ドイツでの契約書作成・交渉時に問題となる民法・契約法

ドイツの契約法は、日本の法制度と共通点が多い一方で、実務上の運用や裁判所の介入基準において、決定的な違いが存在します。特に、ドイツ民法典(Bürgerliches Gesetzbuch, BGB)にその根拠を置く契約法は、「信義誠実の原則」を優越的な倫理原則として厳格に適用し、契約の自由を強く統制しています。
この統制の最たるものが、企業が使用する約款や利用規約を厳しく審査する一般取引条件(Allgemeine Geschäftsbedingungen, AGB)の規制です。AGB規制は、企業間取引(B2B)においても適用され、日本の商慣習で慣例となっている責任制限条項や損害賠償の制限条項が、ドイツの裁判所では無効と判断されるリスクが非常に高いのです。さらに、BGBの売買法は、瑕疵ある製品の「取外し・再設置費用」を売主に義務的に負担させるなど、サプライヤーにとって予期せぬ大きな財務リスクを課しています。
また、契約上の請求権に関する時効期間が、標準で3年間(売買の瑕疵は2年間)と比較的短い上、その起算点に「年末起算の原則」という特殊なルールが適用されるため、権利の管理には細心の注意が必要です。
この厳格な法環境において、日本の契約テンプレートをそのまま使用することは極めて危険であり、特にAGB規制による責任制限条項の無効化リスク、BGH判例が示す「みなし同意」の不成立、そして瑕疵担保責任における取外し・再設置費用負担の拡大という、ドイツ法特有の構造的リスクを回避するための、専門的な戦略と綿密な文書化が不可欠となります。
本記事では、これらのドイツ契約法の主要な論点について、日本企業が事前に理解し、対策を講じるべきリスクと実務上の注意点を詳細に解説いたします。
この記事の目次
ドイツ契約法の基本原則と契約自由への制約
ドイツ契約法は、BGBを成文法上の中心に据えており、契約の成立には日本と同様に「申込み」と「承諾」という二つの意思表示が必要です。原則として口頭での合意であっても法的拘束力を持ちますが、その契約自由の行使は、日本の商慣習よりも強い倫理的原則によって制限されます。
信義誠実の原則(Treu und Glauben, § 242 BGB)の適用
ドイツ法において、契約の成立から履行に至るまで、全てを支配する優越的な倫理原則が、BGB §242 に規定される「信義誠実の原則」(Treu und Glauben)です。この原則は、「債務者は、信義誠実及び取引慣習を斟酌して、給付をなすべき義務を負う」と定めています。
この「信義誠実の原則」の概念は意図的に曖昧さを残しており、裁判官が法定の文言だけでは不公平な結果を招く場合に、法創造的な役割を果たし、契約に規定されていない付随義務や責任を当事者に課すことを可能にします。これは、契約書に書いてあるから全てが守られるわけではなく、合理的な当事者が倫理的に受け入れられる行動基準(相手方の利益を考慮した行動)が常に要求されるということを意味します。この原則の適用範囲が広範であることから、ドイツでのビジネスにおいては、技術的な契約違反の有無を超えて、「公正性」と「倫理的配慮」が常に問われることになります。
善良な風俗に反する契約の無効(Sittenwidrigkeit, § 138 BGB)
BGB §138 は、契約の内容が社会的な倫理や道徳(善良な風俗、Sittenwidrigkeit)に反する場合、その法律行為を無効と定めています。この「善良な風俗」という概念は、英米法の「公序」や「不道徳」といった概念よりも著しく広範に適用されると見なされています。
特に、当事者の一方が他方の「困窮、経験不足、判断力の欠如、または意思の著しい弱さ」を不当に利用し、「異常に重い負担」を一方的に課すような契約は、不道徳であるとして無効とされる可能性があります。ドイツの憲法裁判所は、民事裁判所に対し、§138 や §242 のような一般条項を適用する際には、「私的自治の基本権」を遵守しつつも、一方の当事者に「異常に重い負担」を課す契約内容を審査する義務があることを命じています。これは、交渉力の格差を利用して極端に不公平な条件を押し付けた場合、たとえ署名された契約であっても、裁判所によって無効化されるリスクがあることを示唆しています。
