ギリシャの不動産関連の法制度の解説

近年、ギリシャ(正式名称、ギリシャ共和国)の経済は緩やかながらも着実に回復軌道に乗り、特に不動産市場は海外からの投資を積極的に呼び込む活況を呈しています。ギリシャ政府が推進する「ゴールデンビザ」制度は、一定額以上の不動産投資を通じて、非EU圏国民に5年間の居住許可を与える魅力的な制度であり、日本からの関心も高まりつつあります。しかし、ギリシャの法体系、特に不動産法は、大陸法を基盤としつつも、日本の法律実務とは異なる独自の慣行とリスクを含んでいます。不動産取引を検討する日本の経営者や法務担当者にとって、これらの相違点を深く理解することは、将来的なリスクを回避し、安全な資産形成を図る上で不可欠です。
本解説記事では、ギリシャの不動産取引の法的プロセスを網羅的に解説するとともに、日本人投資家が特に注意すべき点を、日本の法律との比較を通じて深く掘り下げます。特に、土地の有効活用を促すという法哲学から派生し、放置不動産が所有権喪失につながる可能性のある「20年ルール」(時効取得制度)に焦点を当て、その法的背景と、所有権を保護するための実務的な対策を詳述します。この記事が、貴事務所の専門知識を結集した、実務家向けの詳細なガイドとなることを目指します。
この記事の目次
ギリシャ不動産取引の法的枠組とプロセス
ギリシャの不動産法体系の概要
ギリシャの不動産法は、主に1946年に制定されたギリシャ民法典の第3編(財産法)に規定されており、これはドイツ民法典の影響を強く受けたものです。不動産の所有権は、ギリシャ共和国憲法第17条によって手厚く保護される基本的人権の一つとされています。しかし、その権利は無制限ではなく、憲法第18条が定めるように、公益上の観点から制限を受けることもあります。この「公益」という概念が、土地の有効活用を促すという後述の「20年ルール」の根底にある法哲学と深く結びついています。
外国人、特にEU圏外の国籍を持つ個人や法人は、ギリシャ国内で不動産を自由に購入できますが、国境地域(東エーゲ海諸島、ドデカニサ諸島、クレタ島の一部など)での不動産取得には、国家安全保障上の理由から事前の許可が必要となります。これらの制限区域外であれば、特別な許可なく不動産を購入することが可能です。
標準的な不動産取得プロセス
ギリシャでの不動産取引は、公証人(Notary Public)による売買契約書(Notarial Deed)の作成と、所轄の土地登記所(Land Registry)への登記によって完了します。この一連のプロセスにおいて、非居住者である外国人投資家は、現地の弁護士に委任状(Power of Attorney)を付与することで、渡航することなく取引を完了できるのが一般的です。弁護士は、税務識別番号(AFM)の取得、銀行口座開設、最終契約への署名、登記手続きなど、一連のプロセスを代理して実行します。
取引の法的安全性を確保するために、弁護士によるデューデリジェンス(法的審査)は不可欠な手続きです。弁護士は売買契約書作成に先立ち、対象不動産の登記簿上の権利関係、抵当権、占有権の有無、建築許可の遵守状況などを徹底的に調査します。
外国人投資家を積極的に誘致する「ゴールデンビザ」制度を推進する一方で、ギリシャの不動産登記制度は、伝統的な人名ベースのシステムと近代的システムが併存しており、時効取得制度は「土地の有効活用」を目的としています。この状況は、ギリシャ政府が外資を積極的に呼び込むと同時に、国内の伝統的な土地管理システムや法哲学が未だに維持されているという実態を示しています。このような、投資家保護に完全に最適化されているとは言えない法制度のギャップこそが、外国人投資家にとって固有のリスクを生む根源であり、投資家自身が専門家を通じて徹底したリスク管理を行うことの重要性を物語っています。
ギリシャの公証人と土地登記制度

公証人の役割
