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法律記事MONOLITH LAW MAGAZINE

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ベトナムの法体系と司法制度を弁護士が解説

ベトナムの法体系と司法制度を弁護士が解説

ベトナム社会主義共和国(以下、ベトナム)は豊富な労働力と著しい経済成長を背景に多くの日本企業にとって極めて魅力的な投資先およびビジネス展開の拠点となっています。しかしベトナムでの安定した事業運営を実現するためには同国特有の法体系と司法制度を深く理解することが不可欠です。ベトナムの法体系は歴史的にフランスの大陸法系の影響を受けつつも建国後は旧ソビエト連邦の社会主義法制から強い影響を受けて形成されました。その後1986年に採択されたドイモイ政策を契機として市場経済化が推進され民法、商法、投資法、企業法などの経済法令が急速に整備されてきました。

本記事では、急速な進化を遂げるベトナムの法体系と司法制度について日本法との異同に焦点を当てながら網羅的に解説します。具体的には、2025年に施行された法規範文書公布法の改正による法令構造の簡素化や人民裁判所組織法の改正に伴う4審級制から3審級制への歴史的な裁判所構造の抜本的改革について詳述します。さらに、近年導入され蓄積が進んでいる判例制度の実務への影響について具体的な重要判例を交えて分析します。日本の法制とは異なり三権分立を採らずベトナム共産党の指導下にあるという国家体制の基本構造や土地の私有が認められていないといった特有の制度も存在します。

記事の最後には、これらの複雑な法的環境下において当法律事務所が日本企業の皆様に対してどのようなサポートを提供できるかについてまとめました。本解説を通じてベトナムの法務リスクを適切に評価し、安全なビジネス展開の一助としていただければ幸いです。

ベトナムの法体系の特徴と日本法との決定的な相違

社会主義法治国家と権力統一原則のメカニズム

ベトナムの法体系は成文法を中心としており体系的な法典を基礎とする点においては日本と同様に大陸法系に分類されます。しかしその根底には社会主義法制の強い影響が存在し国家体制の根本的な考え方が日本とは大きく異なります。2013年憲法第2条はベトナムが人民の、人民による、人民のための社会主義法治国家であると規定しており国家権力は人民に属し労働者階級、農民階級および知識人階級の同盟を基礎とすると宣言しています。ここで日本国憲法における三権分立の原則と決定的に異なるのは国家権力が相互に牽制・均衡するために分割されるのではなく単一の不可分な権力として存在しそれが立法、行政、司法の各機関に委任・配分されているという「権力統一原則」が採られている点です。

さらに憲法第4条によりベトナム共産党が国家と社会を指導する唯一の勢力であることが明記されておりすべての国家機関の活動は事実上党の政策的指導の下に置かれています。したがって裁判所を含む司法機関も完全に独立した存在とは言い難く党の基本方針や国家の政策目標に沿った形での法解釈や運用が求められる傾向にあります。このような体制下においてビジネスを行う際には単なる条文の文言解釈にとどまらずその背後にある国家政策の意図や行政機関の実務的な運用方針を正確に把握することが求められます。裁判所が純粋な法的論理だけでなく社会主義体制の維持や国益の保護という観点から判断を下す可能性があることを日本企業は常に念頭に置く必要があります。

法令構造と2025年法規範文書公布法改正による合理化

ベトナムの法令は国会が制定する「法律」をはじめとして政府が公布する「政令」、各省庁が発出する「通達」など極めて多層的かつ複雑な構造を持っています。ドイモイ政策以降の市場経済化の急速な進展に合わせて多数の下位法令が次々と制定されてきた結果、上位法令と下位法令の間での矛盾や各省庁間での解釈の不一致といった法執行上の課題が長年にわたり指摘されてきました。こうした法的安定性を阻害する要因を解消するためベトナム政府は法整備の質と効率の向上に継続的に取り組んでおりその集大成の一つが2025年に施行された改正法規範文書公布法です。

制定機関法規範文書の種類備考
国会憲法、法律、決議国家の基本法および重要政策を決定
国会常務委員会法令、決議国会閉会中の重要な法的決定を行う
国家主席命令、決定憲法に基づく国家元首としての権限行使
政府政令、決議2025年改正で「決議」が法規範文書として復活
首相決定政府の運営および政策実行のための具体的な措置
最高人民裁判所裁判官会議決議法令の統一的適用のための指針を提供
各省庁の大臣・国家監査院長等通達実務的かつ専門的な詳細基準や手続きを規定
地方人民評議会(省・県レベル)決議地方の社会経済発展に関する基本政策
地方人民委員会(省・県レベル)決定2025年改正で省人民委員会委員長の決定権限を明記

