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法律記事MONOLITH LAW MAGAZINE

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イギリスの労働法と「Employee」「Worker」の区別

イギリスの労働法と「Employee」「Worker」の区別

日本企業の経営者や法務担当者がイギリスでの事業展開を検討する際、最も予期せぬ法的課題の一つとなり得るのは、日本の労働法とは根本的に異なるイギリスの雇用法の多層的な構造です。日本では、労働基準法上の「労働者」という単一の概念が広く適用され、多くの労働関係法令による保護は、この「労働者性」が認定されるか否かによって一元的に判断されます。

しかし、イギリスではこのアプローチとは異なり、労働者保護の範囲を「Employee」(従業員)と「Worker」(ワーカー)という二つの主要なカテゴリーに分け、それぞれに付与される権利が厳密に定められています。この多層的な法的枠組みを正確に理解することは、単に法律を遵守するだけでなく、予期せぬ訴訟リスクを回避し、現地での採用戦略を適切に構築するために不可欠です。

本稿では、イギリスの雇用形態に関する法的枠組みを詳細に解説するとともに、特に日本の「労働者」概念との重要な違いに焦点を当てます。さらに、裁判所の判例が示す「実態」の重要性や、今後施行される最新の法改正がもたらす変化についても言及し、イギリス進出を目指す日本企業に実践的な知見を提供します。

イギリス雇用法の基本構造

イギリスの雇用法において、労働者保護の根幹をなすのは、その個人の法的地位を「Employee」(従業員)「Worker」(ワーカー)のいずれに分類するかという判断です。この区別は、両者に適用される権利の範囲を決定する上で決定的な意味を持ちます。

「Worker」の法的定義

「Worker」は、イギリスの労働者概念におけるより広範なカテゴリーです。この定義は、Employment Rights Act 1996(ERA)第230条(3)に明確に規定されており、具体的には「個人的に労働を提供し、かつ顧客やクライアントではない者」を指します。これは、契約上の雇用主ではない第三者や、不特定の顧客のために働く自営業者とは異なる概念です。イギリスの雇用関係を専門とする諮問機関Acas(Advisory, Conciliation and Arbitration Service)のガイダンスによれば、このカテゴリーに分類されるのは、よりカジュアルで不規則な労働パターンを持つ人々であると説明されています。具体的には、特定の雇用主に対して不定期に業務を請け負うフリーランスギグワーカー、あるいは派遣労働者などがこれに該当することが多いとされます。彼らは個人的に労働を提供することが求められますが、正規の勤務時間や労働場所が定められているわけではありません。

「Employee」の法的定義

一方、「Employee」は「Worker」よりも保護が手厚い、より厳格なカテゴリーです。ERA第230条(2)では「Employee」を「サービス契約または見習い契約に基づいて働く個人」と定義しています。この条文は一見すると非常に簡潔で、日本の労働基準法第9条と同様に、具体的な解釈は判例法理に大きく依存します。

ここで重要なのは、すべての「Employee」は「Worker」の定義も満たすという階層関係です。つまり、「Employee」は「Worker」の定義を満たした上で、さらに厳格な追加要件を満たしていると解釈されます。しかし、その逆は成り立ちません。この基本的な関係を理解することが、両カテゴリーに付与される権利の違いを把握する上で不可欠です。 

日本の「労働者性」との比較分析

日本の労働法における「労働者」の定義は、契約の形式や名称に関わらず、「使用従属性」という総合的な判断基準に基づいて認定されます。これは、労働が雇用主の指揮監督下で行われ、その対価として報酬が支払われているかという点を多角的に評価するものです。 

興味深いことに、イギリスの裁判所が「Employee」であるか否かを判断する際に特に重視する3つの要素は、この日本の「使用従属性」の判断基準と本質的に類似しています。

  • 「Mutuality of Obligation」(相互義務性):雇用主が継続的に仕事を供給し、労働者がそれを行う義務を負うかという点です。これは、日本の「報酬の労務対償性」とほぼ同義であり、労働が指揮監督下での役務提供の対価であるかを問うものです。
  • 「Personal Service」(個人的役務提供):労働者が自ら労働を提供しなければならないか、あるいは自由に他者に代替させることが許されているかという点です。これは、日本の「代替性の有無」と直接的に対応する概念です。もし完全に無制限な代替権が認められる場合、その個人は自営業者と見なされ、「Worker」にも「Employee」にも該当しないと判断される可能性が高まります。
  • 「Control」(支配):雇用主が労働の方法、時間、場所、道具の選択などをどの程度支配しているかという点です。これは、日本の「指揮監督下の労働」と本質的に同じ概念であり、雇用主による業務命令、勤務時間や場所の管理といった要素が考慮されます。

