ギリシャの労働法を弁護士が解説

ギリシャ共和国(以下、「ギリシャ」)は、欧州連合(EU)の共通法規に深く準拠しながらも、独自の歴史的背景と社会経済的要請から形成された労働法体系を有しています。日本の経営者や法務担当者がギリシャでの事業展開を検討する際、特に重要なのは、日本の法制度とは異なる本質的な特徴を正確に理解することです。
ギリシャの労働法は、EUが定める労働者の権利保護に関する指令を国内法に移管することで、その強固な法的基盤を築いてきました。この背景から、雇用関係においては、労働者の雇用安定性や権利の保護が強く志向されているという根本的な理解が不可欠です。
本稿は、ギリシャの労働法、特にその中でも、日本の法制度と大きな相違がある「法定ボーナス」と、近年導入が進む「デジタル雇用カード」制度に焦点を当て、関連する法令や具体的な判例に基づき、事業運営に不可欠な法的知見を詳細に解説します。
この記事の目次
ギリシャ労働法の全体像
ギリシャの雇用契約は、主に無期雇用契約と有期雇用契約に大別されます。特に、有期雇用契約には厳格な規制が存在します。有期雇用は、特定の客観的な理由、例えば特定のプロジェクトの完了や、一時的な欠員補充といった場合にのみ締結が可能です。さらに、同一従業員との有期雇用契約を更新する場合、その総期間は3年を超えてはならず、3年以内の期間における更新回数も3回までという上限が設けられています。この規制は、有期雇用が恒常的に利用されることを抑制し、労働者の安定した雇用を確保するというEU法の精神を反映しています。日本の労働契約法における無期転換ルールと比較しても、ギリシャの有期雇用契約はより厳格な要件が課されており、進出企業は初期の事業計画段階から雇用形態を慎重に検討する必要があります。
また、ギリシャの労働法は、職務の性質によって従業員を「ブルーカラー(wage workers)」と「ホワイトカラー(salaried workers)」に区分しています。この区分は主に給与の支払い方法(日給または月給)に影響しますが、特筆すべきは、労働時間や残業代の規定の対象外となる「エグゼクティブ社員」の存在です。この概念は日本の労働法には見られないものであり、特定の幹部職については柔軟な労働条件を設定できる一方で、その適用範囲を巡る解釈には注意が必要です。雇用主は、雇用開始後、有期契約やパートタイム契約を除き、2ヶ月以内に主要な雇用条件を従業員に書面で通知する義務があり、この通知を怠った場合、罰金が科される可能性があります。この事実は、後述するデジタル雇用カード制度における厳しい罰則と同様に、ギリシャ政府が雇用関係における法令遵守を厳格に監視し、違反に対して躊躇なく制裁を科す姿勢を明確に示しています。
ギリシャの労働時間と「デジタル雇用カード」

ギリシャでは、法定労働時間は週40時間が基本であり、5日制の場合、1日8時間労働が一般的です。時間外労働については、日本の労働基準法とは異なり、「追加労働(Overwork)」と「残業(Overtime)」が明確に区別されています。法定労働時間を超え、週45時間までの労働(1日最大1時間)は追加労働とされ、雇用主は従業員の同意なくこれを命じることができ、通常賃金の120%の割増賃金が支払われます。一方、週45時間を超える労働は残業と定義され、1日最大3時間、年間150時間までと定められており、割増賃金は140%となります。
近年、ギリシャの労働法で最も注目すべきは、労働時間の過少申告を防ぐために導入された「デジタル雇用カード」制度です。この制度は、法律第4808/2021号第74条を法的基盤としており、雇用主に対し、電子システムを導入し、それを国の情報システム「ERGANI II」に接続することを義務付けています。この制度の主要な目的は、長年ギリシャが直面してきた、勤務時間が報告されない「不申告労働(undeclared work)」や、実際よりも短く報告される「過少申告労働(under-declared work)」という課題に対処することにあります。