ドイツ一般取引条件(AGB)の統制

企業が複数の契約で定型的に使用するためにあらかじめ作成した約款や利用規約は、ドイツ法の下では一般取引条件(Allgemeine Geschäftsbedingungen, AGB)として、BGB §§305 以下による非常に厳格な審査の対象となります。これは、日本法における定型約款の規制よりも、実務上のリスクが格段に高い点に注意が必要です。
AGBの定義と「個別合意」(Individualabrede)の証明
ある条項がAGBと見なされるのは、「定型化されていること」、「複数の契約で使用する意図があること」、そして「個別交渉されていないこと」の三つの要件を満たす場合です。たとえ契約書を個別に交わしたとしても、その中の条項が定型化されたテンプレートに基づいており、真の交渉が行われなかった場合、その条項はAGBと認定されます。
AGBの厳格な規制を回避し、条項の有効性を確保する唯一の確実な方法は、その条項が個別交渉された合意(Individualabrede)であることを証明することです。個別合意と認められるためには、以下の要件を満たし、その立証責任は常時AGBの使用者側(企業側)が負います。
- 交渉意思の明示:条項の利用者が、その内容について真に交渉を行う意思を示すこと。
- 変更の現実的な機会:相手方当事者が、条項の変更を提案し、その提案が最終契約に組み込まれる現実的な機会を持つこと。
したがって、日本企業がドイツ向けの契約書を起草する際、責任制限や保証など重要なリスク配分条項についてAGB規制を避けたい場合は、交渉過程で相手方からの提案を組み込んだり、交渉の議事録や電子メールを綿密に文書化したりすることが不可欠です。
B2B取引における内容審査の厳格性
BGB §310 は、契約相手が事業者(Unternehmer)であるB2B取引の場合、消費者向けの厳しい禁止条項(§§308,309 BGB)は直接適用されないと規定しています。しかし、ドイツの裁判所は、これらの具体的な禁止条項の「法的な基本思想」を、BGB §307 の一般条項(信義誠実の要求に反して契約相手に不合理な不利益を与えてはならない)を通じて、B2B取引のAGB審査に適用する傾向を強めています。
この結果、B2B契約のAGBに含まれる責任制限条項であっても、故意(Vorsatz)、重過失(Grobe Fahrlässigkeit)に基づく責任の制限は無効とされます。さらに、契約の適切な履行に不可欠な中核的義務(Kardinalpflicht)の違反に対する単純な過失(einfache Fahrlässigkeit)による責任も、通常予見可能な典型的な損害の範囲を超えて制限することはできません。
無効なAGB条項に対する「有効性維持的減縮」の否定
日本の契約法では、無効な条項があっても、その趣旨を活かすために可能な範囲で有効な部分を維持しようとする解釈の余地がある場合があります。しかし、ドイツ法においては、「有効性維持的減縮」(geltungserhaltende Reduktion、いわゆるブルーペンシル・ルール)は原則として否定されています。
AGBの条項が、例えば透明性を欠くといった理由で無効と判断された場合、その条項全体が完全に契約から排除され、その代わりにBGBの法定規定が適用されます。これは、企業が意図した責任上限が完全に消滅し、予期せぬ無制限の法定責任(逸失利益を含む)を負うリスクがあることを意味します。このため、AGBの起草時には、無効化されるリスクを最小限に抑えるよう、特に注意を払う必要があります。
AGBにおける「みなし同意条項」の無効化
ドイツ連邦裁判所(BGH)は、2021年4月27日の判決、および2024年11月19日の判決(XI ZR 139/23)において、銀行のAGBに含まれていた、契約条件や料金の変更について、顧客が一定期間内に異議を述べなかった場合に同意したと「みなす」条項(Zustimmungsfiktionsklauselk)を、消費者との取引においては無効と判断しました。
