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シンガポールのM&A(合併・買収)を弁護士が解説

シンガポールのM&A(合併・買収)を弁護士が解説

シンガポール共和国(以下、シンガポール)は東南アジア諸国連合(ASEAN)地域のビジネスハブとして確固たる地位を築いており、政治的および経済的な安定性、透明性の高い法制度、そして極めて高いビジネスのしやすさから、日本企業によるM&A(合併・買収)が極めて活発に行われています。年間40件から50件程度の日本企業によるシンガポール企業の買収案件が進行しており、2024年にはアジアにおけるM&A拠点として約1000億USDの取引が実施されました。

シンガポールにおけるM&Aの最大の特徴は、原則として外国資本の全額出資が自由である点にありますが、放送、新聞、金融などの特定業種や、2024年に施行された重要投資審査法(SIRA)に基づく国家利益に関わる分野では厳格な外資規制が存在します。企業形態としては非公開有限責任会社が一般的に利用され、現地の居住者を取締役として最低1名選任する義務が会社法第145条により定められている点は、日本法にはない特有の要件です。買収手法としては株式譲渡や事業譲渡、さらには裁判所の認可を伴うスキーム・オブ・アレンジメント(SOA)が用いられ、各々に独自の法的手続きと税務上の取り扱いが定められています。特に株式譲渡においては、買収価格または純資産額のいずれか高い方に対して0.2%の印紙税が課される点や、少数株主を締め出すスクイーズアウトに関する会社法第215条の要件が日本法と比較して厳格である点に注意が必要です。

さらに、日系企業の動向としては、食品加工、外食、金融、物流関連の企業をASEAN進出の足がかりとして買収する事例が増加していますが、契約実務は主に英米法体系に基づく英語での交渉となり、表明保証や開示の手法において日本法とは異なる厳密なアプローチが求められます。買収後の事業統合(PMI)を迅速に進めることが成功の鍵となる中、現地の税制優遇措置である「M&A控除」は2026年予算案により2030年末まで延長され、一定の条件を満たすことで買収価格の25%を5年間で償却できる強力なインセンティブを提供しています。

本稿では、シンガポールでのビジネス展開や企業買収を検討している日本人の経営者や法務部員に向けて、現地のM&Aに関する法制度、実務上の特徴、および日本法との重要な違いについて網羅的かつ詳細に解説します。

シンガポールにおけるM&Aの市場動向と戦略的意義

シンガポールは、東南アジアの中心に位置する地理的優位性に加え、英語が公用語として広く使用されていること、高度に整備された金融インフラストラクチャー、そして予測可能性の高いコモンロー(英米法)体系の法制度を有していることから、グローバル企業のアジア統括拠点として機能しています。2024年において同国が関与するM&A取引の総額は約1000億USDに達しており、アジア太平洋地域における最も活発なM&A市場の一つとして評価されています。

日本企業によるシンガポール企業の買収は年間40件から50件程度で安定して推移しており、その投資意欲は依然として旺盛です。具体的には、食品や外食産業、金融サービス、物流およびサプライチェーン関連の企業が主要な買収ターゲットとなっています。例えば、日本の大手外食チェーンであるワタミによる現地の食品加工会社の買収に見られるように、シンガポール国内の市場シェア獲得のみならず、取得した現地企業をプラットフォームとしてASEAN全域への事業展開を加速させるという戦略的意図が背景にあります。シンガポールでのM&Aは、ASEAN市場拡大を目指す日本企業にとって、極めて迅速かつ有効な市場参入手段として位置づけられています。

シンガポールのM&A実務における最大の法的基盤は、制定法による規制と並んで、当事者間の合意を最大限に尊重するコモンロー体系にあります。日本の会社法が詳細な手続きや組織再編行為(合併、会社分割、株式交換など)を広範かつ厳格に規定しているのに対し、シンガポールの非公開企業を対象とするM&Aは、制定法による規制が相対的に少なく、当事者間の契約によって取引条件が決定される傾向が強いという特徴を有しています。このため、買収契約書は極めて詳細かつ長文となり、契約言語は主に英語が使用されます。また、準拠法としてシンガポール法が指定されることが一般的です。

