デンマーク不動産法の完全デジタル化された透明性の高い登記制度

デンマーク王国(以下、デンマーク)は、社会的なセーフティネットと経済的な柔軟性を両立させる「フレキシキュリティ」モデルで知られていますが、その思想は不動産法にも深く浸透しています。日本の企業がデンマークでの事業展開を計画する際、特に注目すべきは、完全にデジタル化された透明性の高い登記制度と、日本の借地借家法にも匹敵、あるいはそれ以上に強力な商業賃借人保護の仕組みです。
デンマークの不動産法は、大陸法を基礎としつつ英米法の要素を取り入れたハイブリッドな法体系を持ち、欧州連合(EU)指令の迅速な実施の影響を受けます。全ての不動産権利は、中央で管理されるデジタル土地登記簿(Tingbogen)に登録され、その権利の優先順位は「先願主義」に基づき明確に定められています。この透明性と効率性は、迅速な不動産取引を可能にします。
一方で、日本企業のような非EU/EEA法人が直接不動産を取得するには、法務省の特別許可が必要となり、現地子会社の設立が一般的な回避策となります。さらに、商業賃貸借においては、賃貸人による解約が厳しく制限され、正当な理由による解約の場合でも、テナントが築いた営業上の信用(Goodwill)に対する補償が義務付けられる点が、日本の法制度との決定的な違いであり、事業投資の安定性に大きく影響を与えます。
本稿では、これらの詳細な法的側面と、日本企業が考慮すべき実務的な課題について、具体的な法令を根拠に解説します。
この記事の目次
デンマーク法体系の特性:ハイブリッドな法構造とEU法の迅速な実装
デンマークの法制度は、その不動産法を含む私法領域において、大陸法(Civil Law)を基礎としつつ、英米法(Common Law)の要素を巧みに取り入れたハイブリッドなシステムとして特徴づけられます。主要な法源は契約法(Aftaleloven)などの個別具体的な制定法にある一方、英米法に典型的な判例法や慣習法が実務において大きな役割を果たします。実際、デンマークおよび他の北欧諸国は、大陸法系とも英米法系とも異なる、独自の「北欧法家族」(Nordic Law Family)を形成しているという見解も広く持たれています。
日本の法体系が民法典のような体系的な法典を基盤とするのに対し、デンマークでは個別法と判例の比重が高いという特徴があります。このハイブリッドな法構造は、EU加盟国としての立場と深く関わっており、不動産関連法規はEU指令の強い影響下にあり、指令が発出されると迅速に国内法への実施が行われます。これは、EU指令の要求(迅速な市場統合など)を満たすため、既存の硬直的な法典に縛られることなく、個別法を柔軟に解釈・適用する実務的姿勢の表れであると言えます。したがって、日本企業がデンマークで事業を展開する際には、成文法の文言だけでなく、最新の裁判所判断を継続的に監視し、動的な法的環境への適応が必要となります。
日本の経営者や法務部員がデンマークの不動産法を理解する上で、日本の法律との主要な異同を概観することは不可欠です。
デンマーク不動産法制度の主要特徴と日本法制度との比較
| 項目 | デンマーク不動産法 | 日本不動産法 | 注目すべき差異点(日本企業への影響) |
| 法体系基盤 | 大陸法を基礎とするハイブリッドシステム、EU指令の影響大 | 大陸法(制定法主義)、EU指令の影響なし | 法改正の速度と判例の重要性が高く、動的な法的環境への適応が必要。 |
| 土地登記簿 | Tingbogen(中央・完全デジタル化、公開) | 不動産登記簿(法務局管理、登記情報提供サービスあり) | 権利情報の取得・検証が迅速かつ容易であり、デューデリジェンスの効率性が高い。 |
| 権利の優先 | 登記による先願主義と善意の第三者保護(Tinglysningsloven) | 登記による対抗要件主義(民法177条) | 善意の第三者として迅速に登記を完了すれば、未登録の先行権利を排斥する保護が強力である。 |
| 商業賃借人保護 | Erhvervslejelovenによる強力な保護、解約制限、営業権補償あり | 借家法による保護。正当事由必要、立ち退き料文化 | 賃貸人による解約リスクが低く、賃貸物件に対する事業投資の安定性が非常に高い。 |
