チェコの労働法を弁護士が解説

チェコ(正式名称、チェコ共和国)は、地理的優位性と安定した経済環境を背景に、欧州におけるビジネス展開の要所として注目を集めています。それに伴い、日本企業の進出も増加傾向にありますが、現地のビジネスを円滑に進めるためには、その国の法的枠組み、特に労働法の理解が不可欠です。チェコ労働法は、日本法とは異なる根本的な思想に基づいており、特に雇用関係の終了に関する規定は、潜在的な法的リスクを管理する上で最も重要な論点の一つとなります。
本稿では、チェコ労働法の主要な法的枠組みである「労働法(Zákoník práce)」に基づき、雇用関係を終了させる主要な方法、雇用主からの解雇事由の厳格な限定、法定の退職金や解雇予告期間、そして日本法との比較において特に注意すべき競業避止義務について、最新の法改正や判例の動向を踏まえながら、詳細に解説します。
この記事の目次
チェコにおける雇用関係終了の主要な方法と手続き
チェコにおける雇用関係の終了は、法律により厳密な手続きが定められており、主に以下の4つの手段を通じて行われます。これらの法的措置はすべて書面で行われる必要があり、当事者双方がそれぞれ署名した写しを受け取ることが義務付けられています。
- 合意(Agreement):雇用主と従業員が双方の合意に基づいて雇用契約を終了させる方法です。これは、雇用関係の終了において最も推奨される形式であり、将来的な法廷紛争のリスクを最小限に抑えることが可能です。ただし、退職日や退職金の支払い条件など、終了に関する具体的な条件を文書に明確に記載しておく必要があります。
- 解雇通知(Notice):雇用主または従業員からの単独の意思表示による雇用契約の終了です。従業員は、解雇の理由を問わず、また理由を明記することなく通知を出すことができます。これに対し、雇用主が従業員に解雇通知を出すことができるのは、労働法第52条に定められた限定的な理由がある場合に限られます。この限定的な理由の存在は、訴訟になった場合に雇用主が客観的な証拠をもって証明しなければならないため、事前の準備が不可欠となります。
- 即時解雇(Immediate Termination):これは、労働法第55条および第56条に定められた特定の例外的な事由がある場合にのみ認められる、非常に厳格な手段です。雇用主からの即時解雇は、従業員が職務上の義務を特に重大な方法で違反した場合や、故意犯で1年以上の懲役刑を受けた場合などに限定されます。一方、従業員は、雇用主が賃金を支払期日から15日以内に支払わなかった場合などに即時解雇が可能です。
- 試用期間中の解雇(Termination during Trial Period):試用期間中は、雇用主・従業員の双方が理由を問わず、また理由を明記することなく雇用関係を終了させることができます。これは最も柔軟な終了方法の一つですが、雇用主は従業員の病欠や隔離期間の最初の14日間は解雇通知を出すことができません。
チェコ労働法で定められた限定的な解雇事由
チェコ労働法は、労働者を契約上の弱い立場にあるものとして強力に保護するという思想を基盤としています。その最も象徴的な規定が、雇用主が従業員を解雇できる理由を厳格に限定している点にあります。この限定された解雇事由は、労働法第52条に明記されており、例えば以下のような理由が挙げられます。
労働法第52条に定められた限定的な解雇事由
- 事業所またはその一部の閉鎖・移転:雇用主の事業所またはその一部が閉鎖されたり、別の場所に移転したりする場合です。
- 従業員の余剰化を伴う組織変更:雇用主が業務効率化などを目的とした組織変更を行い、結果として特定の職務が不要になった場合です。
- 業務上の負傷、職業病、または健康診断結果に基づく、従業員の職務遂行能力喪失:従業員が業務上の災害や職業病により、現在の職務を継続できなくなった場合です。
- 従業員が職務遂行に必要な条件を満たしていない場合:従業員が、職務遂行に不可欠な前提条件を満たさなくなった場合です。
