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ルクセンブルク大公国の労働法解説

ルクセンブルク大公国の労働法解説

ルクセンブルクの労働法は、企業と労働者双方の利益を保護することを目的としており、特に労働者の権利保護に重きを置いています。この法体系は、政治関係者、労働者代表、および雇用者代表が協議を通じて策定する点に大きな特徴があります。これにより、双方の権利と義務が明確に定義され、利益が守られるようになっています。

日本企業がルクセンブルクでの事業展開を検討する際、特に注意すべきは、日本法とは異なる独特の制度です。例えば、厳格な雇用契約と解雇の枠組み、インフレに連動して自動的に賃金が調整される仕組み、そして近隣諸国からの越境通勤者を前提とした柔軟な働き方に関連する複雑な法的ルールが挙げられます。

本稿は、これらの日本法との重要な相違点に焦点を当て、具体的な法規を引用しつつ、ルクセンブルク労働法の全体像と、それに伴う事業上のリスクや機会を包括的に解説します。本記事が、貴社のルクセンブルク市場進出における羅針盤となることができれば幸いです。

ルクセンブルクにおける雇用契約の基本と解雇規制

無期雇用契約(CDI)と厳格な解雇規制

ルクセンブルクでは、無期雇用契約(Contrat à Durée Indéterminée: CDI)が労働法の原則であり、恒常的な業務需要に対応するための最も一般的な雇用形態です。この契約は、期限がなく、従業員が企業に長期的に勤務することを前提としています。

雇用主がCDIの従業員を解雇する場合、その決定には「現実かつ重大な理由(real and serious reasons)」がなければなりません。これは、従業員の能力や行動に関連する個人的な理由、または企業の事業上の必要性に関連する経済的な理由のいずれかである必要があります。従業員が解雇通知を受け取った後、書面で解雇理由の開示を要求した場合、雇用主は1ヶ月以内に具体的な理由を明示する義務を負います。この義務を怠ると、解雇は不当と見なされます。

また、企業規模が150人以上の場合、解雇通知を送る前に従業員との事前面談(pre-dismissal interview)が義務付けられています。この面談は、解雇通知の2営業日後から8日以内に行われなければなりません。

日本の労働契約法第16条が定める「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合」に解雇が無効となる規定は、ルクセンブルクの「現実かつ重大な理由」という要件と非常に似ており、この点においては日本企業は自国の実務と近い感覚で対応できるといえるでしょう。一方で、ルクセンブルクでは解雇理由の厳格性に加え、大企業に課される事前面談義務や、従業員が解雇理由の書面での提示を要求できる権利など、手続きが細かく定められています。このプロセスを遵守しない場合、解雇は不当と見なされるリスクがあるため、日本企業は解雇理由の準備に加え、これらの手続き的要件の遵守に特に注意を払う必要があります。

有期雇用契約(CDD)の厳格な適用と更新ルール

有期雇用契約(Contrat à Durée Déterminée: CDD)は、従業員の一時的な欠勤(病欠や育児休暇など)の代替や、季節的な業務、一時的な業務量の増加など、企業の「一時的かつ例外的なニーズ」に対応する場合にのみ認められる雇用形態です。恒常的な業務をCDDで賄うことは法律で禁止されています。

CDDは最長2年であり、2回まで更新が可能です。ただし、更新を含めた合計期間も24ヶ月を超えてはならないという厳格な上限が設けられています。この上限を超えても雇用関係が続く場合、CDDは自動的にCDIに転換されます。また、書面による契約がなければ、CDDは無期雇用契約と見なされることになります。

日本法における有期雇用契約の「雇い止め」規制は、5年を超える反復更新の場合に無期転換申込権が発生するのに対し、ルクセンブルクでは、2年という短い期間で無期契約への転換が強制されます。この違いは、ルクセンブルクが有期雇用契約を極めて例外的なものと位置づけていることの表れであり、恒常的な業務に対する短期的な採用を繰り返す戦略が法的に困難であることを示唆しています。