デンマークのデジタル中央登記システム「Tingbogen」による権利の明確化
デンマークの不動産法における最大の特筆すべき点は、その中央集権化され、完全にデジタル化された登記システムにあります。このTingbogen(土地登記簿)と呼ばれるシステムは、不動産取引の安全性を保証する基盤です。
TingbogenとMatrikelsystemetの機能
不動産に関する所有権や抵当権などの権利登録は、中央の土地登記裁判所(Tinglysningsretten)によって一元的に管理されるTingbogenで行われます。デンマークでは2009年9月8日から登記システムが完全にデジタル化され、従来の地方裁判所による登記業務が中央に集約されました。
このデジタル化と中央集権化により、登録プロセスは大幅に自動化され、案件の約88%が自動で処理されています。この効率性は、不動産取引における手続き的な遅延リスクを大幅に低減します。さらに、Tingbogenは公開されており、オンラインで誰でもアクセス可能です。これにより、土地所有者の身元、登録された抵当権、地役権、その他の権利に関する情報を容易に、かつ迅速に確認することができます。
この登記システムは、デンマークの地籍システム(Matrikelsystemet)と密接に連携しています。地籍システムは、すべての土地を地番で特定し、境界やサイズに関する情報を提供しており、権利情報が記載されたTingbogenと連携することで、不動産の物理的側面と法的側面が一貫して管理されています。このようにTingbogenの完全デジタル化と公開性、および地籍情報との連携は、法的デューデリジェンスのコストと時間を大幅に削減し、取引の確実性を高める要因となります。
権利の優先原則:Tinglysningsloven(土地登記法)の定める対抗要件と善意保護
デンマークの土地登記法(Tinglysningsloven)は、不動産に関するあらゆる権利(所有権、抵当権、地役権など)について、第三者に対してその権利を保護するためには、原則としてTingbogenへの登録を義務付けています。抵当権の登録は、第三者に対する有効性の要件とされています。
権利の順位付けは「先願主義」(First in, First in Right)に基づき決定されます。これは、登記申請が受け付けられた順序が、その後の優先権を決定するという原則です。
Tinglysningslovenが規定する最も重要な原則の一つは、善意の第三者保護の強化です。登録されていない先行する権利が存在する場合でも、登録された権利の取得者がその先行権利について善意である限り、登録された権利が優先権を有します。この原則は、登記簿の公示内容を信頼した取引を強力に保護するものであり、日本企業が不動産取引を行う際、契約前に登記簿を確認し、速やかに登記を完了させることで、未登録の潜在的なリスクをほぼ完全に排除できることを意味します。この善意の保護を受けるためには、契約締結時から登記申請を求める瞬間まで、善意が維持されている必要があります。
ただし、例外的に、Tinglysningslovenの規定により、特定の公的な債務(税金、公課金、火災保険の積立金、公的機関による供給措置に関連する費用など)は、すでに登録されている権利に優先して先取特権を有します。
デンマークにおける土地所有権の原則と公法・私法上の制限、そして外国人投資規制

自由保有権(Freehold)と計画法(Planloven)による利用規制
デンマークにおける土地の所有権は、登録された所有者が法令の範囲内で無制限の財産権を有する「自由保有権」(Freehold)が原則とされています。所有者は、不動産を自由に処分、譲渡、担保設定、または賃貸する権利を有します。デンマークの不動産法は、一般的に自由保有権と借地権の区別を適用せず、法的所有者であるか、あるいは賃借人であるかという区分で運用されています。