- 従業員による職務上の義務違反:従業員が職務上の義務に違反した場合です。この場合、違反の程度に応じて、特に重大な違反であれば即時解雇の対象となり、軽微な違反であれば、過去6ヶ月以内に2回以上の書面による警告を与えた上で解雇事由となります。
日本法における解雇との本質的な違い
日本法における解雇、特に普通解雇や整理解雇は、チェコ法とは根本的に異なる法的思想に基づいています。日本の「解雇権濫用の法理」(労働契約法第16条)では、解雇に「客観的に合理的な理由」があり、「社会通念上相当」と認められるかどうかが包括的に判断されます。この法理は、裁判所の判例を通じて形成されたもので、雇用主が解雇の妥当性を多角的に証明することを求めています。これに対し、チェコ法では、限定された法定事由の有無のみが問題とされるという、根本的な違いがあります。
例えば、日本法では、従業員の協調性欠如や長期にわたる勤務成績の不良も、適切な指導や配置転換の検討を尽くしていれば、解雇事由として認められる可能性があります。しかし、チェコ法では、これらの事由が労働法第52条の規定に直接的に当てはまらなければ、解雇は不当と判断されるリスクが極めて高くなります。
一方、日本の整理解雇では、「人員削減の必要性」「解雇回避努力」「人選の合理性」「解雇手続の妥当性」という、いわゆる「整理解雇の4要件」をすべて満たしているかどうかが厳しく問われますが、チェコ法では、日本法のように多岐にわたる「解雇回避努力」を事前に尽くすという要件は存在しません。
チェコ労働法に定められた退職金と解雇予告期間

勤続年数に基づく法定退職金
チェコ労働法では、雇用主からの解雇通知、または雇用主側の原因による合意退職の場合、従業員に法定の退職金を支払う義務があります。この退職金の額は、勤続年数に応じて定められています。
- 勤続1年未満:平均月額賃金の1ヶ月分
- 勤続1年以上2年未満:平均月額賃金の2ヶ月分
- 勤続2年以上:平均月額賃金の3ヶ月分
この法定退職金は、日本法における退職金の考え方と大きく異なります。日本では、退職金は就業規則等で定められる「任意の制度」であり、法的に義務付けられているものではありません。
解雇予告期間の規定
解雇予告期間は、雇用主・従業員のいずれが通知した場合でも、最低2ヶ月と定められています。この点も日本法とは異なります。さらに、日本の経営者や法務部員が最も注意すべきは、この予告期間の起算日に関する最新の法改正です。
従来のチェコ労働法では、解雇予告期間は「解雇通知がなされた月の翌月1日」から開始し、2ヶ月後の月の末日に終了すると定められていました。しかし、2025年4月29日に官報に掲載された労働法改正法により、解雇予告期間の起算日は「通知が相手方に届いた日」に変更されました。これにより、雇用関係終了までの期間が予測しやすくなり、雇用主にとってわずかな柔軟性がもたらされることになります。
チェコにおける競業避止義務契約
契約の要件と補償
チェコ労働法において、雇用主は従業員に対し、退職後の競業避止義務を課すことができます。この義務は、特に従業員が雇用関係中に機密情報やノウハウに触れた場合に有効です。この契約には、以下の2つの重要な法定要件があります。
- 期間の制限:競業避止義務の期間は、雇用関係終了から最長1年間と定められています。これは、雇用主の利益と従業員の職業選択の自由とのバランスを取るためのものです。日本法においても同様に期間の制限が考慮されますが、チェコ法では1年という明確な上限が設けられています。
- 補償の義務:義務を課す代わりに、元雇用主は元従業員に対し、義務期間中、月平均賃金の50%以上の補償を毎月支払う必要があります。この補償の義務は、日本法における同様の契約の有効性判断要素(裁判例では、合理的な代償の有無が考慮されます)とは異なり、チェコでは法律で明確に定められた、雇用主にとってのコストとなります。
撤回に関する判例の動向
