ネパール連邦民主共和国の民法・契約法の解説

ネパールの契約法は、かつて「契約法2056年(2000年)」によって規律されていましたが、2017年に施行された「国家民法典2074年(2017年)」が主要な法的根拠となっています。この民法典は、ネパールの民事法全体を包括的に整理・統合したものであり、契約に関する規定もその一部として含まれています。そして、旧契約法2056年の規定の約70%が国家民法典2074年に引き継がれているため、過去の法解釈や判例が引き続き参照される可能性が高い、と言われています。
なお、ネパールでは、西暦とは別にビクラム暦という独自の暦が使われています。ビクラム暦は紀元前57年を起年とし、西暦の4月半ばを新年とします。例えば、西暦2000年はビクラム暦では2056年又は2057年です。「契約法2056年(2000年)」「国家民法典2074年(2017年)」という表記は、このビクラム暦によるものです。
契約の有効性に関しては、日本法と同様に、申込みと承諾、適法な約因(対価)、当事者の能力、自由な同意、適法な目的といった基本的な要素が求められます。これらの要素が欠ける場合、契約は無効または取消可能となる可能性があります。特に、契約の取消事由として「不当な影響」が明示的に定義されている点や、明示的な合意がなくとも契約関係が成立しうる「間接的な契約」の概念は、日本法にはない、あるいは異なる形で規定されているため、日本のビジネスパーソンにとっては特に注意を要する点です。
本記事では、ネパールの民法と契約法について弁護士が詳しく解説します。また、ネパールの法律の全体像とその概要に関しては以下の記事で解説しています。
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この記事の目次
ネパール契約法における契約の成立要件と「約因」

ネパール法における有効な契約の成立には、複数の基本的な要素が必須とされています。具体的には、申込みと承諾、約因、当事者の能力、自由な同意、合法的な目的、確実性、法的な拘束意思、そして履行可能性が挙げられます。
これらは日本の民法における契約成立要件と多くの点で共通しているのですが、日本法にない概念が、「約因(Consideration)」です。約因は、金銭、サービス、物品など、当事者間で交換される価値あるものを指します。これは適法で現実的であり、違法または不道徳な行為を含まないものでなければなりません。ネパール法では、約因がない契約は一般的に無効とされます。これは英米法に特徴的な概念です。日本法には原則として「約因(consideration)」の概念は存在しないため 、英米法系の影響が強いネパール法とはこの点で異なります。
ネパール契約法における取消事由としての「不当な影響」
ネパール契約法の特徴の一つは、「不当な影響(Undue Influence)」は、契約の取消事由として定義されている点です。これは、契約の当事者間の力関係や信頼関係の濫用を防ぎ、真に自由な同意に基づく契約の成立を確保するための重要な規定です。
ネパール契約法における「不当な影響」とは、「他者の影響下にある、またはその者の意向に従順な者に対して、個人的な利益を得る意図、またはそのような利益を満たす意図をもって行使される影響」を指します。このような不当な影響によって同意が取得された場合、その契約は「取消可能(voidable)」となります。取消可能契約とは、被害を受けた当事者の請求により裁判所が無効を宣言できる契約であり、被害を受けた当事者は契約の解除(rescission)や原状回復を求めることができます。ネパール法では、「自由な同意」が契約の有効性の必須要素であり、強制(coercion)、詐欺(fraud)、不実表示(misrepresentation)、または不当な影響(undue influence)がないことが明確に求められています。
一方、日本の民法においては、「不当な影響」という独立した取消事由は明文で規定されていません。日本法では、意思表示の瑕疵として「詐欺(民法96条1項)」および「強迫(民法96条1項)」が取消事由として定められています。不当な影響による契約は、個別の事案において、詐欺や強迫の要件を満たすか、あるいは公序良俗違反(民法90条)として無効とされる可能性があります。
ネパール法が「不当な影響」を独立した取消事由として明示的に規定している点は、日本法との重要な相違点です。これは、ネパール法が、当事者間の力関係や信頼関係の濫用による不公平な契約に対し、より直接的かつ広範な保護を与えていることによるものだと言えるでしょう。日本企業がネパールでの契約交渉において、特に支配的地位にある場合や、相手方との間に特別な関係性がある場合(例:代理人、雇用主、家族関係など)、契約締結に至るプロセスにおいて、相手方の自由な意思が確保されているか、より慎重に確認する必要があるでしょう。
以下に、ネパール法と日本法における契約取消事由の比較を示します。
取消事由 | ネパール法(国家民法典2074年等) | 日本法(民法) |
不当な影響 | 明示的に取消事由として定義。影響下にある者への個人的利益目的の影響行使 | 明文規定なし。個別の事案で詐欺、強迫、または公序良俗違反として扱われる可能性 |
詐欺 | 取消事由として明示的に規定 | 民法96条1項に取消事由として規定 |
強迫 | 取消事由として明示的に規定 | 民法96条1項に取消事由として規定 |
不実表示 | 取消事由として明示的に規定 | 直接の取消事由ではないが、詐欺に含まれる場合や錯誤として扱われる場合がある |
錯誤 | 契約が無効となる場合がある | 民法95条に取消事由として規定 |
強制 | 取消事由として明示的に規定 | 強迫に含まれる |
ネパール契約法における「間接的な契約」
ネパール契約法において、「間接的な契約(Indirect contract)」の概念は、明示的な合意がなくても、特定の行為や状況によって法的な義務が生じる、いわゆる「準契約(Quasi-contract)」に相当するものです。この概念は、旧「契約法2056年」の第11条に明確に規定されており、現行の「国家民法典2074年」にも引き継がれている可能性が高いことが示唆されています。その主な目的は、一方の当事者が他方の犠牲のもとに不当に利益を得ることを防ぎ、公正を維持することにあります。
ネパール契約法2056年第11条は、以下の状況で契約が成立したとみなされると規定しています。
- 無能力者または扶養される者への必需品の提供: 契約締結能力のない者、またはその扶養を受ける者に対し、その社会的地位に見合った必需品やサービスが提供された場合、提供者はその費用を受益者の財産から回収する権利を有します。
- 他者の義務の代位弁済: 他者が支払うべき金額について、その支払いや不払いに利害関係のある者が自ら支払いを行った場合、その者は本来の義務者の財産からその支払いを取り戻す権利を有します。
- 物品またはサービスの提供に対する対価: ある者が他者に物品を提供したり、労務を提供したりした場合、その物品や労務に対する適切な費用または報酬が支払われなければなりません。
- 他者の財産の占有: ある者が他者の財産を法的に保持できる形で個人的に占有している場合、その財産は寄託物(bailment property)とみなされます。
- 誤って支払われた金額の返還: ある者が誤って他者に支払った金額は、返還されなければなりません。
日本法には、「間接的な契約」という直接の概念はありませんが、同様の状況は「事務管理(Negotiorum Gestio)」および「不当利得(Unjust Enrichment)」の原則によって規律されます。
- 事務管理(民法697条): 法的な義務なくして他人のために事務の管理を開始した者(管理者)は、その事務の性質に従い、最も本人の利益に適合する方法によって、その事務の管理(事務管理)をしなければなりません。管理者は、本人のために支出した費用や負った債務について償還請求権を有します。
- 不当利得(民法703条、704条): 法律上の原因なく他人の財産または労務によって利益を受け、そのために他人に損失を及ぼした者(受益者)は、その利益の存する限度においてこれを返還する義務を負います。悪意の受益者は、受けた利益に利息を付して返還し、さらに損害がある場合はその賠償責任を負います。
ネパール契約法における契約違反時の救済措置と実務上の留意点

