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法律記事MONOLITH LAW MAGAZINE

IT・ベンチャーの企業法務

リスキリング助成金、特定の訓練機関が関与した案件で返還対象178社19億円の不正受給

我が国の労働市場における喫緊の課題である「リスキリング(職業能力の再開発)」を支援するための公的制度が悪用された、極めて大規模かつ組織的な不正受給事件が明るみに出ました。2025年12月19日、東京労働局が行った公表によれば、人材開発支援助成金(人への投資促進コース)に関わる不正受給において、特定の訓練機関が関与した案件として、「東京労働局管内の事業所11社に係る当該助成金の申請において、申請事業主に訓練経費の実質的負担なしで助成金を申請させるスキームにより、当該助成金を不正に受けた事業主の不正受給に関与した」として、62,172,000円の不正受給が公表されました。そして、当該訓練機関であるコンサル会社が12月25日に行った報告会によれば、返還対象となる企業は、全国で178社に上り、その返還総額(ペナルティを含む)は約19億4,000万円という巨額に達することが判明しました。

さらに、本件では、単なる一企業の不正義にとどまらず、国家資格者であり、本来であれば労働法規の遵守を指導すべき立場にある特定の社会保険労務士法人が、組織的な不正のスキームに関与していた疑いも持たれています。政府が推進する「人への投資」という政策的要請を逆手に取り、法の抜け穴を突くかのような巧妙な「実質負担ゼロ」スキームが横行していた事実は、制度の根幹を揺るがす事態と言わざるを得ません。

なぜこれほど多くの企業が不正の深みに嵌り込んだのか、そして不正受給と認定された企業にはどのような法的・経済的制裁が科されるのか。経営者が直面するリスクと、コンプライアンス上の教訓を網羅的に解説します。

事件の全貌と「実質無料」スキームの構造的問題

事件の全貌と「実質無料」スキームの構造的問題

人材開発支援助成金「人への投資促進コース」の趣旨と要件

本件で悪用されたのは、厚生労働省が管轄する「人材開発支援助成金」の中でも、特にデジタル化やDX(デジタルトランスフォーメーション)に対応した人材育成を強力に後押しするために設けられた「人への投資促進コース」です。このコースには、定額制訓練(サブスクリプション型研修サービス)を利用した場合に、その経費の一部を助成するという仕組みが存在します。

本来、助成金制度は「事業主が費用を負担して」従業員に訓練を行った場合、その負担の一部を国が補填するものです。ここには、「事業主がコストを負担してでも従業員を育成したい」という経営判断(=事業主の費用負担)が存在することが大前提となります。したがって、助成金の支給要件の核心は、「事業主が訓練経費の全額を適正に負担していること」にあります。

「キックバック」による実質負担の抹消

今回の事件において、178社もの企業が一斉に処分対象となった背景には、特定の訓練機関(ベンダー)と社労士法人が連携して推奨したと思われる「実質無料スキーム」の存在があります。

このスキームの構造は極めて巧妙であり、かつ法的には「偽りその他不正の行為」に直結する危険な罠でした。その具体的な流れは以下の通りです。

  1. 契約と支払の偽装:申請を行う事業主(企業)は、訓練機関との間で高額な研修サービスの利用契約を締結し、契約書に基づいた正規の料金(例えば数百万円)を支払います。これにより、表面上は「経費の支払い」を証明する銀行振込の控えや領収書が整います。
  2. 助成金の申請:この支払実績に基づき、労働局へ助成金の支給申請が行われます。申請書類には「当社は研修費用として〇〇万円を全額負担しました」という旨の申告が含まれます。
  3. 資金の還流(キックバック):ここからが不正の本丸です。訓練機関、あるいはその関連会社から、申請事業主に対して、「経営コンサルティング料」「広告協力費」「システム利用に伴うキャッシュバック」など、研修とは無関係を装った名目で、支払った研修費用に相当する金額、あるいはその大半が還流(キックバック)されます。

