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法律記事MONOLITH LAW MAGAZINE

IT・ベンチャーの企業法務

スイスの医薬品・医療機器規制と薬機法制

スイス(正式名称、スイス連邦)は、医薬品および医療機器の分野において、世界でも有数のイノベーション大国として知られています。スイスのライフサイエンス部門は、2022年に総輸出額の39%を占める1096億スイスフランを計上し、過去20年間で255%という目覚ましい成長を遂げています。また、2024年には化学・医薬品輸出が1490億スイスフランに達し、全輸出額の52%を占める記録を更新しました。同国のバイオテクノロジー産業も活況を呈しており、2024年の売上高は72億スイスフランに達し、研究開発費も26億スイスフランに増加するなど、堅調な成長を続けています。ヘルスケア市場全体も2022年には624億米ドル規模に達し、今後も年平均7.4%の成長が見込まれる有望な市場です。 

このような活気ある市場でビジネスを展開するためには、日本の薬機法に相当するスイスの法制度を深く理解することが不可欠です。スイスの医薬品・医療機器規制は、スイス治療製品庁(Swissmedic)が所管し、EUの厳格な規制枠組みとの高い整合性を維持しつつも、国内の特殊な市場規模や公共衛生上の課題に対応するための柔軟な措置を講じている点に最大の特徴があります。

本稿では、スイスのこの先進的な制度を概観し、特に日本の法制度との重要な違いに焦点を当てて解説します。スイス市場への参入を検討する日本企業が直面する具体的な課題と、その法的対応について、実務的な視点からその要点を網羅します。

なお、の包括的な法制度の概要は下記記事にてまとめています。

スイス薬機法制の基盤と所管官庁

スイス連邦における医薬品および医療機器の規制は、スイス治療製品庁(Swissmedic)が一元的に所管しています。Swissmedicは、連邦政府に属する公的機関であり、その広範な権限は治療製品法(Therapeutic Products Act, TPA)に定められています。この法律の主たる目的は、市場に流通する治療製品が「高い品質、安全性、および有効性」を保証し、もって国民の健康を守ることです。 

Swissmedicの権限は、単なる製品の承認や製造・卸売の許可に留まりません。製品のライフサイクル全体にわたり、臨床試験の承認、市場監視、そして法律違反に対する刑事訴追といった広範な役割を担っています。この点が、日本の医薬品医療機器総合機構(PMDA)や厚生労働省(MHLW)が主に審査・監視を担う一方、刑事訴追は検察が行うといった役割分担がなされている日本とは異なる重要な特徴です。Swissmedicが直接的な刑事訴追権限を持つことは、違法製品の取り締まりと直結しており、単なる規制機関ではなく、市場の健全性を直接的に保護する執行機関としての役割を強く担っていることを示しています。

Swissmedicは、国際的な規制動向に積極的に対応する一方で、国内のイノベーション促進と迅速な市場アクセス実現にも注力しています。その象徴的な取り組みとして、2022年後半にイノベーション・オフィスを新設しました。これは、医薬品開発の初期段階にあるスタートアップや中小企業に対し、規制に関する専門的な助言を提供し、円滑な製品開発を支援することを目的としています。このようなイノベーション促進への取り組みや、後述する医薬品不足への対応策は、Swissmedicが単に国際基準に追従するだけでなく、国内の特定の公共衛生上のニーズに対して戦略的かつ柔軟に対応する組織であることが伺えます。このことは、日本企業が規制当局を単なるコンプライアンスの対象としてだけでなく、事業を円滑に進めるためのパートナーとして捉えるという、新たな視点を提供しています。

スイスの医薬品規制

スイスの医薬品規制

スイスにおいて医薬品を販売するには、Swissmedicによる承認(authorisation)が不可欠です。承認プロセスは、品質、安全性、有効性を証明する詳細な文書を提出して行われ、その形式には国際調和会議(ICH)の共通技術文書(CTD)フォーマットが推奨されています。この一連の手続きは通常、最初の研究から製品が処方されるまで10年から12年を要する長い道のりとなります。 

