イギリス会社法の定める会社形態と会社設立

イギリスの会社法は、主にCompanies Act 2006(以下「本件法」)によって包括的に規定されており、これは従来の会社法1985年を大幅に刷新するものです。この法律は、会社設立手続きの現代化やインターネット経由での手続きの容易化、さらに単独での公開会社設立を可能にするなど、抜本的な変革をもたらしました。
本稿は、イギリスでの事業展開を検討されている日本の経営者や法務担当者向けに、イギリスの会社形態と会社設立の枠組みを詳細に解説します。イギリスの包括的な法改正がもたらした変革の核心を、具体的な法令規定を根拠としつつ、日本法との重要な相違点に焦点を当てて解説します。
この記事の目次
イギリス会社法の全体像と現代化の潮流
イギリスの会社法は、Companies Act 2006によって統一的に規定されており、これはイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの全土に適用される単一の法制度となっています。この法制度は、イギリスの企業・通商省(Department for Business and Trade)の執行機関である企業登記局(Companies House)が統括しています。企業登記局は、有限会社の設立と解散、そして企業情報の登録と公開を担う公的な機関であり、その役割は、日本の法務局と企業情報開示の機能を併せ持つものと捉えることができます。
本件法は、会社設立のプロセスを大幅に簡素化し、従来の会社法1985年を刷新しました。特に注目すべきは、旧法で詳細な目的条項を覚書(memorandum of association)に記載する必要があったのに対し、本件法ではこれが不要となり、会社の行為能力に関する原則が大きく転換した点です。このイギリスにおける会社法の大規模な現代化は、日本の会社法が2006年5月に施行された改正によって、より柔軟な会社設立を促す目的で大きく見直された潮流と時期を同じくしています。これは単なる偶然の一致ではなく、両国がグローバル経済の要請に応える形で、会社設立の柔軟化と簡素化を目指すという、共通の哲学に基づいた法改正を進めていたことを示しています。こうした背景を理解することは、イギリスの法制度をより深く理解する上での助けとなるでしょう。
イギリスの主要な会社形態と日本法との比較

イギリスの会社は、その社員の責任範囲に応じて、主に「有限責任会社」(Limited company)と「無限責任会社」(Unlimited company)に分類されます。このうち、無限責任会社はごく稀な形態であり、一般的に事業に利用されるのは有限責任会社です。有限責任会社は、さらに「株式有限責任会社」(limited by shares)と「保証有限責任会社」(limited by guarantee)に分かれます。株式有限責任会社は、株主の責任が保有する株式の未払込分に限定される最も一般的な営利事業の形態です。一方、保証有限責任会社は、会社の清算時に社員が拠出を約束した保証額まで責任を負う形態であり、主に非営利団体や慈善事業に利用されます。
また、本件法では、会社は「私的有限会社」(Private Limited Company)と「公開会社」(Public Company)に分類されます。私的有限会社は、公開会社ではないすべての会社を指し、その株式を一般に公開することはできません。一方、公開会社は、その株式を一般に公開する権利を持つ会社を指します。公開会社は、最低資本金や取締役の人数など、私的有限会社よりも厳格な要件が課せられています。
なお、日本の会社法における株式会社の設立要件が最低1名の取締役と1名以上の株主であるのに対し、イギリスの公開会社は一人で設立することも可能です。しかし、Companies Act 2006の第154条は、公開会社が「少なくとも2名の取締役を置かなければならない」と明確に規定しています。このため、単独の株主による公開会社の設立は可能であるものの、その運営には最低2名の取締役が必須となります。これは、一般投資家から広く資金を募る可能性を持つ公開会社に対して、意思決定の過程で複数人の関与を義務づけることで、より厳格なガバナンスと透明性を要求するというイギリス会社法の思想が背景にあるものと考えられます。
イギリスにおける会社設立手続
イギリスの会社設立手続きは、主に企業登記局へのオンライン申請によって行われ、その迅速さが大きな特徴です。オンラインでの申請の場合、通常は24時間以内に完了することが多く、早ければ数時間で承認されるケースも珍しくありません。手続きには、会社名、会社形態、登記住所、取締役や株主の身元情報、そして定款などの提出が求められます。会社名は既存の登録会社と重複しない独自の名称である必要があります。
日本人経営者や非居住者にとって、イギリスでの会社設立を検討する上で重要な点は、取締役の居住地に関する要件です。日本法では、会社の代表取締役の少なくとも1名が日本国内に居住していることが求められますが、イギリスの会社法にはこのような居住要件は存在しません。この柔軟性は、日本に居住しながらイギリスでの事業展開を計画している経営者にとって大きなメリットとなります。ただし、会社の登記住所(registered office)はイギリス国内に必須です。この要件は、専門の会社設立代行業者(Company Formation Agent)が提供する住所サービスを利用することで、容易に満たすことができます。
また、私的有限会社は1名の取締役、1名の株主で設立可能であり、取締役と株主を兼任することもできます。この簡便さは魅力的ですが、実務上の注意点が存在します。多くの会社がデフォルトとして採用する企業登記局提供の「モデル定款」(Model Articles)は、取締役会での決議に2名の取締役の定足数を要求することが一般的です。このため、モデル定款をそのまま利用すると、単独取締役では有効な取締役会を開催できず、会社の意思決定に支障をきたす可能性があります。この問題は、モデル定款を単独取締役向けに修正するか、最初からオーダーメイドの定款を作成することで回避可能です。専門家として、この実務上の落とし穴を事前に把握しておくことが、円滑な会社運営のために極めて重要であると言えるでしょう。
イギリスの会社憲章文書である定款と覚書

