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スペインにおける民法・不動産法を弁護士が解説

スペインにおける民法・不動産法を弁護士が解説

スペインでは、不動産売買契約を締結した後、所有権移転を正式化するために、公証人による売買証書(escritura pública de compraventa)の作成と署名が不可欠です。

日本の不動産取引においては、契約の合意のみで所有権が移転し、登記は第三者への対抗要件として機能しますが、スペインでは、所有権移転に必要な引渡し(tradición)の要件をこの公証証書が擬制的に満たすため、証書の作成自体が物権変動の核心をなします。さらに、日本の法制と決定的に異なるのは、この公証証書を基に不動産登記所(Land Registry)へ登録を行うことで、登記が公信力(Fe Pública Registral)という強大な効力を持ち、善意の第三者を絶対的に保護する点です。この強固な公示要件こそが、スペインでの投資を検討する日本の経営者や法務部員が最も深く理解すべき構造的相違点と言えます。公証証書が所有権移転の擬制的引渡しとなり、登記が未登録の欠陥から第三者を保護するという二段階の安全装置を機能させることで、スペインの不動産取引の法的安全性は確保されています。

本記事では、この所有権移転の基本構造を、スペイン民法典と抵当権法に基づき詳細に解説し、日本の法務概念との具体的な異同について分析します。特に、最高裁判所の判例が示す通り、登記簿上の名義が先行しなければ第三者保護が及ばない点、未登記状態は日本の対抗要件欠如よりも遥かに深刻なリスクとなる点に、日本の投資家は最大の注意を払う必要があります。

スペイン民法典が定める「権原と引渡しの法理」(Título y Modo)

物権取得の要件としての「権原」(Título)と「引渡し」(Modo)

スペインの民法体系は、不動産の所有権やその他の物権の移転に関して、日本法とは根本的に異なる原則を採用しています。それは「権原と引渡しの法理」(Teoría del Título y el Modo)と呼ばれるものです。スペイン民法典(Código Civil, CC)第609条は、所有権およびその他の物権が「特定の契約の結果、引渡し(tradición)を介して」取得され、伝達されると規定しています。

この規定に基づき、スペインにおいて物権が移転するためには、以下の二つの要素が不可欠です。

  1. 権原(Título):物権移転を目的とする法的行為、すなわち売買契約や贈与契約などの合意。
  2. 引渡し(Modo または Tradición):物権変動を発生させるための物理的、または法律によって擬制された行為。

日本法においては、当事者の合意(意思表示)のみで所有権が移転する「意思主義」が採用されていますが、スペインでは、売買契約(権原)が成立したとしても、それは売主に対し買主に引渡しを行うことを義務づける「債権的権利」(obligatio dandi)を発生させるに過ぎず、所有権という物権的権利は引渡し(Modo)が完了するまで移転しません。この構造的相違点が、スペイン不動産取引の安全性を理解する上での出発点となります。

売買証書(Escritura Pública)による「擬制的引渡し」(Tradición Instrumental)

不動産取引において、物理的な引渡しは必ずしも容易ではありません。そこで、スペイン民法典は、公的な文書をもって引渡しを代替する規定を設けています。

民法典第1462条第2項は、「売買が公証証書(escritura pública)によってなされた場合、反対の文言が証書に示されていない限り、その付与は売却された物の引渡し(entrega)とみなされる」と定めています。

すなわち、不動産の売買契約において、当事者が公証人の面前で売買証書に署名し、証書が付与されたその瞬間、物理的な鍵の引渡しや占有の移転に先行して、所有権移転に必要な「引渡し」(Modo)の要件が法的に擬制され(Tradición Instrumental)、所有権が売り手から買い手に移転します。

この公証証書が存在しなければ、買い手は依然として旧所有者に対し所有権の移転を要求する債権的な地位に留まり、第三者に対して物権的な保護を主張することができません。したがって、公証証書の作成は、単なる証明ではなく、所有権移転という実体法上の行為を完結させる上で決定的な役割を果たします。

スペインにおける不動産売買証書(Escritura Pública)の作成義務

スペインにおける不動産売買証書(Escritura Pública)の作成義務

公証人の役割と法的検証(Control de Legalidad)

スペインの公証人(Notario)は、取引の法的安定性(seguridad jurídica)を確保するために、極めて厳格かつ広範な公的義務を負っています。日本の司法書士や行政書士の役割を一部担う側面もありますが、公証証書自体が「引渡し」の要件を満たすという重みから、その職務範囲は重大です。

公証人は、売買証書の作成時に、単に署名を認証するだけでなく、取引の前提条件を法的に検証し、当事者に情報を提供しなければなりません。主な義務として、以下の点が挙げられます。