この通常の承認プロセスに加え、スイスには迅速審査(Fast-Track)制度が設けられています。この制度は、以下に示す3つの条件をすべて満たす医薬品に適用されます。 

  1. 重篤、衰弱性、または生命を脅かす疾患の治療または予防を目的としていること。 
  2. 既存の承認医薬品による治療が不十分であるか、利用できない場合であること。 
  3. 高い治療的価値が期待されること。 

この制度の利用申請は、医薬品の販売承認申請の少なくとも3か月前に行う必要があり、承認までには通常4〜5か月に期間が短縮されます。この迅速審査制度は、医薬品開発の長期化という現実に対し、イノベーションを促進しつつも、厳格な審査基準(品質、安全性、有効性)を堅持するというSwissmedicの姿勢の表れと言えます。イノベーション・オフィスの設立と併せて考えると、規制当局が単に「ゲートキーパー」として市場への参入を厳しく管理するだけでなく、「アクセラレーター」として有望な製品の市場導入を支援する役割も担おうとしていることが明確に見て取れます。 

日本の医薬品規制においても画期的な新薬に対する迅速審査制度が存在しますが、スイスの制度は「治療的価値が期待される」という基準に基づいていることが特徴です。また、申請前にSwissmedicと対話を行う「アドバイス・ミーティング」の仕組みがあることも、日本企業が早期に規制当局と連携する上で有益な点です。 

スイスの医療機器規制

スイスの医療機器規制は、医薬品とは異なる重要な特徴を持っています。特に、EUとの関係性において、日本企業が最も注意すべきは、相互承認協定(MRA)の失効です。

EUとの相互承認協定(MRA)の失効

2021年5月26日、EUの新たな医療機器規則(MDR)が適用開始されたことにより、スイスとEU間のMRAは医療機器分野において適用されなくなりました。これにより、スイスはEUにとって「第三国」と見なされるようになり、両者の医療機器規制は事実上分離した状況となりました。このMRAの失効は、単なる規制の変更ではなく、スイスとEUの間の政治的な関係性の変化が、直接的にビジネス要件に影響を与えた重要な事例です。これは、規制当局間の協力関係が不安定である場合、市場アクセスに予期せぬリスクが生じる可能性があることを示しており、日本企業は常にこうした国際関係の動向を注視する必要があるということが言えるでしょう。

スイス代理人(CH-REP)の選任義務

MRA失効に対応するため、スイスは独自の医療機器法(MedDO)および体外診断用医療機器法(IvDO)を改正しました。これらの法律は、EUのMDR/IVDRと高い整合性を保ちつつも、独自の要件を課しています。 

この新たな枠組みにおける最も重要な変更点は、スイス国外の製造業者(EU/EEA加盟国の業者も含む)が、スイス市場に医療機器を上市する場合、スイス国内に拠点を置くスイス代理人(Swiss Authorised Representative, CH-REP)を任命することが義務付けられたことです。この義務は、「レガシー機器」(旧MDD/IVDDでCEマークを取得した機器)にも適用されます。 

CH-REPの役割は、EUのEU代理人(EU REP)に類似していますが、その責任範囲はより広い可能性があります。具体的には、以下の職務が求められます。 

  • 技術文書と適合性宣言が適切に作成されていることの確認
  • 当局(Swissmedic)からの要求があった場合、技術文書や関連情報を提供すること
  • 市場監視への協力
  • 製品の不適合に関する苦情や有害事象の報告を製造業者に速やかに伝達すること
  • 欠陥のある製品に対して製造業者と連帯して法的責任を負う可能性があること

日本の医療機器規制では、外国製造業者が指定製造所として登録し、国内の医療機器製造販売業者(MAH)が市場上市の責任を負います。一方、スイスのCH-REPは、日本のMAHに類似した責任の一端を担う、日本には存在しない独自の制度であり、スイス市場参入の最重要ポイントとなります。