この資金還流により、事業主の財布から出ていく「実質的な研修費用」はゼロ、あるいは極めて少額となります。しかし、国に対しては「定価全額を負担した」として申請を行い、定価を基準に算出された高額な助成金を受け取るのです。これは、公的資金である雇用保険料を原資とする助成金を、架空のコスト負担に基づいて詐取する行為に他なりません。

会計検査院と労働局による「欺罔行為」の認定

法律上、助成金の対象となる経費は、事業主が「終局的に負担した費用」でなければなりません。キックバックによって費用が補填されている場合、その補填分を差し引いた額が「実質的な経費」となります。もし還流額が支払額と同額であれば、実質経費はゼロ円であり、助成金の支給対象額もゼロ円となります。

今回の処分において、労働局は次のように断じています。

「当該助成金の申請において、訓練機関又はその協力会社から支払を受けた金銭でもって訓練経費の負担を補填することにより、実質的に訓練経費の全額を負担していないにもかかわらず、不正に助成金を受給したもの」

これは、単なる手続き上のミスや解釈の相違ではなく、助成金の支給要件を潜脱するために作為的に仕組まれた「欺罔(ぎもう)行為」、すなわち詐欺的なスキームであると行政が正式に認定したことを意味します。

処分事例から見るペナルティの実態

今回、特定の訓練機関のスキームで不正受給を行ってしまった会社に対しては、12月中旬頃から、人材開発支援助成金支給決定取消及び返還決定通知書が送付されています。その柱書では、以下のような強いメッセージが記載されている模様です。

「ご提出いただきました資料の確認等これまでの調査の結果、同封しました「人材開発支援助成金(人への投資促進コース)至急取消及び返還命令通知書」のとおり、●●日付けで不正受給処分としましたので、下記の書類を送付いたします。」

そして、処分理由として、以下のような記載が行われている模様です。

「当該助成金の申請において、訓練機関又はその協力会社から支払を受けた金銭でもって訓練経費の負担を補填することにより、実質的に訓練経費の全額を負担していないにもかかわらず、不正に助成金を受給した。」

ここで注目すべきは、単に「要件を満たさないため不支給」とするのではなく、明確に「不正受給」として断罪されている点です。これにより、単なる返金では済まない、懲罰的なペナルティが発動します。

「3点セット」による金銭的負担

不正受給と認定された場合、企業には以下の3つの金銭的負担が同時に課されます。

ペナルティの種類内容一例
1. 助成金元本の返還既に受給した助成金の全額を返還する義務。5,000,000円
2. 違約金(加算金)懲罰的意味合いを持つペナルティ。返還額の20%相当額が上乗せされる。1,000,000円 (500万円×20%)
3. 延滞金受給した日の翌日から返還完了日までの期間に対し、年3%の割合で課される利息。約250,000円 (1.5年程度と仮定)
合計負担額約6,250,000円

特に痛手となるのは、この現金が一括で請求される点です。通知書には「納入告知書」が同封されており、期限内の即時納付が求められます。

さらに、この企業はスキームの一環として、訓練機関に対して最初に「見せ金」としての研修費用(おそらく数百万〜1,000万円規模)を支払っているはずです。その後キックバックされた資金を運転資金として使い果たしていた場合、手元にキャッシュがない状態で、突然600万円超の請求書が届くことになります。これは中小企業の資金繰りを一撃で破綻させかねないインパクトを持ちます。

企業名の公表(ブラックリスト化)

金銭的なダメージ以上に経営の根幹を揺るがすのが、行政処分に伴う社会的・制度的制裁です。

まず、労働局は、不正受給を行った事業主の名称、代表者名、所在地、不正の内容を公表します。この情報は厚生労働省のウェブサイトに掲載されるだけでなく、帝国データバンクなどの信用調査機関や金融機関によって即座に収集されます。

「公的資金を詐取した企業」というレッテルは、銀行融資の停止、取引先からの契約解除、新規採用の困難化など、計り知れないレピュテーションリスクをもたらします。

全助成金の5年間停止

次に、今回の通知書には「人材開発支援助成金(人への投資促進コース)不支給措置期間通知書」が含まれており、その期間は「5年間」と明記されています。重要なのは、これが「今回不正を行った助成金」に限らず、雇用関係の全助成金に適用されるという点です。

