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法律記事MONOLITH LAW MAGAZINE

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ベトナムのM&Aを弁護士が解説

ベトナムのM&Aを弁護士が解説

ベトナム社会主義共和国(以下、ベトナム)におけるM&Aは、高成長を続ける同国の内需市場を標的とした案件が活発化しており、日本企業にとってスピーディーな現地参入を実現するための極めて有効な手段となっています。かつてのベトナム投資は安価で豊富な労働力を目的とした製造業の進出が主流でしたが、近年は中間所得層の急激な拡大に伴い、小売業、サービス業、金融業、不動産業、さらには国策として推進されている再生可能エネルギー関連への投資へとパラダイムシフトが起きています。M&Aの手法を用いれば、複雑なライセンス取得や新規の店舗展開にかかる膨大な時間と手間を削減し、事業基盤や顧客ネットワークを即座に獲得することが可能です。また、ベトナム市場には中小規模の企業が多数存在しているため、数パーセント程度の少額出資から段階的に投資を開始できる点も大きな魅力です。

一方、事業展開にあたっては、二重帳簿の実態、煩雑な法規制、厳格な外資制限などの特有リスクが潜んでいるため、現地専門家によるデューデリジェンス(実態調査)が不可欠となります。ベトナムでのM&Aを成功に導くためには、日本法とは根底から異なる法制度への深い理解が求められます。具体的には、2025年および2026年に施行される改正法による会社設立手続きの順序変更や実質的支配者(UBO)の登録義務化といった最新の法改正動向を正確に把握する必要があります。さらに、会社設立後90日以内という厳格な資本金払込ルール、商習慣に起因する重大なコンプライアンスリスクが存在するため、徹底的な実態調査と、最高人民裁判所の最新判例に裏付けられた精緻な契約書の作成が求められます。これらの要素を網羅的に理解し、買収後の統合プロセス(PMI)において強固なガバナンスを再構築することが、ベトナム市場での持続的な成長を実現するための鍵となります。

本記事では、これらベトナムにおけるM&Aの市場動向から主要な手法、最新の法改正動向、コンプライアンス上の特有リスク、そしてPMIの実践的アプローチに至るまで、日本企業が押さえておくべき重要な法的ポイントを網羅的に解説します。

ベトナムにおけるM&A市場の動向と日本企業に有効な戦略

日本企業がベトナム市場へ新規参入する際、独資による現地法人の新規設立(グリーンフィールド投資)を選択することも可能ですが、これには外資規制の確認や各種事業ライセンスの取得、適切な立地の選定、現地スタッフの採用といった多大な時間と初期コストを要します。対照的に、現地の既存企業を買収または資本参加するM&Aの手法を選択した場合、対象企業が既に保有している事業許認可、不動産の使用権、熟練した従業員、そして何より現地の商習慣に根差したサプライチェーンや顧客基盤をそのまま引き継ぐことができます。これにより、事業立ち上げに伴う不確実性を排除し、進出直後から収益を生み出すスピーディーな市場参入が可能となります。

また、ベトナムの産業構造の特徴として、市場の大部分を中小企業や同族経営の企業が占めている点が挙げられます。このため、日本企業は最初から100パーセントの株式を取得して完全子会社化するだけでなく、まずは数パーセントから数十パーセントの小規模なマイノリティ出資を行い、現地パートナー企業との信頼関係を構築しながら市場の動向を見極め、業績の進捗に応じて段階的に出資比率を引き上げていくという柔軟な投資戦略を採用することが可能です。このような小規模投資から開始できるアプローチは、カントリーリスクをコントロールする上で非常に有効な戦略です。

ベトナムにおける主要なM&Aの手法と対象企業の法的形態

ベトナムにおける主要なM&Aの手法と対象企業の法的形態

ベトナムにおけるM&Aの主要な手法としては、持分譲渡、株式譲渡、新規株式の引受け、合併、あるいは合弁会社の設立などが一般的に用いられます。これらの取引を実行するにあたっては、対象企業がどのような法的形態をとっているかによって適用される法律の条文や手続きが大きく異なります。ベトナムの2020年企業法(法律第59/2020/QH14号)に基づく代表的な企業形態は、有限会社(LLC)株式会社(JSC)の二つに大別されます。