試用期間のルールと注意点

試用期間は、CDIおよびCDDの両方で設定可能ですが、書面で合意される必要があります。書面での合意がない場合、雇用契約は無期契約として見なされます。

試用期間の法定上限は、通常6ヶ月ですが、特定の資格を持つ従業員や高賃金の従業員については最大12ヶ月に延長される場合があります。CDDの場合、試用期間は契約期間の4分の1を超えてはならず、最低期間は2週間です。

試用期間中の解雇は、本採用後の解雇とは異なり、理由を明示する必要がありません。ただし、解雇通知は書面で行われ、期間に応じた通知期間を遵守する必要があります。また、病気休暇中の従業員や妊娠中の従業員など、特定の保護期間中は解雇が禁止されます。

試用期間中の解雇に理由の明示が不要という点は、日本法において試用期間中の解雇も客観的合理性・社会通念上の相当性が求められることと大きく異なります。これにより、ルクセンブルクでは試用期間が、企業の採用判断をより柔軟に行うための重要なツールとして機能します。しかし、試用期間の設定自体が書面で行われなければ無効となる点は、日本企業が最も注意すべき手続き的要件です。

ルクセンブルクの賃金制度:社会的最低賃金(SSM)とインフレ連動型賃金調整

ルクセンブルクの賃金制度:社会的最低賃金(SSM)とインフレ連動型賃金調整

社会的最低賃金(SSM)の詳細

ルクセンブルクでは、法定の社会的最低賃金(minimum social wage: SSM)が定められており、これは従業員の年齢と資格(熟練・非熟練)に基づいて決定されます。2025年5月1日時点の月額SSMは以下の表の通りです。日本には全国一律の最低賃金制度がなく、地域別に最低賃金が定められている点と比べると、ルクセンブルクは国全体で統一された制度を採っていることがわかります。

対象者適用比率月額賃金(ユーロ)
15歳〜17歳75%2,027.80
17歳〜18歳80%2,162.99
18歳以上(非熟練)100%2,703.74
18歳以上(熟練)120%3,244.48

日本にはない「スライディング・ペイ・スケール」制度(インフレ連動型賃金調整)

ルクセンブルクの賃金決定における最も大きな特徴は、法定の「スライディング・ペイ・スケール(échelle mobile des salaires)」制度です。この制度は、公務員の給与制度に関する2015年3月25日の改正法第3条をはじめとする複数の法律に基づいています。

この制度では、消費者物価指数(CPI)が過去6ヶ月間の移動平均で特定の閾値(maturity rate)を超え、2.5%の上昇を記録すると、すべての賃金(SSMを含む)、年金、社会手当が自動的に2.5%引き上げられます。この仕組みは、労働者の購買力を保護することを目的としています。

日本にはこのような自動的な賃金調整制度は存在しません。日本の賃金は、労使交渉や政府の最低賃金審議会での協議を通じて決定されるのが一般的です。ルクセンブルクの制度は、インフレ期には予期せぬ人件費の増大を直接的に招くことになります。特に高インフレ下では、短期間に複数回の調整が行われることがあり、企業の収益を圧迫する重大なリスク要因となり得ます。企業にとって人件費がインフレに直接連動して上昇することを意味するため、事業計画やコスト管理においてインフレリスクをより強く考慮する必要があります。

また、IMFのレポートは、この自動調整制度が「ルクセンブルクの労働市場の独特な特徴」である一方で、供給ショックによるインフレ下では競争力を損なう可能性を指摘しています。実際、過去にはインフレ連動の調整が延期されるなど、政治的協議によって制度が変容した歴史があります。このことから、制度が完全に機械的に運用されるわけではなく、経済状況に応じて社会パートナー(労使政)間の合意が重要な役割を果たすことが言えるでしょう。

越境通勤者がもたらすルクセンブルクにおける労働の柔軟性と複雑性

越境通勤者がもたらすルクセンブルクにおける労働の柔軟性と複雑性

テレワークの法的権利と相互合意

ルクセンブルクでは、雇用主との書面による合意に基づき、従業員が自宅で勤務するテレワークが法的な権利として認められています。これは、雇用主が一方的にテレワークを義務付けることも、従業員が一方的に要求することもできないことを意味します。