2025年2月19日に採択され同年4月および7月より段階的に施行された法規範文書公布法の改正(法律第64/2025/QH15号および改正法第87/2025/QH15号)は法令体系の簡素化と透明性の確保を目的とした抜本的な改革です。この改正によりこれまで26種類存在した法規範文書の形式が25種類に削減され法令を公布できる権限を持つ機関の数も16機関から14機関へと整理されました。

最も象徴的な変更点は全国に1万以上存在する最末端の行政区画である社(コミューン)レベルの人民評議会および人民委員会から法規範文書の制定権限を原則として剥奪したことです。これにより地方ごとに細分化されたルールの乱立を防ぎ中央集権的な法執行の統一性が担保されることになります。また、政府が迅速な政策対応を行うための手段として「政府の決議」が法規範文書として明確に復活しました。これは新型コロナウイルス感染症への対応など緊急を要する事態において政府が即応性の高い法的措置を講じる必要性が認識されたためです。

さらに、法律の下位概念である「通達」などの指針文書に関して上位法令が失効した場合には原則として下位文書も自動的に失効するという明確なルールが設けられ法令の有効性に関する混乱が大幅に解消されました。日本企業がベトナムで事業を行うにあたってはこの新たな法令の階層構造を正確に理解し適用される規則がどのレベルの機関から発出されどのような効力を持っているのかを常に最新の状態で確認する実務体制が不可欠です。

この法規範文書公布法に関する詳細な解説は、Viet An Law Firmの公式ウェブサイトで確認することができます。

参考:Viet An Law Firmの公式ウェブサイト

土地使用権と私有権の不在がもたらす法的影響

ベトナムの法制において日本企業の経営者が最も留意すべき日本法との根本的な違いは不動産、特に土地に関する法律関係です。日本の民法では土地の私有権が絶対的な権利として認められており企業が事業用地を直接購入し永久に所有することが可能です。しかしベトナムでは2013年憲法第53条および土地法に基づき土地は「全人民の所有」に属し国家が全人民の代表として統一的に管理すると定められています。したがって個人や外資系企業を含む法人が土地の所有権を取得することはできず、国家から付与される「土地使用権」を取得することでのみ土地を利用した事業展開が可能となります。

土地使用権は単なる利用権にとどまらず2015年民法第115条において独立した財産権として明確に定義されています。一定の要件を満たした土地使用権は譲渡、転貸、抵当権の設定、資本出資の目的物として活用することが認められており経済的価値を持つ権利として取引市場で活発に流通しています。しかしその利用目的や使用期間は国家によって厳格に管理されており外資系企業が不動産開発や工場建設を行う場合には対象となる土地の用途指定、使用期限、地代の支払い方式を詳細にデューデリジェンスする必要があります。

例えば、地代を国に対して一括で支払った場合と毎年支払う場合とではその土地使用権を第三者に譲渡したり担保に供したりする権限に大きな違いが生じます。このように土地の利用基盤が国家の管理下にあるという事実から不動産取引における法務リスクは日本国内での取引と比較して格段に高いということが言えるでしょう。

契約の方式要件に関する特則(2015年民法第129条)の解釈

契約法務の実務において注目すべきもう一つの特徴が契約の方式違反に対する救済規定です。ベトナム民法では不動産譲渡契約や資本拠出契約など特定の重要な取引において書面の作成や公証・認証といった厳格な方式要件が法令で義務付けられています。日本法においても一定の要式契約は存在しますがベトナムではこの方式要件を欠いた契約は原則として無効と判断されます。

しかし、2015年民法第129条は実務の混乱を防ぐための重要な例外を設けています。それは法律で要求される書面形式や公証要件を満たしていない取引であっても当事者の一方または双方がすでに契約上の義務の「3分の2以上」を履行している場合には一方の当事者の請求に基づき裁判所はその取引の効力を承認する決定を下すことができるという規定です。この条文からベトナム法は厳格な形式主義を採りつつも取引の安全と既成事実の保護という現実的な利益衡量を図ろうとしているということが言えるでしょう。ただし何を基準として「義務の3分の2」を算定するのかについては法解釈の余地が大きく残されており当事者間で深刻な紛争に発展するリスクが内在しています。したがって紛争を未然に防ぐためには初めから法令が要求する公証・認証手続きを完全に履践しておくことがビジネス上の鉄則となります。

