との対比
外国の銀行や証券会社がスイス市場に参入し、継続的かつ専門的な業務を行う場合、FINMAの認可が必要です。これは、スイス国内で取引の実行やクライアント口座の管理といった法的義務を生じさせる業務を恒常的に行う従業員を配置する支店に対して適用されます。また、取引を伴わない代表事務所であっても、広告や顧客注文の取次ぎを行う場合は認可が必要となります。
相互主義の原則(Reciprocity Requirement)
外国企業がスイスで支店を開設しライセンスを取得する際の最重要要件の一つが、相互主義の保証です。これは、外国銀行の居住国およびすべての適格参加者(qualified participants)が、スイスの金融機関に対して同等の事業機会や権利を保証することを意味します。
この相互主義の原則は、日本の経営層にとって重要な考慮事項となります。日本の金融商品取引法(FIEA)や銀行法においても、外国企業の参入に際しては、本国での適切な監督や健全性の確保が求められますが、スイスのFINMAが要求する相互主義は、単なる申請企業個別のコンプライアンス確認に留まらず、日本当局がスイスの金融機関に対して同等の権利を保証するという、国レベルの行政的な枠組みを要求していることを示唆します。したがって、スイスへの参入計画を進める日本企業は、この行政的な調整が完了していることを確認する必要があります。
現地居住取締役の配置義務
特定のFINMAライセンス、特に銀行や大規模な業務を行う金融機関においては、「スイス・マネジメント・ルール」に基づき、現地に居住する取締役を配置することが要求される場合があります。例えば、特定のクリプトビジネスを行う企業やポートフォリオマネージャーなどでは、最低2名の取締役のうち、少なくとも1名がスイス居住者であることが求められます。
この現地居住取締役の要件は、日本の法制度との顕著な違いを生じさせます。日本では、2015年に商業登記規則が改正され、国内企業の代表取締役全員が日本国外に居住していても、会社設立や役員変更の登記が可能となりました。これは、国際的な経営の柔軟性を高めるための措置でした。
一方、スイスは、現地法人における業務執行およびコンプライアンスの責任を確実に現地で担保するため、厳格な現地管理体制を法的に要求しています。日本の企業は、スイス市場参入の組織設計において、このスイス居住者要件を必須のコンプライアンス要件として認識し、経営体制を構築しなければなりません。
フィンテック・ライセンスの特性と活用:イノベーション促進と制限
スイスは、新しい技術やビジネスモデルに適応し、伝統的な金融ハブとしての競争力を維持するため、2019年に銀行法(Banking Act)に新たな条項を追加し、「フィンテック・ライセンス」(革新者ライセンス)を導入しました。これは、従来の銀行業に特有な信用供与リスクを持たないビジネスモデルの市場参入障壁を下げることを目的としています。
フィンテック・ライセンスは、預金上限が100万スイスフランまでのライセンス不要の「サンドボックス」と、上限のないフルバンキング・ライセンスの中間に位置づけられています。このライセンスを保有することで、企業は一般公衆からの預金を最大1億スイスフラン(CHF 100 million)まで受け入れることが可能となります。
しかし、最も重要な制約は、このライセンスの下で受け入れた預金を投資に回すこと、および利息を支払うことが禁止されている点です(Banking Act Art. 1b)。この要件は、預金を元手に融資や投資を行うという、従来の銀行業の核である「利ざやビジネス(Interest Margin Business)」を明確に排除しています。この構造から、フィンテック・ライセンスは、暗号資産のカストディサービスや特定の決済サービスなど、預かり資産を再投資しない資産保全や決済に特化したビジネスモデルを誘致するために設計されたことが窺えます。日本のフィンテック企業がスイスで活動する場合、この「非投資・非利息付与」の厳格な制約が、想定する収益モデルと適合するかどうかを慎重に検討する必要があります。
FinSAに基づく顧客セグメント分類と提供義務