日本の経営者や法務担当者は「使用従属性」の概念には慣れ親しんでいます。イギリスの法理がこのフレームワークと直接対応していることを踏まえることで、両国の制度の違いを効率的に理解することができます。これは、単なる情報の羅列ではなく、読者の既存の知識を基盤として、新たな法制度を効率的に理解させるための重要な視点となります。

イギリスにおける「Employee」「Worker」の権利と保護

イギリスにおける「Employee」「Worker」の権利と保護

「Employee」と「Worker」の最も重要な違いは、それぞれに付与される権利と保護の範囲です。日本の労働者であれば当然に享受できると考える権利が、イギリスでは「Employee」に限定されているケースが多々あり、この点を正確に把握することがイギリスでのビジネス運営において不可欠です。

以下の表は、「Employee」と「Worker」が享受する主要な権利を比較したものです。

Employee (従業員)Worker (ワーカー)
最低賃金 (National Minimum Wage)適用あり適用あり 
法定有給休暇 (Paid Holiday)適用あり適用あり 
給与明細 (Payslips)適用あり適用あり 
年金制度への加入適用あり適用あり
差別禁止 (Anti-discrimination)適用あり適用あり 
法定傷病手当金 (SSP)適用あり国民保険料の負担状況に応じて適用 
法定育児関連手当適用あり国民保険料の負担状況に応じて適用 
不当解雇からの保護適用あり適用なし 
法定解雇手当 (Statutory Redundancy Pay)適用あり適用なし 
法定育児・介護休業適用あり適用なし 
解雇予告期間適用あり適用なし 
国民保険料(NI)の負担雇用主が負担義務あり雇用主が負担義務なし

「Worker」に付与される基本的な権利

「Worker」は、日本の労働者と同様に、基本的な労働者保護の権利を享受します。最も重要なものとして、法定最低賃金であるNational Minimum WageまたはNational Living Wageの権利があります。2025年4月からは、21歳以上の労働者に適用されるNational Living Wageは時給£12.21に設定されています。

また、すべての「Worker」は、年間28日間の法定有給休暇を取得する権利を持ちます。これに加えて、年金制度への自動加入、差別禁止(Equality Act 2010)、安全な労働環境の享受、および給与明細の受領といった権利も付与されます。

「Employee」に追加で付与される主要な権利

「Employee」は「Worker」に付与されるすべての権利に加え、さらに手厚い保護を受けます。特に重要なのは、日本の「解雇権濫用法理」に相当する「不当解雇(Unfair dismissal)」からの保護です。原則として、一定期間の継続勤務を満たした「Employee」は、正当な理由と手続きなしに解雇されることはありません。また、法定解雇手当(Statutory redundancy pay)の権利や、法定育児・介護休業(Maternity, Paternity, Adoption Leaveなど)の権利も「Employee」に限定されます。これらの権利は、有給休暇とは異なり、労働提供義務の免除を伴う重要なものです。 

イギリスの判例法理における実態判断

イギリス法における「Employee」と「Worker」の区別は、単に契約書上の文言によって決定されるわけではありません。裁判所は、当事者が作成した契約書が「自営業者」と規定していても、実際の労働実態を見て、その契約が労働者保護を回避するための「虚偽(sham)」であると判断する場合があります。この場合、書面上の呼称は無視され、実態に基づいた法的地位が付与されます。

この法的思考が最も顕著に示されたのが、近年大きな注目を集めたUberドライバーに関する最高裁判決です。

この事案では、Uberはドライバーとの契約書で彼らを「パートナー」(自営業者)と位置付けていました。しかし、最高裁判所は2021年の判決で、この契約書が労働の実態を反映していないと満場一致で判断しました。