日本ではテレワークの導入は企業の裁量に委ねられており、「テレワークにおける適切な労務管理のためのガイドライン」は存在するものの、従業員が「テレワークを行う法的権利」を持つという明確な規定はありません。ルクセンブルクでは、相互合意が前提となるものの、テレワークが労働者の権利として法的に位置づけられている点が、日本とは根本的に異なります。この違いは、ルクセンブルクがより柔軟な働き方を制度的に保障しようとする姿勢の表れといえるでしょう。

越境通勤者向けテレワーク特別ルール:税務と社会保障の複雑性

ルクセンブルクは、フランス、ベルギー、ドイツからの越境通勤者に大きく依存している経済構造を持っています。この特殊な状況に対応するため、複雑な法的ルールが存在します。

これらの国との間で締結された租税条約の改正により、越境通勤者は年間34日まで自国でテレワークを行っても、給与はルクセンブルクでのみ課税されるという「34日ルール」が確立しました。

これとは別に、社会保障上のルールが存在します。欧州連合の枠組み協定に基づき、越境通勤者が自国でテレワークを行う時間が労働時間の49.9%以下であれば、引き続きルクセンブルクの社会保障制度に加入できます。この上限を超えると、社会保障の所属国が居住国に変わる可能性があります。

税務上のルール社会保障上のルール
対象国フランス、ベルギー、ドイツEU加盟国(ルクセンブルク等協定締結国)
法的根拠二重課税防止条約の改正欧州連合の枠組み協定
閾値年間34日以下労働時間の49.9%以下
閾値を超えた場合の帰結超過分が居住国で課税される所属国が居住国の社会保障制度に変わる可能性がある
企業への影響給与計算や税務申告が複雑化し、恒久的施設認定のリスクが発生居住国の社会保障負担義務が発生し、企業負担が増加する可能性がある

日本企業が特に注意すべきは、税務上の「34日ルール」と社会保障上の「49.9%ルール」という、それぞれ異なる法的根拠に基づく二つの独立した閾値が存在することです。越境通勤者が両方の閾値を正確に把握し、遵守することは容易ではありません。特に税務上の34日ルールを超えた場合、超過した日数分の所得が居住国で課税され、給与計算や税務申告が複雑になります。さらに、越境通勤者のテレワークが「恒久的施設(permanent establishment)」とみなされ、雇用主であるルクセンブルク企業が居住国で法人税を課されるリスクがあることが言えるでしょう。

この複雑な制度は、単に「柔軟な働き方」を可能にするだけでなく、日本企業がルクセンブルクで多国籍な人材を雇用する際に、各国の税法や社会保障制度との複雑な連携を考慮する必要があることを意味します。適切な法的・税務アドバイスなしには、コンプライアンス上の重大なリスクを負う可能性があります。

まとめ

本稿では、ルクセンブルクの労働法が持つ主要な三つの特徴—厳格な解雇規制、独自のインフレ連動型賃金調整、そして越境通勤者を前提とした柔軟な働き方—について、日本法との比較を通じて解説してきました。これらの制度は、一見すると日本企業にとって高い人件費や硬直的な経営を強いる要因に見えるかもしれません。

しかし、これらの制度は、インフレから労働者の購買力を保護し、周辺国からの優秀な人材を惹きつけるインセンティブとして機能していることも事実です。これは、ルクセンブルクが多様で国際的な人材を確保するための競争力を高めていることが言えるでしょう。ルクセンブルクへの進出を成功させるためには、これらの複雑な法制度を正確に理解し、事業計画に織り込むことが不可欠です。

我々モノリス法律事務所は、ルクセンブルク現地の専門家ネットワークを活用し、現地の法務、労務、税務に関する実践的なアドバイスを提供します。貴社のルクセンブルクでのビジネス展開を、法的側面から強力にサポートできることをお約束します。

関連取扱分野:国際法務・海外事業

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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