ベトナムの司法制度と裁判所構造の抜本的改革

ベトナムの司法制度と裁判所構造の抜本的改革

4審級制から3審級制への歴史的転換(2025年改革)

ベトナムの司法制度は長年にわたり最高人民裁判所、高等人民裁判所、省・中央直轄市人民裁判所、そして県・区レベルの人民裁判所という4つの階層からなる4審級制を採用していました。しかしこの制度は地方の末端である県レベルの裁判所において裁判官の専門性が不足していることや限られたリソースの分散による非効率性が課題となっていました。そこで司法の透明性、独立性、および専門性を飛躍的に高めるため司法改革戦略(第27-NQ/TW号決議)に基づき2024年人民裁判所組織法(法律第34/2024/QH15号)および2025年改正法(法律第81/2025/QH15号)が制定され2025年7月1日より裁判所構造が完全に「3審級制」へと再編されました。

新制度(2025年7月以降の3審級制)旧制度(4審級制)改革による主な役割の変更点と意義
最高人民裁判所最高人民裁判所高等人民裁判所の廃止に伴い特定の破棄審と判例の選定に集中し法令の統一的適用を指導する最高機関としての役割を強化。
(階層として廃止)高等人民裁判所ハノイ、ダナン、ホーチミンに存在した中間控訴審は行政の効率化と重複排除の観点から完全に廃止された。
省人民裁判所省・中央直轄市人民裁判所地域人民裁判所からの控訴審および重大な第一審を担当。さらに管轄内の確定判決に対する再審・破棄審の権限を新たに付与され地方における最終的な紛争解決能力が大幅に向上した。
地域人民裁判所県・区等人民裁判所約700の県レベル裁判所を約355の広域な地域人民裁判所に統廃合。大半の第一審を担当し規模拡大により内部に専門部門(民事、刑事、経済など)を設置できる体制を整えた。

この再編により最大の変更点は中間控訴審である「高等人民裁判所」が廃止され全国に多数存在した「県レベルの人民裁判所」が解体・統合されて広域管轄を持つ「地域人民裁判所」として生まれ変わったことです。この権限委譲により控訴手続きや再審手続きが地方の省人民裁判所レベルで迅速に処理される体制が整い当事者が遠方の主要都市まで赴く負担が大幅に軽減されました。最高人民裁判所は法律問題のみを扱う破棄院としての機能と後述する法令の統一的適用のための判例策定に専念することになります。

この裁判所組織法の改正に関する包括的な分析は、KENFOX IP & Law Officeの公式ウェブサイトで確認することができます。

参考:KENFOX IP & Law Officeの公式ウェブサイト

専門裁判所の設立と国際金融センター特設裁判所の構想

3審級制への移行と並行して企業法務に直結するもう一つの重大な変化が専門分野に特化した裁判所の設立です。旧制度下では小規模な県レベルの裁判所で複雑な企業間紛争や無形資産の権利侵害を扱うことに専門知識の面で無理がありましたが規模が拡大した地域人民裁判所の内部に高度な専門知識を要する事件に特化した専門部局が設置されることになりました。具体的には知的財産(IP)裁判所破産裁判所が地域人民裁判所の管轄下に創設されました。

特に知的財産裁判所はハノイの第2地域人民裁判所に北部および中部地域を広域管轄する部門が、ホーチミンの第1地域人民裁判所に南部地域を管轄する部門が集約して設置され広範な地域にわたる専門的な第一審を処理する体制が整いました。さらに2025年の法改正では国際金融センターにおける特設裁判所の設立構想も盛り込まれており金融や投資に関連する複雑で国際的な商事紛争の解決能力を国際水準に引き上げようとするベトナム政府の強い意思が見て取れます。このような司法の専門分化はベトナムで知的財産権の保護や大規模な直接投資を行う日本企業にとってより予測可能で質の高い司法判断が期待できるという強力なメリットをもたらします。

人民検察院の強力な監督権限とその実務的影響

ベトナムの司法制度を理解する上で裁判所と同等以上の重要性を持つのが「人民検察院」の存在です。日本の検察庁は主として刑事事件の捜査と公訴提起を担当しますがベトナムの人民検察院は社会主義体制特有の制度として刑事事件のみならず民事、商事、行政事件を含むすべての司法手続き全体が合法的に行われているかを広範に監督する強力な権限を有しています。

