ハンガリーの労働法を弁護士が解説

ハンガリーでの事業展開を検討されている日本企業にとって、現地の法務環境、特に労働法への理解は、円滑なビジネス運営に不可欠です。ハンガリーの労働法制は、ハンガリー労働法典(Act I of 2012)を主要な法源としており、日本と同様に、労働者保護の強い制度となっています。極めて単純にその特徴を説明するのであれば、試用期間中の解雇は自由だが、試用期間後の解雇には高いハードルと法定解雇手当が設定されている法制度、という形です。
本稿では、雇用契約の成立から雇用関係の終了に至るまでの重要な法制度について、日本の法律との重要な相違点を明確にしながら解説します。具体的には、雇用契約の書面義務、有期雇用の制限、試用期間中の解雇、そして最も厳格な要件が求められる通常解雇における解雇理由の証明責任や、勤続年数に応じて延長される解雇予告期間および法定解雇手当といった、日本企業が事前に知っておくべき重要事項を深く掘り下げていきます。
この記事の目次
ハンガリーにおける雇用契約の締結と労働条件
書面での雇用契約締結
ハンガリー労働法典(Act I of 2012)は、雇用契約を「書面」で締結することを義務付けています。雇用主と従業員の氏名、住所、職務内容、勤務地、給与額、労働時間、そして試用期間の有無などが契約書に記載されるべき事項とされています。もし書面による契約がなされなかった場合、従業員は入社後30日以内であれば異議を申し立てることができ、この雇用契約の欠陥を主張することができます。
日本の法律では、「雇用契約書」そのものの作成は法律上の義務ではありません。しかし、労働基準法第15条に基づき、「労働条件通知書」を労働者に書面で交付することが義務付けられています。雇用契約書にこの通知書に記載すべき事項が網羅されていれば、両者は兼ねることができます。
ハンガリーにおけるこの厳格な書面義務は、雇用関係の開始時点で双方の権利と義務を明確にし、将来的な紛争を未然に防ぐことを目的としていると考えられます。特に、後に詳述する解雇の厳格な要件を考えると、雇用開始時の契約内容の明確性が、雇用主が解雇の正当性を証明する際の重要な根拠となるためです。
無期雇用と有期雇用
ハンガリー労働法では、雇用契約は原則として無期雇用で、有期雇用契約場合、その期間は最長5年と定められています。この5年という期間には、契約の延長や、前回の有期契約終了後6ヶ月以内に締結された別の有期契約の期間も含まれます。有期雇用契約は、雇用主の正当な利益に基づいており、かつ従業員の正当な利益を侵害しない場合にのみ締結が認められます。
ハンガリーの制度は、有期雇用が長期化し、労働者の法的地位が不安定になることを防ぐことを主眼としています。つまり、一定期間(5年)が経過すれば、その契約は法的に強制的に終了するか、無期雇用に切り替えるかのどちらかの選択肢しかありません。有期雇用という形態自体に明確な期間制限を設けることで、労働市場全体の安定性を高めようとする「予防的」なアプローチと言えるでしょう。日本企業がハンガリーで有期雇用を活用する際には、この5年という期間を厳格に遵守する必要があり、日本の無期転換ルールとは異なる運用が求められます。
ハンガリーの試用期間と雇用関係の終了
雇用関係の終了、特に解雇に関しては、ハンガリー労働法は厳格な要件を課しています。
試用期間
ハンガリー労働法における試用期間は、雇用契約に明記されることが条件であり、その最長期間は3ヶ月です。この期間中は、雇用主・従業員の双方が、理由を提示することなく、即時に雇用関係を終了させることができます。これは、雇用主が新しい従業員の適性を見極めるための重要な期間として、法律上特例が設けられているものです。
日本の法律には試用期間の長さに法的な上限はありませんが、あまりに長い期間(例:1年以上)は公序良俗に反するとして無効と判断される可能性があります。さらに重要な点は、試用期間中の解雇(「解約権留保付労働契約」)であっても、客観的に合理的な理由と社会通念上の相当性が求められ、安易な解雇は認められません。