競業避止義務契約を巡っては、特に雇用主が一方的に契約を撤回できるかという点で、複雑かつ動的な判例の変遷があります。
当初、チェコ最高裁判所は、たとえ契約に「雇用主が撤回できる」旨が明記されていても、正当な理由なく一方的に撤回することはできないという厳格な解釈を示しました。その背景には、競業避止義務契約が、従業員の職業選択の自由を制限するものであり、安易な撤回は従業員に不利益をもたらすという、労働者保護の思想があったと考えられます。この判決は、雇用主にとって大きなリスクとなり、目的を失った契約でも補償を続ける義務が生じることを示唆しました。
しかし、その後、チェコ憲法裁判所は、最高裁判所のこの判断を「法律の不当な補完」として違憲と判断しました。この判決により、契約に明記されていれば、正当な理由なく撤回が可能であるという新たな法解釈が確立されました。この変遷は、チェコにおける司法判断が、労働者保護の思想と、契約の自由および法的安定性のバランスを模索していることを示しています。日本企業にとっては、契約書に撤回に関する条項を慎重に盛り込むことで、潜在的なリスクを軽減できる可能性があることを意味します。
競業避止義務違反に対する違約金に関する判例
競業避止義務違反に対する違約金の請求についても、チェコ最高裁判所は、従業員保護の観点から厳格な判断を下しています。
Nejvyšší soud(チェコ最高裁判所)2018年6月27日判決(判決番号:21 Cdo 1922/2018)(Vink-Plasty s.r.o. vs. K.F.)では、元商業マネージャーの従業員が競業避止義務に違反して競合他社で3日間働いたケースが争われました。最高裁判所は、競業避止義務違反があったことは認めつつも、「従業員の新しい仕事がわずか3日間しか続かなかった」という事実を考慮し、雇用主が1年分の違約金(補償額と同額)を請求することは、「社会の良識に反する」として違約金の支払いを無効と判断しました。
この判決は、チェコ司法が、たとえ契約が有効かつ違反が証明されたとしても、その結果が「合理的」かつ「社会的に容認可能」でなければ、契約の強制執行を認めないという強い姿勢を持っていることを示しています。これは、日本法における契約違反に対する損害賠償請求の判断基準とは異なり、より広範な「良識」の概念が司法判断に影響を与えることを意味します。したがって、チェコでの事業展開を検討する日本企業は、競業避止義務契約を結ぶだけでなく、その契約が万が一違反された場合でも、その法的措置がチェコ社会の価値観や司法の「良識」に照らして妥当であるかどうかを慎重に検討する必要があります。
まとめ
チェコの労働法は、日本法とは異なる労働者保護の思想に基づき、雇用関係の終了に関して厳格な規定と手続きを設けています。特に、雇用主が従業員を解雇できる理由は労働法第52条に限定されており、日本の「解雇権濫用の法理」のような包括的な判断基準は存在しません。また、勤続年数に応じた法定退職金の支払い義務、2025年改正労働法で起算日が変更された解雇予告期間など、日本企業が事前に把握しておくべき具体的な相違点も多数存在します。
さらに、競業避止義務契約に関しては、最高裁判所と憲法裁判所の判例の変遷が示すように、法解釈がダイナミックに変化する分野であり、たとえ有効な契約があっても、その運用や執行が「社会の良識」に照らして判断されるという、日本とは異なる法的リスクが存在します。
これらの複雑かつ厳格な法的環境を理解し、適切に管理するためには、チェコ労働法の最新動向と判例を常に把握し、現地の商習慣にも精通した専門家によるサポートが不可欠です。モノリス法律事務所は、チェコでの事業展開を検討されている日本企業の皆様に対し、こうした法的リスクの特定と、円滑な雇用関係の構築・終了に関する戦略的なアドバイスを提供いたします。どうぞお気軽にご相談ください。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務