日本の会社法では、株式会社であっても合同会社であっても社員(株主)1名での設立・存続が可能ですが、ベトナムの企業法では株式会社を設立・維持するためには最低3名の株主が必要とされています。そのため、日本企業がベトナム企業を100パーセント買収して完全子会社化する場合、対象企業が株式会社であれば、日本企業単独での保有ができないため、ダミーの株主を2名用意するか、あるいは買収と同時に企業形態を一人有限会社へ組織変更する手続きが必要となります。

比較項目ベトナムの有限会社(LLC)ベトナムの株式会社(JSC)日本の株式会社
根拠法2020年企業法2020年企業法会社法
出資者の呼称社員(Member)株主(Shareholder)株主
最低出資者数1名(上限50名)3名(上限なし)1名(上限なし)
M&Aの主要手法持分譲渡(出資持分の移転)株式譲渡株式譲渡
既存出資者の先買権法定されている(30日以内)原則として自由譲渡株式譲渡制限の定款規定による

有限会社における持分譲渡の手法を用いてM&Aを行う場合、日本法にはない特有の制限に注意する必要があります。2020年企業法第52条の規定によれば、有限会社の社員が自身の出資持分を外部の第三者(非社員)に譲渡しようとする場合、まず既存の他の社員に対して、各々の出資比率に応じて同一の条件で持分の買取りをオファーしなければなりません。オファーから30日が経過しても既存社員が買い取らない、あるいは全額を買い取らない場合に限り、外部の投資家に対して同一条件で譲渡することが許されます。したがって、有限会社を買収するプロセスでは、この先買権(優先買取権)の放棄手続きが法的に瑕疵なく完了しているかをデューデリジェンスにおいて厳密に確認する必要があります。

一方、株式会社における株式譲渡の手法を用いる場合、2020年企業法第127条に基づき、株式は原則として自由に譲渡可能とされています。ただし、設立から3年以内の発起人の普通株式の譲渡には株主総会の承認が必要となる例外が存在するため、対象企業の設立年数を確認することが実務上の第一歩となります。

ベトナムでのM&A実行における法的手続きと投資法の抜本的改正

外国投資家がベトナムの内国企業の持分や株式を取得しM&Aを実行する場合、単なる当事者間の契約締結だけでは取引は完結しません。2020年投資法(法律第61/2020/QH14号)第26条の規定により、特定の条件下において、取引実行前に管轄の投資登録機関(計画投資局など)から「M&A承認(資本拠出・株式等購入承認)」を取得することが義務付けられています。

このM&A承認が要求されるのは、主として以下のいずれかの要件に該当する場合です。第一に、対象企業が外資参入条件が適用される「条件付ビジネス分野(ネガティブリストに記載された業種)」で事業を行っており、当該取引によって外国投資家の保有割合が増加する場合です。第二に、当該取引によって対象企業の外資出資比率が50パーセントを超える場合(すでに50パーセントを超えている企業に対する追加出資も含みます)です。第三に、対象企業が国家安全保障上重要な地域(国境地域、沿岸部、島嶼部など)に土地使用権を有している場合です。

M&A承認の取得手続きにおいては、投資家と対象企業の法的文書、原則合意書、土地使用権証明書の写しなどを提出する必要があります。法令上、投資登録機関は有効な書類を受理してから15日以内に承認可否の通知を発行すると規定されていますが、関係省庁への意見照会などが行われるため、実務上は審査に1ヶ月から数ヶ月を要することが常態化しています。したがって、日本企業は取引スケジュールに十分なバッファを組み込むことが求められます。

さらに、ベトナムの法制度は現在過渡期にあり、実務に甚大な影響を与える法改正が進行中です。2025年12月に国会で可決された2025年投資法(法律第143/2025/QH15号)は、2026年3月1日より施行され、外国投資のライセンス取得順序に抜本的な変革をもたらします。従来の制度では、外国投資家がベトナムで新たな法人を設立してM&Aの受け皿とする場合、まず投資プロジェクトそのものの承認である投資登録証明書(IRC)を取得した後に、法人格を付与する企業登録証明書(ERC)を取得するという順序が必須でした。しかし、この順序ではIRCの取得に長期間を要するため、法人設立前にオフィス賃貸契約の締結や現地スタッフの雇用といった準備行為ができず、事業立ち上げの大きな障害となっていました。