人民検察院は憲法および法律に基づき裁判所の判決や決定に対して合法性の観点から抗議を行う権利を持ち司法機関の暴走や汚職を牽制する役割を担っています。実務上、外資系企業が巻き込まれる民事訴訟や商事仲裁の取り消し訴訟などにおいて人民検察院の意見書が裁判所の最終的な判断に多大な影響を与える事例が頻繁に見られます。したがってベトナムで訴訟対応を行う際には法廷における裁判官への法的主張の構築にとどまらず手続きの適法性について人民検察院の検察官に対しても十分に説得力のある根拠を提示し理解を得るという多角的な訴訟戦略が不可欠となります。

ベトナムにおける判例(Án lệ)制度の導入と実務への適用

判例制度の発展と予測可能性の向上メカニズム

成文法主義を厳格に採るベトナムでは長らく過去の裁判例が下級審を法的に拘束するという先例拘束性の概念が存在しませんでした。しかし法律の規定が抽象的であることや下位法令間の矛盾により現場の裁判官による解釈のばらつきが深刻な問題となっていたため法的安定性と予測可能性を担保する手段として2014年人民裁判所組織法および2015年民法典の制定に伴い正式に「判例」制度が導入されました。

最高人民裁判所内に設置された裁判官会議が全国の優れた確定判決の中から法の空白を論理的に埋め法令の統一的解釈に資する事案を厳選し「判例」として公表します。下級審の裁判官は類似の事実関係を持つ事件を審理する際、公表された判例を直接的に適用して判決を下さなければならず、仮に適用を回避する場合には判決文中でその合理的な理由を詳細に明示する義務を負います。2016年に最初の判例が公表されて以降着実に蓄積が進み2025年までにビジネスや商事、民事、労働に直結する82件の判例が公式に認定・公表されています。これにより実務家は抽象的な法文だけでなく具体的な事実関係に即した判例の動向を注視することで法的リスクを事前かつ精緻に評価できるようになりました。以下に日本企業のビジネスに極めて重要な影響を与える最新の重要判例を2件取り上げて詳細に分析します。

秘密保持契約および競業避止契約の有効性と仲裁管轄(判例第69/2023/AL号)

企業が退職する従業員との間で締結する秘密保持契約(NDA)および競業避止契約(NCA)の法的位置づけについて画期的かつ明確な基準を示したのが最高人民裁判所によって公表された「判例第69/2023/AL号」です。ベトナムでは従業員の引き抜きや技術情報の持ち出しが日常的に発生しており日系企業にとっても最大の経営課題の一つとなっています。

本判例の基礎となったのは2018年6月12日にホーチミン市人民裁判所が下した決定です。この事案の当事者は元従業員であるT氏と雇用主であったR有限責任会社でした。R社とT氏は通常の労働契約とは別に独立した書面としてNDAおよびNCAを締結しておりその契約内には紛争が発生した場合にはベトナム国際仲裁センター(VIAC)で解決するという仲裁条項が含まれていました。T氏が労働契約終了後、明記された競業避止義務に違反して競合他社に就職したためR社はVIACに仲裁を申し立て、VIACはT氏に対して契約違反に基づく多額の損害賠償を命じる仲裁判断を下しました。これに対しT氏は、競業避止契約は憲法および労働法が保障する「労働の自由(職業選択の自由)」を不当に侵害するものであり絶対的に無効であること、またこれは本質的に労働者と使用者間の労働紛争であるため商事仲裁には事件を管轄する権限がないと主張し、ホーチミン市人民裁判所に仲裁判断の取り消しを求めて提訴しました。

しかし裁判所はT氏の申し立てを全面的に棄却し仲裁判断を有効と認めました。裁判所は労働契約の終了後に効力を持つNDAおよびNCAは労働契約の付随物ではなく当事者が対等な立場で締結した独立した「民事契約」であると認定しました。さらに当事者の一方であるR社が営利を目的とする商業活動を行っている法人であるため2010年商事仲裁法の規定に基づきこの紛争は商事仲裁の管轄に属すると明確に判断しました。実体的な有効性についても、当事者が自由かつ自発的な意思に基づいて締結した契約である以上、民法の基本原則である「契約自由の原則」が最大限に尊重されるべきであるとし、合理的な期間や地域を限定した競業避止条項が直ちに労働者の基本的人権の不法な制限には当たらないという解釈を示しました。