日本の公証人は、主に私署証書や定款の認証を行う役割を担います。不動産取引において、当事者間の代金決済の安全性を確保するための代金預託(エスクロー)機能は通常担いません。一方、ギリシャの公証人は、不動産売買契約書の作成と、その取引がギリシャ法に準拠していることを確認する役割を担います。しかし、多くの欧州諸国とは異なり、ギリシャの公証人は、売買代金を一時的に預かるエスクロー口座の機能を有していません。
このため、売買代金の支払いは、買い手またはその代理人弁護士が、直接売り手の口座に送金するか、公証人の目の前で銀行保証小切手を引き渡す形式で行われます。この支払い手続きは、買い手側の弁護士が厳格に管理する必要があり、日本の不動産取引実務とは大きく異なります。この構造は、取引におけるリスクの所在が、日本のように「公的機関による手続きの確実性」に依拠するのではなく、「信頼できる専門家(弁護士)の選定」に全面的に依存していることを示しています。外国人投資家にとって、弁護士の選定は単なる事務代行ではなく、自らの財産を保護するための最も重要なリスクマネジメント行為であると言えます。
複雑な土地登記制度と弁護士の役割
ギリシャでは、伝統的な「人名ベース(Transcriptions)」の登記制度と、近代的な「地番ベース(Cadastre)」の登記制度が併存しており、全国的な地番登録作業(Cadastre)は1995年から進められているものの、未完了の地域も多く残っています。
人名ベースの登記制度は、物件ではなく個人の名前で権利関係が記録されるため、弁護士は現在の名義人だけでなく、過去の相続人や所有者まで遡って権利関係を徹底的に調査しなければなりません。この複雑なシステムのため、ギリシャにはアメリカのような「権原保険(Title Insurance)」が存在しません。買い手は、弁護士による入念な登記調査によってのみ、物件に隠れた瑕疵がないことを確認できます。弁護士のデューデリジェンスが不十分であれば、後に予期せぬ権利主張(例えば、過去の相続人による所有権主張など)に直面するリスクが残ります。
外国人投資家に必須となるギリシャの税務識別番号(AFM)
AFMの取得と重要性
ギリシャで不動産を売買する全ての個人(国籍を問わず)は、9桁の税務識別番号(AFM)の取得が義務付けられています。この番号は、不動産取引の前提条件であるだけでなく、ギリシャでの銀行口座開設、賃貸契約の締結、さらには公共料金の支払いなど、あらゆる公的・私的な法的行為に不可欠なものです。AFMなしには、ギリシャで経済活動を行うことは事実上不可能です。
非居住者であっても、パスポートの写しや海外の住所を証明する書類を提出すれば、弁護士や会計士に委任することで、遠隔地から取得手続きを進めることが可能です。この手続きは通常2〜3営業日で完了するとされています。
AFMの必須化は、不動産購入のみならず、銀行口座開設や賃貸契約にも必須であり、これはギリシャ政府がすべての経済活動を税務当局の管理下に置こうとする強い意志を示唆しています。この番号の取得が取引の最初のステップであることは、不動産投資が単なる資産購入にとどまらず、ギリシャの経済システムに参入する第一歩であることを意味します。このため、投資家は、単に物件を購入するだけでなく、その後の税務申告など、継続的な義務を負うことになります。
ギリシャの放置不動産に関する「20年ルール」

ギリシャの「20年ルール」(χρησικτησιˊα)の法的根拠
「20年ルール」は、ギリシャの不動産関連の法制度における大きな特徴の一つであり、ギリシャ語でχρησικτησιˊα(クリスティクティシア)と呼ばれ、時効取得を意味します。ギリシャ民法典第942条は、20年間にわたり「公然、継続、平穏かつ明白な占有」を続けた第三者が、土地の所有権を主張できる可能性を規定しています。ここでいう「占有」には、フェンスの設置、草刈り、ゴミ除去、耕作、賃貸、訪問など、所有者としての管理・維持行為が含まれます。この制度は、所有者が管理を怠った放置不動産に、第三者による占有権を認めることで、土地の有効活用を促すという政策的な目的から来ています。この法哲学は、遠隔地から不動産を管理する外国人所有者にとって、所有権を失う可能性のある最も重要なリスクとなります。