2025年投資法ではこの順序が逆転し、IRCの取得前にERCを取得して法人を設立することが可能となりました。これにより、日本企業は迅速に現地法人を立ち上げ、買収準備や各種契約行為を円滑に進めることができるようになります。

参考:GVW法律事務所の公式ウェブサイトによる法改正の解説記事

ベトナムでの会社設立と資本金払込に関する厳格な規制とペナルティ

ベトナムでの会社設立と資本金払込に関する厳格な規制とペナルティ

日本とベトナムの会社法制において、実務上最も大きな落とし穴となるのが資本金の払込タイミングに関する規制です。日本の会社法に基づく設立手続きでは、発起設立であれ募集設立であれ、登記申請前に出資金が発起人の銀行口座に払い込まれていることを証明する書面の提出が求められ、資本金が確保された状態で会社が成立します。

これに対し、ベトナムの2020年企業法第47条(有限会社)および第113条(株式会社)では、企業登録証明書(ERC)の発行日から90日以内に資本金を全額払い込む義務が課されています。日本の感覚からすると「設立後に払い込めばよいので資金繰りに余裕ができる」と誤解されがちですが、この90日という期限は極めて厳格に運用されています。

比較項目日本の会社法ベトナムの2020年企業法
資本金の払込時期会社設立登記の申請前企業登録証明書(ERC)発行日から90日以内
未払込の場合の処理設立登記が受理されない期限後30日以内に減資登記が必要。未払込株主は地位を喪失
ペナルティ該当なし(設立不可)罰金処分、事業ライセンス取消リスク

外資系企業の場合、資本金は指定された直接投資資本口座(DICA)を通じて外国から外貨建てまたはドン建てで送金される必要があります。しかし、海外送金の実務においては、日本の送金元銀行におけるマネーロンダリング対策の審査や、ベトナムの受領先銀行における着金審査に想定以上の時間を要することがあります。また、送金目的の記載不備や、DICAを経由せずに通常の事業用口座へ直接送金してしまうといったミスが頻発します。

正当な理由なく90日の期限を徒過した場合、未払込の株主や社員は自動的にその地位を失うことになります。さらに、企業は出資が行われなかった事実を期限経過後30日以内に当局へ申告し、定款資本金の減資手続きを行わなければなりません。これに違反した場合には政令第122/2021/ND-CP号第46条に基づく多額の行政罰金(組織の場合は最大1億ドン)が科されるだけでなく、最悪の場合は事業ライセンスの取り消しや強制解散命令に発展するリスクがあります。したがって、日本企業はERCの発行後、いかなる銀行手続きの遅延にも耐え得るよう、即座に送金手続きを開始する社内体制を構築しておく必要があります。

ベトナムにおける外資出資比率の制限と業界別市場アクセス

ベトナムでは特定の産業セクターに対する外資出資比率の制限や参入要件が法令によって細かく規定されており、ネガティブリスト方式が採用されています。政令第31/2021/ND-CP号の付属書Iには、外国投資家に対して市場アクセスが完全に禁止されている25の業種(ジャーナリズム、調査・警備サービスなど)と、条件付きで市場アクセスが認められる59の業種が明記されています。M&Aの対象となる企業が属する業界ごとの規制動向を正確に把握することが取引成立の絶対条件となります。近年は国際条約の履行に伴う大規模な規制緩和が行われている一方で、国内産業の保護を目的とした引き締めも見られ、分野によって対応が分かれています。

小売業におけるENT(経済的需要審査)の撤廃

日本の小売業やサービス業にとって、極めて有利な規制緩和が実現しています。これまで外資系小売企業がベトナム国内で2店舗目以降の小売店舗(500平方メートル未満のショッピングモール内店舗などを除く)を開設する際には、その都度、周辺地域の競合状況や市場の安定性などを審査する経済的需要審査(ENT)を通過する必要がありました。このENTは審査基準が曖昧であり、外資系企業が多店舗展開を目指す上での最大の障壁となっていました。

しかし、日本も加盟する環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(CPTPP)の合意に基づき、同協定の発効から5年が経過した2024年1月14日をもって、日本をはじめとするCPTPP加盟国の投資家に対するENTの適用が撤廃されました。この歴史的な規制撤廃により、日本の小売業は、ベトナム全土でのドミナント出店や大規模なチェーン展開をこれまでにないスピードで進めることが可能となり、既存の地場小売チェーンを買収して一気に店舗網を拡大するM&A戦略の有効性が飛躍的に向上しています。

