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法律記事MONOLITH LAW MAGAZINE

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ベルギー王国の労働法

ベルギー王国の労働法

ベルギー王国は、欧州連合(EU)の中心に位置する国として、高度に発達した労働法制度を有しています。その法的構造は、労働者の権利を強力に保護するEU指令を忠実に国内法に実装しつつ、労使間の対話、すなわち「社会協議」を通じて、業界や企業ごとの柔軟なルールを形成するという二重の特徴を持っています。この根本的な思想は、労働契約法第16条に定める「客観的に合理的な理由」と「社会通念上の相当性」といった判例法理が支配的な日本の労働法とは、根本的に異なるものです。

特に、企業の存続に直結する「解雇」と「事業譲渡」の分野では、日・ベルギー間で決定的な法的枠組みの相違が存在します。日本の経営者や法務担当者がベルギーでのビジネス展開を成功させるためには、これらの差異を深く理解することが不可欠です。

本稿では、ベルギー労働法の全体像を概観しつつ、特に注意すべきこれらの相違点に焦点を当て、その法的・実務的意味合いを深く掘り下げます。本記事を通じて、読者の皆様がベルギーでの事業展開における法的リスクを正確に把握し、戦略的な意思決定を行うための洞察を得られることを目的とします。

ベルギーの労働時間・賃金・休暇

ベルギーの雇用環境は、日本の労働法と比較して、労働者の休息と保護を重視する特徴を持っています。その労働時間は、1971年3月16日付労働法および1974年1月4日付祝日法によって厳格に定められています。原則として、1日の最大労働時間は8時間、週の労働時間は38時間(または特定の参照期間における平均38時間)と規定されており、これは日本の法定労働時間(週40時間)よりも短い設定となっています。

一方で、ベルギーの労働法は、企業や業界のニーズに応じた柔軟性も有しています。例えば、業務が中断できない場合など、特定の条件下では1日の上限が12時間、週の上限が56時間まで拡大されることがあります。また、最近では労働組合の合意があれば、賃金を維持したまま週10時間労働で週4日勤務を可能にする新たな規定も導入されました。このような柔軟な労働時間制度は、ベルギーの雇用政策が労使間の協議に基づいているという考え方から生まれています。単に法律で一律に定めるのではなく、各企業の労使関係に基づいて労働条件を調整する文化があることが、この制度の背景にあると言えるでしょう。

法定労働時間を超える労働には、厳格な割増賃金が義務付けられています。週内(土曜日を含む)は50%増し、日曜日や法定祝日には100%増しで補償されます。これは日本法の法定割増率(25%)を大きく上回るものであり、ベルギーでの残業コストは日本と比較して大幅に高くなることに注意が必要です。

賃金と各種休暇制度に関しても、手厚い規定が存在します。ベルギーでは法定最低賃金が定められており、2022年5月1日時点で月額€1,842.28が基準となっています。給与は、原則として電子送金によって支払うことが規定されています。年次有給休暇は、1年間の勤務を完了した従業員に年間最大4週間(24日間)の取得が認められます。これに加え、年間10日の法定祝日は労働が禁止されます。日本の法定有給休暇が勤続年数に応じて最大20日であることと比べると、ベルギーの休暇制度はより手厚く、労働者の休息権を重視していることがうかがえます。

病気休暇についても、日本の制度とは異なる規律があります。ホワイトカラーの従業員は、最大30日間、給与の100%を補償された病気休暇を取得できます。これは、日本の「傷病手当金」制度が社会保険から支給されるのとは異なり、雇用主が直接的に賃金支払いの義務を負う点で大きな違いがあります。また、育児休暇は4ヶ月間が義務付けられており、連続して取得することも、分割して取得することも可能です。男性従業員にも子の出生後10日間の育児休暇が認められています。

ベルギーにおける解雇に関する規律

ベルギーにおける解雇に関する規律

日本法における「解雇権濫用法理」

日本の労働法は、労働契約法第16条に定める「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」という「解雇権濫用法理」に基づいています。この法理は、使用者に対し、解雇の有効性を裁判所で証明するという重い義務を課しています。具体的には、労働者の能力不足や勤務態度不良、または経営上の必要性など、客観的な事実に基づいた具体的な理由が必要とされ、その手段も相当であると判断されなければなりません。