FinSAの枠組みの下では、金融サービス提供者は顧客を分類することが義務付けられており(FinSA Art. 4)、この分類が、提供者が負う情報提供、適合性・妥当性の確認義務などの範囲を決定します。この制度は、顧客の知識や経験に応じた適切な保護水準を確保することを目的としています。
FinSAにおける顧客分類は、以下の三つの主要なカテゴリーに分けられ、保護水準の低い順に規制義務が軽減されます。
- 機関顧客(Institutional Clients): スイス国内で監督を受ける金融仲介業者、保険会社、および同等の監督下にある外国の機関などが含まれます。
- プロフェッショナル顧客(Professional Clients): プロフェッショナルな財務部門を持つ公的機関や年金基金、または一定の資産規模(例:最低200万スイスフランの資産)を持つ個人や私募投資スキームが該当します。
- 小売顧客(Retail Clients / Private Clients): 上記のいずれにも該当しないすべての顧客であり、FinSAの下で最も高い保護水準が適用されます。
Opting-in/Opting-out制度の機能
顧客には、自身に適用される保護水準を変更する権利があります。特に重要なのはOpting-out(保護水準の引き下げ)です。プロフェッショナル顧客は、書面による要求を通じて、より保護水準の低い機関顧客としての扱いを受けることを選択できます。
日本の金融商品取引法(FIEA)にも「適合性の原則」やプロ投資家制度が存在しますが、スイスのFinSAの特徴は、Opting-outを宣言した顧客に対して、金融サービス提供者が情報開示や警告に関する義務違反を主張できなくなるという、法的責任の範囲を明確に規定している点にあります。これは、高度な知識を持つ顧客との取引における金融機関側のリスクを軽減するために設けられた措置であり、日本の企業がスイスでプロフェッショナル顧客と取引する際の契約文書や手続きに影響を与えます。
医薬品広告規制:厳格なDTC広告の禁止と情報提供の限界

医薬品広告の法的根拠:TPAとOMPAの目的と日本法との構造比較
スイスにおける医薬品広告規制は、治療製品法(TPA)と医薬品広告条例(OMPA)に基づいています。TPAの目的は、高品質、安全かつ有効な医薬品のみが市場に流通することを保証し、公衆衛生を保護することです。スイスメディック(Swissmedic)は、TPAおよびOMPAの遵守を監視し、患者の安全を確保する役割を担っています。
日本の医薬品医療機器等法(PMD Act)も同様に医薬品広告を規制していますが、スイスの規制が日本と決定的に異なるのは、処方箋薬の広告対象に関する厳格な制限です。日本のPMD Actは虚偽・誇大な広告や未承認薬の広告を禁止することを主眼としていますが、スイス法は特定の製品カテゴリについて、その広告の対象範囲自体を厳しく制限しています。
処方箋薬の一般消費者向け広告(DTC)の絶対的禁止
スイスでは、処方箋薬(Prescription Medicinal Products)の一般消費者向け広告(DTC広告)は、TPAに基づき全面的に禁止されています(TPA Art. 32 para 2 lit a、OMPA Art. 3およびArt. 14)。
この禁止規定は非常に強力であり、たとえ広告内容が科学的な事実に基づき、誇大ではないとしても、処方箋薬を一般公衆に向けて直接的または間接的にプロモーションする行為は違法と見なされます。日本の製薬企業は、日本国内で慣行的に行われている広告・広報活動が、スイスのこの絶対的な禁止規定に抵触しないよう、コミュニケーション戦略を根本的に再検討する必要があります。
デジタル・インターネット広告に対する特有の制限
電子メディア上の広告、特にアクセス制限のないものは、一般公衆向けの広告とみなされます(OMPA Art. 15 lit c)。したがって、処方箋薬に関する情報発信をインターネット上で行う場合、厳格なアクセス制限が義務付けられます。