参考:ベーカーマッケンジー法律事務所の解説記事

不動産業界における外資系企業の定義変更

不動産業界においては、2025年1月1日に施行された2023年不動産事業法(法律第29/2023/QH15号)により、外資系企業の取り扱いに関する重要な枠組みの変更が行われました。旧法下では、外資が1パーセントでも入っている企業は一律に外資系企業として扱われ、不動産の購入や転売、区画分譲といった事業範囲が内資企業に比べて厳しく制限されていました。

新法では、投資法の規定と歩調を合わせ、外国投資家の出資比率が50パーセントを超える企業と、50パーセント以下の企業を明確に区別するアプローチが採用されました。これにより、外国投資家の出資比率が50パーセント以下に留まる合弁会社等は、内資企業と全く同等の幅広い不動産事業を行うことが可能となりました。これは、日本企業がマイノリティ出資の形態を採ることで、これまで参入が困難であった幅広い開発プロジェクトへ参画できることを意味しており、地場デベロッパーとの資本業務提携のインセンティブを高めるものとなっています。

金融機関に対する出資規制の厳格化

一方で、金融業界においては厳格な規制強化が実施されています。2024年7月1日に施行された改正信用機関法(法律第32/2024/QH15号)は、ベトナム国内の銀行システムにおける不透明な相互持ち合いや少数の大株主による支配(シャドーオーナーシップ)を排除することを目的に、出資上限の引き下げを断行しました。

比較項目(ベトナム国内投資家の場合)旧法下の出資上限改正信用機関法(2024年7月以降)
機関投資家の単独保有上限15%10%
株主とその関連関係者を合算した保有上限20%15%
情報開示義務の対象となる保有割合5%以上1%以上

この法改正により、定款資本金の1パーセント以上を保有するすべての株主に対して、その身元や関連関係者、保有割合の変動を信用機関へ詳細に報告し、一般に開示する義務が課されています。外国投資家に対する直接的な出資枠(単独の外国戦略的投資家で最大20パーセント、外国投資家全体の合計で最大30パーセント)そのものに変更はありませんが、ベトナムの金融機関を対象としたマイノリティ出資を検討する日本企業に対しても、より高度な透明性と厳格なコンプライアンス体制の構築を迫る内容となっています。

ベトナムの企業統治における少数株主権と法定代表者の責任

ベトナムの企業統治における少数株主権と法定代表者の責任

合弁会社の設立やマイノリティ出資を用いたM&Aにおいて、日本企業が自社の利益を保護しつつ経営に関与していくためには、ベトナム企業法における機関設計と少数株主権の仕組みを正確に理解しておく必要があります。

日本の会社法では、株主総会の招集請求権、取締役の違法行為差止請求権、会計帳簿閲覧請求権といった重要な少数株主権を行使するためには、総株主の議決権の3パーセント以上を6ヶ月前から引き続き保有していることが要件とされています。しかし、ベトナムの2020年企業法第115条では、この保有期間の要件が完全に撤廃されるとともに、議決権割合のハードルが旧法時代の10パーセントから5パーセントへと大幅に引き下げられました。

少数株主権の主要な権利日本の会社法(要件)ベトナムの2020年企業法(要件)
株主総会の招集請求権3%以上かつ6ヶ月継続保有5%以上(継続保有要件なし)
会社の内部文書・会計帳簿の閲覧請求3%以上5%以上(継続保有要件なし)
取締役等の責任追及の訴え(代表訴訟)6ヶ月継続保有(単独株主権)1%以上かつ6ヶ月継続保有

これにより、ベトナムの株式会社においては、5パーセントの株式を取得した瞬間に、会社の内部文書や財務諸表へのアクセス権、特定の条件下における株主総会の招集請求権などを即座に行使できるようになっています。この法整備は少数株主の保護を手厚くするものであり、日本企業がマイノリティ出資を行う際には経営監視の手段として極めて有利に働きます。しかし逆に、自社が過半数を握って買収し、現地の創業家を少数株主として残すようなストラクチャーを組む場合には、少数の株式を持たせただけで経営の意思決定を頻繁に阻害されるリスクが高まるため、株主間協定(SHA)における権利義務の制限や拒否権の設計などが極めて重要になります。