この所有権は、地役権や制限的約款といった私法上の制限に加え、公法上の利用規制を受けます。公法上の規制の中心となるのは、計画法(Planloven)です。同法は、国土を都市ゾーン、別荘地帯ゾーン、農村ゾーンに区分し、各自治体はこれに基づき、地方計画(Municipal Plan)や、土地の用途、建物の大きさ、外観などを詳細に規定する区域計画(Local Plan)を策定します。これらの計画は階層構造を持ち、上位の計画法に厳格に準拠する必要があります。日本企業が不動産を取得する際、その利用目的が、現地の区域計画によって定められた用途や制限(例えば建蔽率や建築物の設計)に適合しているかを入念に確認する必要があります。
日本企業(非EU/EEA法人)が直面する不動産取得制限
日本企業のような非EU/EEA法人がデンマーク国内で不動産を取得する場合、外国人による取得規制の対象となります。これは、デンマークが国内の土地利用、特に住宅や別荘地帯の資源を国内居住者のために確保しつつ、国外からの商業投資を国内経済への貢献と結びつける政策的意図によるものです。
外国人によるデンマーク国内の不動産取得は、主要な住居か二次的な住居かにかかわらず、原則として法務省(Justitsministeriet)の許可が必要とされます。
- 許可要件の適用:日本企業のような非EU/EEA法人が直接、商業目的の不動産を取得する場合、法務省の特別許可申請が必要です。この許可は、通常、その企業がデンマーク国内で事業運営を行っている場合にのみ付与されます。
- EU/EEA企業による例外:EUまたはEEA加盟国に登記されている企業は、デンマーク国内での事業活動(支店や代理店の設立、サービスの提供など)に関連する不動産を取得する場合、法務省の許可なく取得できる場合があります。
この規制を回避し、商業目的の不動産取得を円滑に進めるための一般的な戦略は、デンマーク国内に子会社(Anpartsselskab や Aktieselskab など)を設立し、その子会社を通じて不動産を取得することです。この場合、子会社がEU/EEA企業と同等の扱いを受け、許可申請の手続きによる事業開始の遅延リスクを最小限に抑えることが可能となります。なお、許可が必要な場合、不動産の譲渡日から6ヶ月以内に許可申請を行わなければなりません。
日本の借地借家法を超えるデンマーク商業賃借人保護の仕組み
デンマークの賃貸借法は、その社会的なセーフティネットの思想が強く反映されており、特に商業賃借人(テナント)の保護が非常に強力である点が、日本の法律との重要な相違点となります。これは、賃貸借契約が単なる経済的な取り決めではなく、テナントの事業活動という社会的な事業基盤として認識されていることを示しています。
Erhvervslejeloven(商業賃貸借法)の強行規定と賃借人の権利保護
商業賃貸借契約は、Erhvervslejeloven(商業賃貸借法)によって規律されます。この法律は、賃料保護や立ち退き制限など、賃借人に不利益となるような規定を定めることができない強行規定を多く含んでいます。
賃貸人が商業賃貸借契約を解除するためには、Erhvervslejelovenに定められた厳格な要件を満たす必要があります。賃借人が契約違反をしていない限り、賃貸人は容易に契約を終了させることはできません。期限の定めのない契約(多くの場合これに該当)において、賃貸人は、同法に定められた特定の「正当な理由」(good cause)に基づいてのみ解約できます。この制限は、テナントが築いた営業上の信用(Goodwill)を保護することを目的としています。
この強力な解約制限は、日本企業が賃借人としてデンマークで長期的な事業投資を行う際の安定性を非常に高めます。しかし、賃貸人側として物件を所有する場合、将来的な用途変更や再開発を計画する際には、賃借人の強力な法的保護と後述する補償義務が伴うリスクを内包することを十分に考慮する必要があります。
また、賃借人が賃貸借に関する特別な合意上の権利(例:賃貸人が契約を解除できない旨の特約)を取得した場合、その権利を新しい所有者や第三者に対抗するためには、その権利をTingbogenに登録することを求めることができます。
営業権(Goodwill)補償制度のフレームワーク
賃貸人が、賃借人の契約違反ではない法定の正当な理由に基づいて賃貸借を終了させる場合、賃借人に対して、その事業が築いてきた営業上の信用(Goodwill)に対する補償を支払わなければならない場合があります。