この判例からベトナムにおいて企業が重要な営業秘密や技術情報を保護するために退職後の競業を禁止する契約を締結することは一定の合理的な制約の下で完全に合法であり、かつ長期化しやすい労働裁判所での訴訟ではなく迅速で専門的な商事仲裁を利用して損害賠償や強制執行を求める道が明確に開かれたということが言えるでしょう。これは現地での人材流動性が極めて高いベトナム市場において技術流出に悩む日系企業にとって強力な防衛手段を保証する司法判断です。ただしその有効性が確実に認められるためには契約を労働契約の中に組み込むのではなく別個の独立した合意書として作成し、明確な仲裁条項と代償措置を明記しておくという緻密な実務的対応が強く推奨されます。

この判例に関する詳細な解説は、CNC Counselの公式ウェブサイトで確認することができます。

参考:CNC Counselの公式ウェブサイト

企業への資本出資の目的決定と社員資格の認定(判例第78/2025/AL号)

もう一つの実務上極めて重要な判例が合弁事業や共同投資における資金拠出を巡るトラブルの解決基準を示した「判例第78/2025/AL号」です。ベトナムのビジネス慣行においては行政手続きの煩雑さを避けるため定款資本金の正式な増資手続きを経ずに外部から資金を拠出させ裏契約で利益配分だけを行うという不透明な投資実務がローカル企業との間で頻繁に行われています。

本判例の基礎となったのは2022年12月13日に最高人民裁判所裁判官会議が下した破棄審決定です。事案の当事者は原告であるTrần Mạnh H氏と被告であるĐ有限責任会社でした。H氏はĐ社の既存の出資者との口頭での合意に基づき将来的な事業拡大のための資金としてĐ社に多額の資金を提供し、複数年にわたり出資割合に応じた利益の配当を受け取っていました。しかしĐ社の企業登録証明書上の定款資本金の公式な増資手続きは一切行われておらずH氏は法的な出資者(社員)として登記されていませんでした。後に経営方針を巡る激しい対立が生じH氏は自身がĐ社の正式な社員であることを法的に確認し経営権を行使できるよう求めて提訴しました

最高人民裁判所はH氏による資金拠出の法的性質について企業法(2014年企業法第4条第13項、現行法と同趣旨)の規定を厳格に適用して解釈しました。裁判所は会社と資金拠出者との間で利益の分配に関する合意が存在し実際に利益が長期間配分されていた事実を認めつつも、当事者間で「定款資本金を増加させること」についての明確な書面による合意が存在せず国家機関に対する資本金変更の登記手続きも履践されていないことを決定的に重視しました。その結果この多額の資金拠出は会社の定款資本の一部を構成する持分取得のための「出資」ではなく単なる「事業遂行のための資金協力(ビジネス目的の拠出)」に過ぎないと判断しH氏の会社法上の社員としての地位や経営権を完全に否定しました。

この判例からベトナムにおいて他社と共同事業を行う場合や既存企業に追加の資金を投入する場合にはそれが「利益分配のみを目的とする単なる事業提携契約(BCC等)」なのか、それとも「定款資本金の引き受けによる持分の取得(M&A)」なのかを契約書上で極めて明確に定義して区別し、後者であれば資金提供と同時に直ちに計画投資局(DPI)等の当局への登記手続きを完了させなければ、いくら資金を出しても経営参加権や資産に対する権利を法的に一切主張できなくなるということが言えるでしょう。日系企業が現地パートナーと合弁で事業を拡大する際にはこの形式要件の厳格さを念頭に置いた厳密なスキーム構築とクロージング手続きの管理が不可欠です。

この判例に関する詳細な解説は、FDVN Law Firmの公式ウェブサイトで確認することができます。

参考:FDVN Law Firmの公式ウェブサイト

ベトナムの現状課題と日本による法整備支援

ベトナムの現状課題と日本による法整備支援

法執行の安定性と行政現場の実務的課題

ベトナムの法体系と司法制度は上述のように近代化と国際標準への適合に向けて目覚ましい進化を遂げています。しかし法律の条文が美しく整備され裁判所の構造が刷新されたからといってビジネスの現場ですべてが円滑に機能するわけではありません。ベトナムビジネスにおいて依然として残る最大の課題は「法執行の不確実性」です。新しい法令や最高裁判所の判例が公布されてもそれが地方の行政担当者や末端の裁判官に周知徹底され正確に理解されるまでに長期間を要することが珍しくありません。