また、会社の代表権に関する規定も日本とは大きく異なります。日本の会社法では規制緩和により、代表取締役全員が日本非居住者であっても会社の設立や登記が可能となっています。しかし、ベトナムの2020年企業法第12条では、企業は少なくとも1名のベトナム国内に居住する「法定代表者」を置かなければならないと厳格に定められています。もし唯一の法定代表者がベトナム国外へ30日以上出国する場合、当該代表者は自らの権限を他のベトナム居住者に書面で委任する義務があります。この手続きを怠ったまま代表者が帰任不能になった場合や、不慮の事故で行方不明になった場合、会社の銀行口座の凍結や契約締結権限の喪失など、企業活動が完全に麻痺する事態に陥ります。

なお、ベトナムでは複数の法定代表者を選任することが可能ですが、各代表者の権限と義務の範囲は定款に明記しなければならず、定款に規定がない場合は各法定代表者が単独で会社を全面的に代表する権限を持つと見なされ、連帯責任を負うことになります。したがって、M&A後の企業統治においては、誰を法定代表者に任命し、その権限をどこまで制限するかを定款上で綿密に定義することが求められます。

ベトナムの実質的支配者(UBO)登録義務化などコンプライアンス動向

近年世界的に強化されているマネーロンダリング対策(AML)およびテロ資金供与対策(CFT)の流れを受け、ベトナムでも企業構造の透明化を図るための大規模な法改正が行われています。2025年7月1日より施行される改正企業法(法律第76/2025/QH15号)により、ベトナム国内のすべての企業(上場企業等を除く)に対して、自社の実質的支配者(UBO:Ultimate Beneficial Owner)を特定し、その個人情報を企業登録機関へ申告および継続的に更新する義務が課されます。

この改正法における実質的支配者とは、単に登記簿上に名前が記載されているか否かにかかわらず、企業を実質的に支配している自然人(個人)を指します。具体的には、以下のいずれかの条件を満たす個人がUBOと見なされます。

第一に、企業の定款資本金または議決権付き株式の25パーセント以上を直接的に所有する個人です。第二に、中間法人や投資ファンドなどを介して間接的に所有構造を計算した結果、最終的な保有割合が25パーセント以上に達する個人です。第三に、所有割合が25パーセント未満であっても、取締役会の大半のメンバーを任命・解任する権限を持つなど、企業の戦略的決定に対して実質的な支配力を行使できる個人です。

M&Aのスキームを設計する際、租税回避やリスク遮断を目的として、シンガポールや香港などに設立した特別目的会社(SPC)を介した複雑な投資構造を組むことがよくあります。しかし、本法改正以降は、いかに複雑なストラクチャーを構築したとしても、最終的な自然人(日本法人の代表者や大株主など)の氏名、国籍、生年月日、パスポート番号といった詳細な個人情報がベトナム当局へ開示され、データベースに少なくとも解散後5年間は保存されることになります。日本企業は、投資ストラクチャーの設計段階からこの情報開示義務を前提とし、対象企業の既存のUBO申告が適法に行われているかどうかも買収前のデューデリジェンスで確認する必要があります。

参考:Fidinamの公式ウェブサイトによる法改正の解説記事

ベトナムの財務・税務デューデリジェンスにおける二重帳簿リスク

ベトナムの財務・税務デューデリジェンスにおける二重帳簿リスク

ベトナム市場特有のビジネス環境において、M&Aを検討する日本企業が最も警戒すべきは、対象企業の財務および税務面における潜在的な重大なコンプライアンス違反です。これらを事前に洗い出すためには、現地の会計基準や税務執行の実態に精通した専門家による徹底的な財務・税務デューデリジェンスが不可欠となります。

財務面で頻出する最大のリスクは、いわゆる「二重帳簿(Double bookkeeping)」の存在です。ベトナムの非上場の中小企業や同族経営企業の中には、法人税や付加価値税(VAT)の負担を不当に免れる目的で、税務当局へ申告するための公式な帳簿と、実際の現金の動きを記録した内部管理用の帳簿を意図的に分けて作成しているケースが依然として存在します。ベトナムの2015年会計法(法律第88/2015/QH13号)第13条第10項は、同一の会計期間内に複数の財務会計帳簿システムを構築することを明確に禁じています。