スイスの医薬品不足への対応

スイスは、特に小児用医薬品など、特定の医薬品の供給不足という課題に直面しています。この背景には、国際的なサプライチェーンの不安定化や、小さな市場規模という特殊性があります。 

この課題に対処するため、スイスの各州薬剤師協会(KAV)、連邦公衆衛生庁(FOPH)、そしてSwissmedicは共同で、医薬品承認法(MPLO)第49条における「緊急」の概念を一時的に拡大解釈することで合意しました。この措置は、恒久的な法改正が行われるまでの「暫定的な解決策」と位置付けられています。 

この暫定的な措置により、医療専門家は、スイスで承認されていないか、あるいは入手不可能な医薬品を、特定の患者のためだけでなく、限定的な数量で備蓄目的で輸入・保管することが可能になりました。この措置は、医薬品の供給不足という公共衛生上の危機(原因)に対して、既存の法律(MPLO)の条文を柔軟に、そして迅速に拡大解釈するという、極めて実用的な措置(結果)が取られていることを示しています。これは、法的厳格さと公共衛生上の必要性とのバランスを取る、スイス独自の先進的なモデルと言えるでしょう。

日本の医薬品不足対策が主に国内流通の安定化や増産体制の構築に焦点を当てる一方、スイスのこの措置は、国際的なサプライチェーンの脆弱性を認識し、直接的な輸入障壁を一時的に緩和することで、国民の治療アクセスを確保しようとしています。これは、国際的な連携を深めていく上で、日本が参考にできる先進的なモデルということができるでしょう。

スイスの上市後コンプライアンスと監視体制

スイスの上市後コンプライアンスと監視体制

医薬品および医療機器は、承認後も厳格な監視下に置かれます。Swissmedicは、医療機器分野において、上市後監視(Post-Market Surveillance, PMS)に関する新たな取り組みを開始し、特にリスククラスIIa以上の「レガシー機器」のコンプライアンスを評価しています。これは、規制当局が製品のライフサイクル全体を通じて、安全性の確保に注力していることを示しています。 

また、Swissmedicは、スイス連邦税関国境警備局(FOCBS)と協力し、違法に輸入される医薬品の摘発を積極的に行っています。2024年には5,668件の違法輸入が押収されましたが、その多くはオンラインの不審な情報源から注文された、過剰用量や誤った成分を含む危険な製品でした。摘発件数は減少傾向にあるものの、摘発された製品の質的な危険性(過剰用量の有効成分、)は増加しており、取締りが進化する一方で、違法な業者の手口も巧妙化していることが見て取れます。このデータは、Swissmedicが市場の健全性を維持するために強力な執行力を発揮していることを示唆しており、正規の経路を通じてスイス市場に参入する企業にとって、健全な競争環境が維持されることを意味すると言えるでしょう。 

まとめ

スイスの医薬品・医療機器規制は、EUの広範な法制度との整合性を維持しつつも、国内の特殊な事情に対応するための独自の柔軟な措置を講じている点に、その先進性が見出せます。特に、医療機器分野におけるEUとの相互承認協定の失効と、それに伴うスイス代理人(CH-REP)の選任義務は、日本企業がスイス市場に参入する上で不可欠な理解事項です。また、医薬品不足に対応するために、既存の法律を一時的に拡大解釈する実用的かつ迅速な措置が取られていることは、日本が今後、国際的なサプライチェーンの安定化に向けた連携を深めていく上で参考にすべきモデルと言えるでしょう。

これらの複雑な制度や最新の動向への対応には、専門的な知見が不可欠です。モノリス法律事務所は、スイス連邦の法務・規制に基づき、貴社の事業活動を強力にサポートします。戦略立案からコンプライアンス遵守、事業提携の法的支援に至るまで、当事務所までお気軽にご相談ください。

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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