医療専門家(HCP)を対象とする処方箋薬の広告は、公衆に利用可能であってはならず、適切な技術的かつパスワードで保護されたアクセス制限を設け、処方・調剤・投与の権限を持つHCPに限定する必要があります(OMPA Art. 5a)。このOMPA第5a条の要件は、日本の製薬企業がウェブサイトを設計する際のコンプライアンス上の重要項目です。多くの日本企業が採用する簡易なゲートウェイや自己申告方式では、スイス当局が求める強固なパスワード保護の義務を満たせない可能性が高く、結果的に違法なDTC広告と見なされるリスクがあります。さらに、処方箋薬に言及するメディアリリースやプレスリリースも、メディア専門家のみがアクセスできるようにパスワードで保護されなければなりません。
広告と「健康や疾病に関する一般的な情報」の厳密な区別
スイスメディックは、広告と「健康や疾病に関する一般的な情報」を厳密に区別しています。一般的な健康情報や疾患啓発キャンペーンは許容されますが、医薬品に言及する場合は、プロモーション的性質を帯びないよう細心の注意が必要です。この境界線は、個別の状況に応じて判断されます。
スイスメディックの指針によれば、以下の要素が含まれる場合、情報提供の客観性を欠き、広告と見なされるリスクが高まります。
- 患者の体験談や成功事例:主観的であり、バランスの取れた情報提供ではないと判断されます。
- 価格比較:製品の優位性を強調する行為と見なされます。
- 推奨事項:特定の治療法を具体的に推し進める行為と判断されます。
医薬品に言及する情報が広告と見なされないためには、完全性、バランス、客観性の三つの条件をすべて満たさなければなりません。すなわち、非医薬品を含むすべての治療選択肢を言及し、特定の治療法を強調せず、ポジティブな側面とネガティブな側面の両方を客観的に開示する必要があります。
裁判例の分析:情報提供の形を装った広告の違法性
スイスの裁判所は、情報提供の形式を取っていても、実質的に処方箋薬のプロモーションとなる記事を違法と認定しています。
連邦行政裁判所 C-5490/2015(2017年3月28日)の判決において、裁判所は、あるメディアの記事が処方箋薬に関する個人の体験談を報告した事案について、これが一面的で不完全であり、客観的またはバランスの取れた情報ではないと判断しました。裁判所は、当該記事が平均的な読者にプロモーション的であるという一般的な印象を与えると結論付け、もはや一般的な情報として認められないため、処方箋薬の公衆向け広告の絶対的禁止に違反すると認定しました。
この判例は、スイスメディックの執行姿勢が司法によって強く支持されていることを示しており、特に患者の「成功事例」や主観的な体験談を公表する行為は、客観的・科学的な情報提供の義務に反するものとして、絶対的禁止規定を回避する手段とはなり得ないことが明確に示されました。日本の製薬企業がスイスで広報活動を行う際、この判例の厳格な基準を遵守する必要があります。
まとめ
本報告書で詳述した通り、スイスの金融サービス法規制および医薬品広告規制は、グローバルに事業を展開する日本企業にとって、独自の、そして時に日本法よりも厳格なコンプライアンス要件を課しています。金融分野では、FinSA/FinIAに基づく顧客保護と透明性の確保が求められ、外国企業に対しては、現地居住取締役の配置や相互主義の原則といった構造的な参入障壁が存在します。特にFINMAは、ライセンスを持たない無許可の事業体に対しては、罰金を課す権限は持たないものの、その活動を排除し、市場からの清算手続きを進めるなど、事業停止に至る厳格な措置を講じます。
ライフサイエンス分野においては、処方箋薬の一般消費者向け広告が絶対的に禁止されている点が、日本の規制との最大の相違点です。スイスメディックは、客観的でバランスの取れた情報提供と、プロモーションを目的とする「広告」を峻別しており、患者体験談の公表のような、一見無害に見える行為が違法な広告と判断された判例も存在します。スイス市場への展開を成功させるためには、日本の企業が慣れ親しんだコミュニケーション戦略や組織設計をそのまま持ち込むのではなく、これらのスイス特有の法的な制約を深く理解し、現地法に完全に適合するよう組織と情報発信体制を再構築することが不可欠となります。当法律事務所は、こうした複雑な国際コンプライアンス課題に対して、法的枠組みの理解と実務的な対応策の策定を通じて、貴社の事業をサポートいたします。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務

