日本の時効取得制度との比較分析
日本の時効取得制度(民法第162条)とギリシャのχρησικτησιˊαには、いくつかの類似点と決定的な相違点があります。日本の民法も、他人の物を「所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と」20年間占有した者に所有権の取得を認めています。これは、両国の法が、長期間にわたる客観的な事実状態を尊重するという共通の法哲学を有していることを示しています。
ただ、両者には相違点も存在します。まず、取得期間の要件として、日本には「善意無過失」で占有を開始した場合は10年間で時効が完成する特則があります。ギリシャ法にはこのような短縮要件は明記されていません。
さらに重要な点は、所有権保護の負担の所在です。日本の時効取得は、占有者が時効の完成を「援用」しない限り、その効果は生じません。しかし、ギリシャ法では、不法占拠者(squatter)が時効取得の主張を提起した場合、合法的な所有者は「直ちに法的措置を開始する」必要があります。これは、遠隔地に住む外国人所有者にとって、定期的なモニタリングと迅速な対応が必須であることを示しています。所有権保護の負担が所有者自身に課せられている点が、特に注意すべきリスクです。
以下の表に、ギリシャと日本の時効取得制度の主要な比較点をまとめます。
ギリシャ法(χρησικτησιˊα) | 日本法(時効取得) | |
---|---|---|
取得期間 | 20年 | 10年(善意無過失)または20年 |
時効の成立要件 | 公然、継続、平穏、明白な占有 | 所有の意思、平穏、公然の占有 |
所有権の保護 | 所有者による迅速な法的措置が不可欠 | 占有者による時効の「援用」が必要 |
実務上のリスク | 遠隔地の放置不動産が時効取得されるリスクが高い | 相続登記の義務化によりリスクが相対的に低下 |
ギリシャでの所有権を保護するための実務的対策
「20年ルール」のリスクを回避するためには、所有者として積極的に土地に関与していることを示す実務的措置を講じる必要があります。具体的には、定期的な現地訪問に加え、草刈り、フェンスの修繕、ゴミの除去など、物理的な管理・維持活動を継続的に行うことが挙げられます。
最も効果的な対策の一つは、物件を賃貸に出すことです。賃貸契約を締結することで、土地が継続的に活用されている状態となり、時効取得の要件を満たすことはできません。物理的な管理が困難な遠隔地の所有者にとって、現地の専門家(弁護士や不動産管理会社)に管理を委託することが最も現実的かつ確実な対策となります。
まとめ
ギリシャの不動産市場は、経済回復と政府の投資誘致策により、外国人投資家にとって魅力的な機会を提供しています。特に「ゴールデンビザ」制度は、EU圏内へのアクセスを可能にする大きなインセンティブとなります。
しかし、その法的枠組みは、公証人が代金決済のエスクロー機能を担わないことや、人名ベースの土地登記制度の残存、そして特に、土地の有効活用を促すという目的を持つ「20年ルール」の存在など、日本の法実務と根本的に異なる点もあります。
安全かつ確実な取引を実現し、長期にわたる所有権を保護するためには、取引前の入念な法的デューデリジェンスから、取引後の継続的な管理まで、一貫した専門家のサポートが不可欠です。当事務所は、税務識別番号の取得、取引プロセス全般の支援、そして取得後の賃貸管理や法務サポートまで、包括的なワンストップサービスを提供いたします。ギリシャ不動産へのご投資をご検討中の日本の経営者・法務担当者の皆様に、安全かつ確実な取引を実現するための最善のサポートをお約束します。ご不明な点がございましたら、いつでも当事務所にご相談ください。
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