BGHは、顧客が単に口座を継続的に利用したという事実が、契約条件の変更に対する同意の意思表示とは見なされないと明確にしました。この判断は、契約の成立や変更には、BGBの原則として両当事者の明確な意思表示(同意)が必要であるという点を強調しており、日本のサービス規約などで広く使われる「みなし同意」のロジックがドイツ法の下では通用しないことを示しています。
ドイツにおける売買契約の瑕疵担保責任と救済
ドイツ売買法(BGB §§433 ff.)における瑕疵担保責任の体系は、買主の救済手段に行使の順序(階層)を課している点と、売主の費用負担が拡大している点において、日本企業が特に注意すべき構造を持っています。
法定担保責任(Gewährleistung)と契約上の保証(Garantie)
ドイツ法では、法定の瑕疵責任を意味する担保責任(Gewährleistung)と、売主が任意で特定の品質や耐久性を約束する契約上の保証(Garantie)が明確に区別されます。英語の「Warranty」という言葉は、これら両方に翻訳されることが多いため、契約書上で曖昧な表現を使うと、売主が意図しなかった厳しい責任を負うGarantieと解釈されるリスクが生じます。
Gewährleistungは、売主の過失を問わず、引き渡し時点で欠陥があったという客観的事実に基づいて発生しますが、損害賠償請求には通常、売主の過失(故意または過失)が要求されます。一方、Garantieは、約束された特性が欠けていた場合、過失の有無にかかわらず売主が厳格責任を負うことを意味します。
救済手段の階層と履行の追完(Nacherfüllung)の優先
買主が瑕疵を発見した場合、BGB §437 に基づき、まず履行の追完(Nacherfüllung)を売主に請求しなければなりません。履行の追完には、欠陥の除去(修理)または欠陥のない代替品の引渡しのいずれかを、買主が選択できます。
この「履行の追完」が失敗するか、売主が拒否した場合にのみ、買主は初めて契約解除、代金減額、または損害賠償といった二次的な救済手段に進むことができます。これは、売主に欠陥を是正する機会を与える「二次的履行の権利」が、ドイツ法では強制的に優先されることを示しています。
取外しおよび再設置費用(BGB §439(3))
特に部品供給や建設関連のB2B取引において注意すべきは、2018年1月1日に施行されたBGB §439(3) です。この規定により、欠陥のある商品が買主によって既に他の製品に設置または組み込まれている場合、売主は、その欠陥品を取り外し、修理または交換された商品を再設置するために発生する全ての費用を負担する義務を負います。
この費用負担義務は、売主の過失の有無にかかわらず発生する、欠陥に基づく強制的な責任です。例えば、低単価の部品が最終製品に組み込まれた後に欠陥が発覚した場合、部品サプライヤーは、部品の価格を遥かに超える大規模な解体・再設置のロジスティクスおよび人件費を負うリスクがあります。国際的な契約ドラフティングにおいて、この強制的な費用負担をAGBで排除しようとしても、無効となる可能性が高いため、価格設定やリスクマージンの計算にこの潜在的なコストを反映させる必要があります。
ドイツにおける損害賠償の構造と責任制限の限界

ドイツの損害賠償法(BGB §§249 ff.)は、契約違反がなかったならば存在したであろう状態に被害者を回復させるという「原状回復の原則」に基づいています。この原則は、逸失利益(§252 BGB)の補償も含まれる点で、広範な適用を持ちます。
「間接損害」条項の信頼性の低さ
コモンロー法域で一般的に見られる「間接損害」(indirect loss)や「結果的損害」(consequential loss)という概念は、ドイツ法(BGB §§249 ff.)では公式に定義も使用もされていません。