  1. 当事者の身元、能力、正当性の確認:売主と買主の本人確認、法的な行為能力、そして不動産を売買する正当な権限(legitimaciones)が確認されます。
  2. 負担状況の情報提供:公証人は、登記所からの情報に基づき、不動産にかかっている抵当権、差押え、その他の負担(gravamen)の状況を買い手に提示し、説明します。これは、契約が有効に成立し、公証証書が付与される前に、買い手がリスクを完全に理解することを保証します。
  3. 地籍情報と固定資産税の確認:売主に対し、IBI(固定資産税、Impuesto de Bienes Inmuebles)の支払い証明と地籍参照番号を要求し、証書上の記載と行政情報との整合性を確認します。
  4. 支払い手段の記録:マネーロンダリング防止法に基づき、代金の支払いがいつ、どのように行われたか、資金の出所となる口座番号と入金先口座番号など、詳細な支払い手段を証書に記録することが義務付けられています。

公証人は、取引の原本(Matriz)を保管し、買い手には認証された写し(copia autorizada)が交付されます。この認証された写しこそが、買い手が不動産登記所への登録申請、税金の精算、その他の行政手続きを行うために不可欠な公的文書となります。公証人による取引前の法的検証は、後に登記が提供する強大な公信力の保護を得るための、形式的に完璧なTítulo(権原)とModo(引渡し)を確立する前提条件となります。

スペインの不動産登記制度

日本の不動産登記制度が、主に所有権の変動を公示し、第三者への対抗要件(民法第177条)として機能するのに対し、スペインの登記制度は、権利の公信力を確立するという、より強大な実体法上の効果を持っています。この違いを理解することが、スペインでの投資リスク管理において最も重要です。

登記簿の「正当性」の原則(Principio de Legitimación Registral)

スペイン抵当権法(Ley Hipotecaria, LH)第38条は、「登記簿に記載された物権は、すべての法的効果のために存在し、その記載された形式で、その名義人に帰属すると推定される」と定めています。この原則は、登記簿の記載内容に強力な推定力を与えるものです。

この正当性の原則の具体的な法的効果として、登記されている不動産の所有権を争う訴訟(Acción Contradictoria)を提起する場合、原告は必ず、事前にまたは同時に、その登記の無効または抹消を求める訴訟を提起しなければならないと規定されています。すなわち、登記名義人は、その記載に基づき法的に「権限を持つ者」として扱われ、その地位は司法手続きにおいても揺るぎない保護を受けます。登記簿上の権利は実体的な真実であると強く推定され、その取消しは法定の手続きによる必要があります。

登記簿の「公信力」の原則(Principio de Fe Pública Registral)

抵当権法第34条は、スペイン不動産法の法的安全性の根幹を成す「公信力の原則」(Principio de Fe Pública Registral)を定めています。これは、登記簿が真実と異なる場合でも、登記簿を信頼して取引した善意の第三者を実体法上で絶対的に保護するメカニズムです。

同法第34条の保護を受けるための要件は厳格です。

  1. 善意で取得する(Buena Fe):登記の不正確さを知らなかったこと。法律上、善意は常に推定されます。
  2. 有償で取得する(Título Oneroso):対価を伴う取引であること。贈与や相続などの無償取得者は、この公信力の保護を受けることはできません。
  3. 登記上の権限者から取得する:譲渡人(売主や抵当権設定者)が、登記簿上、その権利を移転する権限を持つ者として記載されていること。
  4. 自らの権利を登記する(Haya Inscrito su Derecho):買い手自身が、その取得を不動産登記所に登録すること。

これらの要件を満たした場合、その第三者(例えば、買い手や銀行などの抵当権者)は、「たとえ譲渡人の権利が、登記簿に記載されていない原因によって後から無効または解除されたとしても、その取得を維持される(será mantenido en su adquisición)」とされます。

この公信力の原則こそが、日本の法体系と最も大きく異なる点です。日本法では、たとえ登記されていたとしても、真の権利者ではない者から取得した場合は保護されませんが、スペイン法では、登記簿の情報を信じて登録した第三者の信頼を最優先し、取引の安全を保障します。日本の投資家にとって、不動産登記こそが、スペインでの投資を保護する最終的かつ絶対的な防壁であるという認識が必要となります。

スペインの司法判断に見る登記の絶対的優位性と第三者保護の限界

登記簿上の名義と実体法上の所有権の衝突

抵当権法第33条は、「登記は、法律に従って無効な行為または契約を有効化するものではない」と明確に定めています。これは、公信力(Art. 34)の保護が及ぶためには、その基礎となる行為(Título)が法律上無効であってはならないという原則を示しています。しかし、一旦登記が完了すれば、公信力によって第三者への保護は極めて強力に作用します。

例えば、不動産の二重譲渡が発生した場合、スペイン民法典第1473条に基づき、所有権は「先に不動産登記所に登記した者」に帰属します。この登記者が善意であったことが要件となりますが、この規定は、登記が所有権の取得を決定づける強力な要素であることを裏付けています。

スペイン最高裁判所判例に見る公信力の厳格な適用

公信力の原則の適用には、抵当権法第34条が要求する要件、特に「登記上の権限者から取得すること」が厳格に適用されます。この点を巡り、スペイン最高裁判所(El Tribunal Supremo, Sala de lo Civil)は、2024年11月13日に重要な判決を下しました。

