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法律記事MONOLITH LAW MAGAZINE

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オランダのM&A関連法制を弁護士が解説

オランダのM&A関連法制を弁護士が解説

オランダ(正式名称、オランダ王国)は、欧州連合(EU)における重要な経済的・法的拠点として、グローバル企業から高い関心を集めています。その戦略的な地理的位置、安定した法制度、および熟練した多言語労働力は、国際的なM&A取引のハブとしての地位を確立しています。日本の投資家にとっても、オランダは欧州市場へのゲートウェイとして魅力的な進出先です。例えば、日本の電力会社である中部電力が、欧州で総合エネルギー事業を展開するオランダ企業Enecoを買収した事例は、オランダのM&A市場が提供する技術力やノウハウの吸収機会を示しています。

オランダの法制度は、他のEU加盟国と同様に、オランダ国内法とEU法の二重構造を持つという特徴があります。この多層的な法的枠組みは、M&A取引に複雑性をもたらす一方で、EU指令に基づく恩恵も享受できるという利点を提供します。また、オランダは世界有数の広範な租税条約ネットワークを構築しており、100カ国以上との間で二重課税の回避を目的とした条約を締結しています。この点は、国際的な事業再編や持株会社設立を検討する日本企業にとって、大きな税務上の利点となります。

本解説記事は、オランダへの事業進出やM&Aを検討している日本企業およびその法務担当者向けに、オランダのM&A関連法制を包括的に解説することを目的としています。表面的な法令情報の提供に留まらず、会社法、労働法、競争法、知的財産権法といった関連分野を網羅するとともに、最新の法改正、重要な最高裁判例、そして日本の投資家が特に留意すべき実務上のポイントに焦点を当てます。この多角的な分析を通じて、オランダの複雑な法的環境を乗り越え、M&Aを成功裏に遂行するための実践的な指針を提供します。

オランダにおけるM&A取引の法的性質とプロセス

株式譲渡(Share Deal)と事業譲渡(Asset Deal)

オランダにおけるM&A取引は、主に株式譲渡事業譲渡の2つの形態で実行されます。これらの取引手法は、法的手続き、リスクの承継、および関係者の役割において根本的な違いがあり、日本の投資家はこれらの差異を深く理解する必要があります。

株式譲渡は、会社の全株式を譲渡することで、会社そのものの所有権を移転する取引です。この取引の最大の利点は、会社が保有するすべての資産、負債、契約、および知的財産権(IP)が、個別の移転手続きを必要とせず、自動的に買い手に引き継がれる点にあります。ただし、オランダの非公開有限会社(BV)公開有限会社(NV)の株式を譲渡する場合、公証人(civil-law notary)による「公証譲渡証書」(notarial transfer deed)の作成が法的に義務付けられています。

一方、事業譲渡は、会社の特定事業を構成する個々の資産および負債を、個別に譲渡する取引です。この手法では、移転する資産・負債をすべて特定し、それぞれに応じた移転手続きを個別に完了させる必要があります。例えば、不動産やIPの移転には別途の登記や登録手続きが求められます。事業譲渡では、移転する資産・負債を厳密に選別できるという柔軟性がある一方で、手続きが煩雑になりがちです。特に、従業員の移転に関しては、労働法上の特別な規定が適用される場合があります。

デュー・デリジェンス(Due Diligence)の範囲と重要性

デュー・デリジェンスは、M&A取引において、対象事業の価値とリスクを評価するための不可欠なプロセスです。このプロセスを通じて、買い手は対象会社の記録や財務データを精査し、提示された情報が正確であるか、そして潜在的なリスクが存在しないかを確認します。売り手には、デュー・デリジェンス中に正確な情報を提供する義務があります。

デュー・デリジェンスは、単に財務・法務の側面だけでなく、非常に広範な分野を網羅する必要があります。具体的には、雇用・年金関連の文書、知的財産権、規制法、環境関連義務、係争中の訴訟などが含まれます。株式譲渡の場合は、これらの項目に加え、会社の記録、議事録、株主名簿といった会社組織に関する事項が特に重要視されます。

公開会社に対するM&A、特に敵対的買収の場合、デュー・デリジェンスで利用可能な情報が限定されるという特徴があります。この場合、買い手は通常、公開されている情報(年次および中間財務報告書など)のみに依存することになります。

オランダにおけるM&A戦略を策定する際、取引手法の選択は、単なる手続きの容易さだけでなく、デュー・デリジェンスの範囲と、取引後のリスク承継に大きな影響を与えます。株式譲渡では、会社という「箱」の所有権が移転するため、従業員契約や知的財産権は自動的に買い手に引き継がれ、雇用関連の継続的な責任は対象会社が負い続けます。しかし、事業譲渡では、個々の資産・負債の移転手続きが必要となり、特に「事業」としての同一性を維持する場合には、労働法上の「事業譲渡における従業員保護規定(TUPE)」が適用され、従業員が法律の作用によって自動的に買い手に移転します。この結果、事業譲渡の場合、買い手は移転前に生じた雇用契約上の義務について、売り手と連帯して責任を負う可能性があるため、このリスクは株式譲渡よりも顕在化しやすくなります。したがって、取引手法の選択は、労働関連リスクの質と量を根本から変えることを理解した上で、慎重に行われるべきです。 