ベルギー法における解雇規律

ベルギーでは、日本の法理とは異なり、雇用主が解雇の際に自発的に理由を開示する法的義務はありません。これは、ベルギー法が実体的な理由の厳格性よりも、手続き的な透明性を重視しているという、根本的な法的思想の違いからくるものです。このルールは、民間部門では団体交渉協定第109号(CBA No. 109)に、公共部門では2024年3月13日付法に基づいています。

日本の解雇法制が「解雇理由」そのものの厳格性を問うのに対し、ベルギーの法制は「解雇理由が手続きに則って開示されたか」と「その理由が明白に不合理ではないか」という二段階で評価します。日本の法務担当者にとって、この「理由開示の任意性」と「請求権の存在」という組み合わせは、新鮮かつ重要なリスク管理の視点となります。

このベルギーの法制度は、雇用主が法的リスクを戦略的に管理することを可能にします。もし従業員から解雇理由の開示を請求された際に、理由を開示しなかった場合、雇用主には2週間分の総報酬に相当する罰金が科される可能性があります。さらに、理由を開示しなかった場合、後に「明白に不合理な解雇」として訴えられた際の立証責任が雇用主側に転換する点が極めて重要です。このため、雇用主は罰金を回避し、かつ立証責任の転換を防ぐために、たとえ理由が弱かったとしても、求められれば必ず解雇理由を開示することが推奨されます。

従業員による解雇理由の開示請求権と「明白に不合理な解雇」

解雇された従業員は、雇用契約終了後2ヶ月以内に登録郵便で解雇理由の開示を要求することができます。要求を受領した雇用主は、2ヶ月以内に登録郵便で回答しなければなりません。

裁判所が解雇を「明白に不合理な解雇(Patently Unreasonable Dismissal)」と判断するのは、解雇理由が「従業員の適性(例:業績や行動)」または「会社の運営上の必要性(例:経済的、技術的、組織的理由)」に関連しない場合です。この判断基準は、「通常の合理的な雇用主であれば、決して下さないであろう決定」であるか否かという観点から判断されます。裁判所が解雇を「明白に不合理」と認定した場合、雇用主には3週間から17週間分の総報酬に相当する補償金の支払いが命じられる可能性があります。

なお、CBA No. 109は、勤続6ヶ月未満の従業員には適用されませんが 、公共部門に適用される2024年3月13日付法ではこの例外が適用されず、さらに厳格な運用がなされている点に、労働者保護強化のトレンドがうかがえます。

以下に、日本とベルギーの解雇法制の主な違いをまとめた表を示します。

日本の解雇法制ベルギーの解雇法制
法的根拠労働契約法第16条(解雇権濫用法理)CBA No. 109(民間部門)、2024年3月13日付法(公共部門)
解雇理由の開示義務裁判で有効性を証明するため、実質的に開示が不可欠原則として自発的な開示義務なし。従業員からの請求があった場合に開示義務が発生
解雇理由の要件客観的合理性と社会通念上の相当性従業員の適性・行動、または会社の運営上の必要性に関連していること
立証責任の所在原則として、雇用主が解雇の正当性を証明理由を開示した場合、従業員に不合理性を証明する義務がある。開示しない場合は雇用主側に立証責任が転換
裁判で不当と判断された場合の救済解雇が無効となり、雇用関係の継続、およびバックペイ(未払い賃金)支払い雇用関係は終了するが、2週間分(開示義務違反)または3〜17週間分(不合理な解雇)の補償金支払い

ベルギーでの事業譲渡時における従業員保護

日本法における「個別同意」の原則

日本の事業譲渡は、民法上の「特定承継」に分類され、労働契約も自動的に承継されることはありません。このため、労働契約は、譲渡対象となる従業員一人ひとりから「個別の同意(承諾)」を得ることで初めて譲受企業に承継されます。

この「個別同意」の原則は、譲受企業が従業員を再雇用する「再雇用型」という実務慣行を生み出しました。これにより、従業員は、譲受企業が提示する労働条件に同意しなければ雇用関係が失われるという立場に置かれます。しかし、事業譲渡に同意しなかった従業員を解雇することは、原則として日本の「解雇権濫用法理」に抵触する可能性があるとされ、日本の法制度が事業譲渡における従業員保護の法的ルールを十分に整備しきれていないという問題が指摘されています。