コモンローの原則下では、契約書に明記されていない事項について法的な保護を求めることが困難であるため、AGSコンサルティングや日本M&Aセンターなどの専門家を活用した徹底的なデューデリジェンスの実施が不可欠となります。デューデリジェンスにおいて発見された法務、財務、税務上のリスクは、株式譲渡契約における表明保証や特定の補償条項に反映させることで法的に手当てされます。日本法の感覚で、契約書に書かれていなくても民法や商法の一般原則で保護されるだろうという前提に立つことは、シンガポール実務においては重大なリスクを内包しています。

シンガポール外資規制の基本構造と重要投資審査法(SIRA)

シンガポール外資規制の基本構造と重要投資審査法(SIRA)

シンガポールは伝統的に自由貿易外資誘致を国家戦略の根幹に据えており、原則として外国投資家による現地法人の完全子会社化が認められています。日本における外国為替及び外国貿易法(外為法)のような、あらゆる業種を対象とした包括的な事前届出制度は長らく存在しませんでした。しかしながら、国家の安全保障や公共の利益に直結する分野に対しては、個別の業種特化型法令によって厳格な外資規制が敷かれています。

具体的には、新聞印刷出版法(Newspaper and Printing Presses Act)および放送法に基づき、情報通信メディア開発庁(IMDA)が強力な監督権限を有しています。例えば、新聞社は2種類の株式クラスを発行する義務があり、特定の経営支配権を持つマネジメント株式はシンガポール国民または政府に承認された法人のみが保有できます。また、外国資金の受け入れや、取締役および最高経営責任者の過半数をシンガポール国民とすることなどが法定されています。さらに、シンガポール金融管理局(MAS)による厳格なライセンス制度が適用される金融および銀行サービス、通信事業者やエネルギー供給事業者に対しても、各監督官庁による定性的および定量的な審査が行われます。

シンガポールの外資規制において近年最も重大な転換点となったのが、2024年3月28日に施行された重要投資審査法(Significant Investments Review Act、以下「SIRA」)の導入です。この法律は、従来の業種別規制を補完し、シンガポールの国家安全保障に不可欠な指定事業体に対する投資を包括的に管理および統制することを目的としています。シンガポール貿易産業省(MTI)の下に設置された重要投資審査室(OSIR)が本法の運用を担います。SIRAの最大の特徴は、対象が外国投資家だけでなく国内投資家にも等しく適用される点、および、MTI大臣が指定した事業体の株式取得等に対して厳格な報告および承認義務を課す点にあります。

2024年5月31日時点で、MTI大臣は以下の企業を含む9社を国家安全保障上不可欠な指定事業体として官報で指定しました。これには、ST Logistics Pte. Ltd.、Sembcorp Specialised Construction Pte. Ltd.、ExxonMobil Asia Pacific Pte. Ltd.、Shell Singapore Pte. Ltd.、Singapore Refining Company Pte. Ltd.、およびST Engineeringグループ関連企業4社が含まれます。

指定事業体に対する投資家は、持分比率の変動に応じて以下の表に示す厳格な義務を負います。

取得または変動の基準法的義務期限および条件
5%の支配権の取得MTI大臣への通知義務取得後7日以内
12%、25%、50%の支配権の取得MTI大臣の事前の書面による承認取得手続きの完了前
間接的な支配権の取得MTI大臣の事前の書面による承認取得手続きの完了前
継続企業としての事業の取得MTI大臣の事前の書面による承認取得手続きの完了前
既存の支配者が50%または75%の支配権を失う場合MTI大臣の事前の書面による承認持分減少の完了前

SIRAの施行により、日本企業がシンガポールでインフラ、エネルギー、先端技術などの分野に関連する企業を買収する際には、当該ターゲット企業がSIRAの指定事業体に該当するかどうかを初期段階で確認することが極めて重要となりました。仮に無許可で取引を強行した場合、大臣はその取引を無効とし、株式の処分を命じる権限を有しています。さらに、大臣の決定に対して不服がある場合、決定後14日以内に再審理を要求することができ、その後30日以内に審査法廷(Reviewing Tribunal)に対して200シンガポールドルの所定の手数料を支払い不服申し立てを行うプロセスが整備されています。