ネパール法において、契約違反は、当事者が契約上の義務を履行しない場合、または履行しない旨を通知した場合、あるいはその行動や態度から履行能力がないことが明らかになった場合に発生するとされます。このような契約違反が発生した場合、被害を受けた当事者には、その損害を回復するための複数の救済措置が認められています。
主な救済措置としては、損害賠償、特定履行、そして契約解除が規定されています。
まず、「損害賠償(Compensation/Damages)」は、契約違反により生じた直接的かつ現実の損失または損害に対して、被侵害当事者が合理的な金額を請求できるものです。ただし、間接的または遠隔的な損失や損害については、原則として請求できないとされています。契約に事前に合意された賠償額(違約金)が定められている場合、その範囲内で合理的な金額を請求することが可能です。
次に、「特定履行(Specific Performance)」は、金銭的補償が被侵害当事者の被った実際の損失または損害に対して合理的かつ十分でない場合に、損害賠償に代えて契約の特定履行を請求できるものです。これは、金銭では代替できない特別な物品や役務に関する契約において特に重要な救済手段となります。しかし、特定履行が認められない特定の状況も存在します。例えば、裁判所の監督が困難な場合、個人的役務契約(例:特定のアーティストによる公演)、履行が物理的に不可能な場合、またはすでに契約を破棄した側が特定履行を請求する場合などです。
最後に、「契約解除(Rescission)」は、一方の当事者の行為または行動が契約の重大な不履行を示した場合に、他方の当事者が通知により契約を解除する権利を意味します。契約が解除されると、契約を終了する当事者は自己の義務を履行する必要がなくなります。
これらの救済措置は、日本の民法における契約違反(債務不履行)に対する救済(損害賠償請求、履行請求、契約解除)と基本的に共通しています。損害賠償の範囲が直接損害に限定され、特別損害は予見可能性があった場合に限って賠償対象とする点(民法416条)や、金銭賠償が不十分な場合に特定履行が認められる(民法414条)が、個人的役務契約など特定履行が困難な場合は制限される点も共通です。ただし、ネパールでは損害賠償の請求時効が2年と比較的短いため、迅速な対応が求められる点には注意が必要です。
まとめ
ネパールでのビジネス展開を成功させるためには、現地の契約法に関する深い理解と、それに伴う適切な法的戦略が不可欠です。特に、日本法にはない「不当な影響」の概念や、「間接的な契約」として明示的に規定された準契約的義務の類型は、予期せぬ法的リスクを招く可能性があるため、細心の注意を払う必要があります。
契約締結に際しては、当事者の法的能力、自由な同意の有無(特に「不当な影響」の排除)、約因の適法性・有効性、契約目的の合法性・履行可能性など、基本的な契約要件を徹底的に確認することが重要です。これらのデューデリジェンスを怠ると、後々の紛争や契約の無効化といった事態に発展するリスクがあります。また、日本企業が現地で慣習的な取引を行う場合や、緊急時の対応を迫られる場面においても、「間接的な契約」の概念が適用され、意図せぬ法的義務を負う可能性を認識し、慎重に行動することが求められます。
万が一、契約違反が発生した場合の救済措置は日本法と類似しているものの、ネパールの裁判制度や代替的紛争解決(ADR)メカニズム(仲裁など)の利用可能性、そして訴訟の時効期間(2年)を理解しておくことが、迅速かつ効果的な紛争解決のために不可欠です。特に時効期間の短さは、日本企業が紛争解決を検討する上で、迅速な意思決定と行動を促す要因となるでしょう。
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