判決の根拠となったのは、Uberがドライバーに対して行使していた厳格な「支配(control)」です。裁判所は以下の点を重視しました。

  • 料金設定:ドライバー自身が運賃を交渉したり決定したりする権限はなく、料金はUberによって一方的に設定されていました。
  • ルート管理:アプリによってドライバーの走行ルートが指定され、拒否することが困難でした。
  • パフォーマンス評価:ドライバーの評価システムは、事実上、解雇のリスクと結びついていました。

これらの事実から、裁判所はドライバーがUberの厳しい支配下にあり、対等なビジネスパートナーとは言えないと結論づけました。これにより、ドライバーは「Worker」であると認定され、法定最低賃金や有給休暇などの権利が付与されることとなりました。

この判例は、単なる一つの事例に留まりません。これは、従来の労働者概念では捉えきれない、プラットフォームを介した新たな働き方に対して、裁判所が労働者保護の範囲を積極的に広げようとする、より大きなトレンドを示しています。この判例から、日本の経営者や法務担当者は、イギリスでギグワーカーや請負業者と契約を結ぶ際に、契約書の形式だけでなく、実際のビジネス運営における「支配」の度合いを徹底的に精査する必要があるという、重要な教訓を得ることができます。

2025年以降のイギリスの法改正

イギリスは、流動性の高い労働市場の利点を維持しつつも、労働者の不安定性を軽減し、より公平で現代的な労働環境を構築する方向で法改正を進めています。これらの変更は、今後イギリスに進出する日本企業の採用戦略に直接的な影響を及ぼす可能性があります。 

現在、イギリス政府によって進められている「雇用権法案(Employment Rights Bill)」は、労働者保護をさらに強化する複数の重要な改正を含んでいます。

  • フレキシブル・ワーキング:2025年4月より、すべての「Employee」は、雇用初日からフレキシブル・ワーキングを申請する権利を付与されました。雇用主は、従業員との協議を経た上で、2ヶ月以内に返答しなければならず、拒否する場合は明確で具体的な理由を提示する必要があります。
  • 不当解雇からの保護:現在、不当解雇からの保護を受けるためには、通常2年間の継続勤務が必要です。しかし、2027年に施行される法案では、この期間が短縮される可能性が示唆されています。これにより、雇用主はより早期から、従業員に対する解雇の正当性を証明する義務を負うことになります。 
  • ゼロ時間契約の改革:2027年以降、ゼロ時間契約で働く「Worker」に対して、雇用主は過去12週間の平均労働時間に基づいた、保証された労働時間を提供するよう義務付けられる可能性があります。また、雇用主はシフトの直前キャンセルに対する補償を支払うことも求められることになります。 

これらの法改正は、イギリス政府が労働市場の柔軟性を維持しつつも、脆弱な立場にある労働者に対する保護を強化しようとする明確な意志の表れです。このことから、従来の「イギリスは解雇しやすい国」という認識は変わりつつあり、日本企業は、この新たな潮流を理解し、現地の雇用慣行を適応させる必要があります。

まとめ

本稿では、イギリスの労働法が日本の画一的な「労働者」概念とは異なり、「Employee」と「Worker」という多層的な構造を持つことを解説しました。両者の権利範囲は厳密に定められており、その判断は、契約書の呼称ではなく、裁判所の判例法理に基づいた「実態」が決定的な意味を持つことが、Uber判例を通じて明らかになりました。さらに、イギリスの労働法は常に変化しており、特にギグエコノミーへの対応や労働者保護の強化という明確なトレンドを示しています。

こうした複雑で流動的な法的環境を、日本企業が単独でナビゲートすることは、予期せぬ法的リスクを招く可能性があります。例えば、日本の常識に基づいて業務委託契約を締結したつもりが、現地の裁判所で「Worker」と認定され、最低賃金や有給休暇の支払い義務を遡及して負わされるといった事態も想定されます。

モノリス法律事務所は、イギリス法に関する最新の知見と、日本のビジネス慣行に対する深い理解を兼ね備えた専門家チームを擁しています。イギリスへの事業展開、現地法人設立、現地での雇用契約書作成、および人事労務問題の対応において、私たちは貴社の強力な法的パートナーとなり得ます。貴社のイギリスでのビジネスが成功裏に展開されるよう、私たちは専門的サポートを提供します。

関連取扱分野:国際法務・海外事業

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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