本制度の運用は、雇用主向けの「Ergani CardScanner」アプリと、従業員向けの「myErgani」アプリを通じて行われます。従業員は自身の「myErgani」アプリでQRコードを生成し、雇用主が「Ergani CardScanner」でそれを読み取ることで、勤務開始・終了時刻がリアルタイムでERGANI IIシステムに登録されます。このシステムを通じて、労働監督機関は24時間体制で労働時間を監査することが可能になります。
この制度の最大の特徴は、非遵守に対する罰則の厳しさです。
罰金額(従業員1人あたり) | |
---|---|
デジタル雇用カードの有効化を怠った場合 | 10,500ユーロ |
勤務開始・終了時刻の申告漏れ、または申告データに不一致がある場合 | 3,000ユーロ |
勤務時間の変更や残業をデジタル雇用カードで記録しなかった場合 | 10,500ユーロ |
労働時間測定システムの記録を5年間保持しなかった場合 | 4,000ユーロ |
これらの罰則は、日本企業が通常想定するコンプライアンスリスクを大きく上回る可能性があります。日本においては、従業員の勤怠管理は一般的に企業内の問題として扱われ、政府がリアルタイムで直接監視するシステムは存在しません。ギリシャでは、この制度が雇用主のタイムマネジメントを政府の監視下に置くため、日本の感覚で勤怠管理を行うと、重大な違反を引き起こすリスクがあります。特に、従業員が勤務時間外に社内施設(カフェテリアやロッカールームなど)に滞在している場合、その時間が勤務時間として記録されていなければ、雇用主が「勤務中ではない」ことを証明する責任を負います。このため、厳格なプロセス管理と従業員への徹底した周知が不可欠です。
ギリシャ労働法の「法定ボーナス」制度
ギリシャと日本の労働法の最も根本的な違いの一つは、賞与の法的性質です。日本では、賞与は一般的に、企業の業績や個人の貢献度を評価する「功労報償的」または「収益分配的」な性格を持つものであり、労働基準法でその支給が義務付けられているわけではありません。あくまで労働契約や就業規則に定めがある場合にのみ、支払い義務が生じます。
これに対し、ギリシャのボーナスは、労働者の給与の一部として法律で支給が義務付けられている、賃金としての性格を強く持ちます。その法的根拠は、合同大臣決定第19040/1981号等に定められています。ギリシャでは、雇用形態にかかわらず、以下の3つのボーナスが法律上の権利として存在します。
- クリスマスボーナス:1ヶ月分の給与に相当し、毎年12月21日までに支払われます。支給対象期間は5月1日から12月31日です。
- イースターボーナス:半月分の給与に相当し、イースター週の初めに支払われます。支給対象期間は1月1日から4月30日です。
- バカンスボーナス:半月分の給与に相当し、年次有給休暇の取得時に支払われます。
勤務期間が所定の期間に満たない従業員に対しても、これらのボーナスは日割りで支給される権利があります。例えば、クリスマスボーナスの場合は19日間の勤務期間ごとに2/25ヶ月分の給与が支払われます。
ギリシャの法定ボーナス制度は、従業員の購買力強化や生活支援を目的とした「生活補填的」な性質を持つ一方で 、日本の賞与が変動費として扱われることが多いのに対し、ギリシャの法定ボーナスは固定費として人件費に計上する必要があります。この違いは、事業計画や財務戦略を策定する上で考慮すべき重要な点となります。
以下の表は、両国の賞与制度の本質的な違いをまとめたものです。
ギリシャ | 日本 | |
---|---|---|
法的性質 | 賃金の一部、法的権利 | 恩給的、または労働の対価 |
支給の義務 | 法律により義務付け | 法律上の義務なし。就業規則等に定めがある場合に義務発生 |
支払いの根拠 | 合同大臣決定第19040/1981号など | 労働契約、就業規則、労働協約など |
一般的な目的 | 労働者の購買力強化、生活支援 | 企業の業績分配、個人の貢献に対する報償など |
ギリシャ労働者の休暇・休業と解雇

法定有給休暇について、ギリシャでは、5日制の場合、最低20日の年次有給休暇が義務付けられており、勤続10年を超えると30日まで増加します。これは日本の法定有給休暇と比較して、比較的勤続年数が浅い段階から多くの休暇が付与されることを示しています。