この法律に関する公式な情報は、シンガポール貿易産業省の公式ウェブサイトで確認することができます。

参考:シンガポール貿易産業省の公式ウェブサイト

シンガポールの会社法に基づく法人形態と取締役の居住要件

シンガポールでM&Aを行う際、買収用特別目的会社(SPV)を設立する場合や、買収後のターゲット企業を運営する場合に直面する実務上の障壁が、シンガポール会社法(Companies Act)第145条に規定される取締役の居住要件です。シンガポールにおいて最も一般的に利用される法人形態は非公開有限責任会社ですが、この形態であっても厳格な役員要件が課されます。

会社法第145条第1項は、すべての会社はシンガポールに通常居住する取締役を少なくとも1名置かなければならないと定めています。この要件における通常居住するとは、シンガポール国民、永住権保持者、または有効な就労パス(Employment PassやEntrePass)を保持し、シンガポール国内に居住実態のある者を指します。さらに同条第2項により、取締役は18歳以上の自然人であり、完全な法的行為能力を有していなければならず、法人を取締役とすることは一切認められません。

日本の会社法においては、かつて代表取締役のうち少なくとも1名は日本に住所を有しなければならないという運用がありましたが、2015年にこの要件は撤廃されており、現在では全員が非居住者であっても日本の株式会社の設立や運営が可能です。しかし、シンガポール法ではこの居住要件が厳格に維持されている点に大きな違いがあります。会社法第145条第5項は、会社にシンガポール居住の取締役が1名もいなくなるような形での取締役の辞任を無効であると明記しています。

この要件を満たすため、日本から駐在員を派遣して就労パスを取得させるまでの間、現地の法律事務所や会計事務所、あるいは企業秘書役(コーポレートセクレタリー)提供会社が提供するノミニー・ディレクター(名義貸し取締役)サービスを利用することが一般的です。買収完了後、迅速に自社の役員を現地法人の取締役に就任させるためのビザ手配等のPMIプロセスを、法務部門や人事部門が連携して進めることが求められます。

シンガポール法における主要なM&A手法と日本法との比較

シンガポール法における主要なM&A手法と日本法との比較

シンガポールにおけるM&Aは、主に株式譲渡事業譲渡および資産譲渡、そしてスキーム・オブ・アレンジメントの3つの手法によって実行されます。ターゲット企業の状況や獲得したい資産の性質、税務上の影響を考慮して最適なスキームを選択します。

株式譲渡と印紙税のメカニズム

シンガポールにおいて最も頻繁に用いられるM&Aスキームは株式譲渡です。ターゲット企業の株主から株式を買い取ることで、会社の支配権を獲得します。株式譲渡の最大のメリットは、ターゲット企業が保有する許認可、従業員との雇用契約、取引先との契約などの権利義務関係が、法人格を通じてそのまま維持される点にあります。ただし、重要な取引基本契約やリース契約に支配権の移転を契約解除事由とするチェンジ・オブ・コントロール条項が含まれている場合があるため、デューデリジェンスでの精査が不可欠です。

日本法との実務上の大きな違いの一つが、印紙税(Stamp Duty)の存在です。日本では株式譲渡契約書に対する印紙税は非課税ですが、シンガポールでは株式譲渡に際して、シンガポール内国歳入庁(IRAS)に対して印紙税を納付する義務があります。印紙税の税率は、実際の株式譲渡対価または対象株式の純資産価値のいずれか高い方の金額に対して0.2%と定められています。この印紙税は原則として買主が負担します。

株式が非上場株式である場合の純資産価値に基づく印紙税の計算例は以下の表の通りです。

項目計算式および金額
ターゲット企業の総資産額$850,000
ターゲット企業の総負債額$300,000
対象会社の純資産総額$850,000 – $300,000 = $550,000
発行済株式総数100,000株
1株あたりの純資産額$550,000 ÷,000株 = $5.50
譲渡される株式数5,000株
印紙税額2% × ($5.50 ×,000株) = $55

買収対価がこの純資産価値を上回るプレミアムを伴う場合は、その高い方の買収対価を基準として0.2%が計算されます。日本企業は買収予算を策定する際、この印紙税コストをあらかじめ取引費用として見込んでおく必要があります。

少数株主の強制取得(スクイーズアウト)と会社法第215条

ターゲット企業に多数の少数株主が存在する場合、株式譲渡や公開買付けによって完全子会社化を目指すための法的手続きとして、会社法第215条に基づく強制取得(スクイーズアウト)制度が存在します。会社法第215条によれば、買収者がターゲット企業に対して買収提案を行い、その提案に対して対象となる全株式の90%以上の承諾を得た場合、買収者は残る少数株主の株式を強制的に買い取る権利を取得します。