さらに、政令第125/2020/ND-CP号第17条の規定によれば、売上の計上漏れや架空経費の計上、適法なインボイスの発行義務違反、さらには申告期限から90日を超える無申告は単なるミスではなく「意図的な脱税行為」と見なされます。税務調査によってこれらが摘発された場合、脱税額の1倍から最大3倍にのぼる重加算税が課されるだけでなく、未納本税の強制徴収や日歩0.03パーセントの遅延利息の支払いが命じられます。

被害額が1億ドン(約60万円)を超える悪質なケースでは、税務行政罰にとどまらず刑事訴追の対象となり、法定代表者の出国禁止措置、事業の強制停止、最大7年の懲役刑といった極めて重い処分が下される可能性があります。M&Aの手法として株式譲渡や持分譲渡を選択した場合、対象企業の法人格はそのまま維持されるため、買収後にこれらの過去の違法行為が発覚した場合、買収した日本企業側がその莫大な追徴課税や罰金の支払義務を承継することになります。

したがって、デューデリジェンスにおいては公式な財務諸表だけでなく、現場の現金出納帳や銀行口座の入出金履歴などを精査し、簿外債務の有無を厳格に調査した上で、必要に応じて売主に対する表明保証条項(R&W)と強力な補償メカニズムを契約書に組み込む必要があります。

ベトナムの商習慣の違いに起因する贈収賄と腐敗防止法への対応

法務・コンプライアンス面におけるもう一つの巨大な死角が、現地の商習慣の違いに起因する贈収賄リスクです。ベトナムでは過去数十年にわたり、各種許認可の取得、税務調査の対応、税関における通関手続きなどを円滑に進めるための「潤滑油」として、公務員等に対して少額の金銭や金券を渡す、いわゆるファシリテーションペイメントが一種の慣行として行われてきた歴史があります。

しかし、近年ベトナム政府は国家的な反腐敗キャンペーンを強力に推し進めており、過去の慣行はもはや通用しなくなっています。欧米の一部法域(例えば米国のFCPAの一部例外規定など)では、公務員の日常的な行政手続きを促進するための少額のファシリテーションペイメントが例外的に許容される場合があるのに対し、ベトナムの2018年腐敗防止法(法律第36/2018/QH14号)および2015年刑法では、このような支払いは金額の多寡に関わらず「贈賄罪」を構成し、厳しく処罰される対象となります。

2015年刑法第364条によれば、公務員に対して自己の利益のために金銭等を提供する行為は、その金額が200万ドン(約1万2000円)以上であれば直ちに刑事罰の対象となります。また、200万ドン未満であっても、過去に同種の行為で行政処分を受けている場合などは刑事罰に問われます。この贈賄罪には、実行者だけでなく、それを指示・黙認した経営陣や、法人の刑事責任も含まれる可能性があります。日本企業は、対象企業が過去の事業運営において不透明な交際費やコンサルティング費用を計上していないかを精査するとともに、買収後のPMIプロセスにおいて、現地の商習慣に流されない強固なコンプライアンスプログラムと内部通報制度を確立することが急務となります。

ベトナムのM&A契約における重大な状況変更(MAC)に関する判例

ベトナムのM&A契約における重大な状況変更(MAC)に関する判例

国境を越えたM&Aの実務では、株式譲渡契約(SPA)の締結からクロージング(取引実行や代金決済)までの待機期間において、対象企業の価値を著しく毀損するような事象(パンデミック、主要顧客の倒産、ライセンスの剥奪など)が発生した場合に備え、買主がペナルティなしで取引から離脱できる「重大な悪影響(MAC:Material Adverse Change)」条項を規定することが世界的な標準となっています。

しかし、MAC条項が契約書に明記されていなかった場合の取り扱いについて、ベトナムの司法がどのような立場をとるのかは長らく議論の的となっていました。この点に関して、ベトナム最高人民裁判所が極めて重要な判断を示した判例が存在します。この判決に関する公式な情報は、ベトナム最高人民裁判所の2024年6月11日付破棄判決(判決番号:13/2024/KDTM-GDT)にて確認することができます。

