社労士報酬を支払っていない「実質無料」のリスキリング助成金と不正受給

労働者のスキルアップや再教育(リスキリング)は、企業の生産性向上のみならず、国家競争力の維持において喫緊の課題となっており、厚生労働省は「人材開発支援助成金(事業展開等リスキリング支援コースなど)」を拡充し、企業が負担する研修費用や訓練期間中の賃金を高率で助成する制度を整備してきました。
しかし、この公的資金の還流システムを悪用し、制度の趣旨を逸脱した不正受給が後を絶ちません。特に昨今、社会問題化しているのが、研修会社(教育訓練機関)やコンサルティング会社が主導する組織的な不正スキームです。これらの業者は、「実質無料」や「持ち出しゼロ」といった甘言を用いて、本来受給資格のない、あるいは実態のない研修に対する助成金申請を唆しています。
そして、近年、リスキリング助成金の申請の際の社労士報酬を支払っているのが誰か、ということが、調査の過程で問題になるケースが増えてきました。つまり、本来、社労士の報酬は、助成金を申請する事業主が負担するべきものですが、「実質無料」スキームの中で、これを訓練実施機関が実質的に負担する事例が問題となっており、「申請事業主が社労士報酬を実質負担していないこと」が「不正受給の徴表」として扱われるケースがある、ということです。
この記事の目次
「実質無料」スキームと資金還流

助成金制度の原則と「自己負担」の重要性
まず、人材開発支援助成金の基本的な前提ですが、この制度は、事業主が労働者の職業能力開発のために要した経費の一部を、国が後から「助成(補填)」するものです。すなわち、事業主による費用の「持ち出し(自己負担)」が先行し、その実績に基づいて公的資金が交付される仕組みとなっています。
この「自己負担」は、研修が真に企業にとって必要であり、投資する価値があるものであることを担保するための重要な要件です。したがって、事業主の負担が最終的に「ゼロ」になる、あるいは助成金によって「利益」が出るという構造自体が、制度の趣旨に真っ向から反するものになります。
悪質業者による「持ち出しゼロ」の勧誘
不正受給の入り口は、多くの場合、訓練機関やコンサルティング会社からの営業活動にあります。彼らは経営者に対し、以下のようなセールストークを展開しています。
- 「国の助成金を使えば、会社の持ち出しは一切なく研修が受けられます」
- 「最新のシステム導入費用も、研修費とセットにすれば助成金で賄えます」
- 「面倒な申請手続きは、提携している社労士が無料で代行します」
これらの提案は、一見すると経営合理化に資するように見えますが、その裏側には違法な資金還流(キックバック)の仕組みが隠されています。
資金還流(キックバック)のメカニズム
「実質無料」を実現するために用いられる典型的なスキームは、以下のような手順で行われています。
| 行為主体 | 内容 | 形式的な目的 | 実質的な目的 | |
|---|---|---|---|---|
| 1. 契約締結 | 事業主・訓練機関 | 高額な研修契約を締結する(例:500万円) | 研修の実施 | 助成金申請の基礎となる「経費実績」の作出 |
| 2. 支払実行 | 事業主→訓練機関 | 契約金全額を銀行振込で支払う | 研修費の支払い | 領収書と振込記録(証憑)の確保 |
| 3. 助成金申請 | 事業主(社労士)→労働局 | 支払実績に基づき助成金を申請する | 正当な権利行使 | 虚偽の経費負担に基づく資金の詐取 |
| 4. 資金還流 | 訓練機関→事業主 | 受領額の大部分を別名目で返金する | コンサル料、広告費など | 事業主の自己負担分を相殺し「実質無料」に |
ここで重要なのは、ステップ4の「資金還流」です。訓練機関は、研修費として受け取った金銭を、「経営コンサルティング料」「広告宣伝協力費」「システム利用キャッシュバック」「モニター謝礼」といった、研修とは無関係な名目で事業主に払い戻します。
これにより、事業主の帳簿上の研修コストは相殺されてゼロ(あるいはプラス)になりますが、労働局に対しては「全額を自己負担した」という建前で、定価ベースの高額な助成金が申請されます。これは、国に対する明確な詐欺行為で、会計検査院も「企業が自己負担なしで訓練を受けられる仕組み」として強く問題視しています。
社労士報酬を「誰が払うか」という問題
事業主と社労士の正常な契約