  • 雇用調整助成金:不況時や災害時に従業員の雇用を守るための命綱。
  • キャリアアップ助成金:正社員化などを支援する主要な助成金。

これら全てが今後5年間、一切受給できなくなります。経営環境が急変した際、他社が使えるセーフティネットを自社だけが使えないという状況は、経営上の致命的なハンディキャップとなります。

178社・19億円という数字が示すもの

178社・19億円という数字が示すもの

平均不正額と企業規模の推測

総額19億4,000万円を178社で割ると、1社あたりの平均返還額は約1,090万円となります。大規模に、あるいは複数回にわたって不正申請を繰り返していた企業が含まれていることが推測されます。

助成金の限度額等を考慮すると、従業員数数十名〜百名規模の中小企業が主なターゲットとなっていた可能性が高いでしょう。これらの企業にとって、1,000万円超の現金流出は、まさに「死活問題」です。

「芋づる式」式の調査

今回の大量摘発は、労働局による調査手法が「点」から「面」へと進化したことを如実に物語っています。

従来、不正受給の調査は、内部通報(タレコミ)などを端緒として個別の企業に行われることが一般的でした。しかし、今回は明らかに「芋づる式」の調査が行われています。

  1. 起点:会計検査院や労働局が、特定の訓練機関の不審な資金還流スキームを捕捉
  2. ネットワークの解明:その訓練機関の顧客リストを押収し、そこから「キックバックを受けている可能性のある企業」をリストアップ
  3. 一斉調査:特定の訓練機関が関与した全ての案件に対して一斉に照会・実地調査を行った

このプロセスにおいて、個々の企業が「うちはバレないだろう」と考える余地はありません。訓練機関や社労士法人が特定された時点で、そのクライアント全社が自動的に調査のまな板の上に載せられるシステムになっているのです。

未然防止措置となった99社

当該訓練機関の報告会の内容によれば、返還対象となった178社に加え、「未然防止措置(助成金支給前に停止)となった事業主」も、99社存在します。

これは、申請は行ったものの、支給決定が下りる直前に不正が発覚し、支給が食い止められた企業群です。彼らは金銭の返還義務こそ負いませんが、「不正受給を試みた(未遂)」という事実は変わりません。

したがって、これらの99社に対しても、今後5年間の助成金不支給措置や企業名公表といったペナルティが科される可能性は極めて高く、リスクは既受給企業と同等であると認識すべきです。

法的・コンプライアンス的観点からの分析

「善管注意義務」と経営者の責任

多くの経営者は、「専門家である社労士やコンサルタントが良いと言ったから信じた。自分たちは被害者だ」と主張したくなるでしょう。しかし、法的にその抗弁は通用しません。

会社法上、取締役は会社に対して「善管注意義務(善良なる管理者の注意義務)」を負っています。助成金の申請書には、事業主自身が署名・押印(または電子署名)を行い、「記載内容に虚偽がないこと」を宣誓しています。

「実質的にタダになる」という、常識的に考えて虫の良すぎる話に乗った時点で、経営者としての注意義務を怠ったとみなされます。労働局の判断においても、「社労士に唆された」ことは情状酌量の余地にはなり得ず、最終責任は全て申請主体である事業主に帰属します。

「実質的負担」に関する判例・解釈の厳格化

助成金行政において、「経費の実質的負担」の解釈は年々厳格化しています。

過去には、ポイント還元や将来の割引といった曖昧な形での利益供与が見逃されるケースもありましたが、現在は会計検査院の指摘を受け、資金の流れ(キャッシュフロー)の実態が徹底的に精査されます。

  • 形式基準:領収書や契約書が整っているか
  • 実質基準:その支払と対価関係にない資金の流入(キックバック)がないか、あるいは不当に高額な設定となっていないか

今回の事件で、行政側は「別名目での入金であっても、時期や金額の相関性から実質的な値引き(還流)と認定する」という強力な運用基準を確立したと言えます。これは、今後の助成金審査におけるゴールデン・スタンダード(金科玉条)となるでしょう。