Companies Act 2006は、会社の憲章文書である覚書と定款の位置づけを大きく変えました。本件法の下では、覚書(Memorandum of Association)は「会社を設立し、その社員になること」を宣言した、簡素な法的文書として位置づけられています。これは会社設立の意思表示を示す一回性の文書であり、会社設立後はその内容を変更することはできません。
一方で、定款(Articles of Association)こそが、取締役の権限や義務、株主との関係、株式の譲渡方法、取締役会や株主総会の運営方法など、会社の内部的な運営ルールを定める主要な憲章文書となりました。定款は、企業登記局が提供する「モデル定款」(Model Articles)をそのまま採用することも、事業のニーズに合わせて独自の定款を作成することも可能です。定款は、株主総会の特別決議(75%以上の賛成)によっていつでも変更することができます。
イギリスの会社行為能力と「ウルトラ・ヴィーレスの法理」の廃止
会社の行為能力に関するイギリス法の変遷は、日本法との比較において最も注目すべき点の一つです。かつてイギリス法には、定款に記載された事業目的(object)の範囲を超える行為(目的外行為)は、その効力が会社に及ばない、すなわち無効とする「ウルトラ・ヴィーレスの法理」(Ultra Vires Rule)が存在しました。この法理は、株主の投下資本や債権者の財産を保護するために発展したものでした。
しかし、本件法は、この原則を根本から見直しました。Companies Act 2006第39条は、「会社の行為の効力は、会社の憲章におけるいかなる事項を理由とする会社の能力の欠如に基づいて、これを問題とすることができない」と規定しています。この規定により、会社の行為能力は原則として無制限と解釈され、定款に目的条項が記載されていたとしても、目的外の行為が直ちに無効となることはなくなりました。
この点は、日本法と対比すると興味深い違いが見えてきます。日本法においても、会社法第3条により会社の権利能力は「定款で定めた目的の範囲内」に制限されるとされています。しかし、判例上は、会社の行為が定款に記載された事業目的から逸脱していても、その行為は原則として有効であると解されています。このように、イギリスの現代法と日本法は、最終的な結果として外部との取引の有効性を保護している点では類似していると言えます。しかし、その法的思考の背景は異なります。イギリスでは、歴史的な法理が本件法によって明確に「対外的には」廃止されたのに対し、日本法では、目的規定は依然として取締役の忠実義務や善管注意義務の根拠として機能し、目的外行為は取締役の任務懈怠の訴えの対象となりうるという、内的な規律として重要な意味を持ち続けます。この法的思考の差異を理解することは、両国の法務を比較する上で極めて重要です。
まとめ
本稿で解説したように、イギリスの会社法は、Companies Act 2006によって現代化され、会社設立の簡素化、オンラインによる手続きの迅速化、そして単独設立の柔軟性を実現しました。これは、日本での事業運営と並行してイギリス市場に参入しようとする経営者にとって、大きな機会となりえます。
しかし、その簡便さの裏には、公開会社の取締役の最低人数要件、モデル定款の選択における潜在的なリスク、そして会社行為能力に関する日本法との微妙な法理の違いといった、専門的な知見が求められるポイントが存在します。これらの複雑な法務課題を円滑に解決するためには、現地の法制度と実務に精通した専門家によるサポートが不可欠です。
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