この90%という閾値は、日本の会社法における特別支配株主の株式等売渡請求(90%以上の議決権保有で発動可能)と数値上は類似していますが、シンガポールの制度は買収の文脈においてのみ機能し、さらにその計算基礎が極めて厳格に規定されています。日本の株式併合を活用したスクイーズアウトが株主総会の特別決議要件である3分の2以上の賛成で実行可能であることと比較すると、シンガポールの90%要件は達成のハードルが非常に高いということが言えるでしょう。

さらに、2023年7月1日に施行された会社法改正により、この90%の計算基礎から除外される株主の範囲が大幅に拡大されました。この改正は、買収者が実質的に支配している第三者を利用して90%の要件を不正に満たす取引の裁定を防ぐことを目的としています。現在、90%の計算基盤から除外されるのは以下の者が保有する株式です。

  1. 買収者本人およびその関連会社、またはそれらの名義人
  2. ターゲット企業が保有する自己株式
  3. 買収者の指示や希望に従って行動する義務を負っている、またはそのように行動することが習慣となっている買収者の影響下にある者
  4. 買収者の近親者であり、これには配偶者、両親、兄弟姉妹、および実子、養子、継子を含む子供が含まれる

この法改正により、シンガポールにおけるスクイーズアウトはより少数株主の保護に傾倒しており、日本企業がシンガポールの上場企業や多数の株主を抱える非公開企業を完全買収する際には、90%の承諾を得るための魅力的な価格設定やインセンティブ設計がこれまで以上に重要となります。

事業譲渡と会社法第160条の決議要件

買収者がターゲット企業の特定の優良な事業部門や資産のみを取得し、偶発債務や簿外債務を引き継ぐリスクを回避したい場合には、事業譲渡および資産譲渡が選択されます。契約外の債務を遮断できるえり好みが可能である反面、個々の資産の所有権移転手続きや、従業員の再雇用、許認可の取り直しが必要となるため、統合プロセスにおける実務的負担は株式譲渡に比べて重くなります

シンガポール会社法における事業譲渡の重要な規制として、第160条が挙げられます。会社法第160条第1項は、定款の規定にかかわらず、取締役は会社の事業または財産の全部または実質的に全部を処分する提案について、株主総会における承認を得ない限り、これを実行してはならないと定めています。ここで日本法と大きく異なるのは、その決議要件です。

日本の会社法では、事業の全部または重要な一部の譲渡には株主総会の特別決議、すなわち議決権の過半数を有する株主が出席し、その3分の2以上の賛成が必要とされます。しかし、シンガポール会社法第160条に基づく承認要件は普通決議であり、総会に出席して議決権を行使した株主の単純過半数の賛成で足ります。この点から、シンガポールにおいては会社法上、経営陣や過半数を握る支配株主による事業の機動的な売却が日本よりも容易であるということが言えるでしょう。

公開買付けと義務的公開買付規則(MBR)

シンガポールの上場企業や、一定の要件を満たす非公開企業を対象とする買収においては、シンガポール買収合併規約(Singapore Code on Take-overs and Mergers)が適用されます。この規約は、証券先物法(Securities and Futures Act)第138条に基づき設立された証券産業協議会(SIC)によって管理されています。

日本企業が留意すべき最大の特徴は、義務的公開買付規則(Mandatory Bid Rule)の存在です。買収者がターゲット企業の議決権の30%以上を取得する場合、またはすでに30%以上50%未満を保有している者が6ヶ月以内にさらに1%以上の議決権を取得する場合、残りの全ての株主に対して公開買付けを行う義務が生じます。この規則は、米国の市場ルール(Market Rule)とは異なり、支配権のプレミアムを全ての少数株主と公平に共有させることを目的としています。

さらに、この義務的公開買付けは、買収者およびその共同行為者がターゲット企業の議決権の50%超を獲得することを条件としてのみ成立するという、最低受諾条件(Minimum acceptance condition)が設定されています。50%を獲得できなかった場合、買付けは不成立となり、取得した株式は元の株主に返還されなければなりません。このメカニズムは、中途半端な支配権の移動を防ぐ強力なセーフガードとして機能しています。

