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インド労働法の「4つの労働コード」を弁護士が解説

インド労働法の「4つの労働コード」を弁護士が解説

インド共和国(以下、インド)政府は、長年にわたり複雑怪奇と評されてきた労働法制の抜本的な改革を行い、2025年11月21日をもって新たな「4つの労働コード」を正式に施行しました。これは、中央政府が所管していた29の古い労働法を「賃金」、「労使関係」、「社会保障」、「労働安全衛生」の4つの法典に統合する歴史的な改革です。

この新法制の施行により、日系企業を含むすべての企業は、給与体系や雇用管理の根本的な見直しを迫られています。特に注目すべき変更点は、賃金の定義が統一され、手当が給与総額の50%を超えてはならないとする「50%ルール」が導入されたことです。これにより、社会保険料の負担増は避けられない情勢となりました。一方で、政府の事前許可を必要とする解雇の閾値が従業員100人から300人へと引き上げられ、労働市場の柔軟性が高まるという規制緩和も実施されています。

本記事では、これら4つの労働コードがもたらす法的な変更点について、詳細な条文や最高裁判所の判例に基づき解説します。また、日本の経営者や法務担当者を対象に、日本の労働法制との比較を交えながら、実務への具体的な影響と対応策を詳述します。

インドの賃金コードにおける賃金定義の統一と50%ルール

4つのコードの中で、企業の財務と人事制度に最も広範な影響を与えるのが「賃金コード(Code on Wages)」です。この法律は、従来の「賃金支払法」や「最低賃金法」など4つの法律を統合し、これまで法律ごとにバラバラであった「賃金」の定義を一本化しました。

賃金コードにおける新たな定義では、賃金は「基本給(Basic Pay)」、「物価手当(Dearness Allowance)」、「維持手当(Retaining Allowance)」の3つの核心的要素で構成されると定められました。これらは名称の如何を問わず、常に賃金として扱われます。一方で、住宅手当(HRA)、通勤手当、残業手当、賞与、退職金などは、原則として賃金の定義から除外される項目としてリストアップされています。

しかし、この定義には日系企業にとって極めて重要な「但し書き(Proviso)」が存在します。それが「50%ルール」です。このルールは、除外対象となる手当の総額が報酬総額の50%を超えた場合、その超過分を「賃金」とみなして計算に加算しなければならないというものです。

項目従来の給与慣行(CTCモデル)新制度(50%ルール適用後)
給与構成基本給を低く抑え(例:30-40%)、残りを多様な手当で構成することが一般的。手当比率を50%以下に抑える必要があり、基本給比率の上昇圧力となる。
社会保険料(PF等)基本給が低いため、会社・従業員の拠出額が低く済み、手取り給与が多くなる。手当が50%を超過すると、超過分がPF算定基礎に加算され、拠出額が増加(手取り減少)する。
退職金引当基本給ベースのため、引当額を抑制できていた。算定基礎となる賃金が増加するため、退職金コストが増大する。

例えば、月額給与総額が10万ルピーの従業員に対し、基本給を3万ルピー、諸手当を7万ルピーと設定していた場合を考えます。従来であれば、積立基金(PF)の拠出は基本給の3万ルピーを基準に計算されていました。しかし新制度では、手当(7万ルピー)が総額の50%(5万ルピー)を超えているため、超過分の2万ルピーが賃金に加算されます。その結果、PFの算定基礎額は3万ルピーではなく5万ルピーとなり、企業と従業員双方の負担が増加します。

この改正の背景には、手当を濫用した賃金の圧縮(Camouflaging of Wages)を防ぐという明確な意図があります。この方針は司法判断によっても裏付けられており、インド最高裁判所は2019年の「ヴィヴェカナンダ・ヴィディアマンディル事件」等の判決において、全従業員に一律に支払われる手当は、名称にかかわらず基本賃金の一部とみなされると判断しています。

日本の労働法制と比較すると、この変更はインドの制度が日本の「標準報酬月額」の考え方に近づいたことを意味します。日本では、通勤手当や住宅手当を含むほぼすべての報酬が社会保険料の算定基礎となりますが、インドも「実質的な報酬総額」に対して社会保障負担を求める方向へと舵を切ったと言えます。

インドの労使関係コードによる解雇規制の緩和

インドの労使関係コードによる解雇規制の緩和

インドに進出する製造業にとって、長年の課題であった「解雇の困難さ」についても大きな変更が加えられました。「労使関係コード(Industrial Relations Code)」は、整理解雇や事業所閉鎖に際して政府の事前許可が必要となる事業所の規模要件(閾値)を引き上げました。

具体的には、旧法(産業紛争法)では従業員数100人以上の事業所が許可の対象でしたが、新法ではこれが「従業員数300人以上」の事業所に引き上げられました。これにより、従業員数が100人以上300人未満の中規模工場や事業所においては、政府の許可を得ることなく、法定の手続き(解雇予告や補償金の支払い)を経ることで人員整理や事業閉鎖を行うことが可能となります。