参考:HM&P法律事務所の公式ウェブサイト

本事案において最高人民裁判所は、当事者間の株式譲渡契約に欧米型のMAC条項が存在しない場合であっても、ベトナム民法の一般規定を適用することで救済が図られる可能性を認めました。具体的には、事後的に発生した事象が客観的な原因によるものであり、かつ契約締結時には予見不可能であったこと、そして契約内容を変更せずに履行を継続すれば一方の当事者に重大な損害をもたらすといった5つの厳格な要件をすべて満たす場合には、2015年民法第420条に規定される「事情の根本的変更」の法理を適用して、当事者が契約の修正や解除を裁判所に請求する権利を有すると解釈しました。

この判例から、ベトナム法の支配下においてはMAC条項が未規定であっても民法420条がセーフティネットとして機能する余地があるということが言えるでしょう。しかし、裁判所が「事情の根本的変更」を認定するための要件は極めて限定的かつハードルが高く、買主が任意に取引から離脱できるような使い勝手の良いものではありません。したがって、日本企業がベトナムでM&Aを行う際には、ベトナム民法の一般規定に安易に依拠するのではなく、対象企業の事業性質や想定されるカントリーリスクを具体的に洗い出した上で、どのような事象がMACに該当するのか(例えば、売上の〇パーセント以上の減少、特定のライセンスの喪失など)を株式譲渡契約書の中で極めて精緻かつ客観的な指標を用いて定義しておくことが、法的リスクを遮断するための絶対条件となります。

ベトナムにおける買収後の統合(PMI)と成功に向けたアプローチ

ベトナムにおけるM&Aは、クロージングを迎えて株式や持分を取得した時点で完了するわけではありません。むしろ、真の価値創造は買収後の統合プロセス(PMI:Post Merger Integration)にかかっています。日本の経営手法やコンプライアンス基準を現地の対象企業へ単に押し付けるだけでは、キーマンとなる優秀な現地経営陣や従業員の離反を招き、想定していたシナジー効果を得ることはできません。

成功の鍵を握るのは、買収の初期段階から信頼できる現地パートナー企業や、ベトナムの法務・税務に精通した専門家を巻き込み、双方向のコミュニケーションに基づく統合計画を策定することです。特に、前述した二重帳簿の解消やファシリテーションペイメントの根絶といったコンプライアンス上の課題については、現地従業員の意識改革を伴うため、一朝一夕には解決しません。日本の親会社から派遣される取締役や法定代表者は、ベトナムの労働法や商慣行に配慮しつつ、段階的かつ粘り強く社内規定の整備や透明性の高い評価制度の導入を進める必要があります。情報システムの統合や決算早期化プロセスの導入を通じて、日本本社からベトナム法人の資金繰りや業務実態をリアルタイムでモニタリングできる体制を構築することが、ガバナンス強化の第一歩となります。

まとめ

ベトナム社会主義共和国におけるM&Aは、急速に拡大する内需市場の恩恵を享受し、市場へスピーディーかつ確実にアクセスするための極めて強力な経営戦略です。しかし、本稿で詳細に解説した通り、日本法とは異なる資本金払込の厳格な期限ルールや法定代表者の居住要件、さらには中小企業特有の二重帳簿リスク、商習慣に潜む贈収賄リスクなど、進出の成否を左右する特有の落とし穴が多数存在しています。加えて、2024年以降に相次いで施行されている各種産業分野の規制緩和や、2025年および2026年に本格稼働する投資法の改正、実質的支配者(UBO)の登録義務化といったダイナミックな法体系のアップデートは、市場の透明性を高める一方で、外国投資家に対してより高度なコンプライアンス対応と厳密な法的手続きの遵守を要求しています。

これらの複雑な法務・税務リスクを的確に管理し、M&Aを真の成功へと導くためには、対象企業の表面的な価値だけでなく、潜在的な瑕疵を浮き彫りにする徹底したデューデリジェンスの実施と、ベトナム最高人民裁判所の最新判例を踏まえた精緻な契約書の作成、そして何より買収完了後のPMIにおける強固なガバナンスの再構築が不可欠です。モノリス法律事務所は、日本の法体系とグローバルなビジネス環境に関する深い知見を基盤とし、ベトナム市場への進出や事業拡大を検討される日本企業の皆様が直面するあらゆる法的課題に対して、実務に即した的確なソリューションを提供し、多角的な側面から安全かつ円滑なM&Aの実現をサポートいたします。

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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