また、ギリシャの労働法は、各種の特別休暇を定めています。傷病休暇は、勤続年数に応じて1ヶ月から6ヶ月の期間が与えられ、最初の3日間は雇用主が、その後は社会保障制度が給付を行います。育児関連休暇については、女性従業員は17週間の産休を取得でき、男性従業員は2日間の有給育児休暇が認められています。さらに、両親はそれぞれ4ヶ月間の育児休業を取得でき、この期間の給与は最低賃金相当額が支給される場合があります。
解雇に関する規制は、一見日本の解雇法理よりも柔軟に見える側面があります。ギリシャでは、無期雇用契約は原則として「正当な理由なく」いつでも解雇できるとされています。しかし、この原則には重要な例外が多数存在します。勤続年数に応じた解雇予告期間が定められているほか 、勤続12ヶ月以上の従業員には法定の退職金が支払われます。さらに、特定のカテゴリに属する労働者、例えば妊娠中の従業員、育児中の従業員、労働組合の役員などは解雇が厳しく制限されており、解雇には「深刻な理由」が求められます。また、従業員が法的権利を行使したことに対する報復的な解雇は禁止されており、無効とされます。このため、安易な解雇は労働紛争に発展する可能性が高く、日本の経営者は慎重な対応を求められることになります。
ギリシャ企業の労働紛争の解決と判例
ギリシャの労働紛争は、主に労働監督機関(Labor Inspectorate)や裁判所を通じて解決が図られます。個人間の紛争では、まず和解が試みられるのが一般的です。
ギリシャの司法が示す法的判断は、進出企業が直面する具体的なリスクを浮き彫りにします。例えば、ギリシャ最高裁判所判決Ruling No 1453 of 2024は、サウジアラビアの航空会社に雇用されたギリシャ人客室乗務員が、ギリシャ国内で雇用契約を結び、国際線上で負傷事故を起こした事案に関するものです。この判決は、従業員の主な勤務地を特定する上で、雇用契約の締結地や業務終了後の帰還地を考慮すべきだと示しました。この判決から、たとえ国際的な事業であっても、ギリシャで雇用契約を結び、従業員がギリシャに拠点を置く場合、ギリシャの裁判所が管轄権を持つ可能性が高いことが言えます。
さらに、欧州人権裁判所判決Chowdury and Others v. Greeceは、ギリシャのいちご農園で働いていたバングラデシュ人移民労働者が、未払い賃金を要求した際に銃撃され、負傷した事案に関するものです。この事案において、欧州人権裁判所は、ギリシャ政府が人身売買や強制労働から労働者を保護する義務を怠ったとして責任を問う判決を下しました。この判例は、ギリシャの労働法が、不法滞在者を含む全ての労働者に対して、人身売買や強制労働といった人権侵害から保護するという極めて厳格な義務を負っていることを示しています。これは、企業のコンプライアンス遵守が単なる罰金リスクに留まらず、人権問題にまで発展する可能性を内包していることを意味します。日本企業は、現地のサプライチェーンを含め、倫理的な労働慣行を徹底することが必須であると言えるでしょう。
まとめ
ギリシャの労働法は、欧州の労働者保護原則を色濃く反映しており、日本の法制度とは異なる独自性の高い制度を多数有しています。特に、給与体系に不可欠な固定費として計上すべき「法定ボーナス」や、政府がリアルタイムで勤怠を監視する「デジタル雇用カード」は、日本の経営者が事業計画を立てる上で、日本の感覚との大きなギャップを埋める必要がある重要な要素です。これらの制度は、労働時間の適正化や賃金支払いの透明性を確保するという、ギリシャ政府の強い意志の表れです。
複雑で変化の激しいギリシャの法環境を適切に navigated するには、専門的な知見が不可欠です。モノリス法律事務所は、ギリシャでの現地法人設立、雇用契約書の作成、人事労務規定の整備、デジタル雇用カード制度への対応、さらには万が一の労働紛争解決まで、包括的なリーガルサポートを提供します。私たちは、貴社のギリシャ事業が法的リスクを最小限に抑え、持続可能な成功を収めるための信頼できるパートナーとして、皆様をサポートいたします。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務