また、有期雇用契約(Fixed-Term Employment)に関しても重要な法改正が行われました。これまでは有期契約の反復更新が実質的な無期雇用とみなされるリスクがありましたが、新法では「固定期間雇用の契約期間満了による終了」は、法的な解雇(Retrenchment)には該当しないと明記されました。これにより、企業は繁忙期や特定プロジェクトのために柔軟に人員を採用・調整することが容易になります。

以下の表は、日本とインドの解雇規制および有期雇用の比較です。

比較項目日本(労働契約法等)インド(新労使関係コード)
解雇規制客観的合理的理由と社会的相当性が必要(解雇権濫用法理)。行政の許可は不要。300人以上の事業所では行政の事前許可が必要。300人未満は許可不要だが補償金等は必須。
有期雇用の終了雇い止め法理により、反復更新後の終了には合理的理由が必要となる場合がある。契約期間満了による終了は解雇に該当しないと明記され、終了が容易化された。
無期転換通算5年を超えると、労働者の申込により無期雇用へ転換するルールがある。契約期間の長さによる自動的な無期転換ルールはない。

このように、インドの新法は「雇用の流動性」を高める一方で、後述する金銭的補償(退職金)によって労働者を保護するアプローチを採用しています。

インドの社会保障コードと退職金受給要件の変更

社会保障コード(Code on Social Security)」は、従業員積立基金(EPF)や退職金(Gratuity)などの社会保障制度を統合したものです。ここで日系企業が特に留意すべきは、固定期間従業員(Fixed-Term Employee)に対する退職金の受給要件緩和です。

従来のインドの法律では、退職金の受給権を得るためには同一の雇用主の下で「5年以上」の継続勤務が必要でした。しかし、新コードでは、固定期間従業員についてはこの要件が撤廃され、1年間の勤務実績があれば、その期間に応じて比例配分(Pro-rata)された退職金を受け取る権利が発生することになりました。

つまり、1年契約の社員であっても、契約終了時には給与の約15日分に相当する退職金を支払う義務が生じます。これは、雇用の柔軟性を享受する企業に対し、短期雇用者への金銭的待遇においては正規雇用と同等の責任を求めるものです。

また、本コードでは「ギグワーカー」や「プラットフォームワーカー」といった新しい働き方が定義され、UberやZomatoのようなプラットフォーム企業に対して社会保障基金への拠出が義務付けられる可能性が出てきました。フリーランスを活用している企業は、契約形態がこれらの定義に当てはまらないか確認が必要です。

インドの労働安全衛生コードにおける女性の夜間労働と残業規制

インドの労働安全衛生コードにおける女性の夜間労働と残業規制

労働安全衛生・労働条件コード(OSH Code)」では、ジェンダー平等の観点から女性の就業規制が緩和される一方で、残業代に関するコスト規定が明確化されました。

まず、女性の夜間労働(午後7時から午前6時まで)について、これまでは原則禁止とされてきましたが、新法では全業種においてこれが解禁されました。ただし、これには「本人の同意」を得ること、および「安全対策」を講じることが絶対条件となります。具体的には、自宅から勤務地までの送迎車両の手配、明るい職場環境の整備、セクシャルハラスメント対策などが雇用主に義務付けられています。

次に、時間外労働(残業)に対する割増賃金率です。日本の労働基準法では、通常の残業に対する割増率は25%増(1.25倍)ですが、インドの新コードでは「通常の賃金率の2倍(twice the ordinary rate of wages)」を支払うことが明記されています。さらに、前述の「50%ルール」により残業代の算定基礎となる単価自体が上昇する可能性があるため、残業コストは日本と比較しても非常に高くなるリスクがあります

インドのストライキ規制と労働組合

労使関係においては、ストライキに関する規制も強化されました。新法では、ストライキを行う前の予告義務(14日間の予告期間など)が、従来の公益事業だけでなく「すべての工業事業所」に拡大されました。また、従業員の50%以上が一斉に休暇を取得する「集団休暇(Mass Casual Leave)」も法的にストライキとみなされることになりました。

これにより、労働側による突発的な業務放棄が抑制され、使用者側にとっては操業の予見可能性が高まることになります。これは、労働争議が頻発しやすいインドの製造現場において、経営の安定化に寄与する変更点と言えるでしょう。

まとめ

今回の「4つの労働コード」の施行は、インドの労働市場を現代化し、透明性を高めるための大きな一歩です。しかし、日系企業にとっては、給与体系(CTC)の抜本的な見直し、就業規則の改定、雇用契約書の書き換えなど、多岐にわたる実務対応が必要となります。特に、「50%ルール」による人件費の増加や、固定期間従業員への退職金支払い義務化は、経営計画に直接的なインパクトを与える要素です。

モノリス法律事務所では、インドの最新法制に精通した知見を活かし、新コードに準拠した就業規則の作成、給与構造の適法性チェック、雇用契約の見直しなど、皆様の現地ビジネスを法務面から強力にサポートいたします。複雑な法改正への対応にお困りの際は、ぜひお気軽にご相談ください。

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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