社会保険労務士法に基づき、雇用関係助成金の申請代行は社労士の独占業務とされています。この業務委託契約は、民法上の準委任契約(民法656条)の性質を有し、依頼者(事業主)と受任者(社労士)の間の信頼関係(Fiduciary Duty)を基礎とするものです。
正常なフロー:
- 事業主が、自社のための助成金申請を社労士に依頼する。
- 事業主と社労士の間で直接、業務委託契約書を締結する。
- 社労士は、依頼者である事業主の利益のために、適正な申請書類を作成する。
- 事業主は、社労士に対して報酬(着手金や成功報酬)を直接支払う。
この関係性においては、社労士は事業主に対して善管注意義務を負い、事業主のコンプライアンスを守る立場にあります。
訓練機関による報酬負担
一方、不正受給が疑われる「実質無料スキーム」では、この報酬支払いの構造がいびつに歪められているケースがあります。具体的には、申請事業主ではなく、研修サービスを提供する訓練機関が社労士を選定し、報酬を支払っているケースです。
訓練機関が社労士報酬を負担する場合、社労士にとっての「実質的なクライアント(スポンサー)」は、申請事業主ではなく訓練機関となります。
- 社労士のインセンティブ:訓練機関から「今後も多数の案件を紹介する」「報酬をまとめて支払う」と言われれば、社労士は訓練機関の意向(=とにかく助成金を受給させ、研修契約を成立させること)を優先せざるを得なくなる。
- 審査機能の麻痺:本来、社労士は「この申請は要件を満たしていない」「この研修実態は怪しい」と判断すれば、申請を止めるべき立場にある。しかし、訓練機関から報酬を得ている場合、そのようなストッパー機能は働かず、むしろ「いかにして審査を通すか」という不正の片棒を担ぐ方向に能力が使われることになる。
社労士との契約が「報酬0円」であるケース
また、申請事業主と社労士との契約において、社労士(または訓練実施機関)が、「助成金申請手数料は無料です」「成果報酬も不要です」と謳っているケースもあるようです。
社労士は国家資格者であり、その業務には高度な専門知識と労力が要求されます。適正な報酬相場(例:着手金数万円+受給額の10-20%程度)が存在する中で、「無料」で業務を引き受けることには、必ず裏がありますし、その契約は、行政からの調査が行われた場合に、必ず「極めて不自然」として問題視されるものです。
2024年11月制度改正による明確化
厚生労働省はこの問題を重く見て、2024年11月に人材開発支援助成金の審査基準を抜本的に見直した。この改正により、以下の点が明確化されました。
- 契約経緯の開示義務:計画届において、教育訓練機関と契約を結んだ経緯を詳細に記載することが求められるようになった。
- 資金フローの透明化:訓練機関から受領した負担軽減に関する説明資料や、実際の支払証憑の提出が義務化された。
これにより、「訓練機関が社労士を紹介し、報酬を(実質的に)負担している」という事実は、もはや隠し通せるものではなくなり、発覚した時点で「事業主の主体性の欠如」および「経費負担の実態なし」として、不正受給と認定されるリスクが極めて高まっています。
大規模摘発の現状

1.9億円不正事案の衝撃と波及
2025年12月、178社、19億円の不正受給事案も、発生しました。全国の労働局は現在、類似のスキームに対する徹底的な調査(全数調査に近い精査)を行っているものと言えるでしょう。
会計検査院の検査報告(2024年10月公表)においても、32事業主による約1億735万円の不正受給が指摘されており、国レベルでの引き締めが強化されていることは明白です。
都道府県労働局による公表の実態
不正受給が認定された場合、最も恐ろしい制裁の一つが「企業名の公表」です。以下の表は、各労働局が不正受給事案として公表している最新の状況を示したものです。
| 都道府県 | 更新日 | 内容 |
|---|---|---|
| 北海道 | 令和7年6月24日更新 | 事業主等の公表事案として掲載 |
| 東京 | 令和7年12月19日更新 | 大規模な公表リストが存在。不正受給による公表事案として整理されている |
| 愛知 | 令和7年更新分あり | 令和4年度から令和7年度まで年度別にリスト化 |
| 大阪 | 令和7年更新分あり | 社労士・代理人の関与リストも別途公表 |
| 福岡 | 令和6年更新分あり | 積極的な調査を実施中。内部告発を推奨 |
| 沖縄 | 令和7年3月17日更新 | 社労士の関与について詳細に公表 |