この事案では、 抵当権設定者(債務者)が、共有物分割の解消証書に署名し、その直後に、当該不動産を担保として銀行から融資を受け、抵当権を設定しました。しかし、抵当権設定時、共有物分割の解消による所有権移転登記がまだ完了していませんでした。債権者である銀行は、抵当権法第34条に基づく善意の第三者としての保護を主張しました。

最高裁判所は、債権者である銀行の主張を退け、抵当権の無効を宣言しました。その理由として、抵当権法第34条の保護を受けるためには、譲渡人(この場合は抵当権設定者)が登記簿上、権利を譲渡する権限を持つ者として記載されていることが絶対的な前提条件であると強調しました。共有物分割の解消証書と抵当権設定証書の署名が近接して行われ、公証証書が存在したにもかかわらず、その先行する所有権移転登記の要件を満たしていなかったため、銀行(第三者)に公信力による保護は及ばないと結論づけました。

この判決は、公証証書の作成(引渡しの擬制)だけでは最終的な法的安全性が確保されず、不動産取引の安全を確保する公信力の保護を得るためには、登記簿に正確に反映されていることが不可欠であることを示しています。これは、形式主義的なスペイン法においても、「公示」という行為が実体法上の権利保護に先行することを決定づけた事例であり、日本の投資家は「登記の完了」の重要性について最大の注意を払う必要があります。

日本の投資家が認識すべき未登記リスク

未登記状態(不完全な所有権)がもたらす致命的なリスク

公証証書を取得し、所有権が実体法上移転したとしても、不動産登記を怠っている状態は、日本における未登記状態よりも遥かに深刻なリスクをもたらします。日本の場合、未登記は主に第三者への対抗力を失うことを意味しますが、スペインでは、登記こそが絶対的な保護を獲得する手段であるため、未登記状態は法的脆弱性を極大化させます。

具体的なリスクは以下の通りです。

  1. 売主の債権者からの差押えリスク:登記がなければ、売主が負債を抱え債権者が差押えを実行した場合、買い手は差押えに対抗できない可能性があります。
  2. 隠れた負担への脆弱性:登記簿に記載されていない過去の欠陥や、売主の行為に基づく隠れた負担から、買い手は登記によってのみ保護されます。未登記のままでは、こうしたリスクに常に晒されます。
  3. 融資・担保設定の困難:買い手が不動産を担保として金融機関から融資を受けようとする場合、買い手自身が所有権を登記していなければ、銀行側も抵当権を登記できず、融資実行の前提条件が崩れる可能性があります。

確実な所有権確保のための法務戦略

スペインでの不動産投資において、法的確実性を迅速に確保するための戦略は、公証証書作成後の登記手続きの監督と加速に集約されます。

まず、公証証書が署名された後、公証人は、不動産登記所に両証書(売買と関連する抵当権)の電子的な真正コピーを送付し、登記手続きを促進する義務を負っています。買い手側は、公証証書署名後、公証人(または委任を受けた現地の法務専門家)を通じて、速やかに証書の認証済み写し(copia autorizada)を登記所に提出し、提示記録(Asiento de Presentación)を確保することが必須です。この提示記録が確保された時点から、第三者に対する権利保護の順位が確定します。

また、公証証書には、売主と買主の身元、不動産の詳細な記述、法的状況、購入価格と支払い条件、そして税金と手数料など、全ての合意事項が記載されます。特に売買に伴う費用の分担については、民法典第1455条で原則が定められている(原則として売主が証書付与の費用を、買主が初版コピーと売買後の費用を負担)ものの、契約自由の原則に基づき当事者間で調整されることが多いため、明確な合意内容を証書に正確に反映させることが重要です。

まとめ

スペインにおける不動産所有権移転の法体系は、日本の法体系と異なり、契約(Título)と公証証書による擬制的引渡し(Modo)が揃うことで所有権が移転し、さらに登記(Inscripción)を行うことで初めて、抵当権法第34条に基づく絶対的な公信力の保護を獲得するという、重層的な形式要件に基づいています。

日本の法務担当者が慣れ親しんだ「登記=対抗要件」という概念はスペインでは通用せず、「登記=公信力の獲得」という、より強力な権利確定力として機能します。最高裁判所の判例からも明らかなように、公証証書を取得しただけでは法的リスクは払拭されず、登記簿に正確に反映されていることが、善意の第三者として法的保護を受けるための絶対的な前提となります。未登記状態を放置することは、日本の商習慣上のリスクをはるかに超える致命的な法的リスクを伴います。

したがって、スペインでのビジネス展開や不動産投資においては、現地の厳格な形式要件と公信力の原則を深く理解し、公証証書の作成から不動産登記所への登録完了まで、一連の手続きを迅速かつ正確に管理することが、投資を成功させ、法的確実性を確保するための鍵となります。

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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