この規約に関する公式な規定は、シンガポール金融管理局の公式ウェブサイトで確認することができます。

参考:シンガポール金融管理局の公式ウェブサイト

スキーム・オブ・アレンジメント(SOA)とクラス分けの法理

大規模な企業再編や、多数の株主や債権者が関与するM&A、あるいは財務的に行き詰まった企業の買収において利用されるのが、会社法第210条に基づくスキーム・オブ・アレンジメント(SOA)です。SOAは、会社とその債権者または株主との間で法的拘束力のある妥協や取り決めを行うための法定手続きです。日本の民事再生手続や会社更生手続、あるいは会社法上の組織再編行為と類似する機能を持ちますが、SOAは債務再編だけでなく、完全子会社化などの純粋なM&Aの手法としても広く活用されています。

SOAを成立させるためには、裁判所の命令により召集された関係者の集会において、出席し議決権を行使した者の人数の過半数、かつ債権額または株式価値の75%以上の賛成による承認を得た上で、最終的にシンガポール高等裁判所の認可を得る必要があります。裁判所の認可が得られれば、集会で反対した者を含む全ての対象関係者を法的に拘束することができます。

SOAの運用において極めて重要となるのが、クラス分けの概念です。権利内容や経済的利益が著しく異なる株主や債権者を同じクラスで投票させることは不公正であるため、権利の類似性に基づいてクラスを分割しなければなりません。このクラス分けの原則について画期的な基準を示したのが、シンガポールの倒産法制における重要判例である『TT International』事件です。

本件の控訴審判決(The Royal Bank of Scotland NV and others v TT International Ltd、判決年月日:2012年1月31日、シンガポール控訴院)において、裁判所は、債権者や株主のクラス分けは会社に対する法的な権利の類似性や相違性、およびその権利がスキームによってどのように影響を受けるかに基づいて決定されるべきであり、個人的な利害関係などの法的な権利以外の外部要因に基づいて決定されるべきではないと判示しました。

また、最近の判例である『Re Brightoil Petroleum (S’pore) Pte Ltd』事件(判決年月日:2022年、シンガポール高等裁判所)では、スキームの成立を事前に約束するロックアップ契約を締結した債権者を別クラスとして扱うべきかが争点となりましたが、裁判所は詳細な権利分析を行い判決を下しています。日本企業がシンガポールの再生企業をSOAを用いて買収する際には、これらの判例に基づく厳格なクラス分けの法理を理解し、買収戦略に組み込むことが必須となります。

シンガポールのM&Aスキームにおける税務優遇措置(M&A控除)

シンガポール政府は、企業の事業拡大と国際競争力の強化を支援するため、所得税法(Income Tax Act)第37L条に基づくM&Aスキーム(Mergers and Acquisitions Scheme)という強力な税制優遇措置を提供しています。この制度は、一定の適格条件を満たすM&Aを行った取得企業に対して、以下の3つの主要な税務上のメリットを提供するものです。

  1. M&A控除:買収対価の25%相当額を、5年間にわたり定額で損金算入し償却することが可能となります。これにより、買収にかかる初期費用の実質的な負担が大幅に軽減されます。
  2. 印紙税の減免:適格な株式取得に関連して作成される株式譲渡契約書や移転証書にかかる印紙税の負担を軽減する措置が適用されます。
  3. 取引費用の二重控除:買収にかかった法務および財務デューデリジェンス費用などの特定の取引費用について、実際の支出額の2倍にあたる金額の損金算入を認める措置です。

この制度は本来、2025年度末で期限切れとなる予定でしたが、シンガポール政府が発表した2026年予算案(Budget)において、M&Aを通じた企業の成長を引き続き支援するため、2030年12月31日までさらに5年間延長されることが決定しました。この延長は、中長期的な視点でASEAN展開を構想する日本企業にとって極めて有利な材料となります。

M&A控除の適用を受けるためには、対象となるターゲット企業が実体のある事業活動を行っている必要があり、具体的には買収の日の直前12ヶ月間、常に最低3名の従業員を雇用していることや、シンガポール国内外で事業や取引を行っていることという要件を満たす必要があります。また、実務上の利便性に配慮し、買収企業が直接買収を行うだけでなく、リスク隔離のために設立した特別目的会社を通じて買収を行う場合であっても、最終的な親会社が条件を満たせば控除の適用が認められるよう所得税法第37L条の法整備がなされています。