社労士に対する懲戒処分の厳格化
不正に関与した社労士への処分も厳罰化しています。例えば、厚生労働省は、2024年3月に助成金不正に関与した社労士3名に対し、業務停止1年などの懲戒処分を下し、その事実を官報およびウェブサイトで公表しました。
また、リストによれば「失格」処分(社労士資格の剥奪)を受けた者も散見され、不正に手を染めた専門家が業界から追放されている現状が確認できます。
助成金不正受給により企業が背負う「3点セット」の代償と法的責任
経済的制裁
金銭的なペナルティは、以下の3つの要素で構成されます。
- 助成金全額の返還:受給した助成金の全額を返還しなければならない。
- 違約金(加算金):受給額の20%に相当する額が、制裁金として加算される。
- 延滞金:受給日の翌日から返還完了日まで、年3%の割合で延滞金が発生する。
このように、受給額を大幅に上回る金額を一括で返済しなければならず、多くの中小企業にとって、これは即時の資金ショート、ひいては倒産を招く致命傷となり得ます。なお、IT導入補助金などの場合、延滞金利が年10.95%とさらに高率になるケースもあり、その負担は雪だるま式に膨れ上がります。
公表による社会的信用の失墜
金銭以上に企業生命を脅かすのが、「公表」によるレピュテーションリスクです。
- 取引停止:大手企業や官公庁は、コンプライアンス条項に基づき、不正受給認定企業との取引を即座に停止する可能性がある
- 銀行融資の引き上げ:金融機関は、公的資金を詐取した企業を「コンプライアンス違反企業」とみなす可能性があり、新規融資が止まるだけでなく、既存融資の一括返済を求められるリスクもある
- 採用活動の崩壊:企業名で検索すると「不正受給」「ブラック企業」という検索結果が上位に表示されるようになり(デジタルタトゥー)、人材の採用が困難になる
5年間の助成金受給停止
不正受給が認定された日から5年間は、雇用調整助成金やキャリアアップ助成金を含む、あらゆる雇用関係助成金の申請・受給ができなくなります。これは、将来のパンデミックや経済危機、あるいは事業転換の際に、国からのセーフティネットを一切利用できないことを意味し、経営上の重大なハンディキャップとなります。
刑事責任の追及
特に悪質な事案(架空のタイムカードを作成した、存在しない社員を計上した、組織的に多数の申請を行ったなど)については、詐欺罪(刑法246条)として刑事告発される可能性もあります。
対応策と自主返還

「知らなかった」は通用しない
労働局の調査において、経営者が「訓練機関に騙された」「違法だとは知らなかった」「社労士に任せていた」と弁明しても、助成金の申請主体はあくまで事業主であり、申請書類には「記載内容に虚偽がない」ことを誓約する事業主の署名(または電子署名)がなされています。最終的な法的責任は、ハンコを押した経営者が負わなければなりません。
調査前の自主申告
もし不正に関与してしまった可能性がある場合、唯一にして最大の防衛策は、労働局の調査が入る前に「自主申告・自主返還」を行うことです。
- 公表の免除:自主的に不正を申告し、速やかに全額を返還した場合、原則として企業名の公表は行われない運用となっている。これにより、社会的信用の失墜という最悪の事態を回避できる。
- 刑事告発の回避:自ら非を認め、損害を回復させることで、悪質性が低いと判断され、刑事事件化のリスクを大幅に低減できる。
- 延滞金の抑制:早期に返還することで、年3%の延滞金の累積を止めることができる。
ただし、すでに労働局から「調査予告通知」が届いた後や、抜き打ち調査(実地調査)が入った後では、もはや自主申告とは認められません。
まとめ:助成金不正受給のおそれがあればすぐ弁護士に相談を
「社労士報酬を申請事業主が支払っていない」という事実は、不正受給の「徴表」と言えます。
- 社労士報酬を、会社(申請事業主)の口座から直接支払っていない
- 「社労士費用は訓練機関が負担する」「無料サービスだ」と言われた
- 社労士と直接の業務委託契約書を交わしていない
- 社労士と一度も面談(オンライン含む)したことがない
こうした事実は、典型的に不正受給を疑われる「徴表」です。そして、実際に「実質無料」の資金還流が行われていた場合、その受給は「不正受給」と判断される可能性が高いと言えるでしょう。
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