内部通報リスクの高まり

不正発覚の端緒として、従業員からの内部通報が増加しています。

リスキリング助成金の場合、実際に研修を受けるのは従業員です。「会社は研修を受けろと言うが、実はタダで助成金をもらうためのダシに使われているのではないか」「社長が『これは儲かる』と話しているのを聞いた」といった疑念を持った従業員が、労働局の「不正受給通報窓口」に情報を提供するケースです。

不正な手段で利益を得ている企業に対して、従業員のロイヤリティは低下します。不正受給は、労使関係の崩壊をも招くリスク要因なのです。

企業が取るべき対応

企業が取るべき対応

当該訓練機関のスキームに関与していた場合

最優先事項は「社名の公表回避」と「5年間の申請停止処分(不支給措置)の撤回」です。

まずは、厚生労働省HP等での社名公表を確実に避けるため、返還請求額の全額納付を推奨します。支給要領において、不正受給額(加算金・延滞金含む)が100万円以上の場合でも、「返還命令から1か月以内に全額納付」すれば、原則として公表されない規定となっているためです。

次に、処分を下した労働局に対して、任意の交渉(不服の申し出)を行うべきだと思われます。支給要領には、「不服の申し出があった場合は、適宜再調査を行う」との記載があります。支給要領に基づき、「今回の申請不備は『故意』によるものではなく過失であるため、ペナルティ対象となる『不正受給』には該当しない」と主張し、5年間の申請停止処分の撤回を求めることが考えられます。そして、上記の交渉で労働局が処分を変更しない場合、回答が遅れ期限が迫った場合は、法的手続きである「審査請求」へ移行します。支給要領には「審査請求はできない」旨の記載がありますが、上位法令(雇用保険法)に基づき、審査請求期限(処分を知った翌日から3か月)内のタイミングで、権利保全のために必ず申し立てを行うべきだと思われます。これを行っておかないと、将来的に裁判等で争う権利を失うリスクがあるため、交渉決裂時の保険として機能させる必要があるからです。

こうした手続は、上記のように「タイムリミット」がある、かつ専門的なものです。専門家によるサポートを受けることが、実際問題として、必要不可欠だと言えるでしょう。

類似のスキームに関与していた場合

もし、自社が類似のコンサルタントを利用し、「実質無料」や「キャッシュバック」を伴う助成金申請を行っていた場合、あるいはその疑いがある場合も、一刻も早い対応が必要です。

  1. 自主申告の検討:労働局の調査が入る前に、自ら不正を認め、自主的に申告を行うことが唯一の救済策です。自主申告を行い、速やかに全額を返還した場合、原則として「企業名の公表」は免除されるという規定があります(ただし、悪質性が極めて高いと判断された場合を除く)
    調査通知が届いてからでは手遅れです。直ちに信頼できる弁護士(関与していない第三者の弁護士)に相談し、自主申告の手続きを進めるべきです。
  2. 証拠の保全:コンサルタントや社労士とのやり取り(メール、提案資料、録音データなど)を保全してください。これは、行政処分を軽減するためではなく、将来的に当該コンサルタント等に対して損害賠償請求を行うための材料となります。

まとめ:助成金不正受給に関与のおそれがあれば弁護士へ相談を

今回の人材開発支援助成金の不正受給事件は、返還対象178社、総額19億円という数字の大きさだけでなく、日本の助成金制度への信頼を根底から揺るがす重大事案です。

この事件は、安易な利益追求がもたらす破滅的な結末を、全ての企業経営者に突きつけています。公的資金の受給には、厳格な規律と倫理が求められます。「知らなかった」では済まされない厳格な連帯責任とペナルティの嵐の中で、企業が生き残る道は、コンプライアンスの徹底と、正道を行く経営判断以外にはありません。

本記事が、貴社のリスク管理体制の見直しと、健全な人材投資戦略の再構築の一助となることを切に願います。

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モノリス法律事務所は、IT、特にインターネットと法律の両面に高い専門性を有する法律事務所です。当事務所では、東証プライム上場企業からベンチャー企業まで、ビジネスモデルや事業内容を深く理解した上で潜在的な法的リスクを洗い出し、リーガルサポートを行っております。下記記事にて詳細を記載しております。

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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