この税制優遇措置に関する公式な規定は、シンガポール内国歳入庁(IRAS)の公式ウェブサイトで確認することができます。

参考:シンガポール内国歳入庁の公式ウェブサイト

シンガポールにおける取締役のフィデューシャリー・デューティー

シンガポールにおける取締役のフィデューシャリー・デューティー

シンガポールの会社法制下では、M&A取引を実行するにあたり、取締役が会社に対して負うフィデューシャリー・デューティー(信認義務・善管注意義務および忠実義務)が極めて厳格に審査されます。日本の会社法第330条および民法第644条に基づく善管注意義務と同様に、シンガポールの取締役も会社の最善の利益のために行動しなければなりません。しかし、この義務に違反した場合のペナルティや法的責任の追及は、近年ますます厳格化しています。

M&Aに関連する資産の移動や取引において、取締役が自己の利益を図り、会社を欺罔したケースについて、シンガポール高等裁判所は厳しい判断を下しています。直近の判例である『Petrotech Marine Services Sdn Bhd v Wong Wai Leng』事件(判決年月日:2025年6月6日、シンガポール高等裁判所)において、この原則が明確に示されました。本件は、船舶間輸送サービスを提供するPetrotech社の取締役が、他の被告らと共謀して実体のない第三者企業との間で虚偽の業務委託契約を締結し、会社の資金を不正に流出させたとして訴えられた事案です。

裁判所は、第三者企業が当該契約を履行する専門知識や事業実態を全く有していなかった事実を認定し、当該契約がPetrotech社から資金を引き出す目的のみで作成された虚偽の合意であると結論付けました。その上で、スキームを主導した取締役に対し、会社に対する忠実義務および注意義務というフィデューシャリー・デューティーに著しく違反したとして、損害賠償責任等を認めました。この判例から、M&A取引の一部として行われるコンサルティング契約や業務委託契約であっても、実態を伴わないスキームに関与した取締役は厳しく裁かれるということが言えるでしょう。

さらに、M&Aのターゲット企業が財務的な困難に直面している場合、そのターゲット企業の取締役が誰に対して義務を負うのかという問題が生じます。通常、取締役の義務は株主全体の利益に向けられますが、会社が破産に近づくにつれて、その義務の矛先は債権者の利益へとシフトします。この転換点について重要な指針を示したのが、『Foo Kian Beng v OP3 International Pte Ltd』事件(判決年月日:2024年3月27日、シンガポール控訴院)です。

本件で控訴院は、取締役が債権者の利益を考慮し行動する義務は、会社が倒産の危機に瀕している状態に至る前段階である、財務的に危機的な状況に陥った時点で発生すると判示しました。この判決は、日本企業がシンガポールの経営不振企業を買収する際に極めて重要な意味を持ちます。ターゲット企業の取締役が、買収防衛策の発動や、特定の資産の売却、あるいは買収者からの資金提供の受け入れを決定する際、会社が財務的に危機的な状況にあるならば、株主の意向よりも債権者の利益を優先した決断を下さなければ、後に個人的な法的責任を問われるリスクが高まります。

まとめ

シンガポールにおけるM&Aは、ASEAN市場への事業拡大を目指す日本企業にとって非常に強力な手段ですが、そのプロセスは高度な専門性と複雑な法的判断を伴います。外国資本に対する制限は総じて少ないものの、2024年に導入された重要投資審査法により、安全保障に関連する指定事業体への投資には厳格な政府の監視と事前の承認プロセスが導入されました。また、株式譲渡における印紙税の負担、取締役の居住要件、株主総会の決議要件の違い、スクイーズアウトを可能にする90%要件の厳格化、そしてコモンローに基づく厳密な英文契約の解釈など、日本の会社法やビジネス慣行とは異なる特有のリスクが多数存在します。

取締役のフィデューシャリー・デューティーの基準も判例を通じて日々進化しており、対象企業が財務的な危機にある場合の債権者に対する配慮義務など、高度な法令順守が求められます。一方で、2030年まで延長されたM&A控除や各種税務優遇措置を適切に活用することで、投資の費用対効果を最大化することが可能です。現地の法規制のダイナミズムや文化の違いを深く理解し、各種コンプライアンスを遵守しつつ買収後の迅速な事業統合を実現するためには、包括的かつ専門的な法的知見が不可欠です。モノリス法律事務所がこうした内容についてサポートいたします。

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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