ハンガリー法は、試用期間を「真の雇用関係に入る前の予備期間」として明確に位置付けており、その間は双方に高い流動性を認めています。これは、本採用後の解雇が極めて困難であることの代償として、雇用主と従業員双方に「お試し期間」を与える趣旨と言えるでしょう。日本企業がハンガリーに進出する際、この試用期間を有効活用することが、後の労務リスクを最小限に抑える上で極めて重要であると言えます。
解雇の正当事由と厳格な立証責任
試用期間が終了し、無期雇用契約が成立した後の解雇は、ハンガリー法において極めて厳格に運用されます。雇用主は、正当な理由なくして従業員を解雇することは認められていません。解雇理由として認められるのは、一般的に以下の3つに大別されます。
- 労働者の不品行(Misconduct): 義務違反や怠慢など、従業員の行動に起因する理由。
- 労働者の能力不足(Incapacity): 職務遂行能力の欠如、健康上の問題など、従業員の能力に起因する理由。
- 組織上の問題(Organisational Issues): 事業再編、部門の閉鎖、人員削減など、雇用主側の事業運営に起因する理由。
これらの解雇理由の正当性を証明するために、雇用主は解雇通知に理由を明確に記載する義務があり、その理由には明確性、真実性、そして因果関係が求められます。そして、その立証責任は雇用主側にあります。
そして、ハンガリーの裁判所は、この立証責任を厳格に判断していることが、複数の判例から読み取れます。例えば、表面的な理由(組織再編)の裏に、従業員が内部告発したことへの報復という真の理由があった場合、裁判所はこれを「権利の濫用」にあたるとして不当な解雇と判断します。つまり、雇用主が法的に有効な解雇理由を表面上掲げたとしても、その背後にある真の動機が不当な目的である場合には、その解雇は無効になる可能性があります。企業側としては、単に解雇理由を文書化するだけでなく、その理由が真実であることを証明するための客観的な証拠(パフォーマンスレビュー、懲戒記録、事業再編の計画書など)を事前に、かつ周到に準備しておく必要があります。
ハンガリーの解雇時における雇用主の義務
解雇が正当な理由に基づいて行われる場合であっても、雇用主は解雇予告期間と法定解雇手当という二つの重要な義務を負います。
勤続年数に応じて延長される解雇予告期間
ハンガリー労働法では、雇用主が解雇する際の解雇予告期間は、原則として30日間です。しかし、この期間は従業員の勤続年数に応じて延長されます。勤続3年で5日、5年で15日、10年で25日というように延長され、勤続20年以上では最大で90日となります。
勤続年数に比例する法定解雇手当
ハンガリー労働法は、勤続3年以上の従業員が解雇された場合、勤続年数に比例した法定解雇手当(severance pay)の支払いを雇用主に義務付けています。この手当は、勤続年数が長くなるほど増額されます。例えば、勤続3年で1ヶ月分、勤続5年で2ヶ月分、勤続20年以上で5ヶ月分、25年以上では6ヶ月分の給与相当額が支払われます。これは、ハンガリー法が雇用主に対し、労働者の長期勤続に対する明確な「報奨」と「保護」を金銭的な義務として課していると言えるでしょう。
勤続年数 | 解雇予告期間 | 法定解雇手当 |
---|---|---|
3年未満 | 30日 | なし |
3年以上5年未満 | 35日 | 1ヶ月分 |
5年以上8年未満 | 45日 | 2ヶ月分 |
8年以上10年未満 | 50日 | 2ヶ月分 |
10年以上15年未満 | 55日 | 3ヶ月分 |
15年以上18年未満 | 60日 | 4ヶ月分 |
18年以上20年未満 | 70日 | 4ヶ月分 |
20年以上25年未満 | 90日 | 5ヶ月分 |
25年以上 | 90日 | 6ヶ月分 |
まとめ
本稿では、ハンガリーの労働法、特に、雇用契約の書面義務、有期雇用期間の制限、試用期間中の解雇の自由度、そして何よりも厳格な解雇要件と、勤続年数に比例する解雇予告期間および法定解雇手当といったポイントについて解説しました。これらの労働法制を理解し、適切な対応策を講じることは、ハンガリーでの円滑な事業運営に不可欠です。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務