また、法律の規定自体が抽象的な要件を含んでいることが多いため許認可の申請、税務調査、通関手続きなどの行政の最前線において担当官の広範な裁量による恣意的な解釈が横行しています。これが原因で手続きが不当に遅延したり法的根拠の乏しい不透明な金銭の要求につながったりする構造的な問題が頻繁に指摘されています。外資系企業がこうした予測困難な行政リスクに対処するためには法令の根拠条文を正確に提示して反論することはもちろんのこと、中央省庁や上位機関に対する公式な照会文書を活用して公的な見解を引き出し、地方担当者の裁量を論理的かつ公式に縛るという現地の商慣行に適応した高度な実務対応能力が求められます。

日本政府およびJICAによる包括的な法整備支援の歴史と成果

このようなベトナムの法体系の近代化と法執行能力の向上に対して最も深くかつ長期的に貢献してきたのが日本政府および独立行政法人国際協力機構(JICA)をはじめとする法務省等の関連機関による「法整備支援」です。日本は1990年代半ばからベトナムに対する法整備支援を開始しおよそ30年にわたり法制度の基盤構築に強力に伴走してきました。この支援は単なる資金援助ではなく日本の裁判官、検察官、法務省職員、弁護士などを長期専門家としてベトナムに派遣しベトナムの法務省や最高人民裁判所等の実務家と膝を交えて共同で法律を起草するという極めて深い技術協力です。

初期の支援では2005年および現行の2015年民法典、さらには民事訴訟法の起草において日本の法解釈学や契約理論がベトナムの社会主義的国情に合わせて慎重に移植されました。さらに先述のベトナム司法における革命とも言える判例制度の導入自体も日本の裁判実務における先例の機能と運用手法を参考にしてJICAの長年のプロジェクトを通じて構築・整備されたものです。現在は2021年から2025年にかけての新たな支援プロジェクトが進行中であり法令の起草段階から執行段階に至るまでの総合的な品質向上、法令間の矛盾解消、そして裁判官の判決文起草能力の向上や判例適用スキルの強化などより高度で実践的な実務能力の底上げが図られています

このようにベトナムの根幹をなす民事・商事法の論理構造や裁判実務の背景には日本法的な思考プロセスが色濃く反映されている部分が多いため、日本企業の法務担当者にとっては全く法系が異なる英米法の国と比較して法理の基本的な枠組みや法解釈の方向性を理解しやすいという隠れた利点があります。

この法整備支援に関する詳細な解説は、JICAの公式ウェブサイトで確認することができます。

参考:ベトナムにおけるJICA事業概要:法の支配とガバナンス分野

まとめ

ベトナムの法体系と司法制度は社会主義国家としての厳格な国家統制の枠組みを維持しつつも市場経済化とグローバル化の波に適応するために極めてダイナミックな変革の途上にあります。2025年に施行された法規範文書公布法による末端の権限廃止を通じた法令階層構造の合理化や、同年に本格稼働した地域人民裁判所を中核とする3審級制への移行、そして知的財産・破産などの専門裁判所の新設は、外資系企業に対する司法サービスの質とスピードを根本的に改善する可能性を秘めています。さらに着実に蓄積が進む判例制度は秘密保持・競業避止契約の有効性や資本出資の法的性質など実際の複雑なビジネス紛争において透明性の高い判断基準を提供する極めて重要な羅針盤となっています。

一方で、国家権力の統一という思想のもとで裁判所が完全に独立しているわけではない点や、土地が全人民の所有に属し土地使用権という特殊な概念に依存する点、さらには行政担当者による法解釈の不確実性といったベトナム固有の高度な法的リスクは依然として存在しており、これらは日本国内の法務感覚のみで対応することは極めて困難です。変化の激しい法令の最新動向を常に把握し明文化された法令と実際の運用実態とのギャップを正確に埋めることがベトナムにおける事業の成功を左右する最大の鍵となります。

モノリス法律事務所は、こうした複雑かつ流動的な課題に対して法的な見地から全面的にサポートいたします。現地の法規制や最新の判例に適合した強固な契約書の作成から、予期せぬ行政トラブルや深刻な紛争が発生した際の法的解決に至るまで、日本企業の皆様が安心してベトナムでのビジネスに専念できるよう確かな知見に基づいた実践的な助言を提供してまいります。

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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