このため、AGBにおいて「間接損害、逸失利益、または事業中断損失を全て排除する」といった包括的な制限条項を設けた場合、これらの用語がドイツ法下で不明確であるとして、裁判所によって無効と判断される可能性が高いのです。条項が無効化されれば、企業は意図しなかった全損害額(逸失利益を含む)を補償しなければならないリスクを負います。したがって、責任を制限したい場合は、「逸失利益」、「事業中断コスト」、「のれんの損失」など、除外したい具体的な損失項目を列挙して明示的に排除するアプローチを採用することが、法的確実性を高める上で必須となります。
中核的義務(Kardinalpflicht)違反に対する制限
AGBにおいて、単純な過失(einfache Fahrlässigkeit)による責任を制限する場合であっても、それが契約の根幹に関わる中核的義務(Kardinalpflicht)の違反であれば、責任を完全に排除することはできません。この場合、責任の制限は、契約の種類に鑑みて予見可能で典型的な損害の補償額に限定されることになります。中核的義務に違反すると、サプライヤーは契約価値を遥かに超える逸失利益を賠償するリスクがあることから、この概念を契約締結前に徹底的に分析することが重要です。
ドイツの時効期間(Verjährung)と年末起算の原則
ドイツ契約法における時効(Verjährung, §§194 ff. BGB)は、その期間の短さと起算点の特殊性から、日本企業が請求権を管理する上で重要なポイントとなります。
標準的な時効期間と「年末起算の原則」
BGB §195 が定める標準的な時効期間は3年間であり、日本の民法と比べて比較的短い期間が適用されます。
最も重要な特殊性は、時効期間の起算点に関する「年末起算の原則」(New Year’s Eve Limitation Period)です。標準的な時効期間は、以下の二つの条件が満たされた年の終わりに開始すると規定されています(BGB §199(1))。
- 請求権が発生したこと。
- 債権者が請求権発生の状況と債務者の身元を知ったこと(または重過失なく知ることができたはずであること)。
この規則の結果、例えばある請求権が年の初め(1月1日)に発生した場合、時効期間の起算はその年の12月31日まで待つことになり、時効期間が実質的に最長でほぼ4年間に延長されることになります。日本の法務部員は、この遅延した起算規則を理解し、請求権の期限切れを防ぐための正確なモニタリング体制を構築する必要があります。
売買契約における特別時効期間
標準期間とは別に、特定の請求権には特別期間が適用されます。
- 売買契約の瑕疵による請求権:一般に2年間であり、商品の引渡し時に起算されます。
- B2B取引の短縮:買主と売主の双方が事業者であるB2B取引の場合、AGBの規定によってこの2年間の期間を1年間に短縮することが許容されています。
- 建物の瑕疵:建物の構造物やその欠陥を引き起こした材料の瑕疵については、時効期間は5年間となります。
企業は、この比較的短い時効期間と、AGBによる短縮の許容性を理解し、契約書上で時効期間を明確に規定するとともに、請求権の管理を徹底する必要があります。
まとめ
ドイツの民法・契約法は、契約自由の原則を認めつつも、その背後にある「信義誠実の原則」やAGB規制を通じて、特に責任制限や瑕疵担保責任に関して、日本の法制度よりも厳格かつ柔軟な裁判所の介入を可能にする仕組みを持っています。
特に、日本の企業が慣例的に用いる責任制限条項や「みなし同意」条項が、ドイツのB2B取引においてもAGB審査によって無効と判断され、予期せぬ無制限の法定責任(逸失利益、取外し・再設置費用など)に直面するリスクは極めて高いと言えます。この法的予測可能性の低さを回避するためには、契約の起草段階で、AGBの適用範囲を正確に理解し、重要なリスク配分条項については、真の「個別合意」であることを証明できる交渉履歴を詳細に残すなどの戦略的な対策が不可欠です。
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カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務