この営業権補償制度の存在こそが、日本の立ち退き料の慣習とデンマークの商業賃借人保護との決定的な違いを生み出しています。日本の立ち退き料が主に移転費用や残存価値に焦点を当てるのに対し、デンマークでは、テナントがその場所で築いた事業の無形価値を明確に補償対象としています。
補償額の計算フレームワークは、賃借人の事業継続の有無によって定められています。例えば、テナントが事業を再開しない場合や、賃貸人または新しいテナントが同じか類似の活動を賃借物件で継続する場合、補償額は、賃借期間1年につき賃料1ヶ月分(上限18ヶ月分)を基本とし、これに移転費用などが加味されます。この制度は、賃貸人側の意思決定に大きな財務的リスクを課すものであり、賃貸借契約を締結する際の賃貸人側の慎重なリスク評価が求められます。
商業賃借人の権利に関する判例:強力な権利の時効判断
賃借人が持つ強力な権利についても、無制限にその行使が認められるわけではなく、法的安定性を確保するための時効の原則が適用されます。
一例として、特定の住宅用物件の譲渡に際してテナントに物件購入の機会を提供しなければならない強制的な先買権(tilbudspligt)に関する判例があります。2023年2月14日付の東部高等裁判所(Østre Landsret)の判決では、約20年以上前に発生した、テナントへの先買権提供義務が履行されなかった株式譲渡について、テナントが今になって物件購入を要求できるかどうかが争われました。
高等裁判所は、テナントの補償請求権または購入要求権は、デンマーク時効法(Limitations Act)に基づき10年で時効となるという判断を下しました。この判決は、法制度が、たとえ社会的な保護を目的とする強力な権利であっても、いつまでも権利行使をしない当事者を保護することはしないという、シビル・ロー的な法的安定性の原則を重視していることを示します。
この判例から、日本企業が不動産を取得する際、過去の取引における潜在的な賃借人関連の法的義務が時効により消滅しているかを確認することで、予期せぬリスクを軽減できる可能性があるということが言えます。
この判決に関する公式な解説は、法律事務所のウェブサイトで確認することができます。
参考:Carsted Rosenberg社の公式ウェブサイト
https://www.carstedrosenberg.com/danish-real-estate-law
まとめ
デンマークの不動産法は、完全にデジタル化された中央登記システムTingbogenによる極めて高い透明性と効率性を提供しており、これにより、日本企業は不動産取引における権利の確実性を迅速に確保できます。登記簿の公示内容を信頼した取引は、Tinglysningslovenによって強力に保護されます。
一方で、非EU/EEA法人による不動産直接取得には法務省の許可が必要であり、進出を検討する企業は現地子会社の設立を戦略の前提とすることが推奨されます。
特に商業賃貸借法(Erhvervslejeloven)に見られる、賃貸人による解約の厳格な制限と、営業上の信用(Goodwill)に対する補償義務は、デンマーク社会の「フレキシキュリティ」の思想を反映しており、日本の借地借家法と比較しても賃借人に非常に手厚い保護を与えます。この特性は、賃借人としては大きな事業安定性となりますが、賃貸人としては、将来的な物件の売却や再開発計画に大きな制約と財務的リスクをもたらすことになります。
デンマーク市場への進出を検討される日本の経営者や法務部員にとって、これらのデジタル化された手続きの効率性、そして賃貸借における強力な社会的保護の思想は、事業戦略を策定する上で不可欠な要素です。モノリス法律事務所では、これらの複雑なクロスボーダー取引における規制環境の分析、現地法人設立を通じた不動産取得戦略、および商業賃貸借契約のレビューに関するサポートを提供いたします。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務

