ベルギー法における「自動承継」の原則

ベルギーでは、EUの「企業譲渡時における従業員保護に関する指令(ARD)」を国内法化した団体交渉協定第32条の2(CBA No. 32bis)により、事業譲渡が行われた場合、従業員の雇用関係が譲受企業に「自動的に」承継されると定められています。この「自動承継」の原則により、譲受企業は、譲渡された従業員を既存の雇用条件のまま受け入れる義務を負います。

日本が労働者個人の意思を尊重する一方で雇用継続のリスクを負わせるのに対し、ベルギーは事業の連続性を重視し、労働契約を自動的に引き継ぐことで雇用条件の維持を強力に保護します。これは、事業譲渡という企業再編手法に対する両国の法的アプローチの根本的な違いを明確に示しています。譲受企業は、譲渡元企業と連帯して、譲渡日以前に発生した雇用契約上の債務に対して責任を負うことになります。このため、ベルギーでのM&Aや事業譲渡の際には、人事面での「負債」を詳細に調査する必要があると言えるでしょう。

事業譲渡を理由とする解雇の禁止と新たな義務の導入

CBA No. 32bisは、事業譲渡自体を解雇の理由とすることを明確に禁止しています。ただし、例外として、「経済的、技術的、組織的理由」に基づく解雇は許可されます。

この「自動承継」の原則をさらに強化する動きとして、2024年12月17日に採択され、2025年2月1日に施行されたCBA No. 32bisの改正があります。この改正により、従業員またはその代表者からの要求があった場合、譲渡元企業は、譲渡元企業と従業員の間で行われた情報提供および協議内容を譲受企業と共有し、さらに譲受企業に対し、従業員またはその代表者との紹介会を開催するよう招待する義務を負うことになりました。

譲受企業にはこの招待に応じる義務はありませんが、この規定は、従業員が将来の雇用主と直接対話する機会を制度的に保障し、事業譲渡プロセスにおける透明性と信頼関係の構築を促進することを目的としています。これは、日本法には見られない、従業員保護のレベルを一段階引き上げる画期的な規定であると言えるでしょう。

以下に、日本とベルギーの事業譲渡時における従業員処遇の主な違いをまとめた表を示します。

日本の事業譲渡時における従業員処遇ベルギーの事業譲渡時における従業員処遇
法的根拠民法(特定承継)、労働契約法第16条CBA No. 32bis(EU指令の実装)
労働契約の承継方法個別の同意(承諾)が必要自動的に譲受企業へ承継
従業員の同意の要否必須不要
従業員が転籍を拒否した場合雇用関係が終了する。拒否を理由とする解雇は解雇権濫用となる可能性あり従業員は転籍を拒否できるが、退職とみなされる
解雇の可否事業譲渡自体を理由とする解雇は原則無効事業譲渡自体を理由とする解雇は禁止。経済的、技術的、組織的理由での解雇は可
情報提供・協議義務法的ルールは未整備だが、労使間で誠実な協議が推奨される  2025年2月1日以降、従業員からの要求があれば譲渡先への情報共有・紹介会招待が義務化  

まとめ

本稿では、ベルギー労働法が、労働時間や休暇において手厚い保護を提供しつつ、特に解雇と事業譲渡に関する規律において、日本法とは根本的に異なる法的思想に基づいていることを解説しました。

日本法が「実体的な正当性」と「個別同意」を重視するのに対し、ベルギー法は「手続き的な透明性」と「自動承継」という異なるアプローチを取っています。この違いを深く理解することは、ベルギーでの事業展開を成功させるための第一歩となります。特に、2025年2月1日に施行される事業譲渡時の新たな情報共有・協議義務は、ベルギーが労働者保護をさらに強化する方向にあることを示しています。

こうした複雑な法制度の差異を乗り越え、ベルギー市場で成功を収めるためには、現地の法務に精通した専門家によるサポートが不可欠です。モノリス法律事務所は、ベルギーでの事業展開における法務コンサルティング、契約書作成、各種手続きのサポートなど、多岐にわたる専門サービスを提供しております。貴社のベルギー進出を強力に支援いたしますので、どうぞお気軽にご相談ください。

関連取扱分野:国際法務・海外事業

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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