主要なM&A契約文書

オランダでのM&A取引では、以下のような主要な契約文書が用いられます : 

  • 秘密保持契約書(Non-disclosure agreement):デュー・デリジェンスで共有される機密情報の保護を目的とします。
  • 基本合意書(Letter of intent/Term sheet):交渉手続きに関する意向を文書化し、独占交渉権や機密保持などの条件を定めます。
  • 株式/事業売買契約書(Sale and purchase agreement):取引の最終的な条件、表明保証(warranties and indemnities)、買収後の調整条項などを詳細に規定します。
  • 公証譲渡証書(Notarial deeds):株式譲渡の場合に法的に必須となる文書です。

オランダM&A関連法規の解説

会社法(Dutch Civil Code – DCC)

オランダの会社法は、オランダ民法典(DCC)の第2巻に規定されており、M&A取引の法的枠組みの核心をなしています。この法律は、株式、事業、または資産の購入に関する法的枠組みを定め、特に非公開(private)取引において、当事者が自由に取引条件を合意できる「契約自由の原則」に基づいています。

重要な取引における株主および取締役会の役割は、DCCによって詳細に規定されています。DCC第2巻は、特定の重要な取引について株主総会の承認を要求しています。また、公開会社の場合、そのコーポレートガバナンスコードが適用され、「comply or explain」(遵守するか、説明するか)という原則に基づき、最善の慣行を定めています。

オランダの会社法には、グループ企業に特有の法的制度として「403-Declaration」が存在します。これは、DCC第2巻403条に基づくもので、オランダの子会社が親会社からの債務履行保証(Declaration of Joint and Several Liability)を受けることで、親会社の連結決算書に子会社の財務情報が含められていることを条件に、子会社が個別の年次決算報告書の作成・公開義務を免除される制度です。しかし、この制度は法的リスクを伴います。親会社は、403-Declarationを提出することで、子会社の「法律行為から生じる債務」について連帯責任を負います。この保証が撤回された後も、撤回前に発生した債務に対する「残存責任」は存続します。さらに、最高裁判例は、403-Declarationに基づく親会社への請求が、他の債権者に対して法律上の優先権を持たないことを明確にしています。この判例は、この制度が持つ保護の限界を示しており、債権者の立場からすると、親会社の連帯保証は他の債権者と平等に扱われるに過ぎないという事実を認識しておく必要があります。 

労働法

オランダの労働法は、事業譲渡における従業員保護に関して、EUの「事業譲渡における従業員保護指令(Acquired Rights Directive)」をオランダ民法典第7編第662条から第666条に実装しています。この規定は、「事業の経済的実体」が同一性を維持したまま移転する場合に適用されます。

この法律が適用される場合、従業員の権利と義務は法律の作用によって自動的に買い手へと移転します。これは、雇用契約の条件、賃金、およびその他の権利(ただし、年金制度には例外がある)が、M&A後も維持されることを意味します。

事業譲渡が、経営陣による従業員への情報提供・協議義務を発生させることも重要な点です。企業が50人以上の従業員を抱える場合、または労働協約に規定がある場合、社会経済評議会(SER)および労働組合にM&Aを通知しなければなりません。さらに、経営陣は従業員代表機関(ワークス・カウンシル)に対し、M&Aの意図、理由、従業員への法的・経済的・社会的影響、および講じられる措置について、事前に協議・情報提供する義務があります。

M&A取引を理由とする従業員の解雇は法律で禁止されています。ただし、事業の再編(整理解雇など)が「経済的、技術的、または組織的理由」に基づく場合は認められます。このため、実務上は、M&A後の再編は、移転とは無関係であることを示すため、通常6か月から12か月後に実施されることが多いです。

競争法・国家安全保障審査

オランダでのM&A取引は、オランダ消費者・市場庁(ACM)による競争法審査の対象となる場合があります。審査の必要性は、関係企業の売上高に基づいて決定されます。具体的には、関係企業の全世界での連結売上高が1億5,000万ユーロ超であり、かつ、そのうち少なくとも2社がオランダ国内でそれぞれ3,000万ユーロ超の売上を達成している場合に、届出が義務付けられます。審査は通常、フェーズ1(4週間)とフェーズ2(13週間)の2段階で行われます。

EUの閾値を満たす取引は、EU競争法の下で審査されるため、オランダ国内での届出は不要となります。ただし、EU競争法には「Dutch Clause」(ECMR第22条)という規定があり、国内に競争法を持たない加盟国が、EUの閾値を下回るM&A取引であっても、域内貿易に影響を与え、競争を著しく阻害するおそれがある場合に、EU委員会に審査を要請できるメカニズムが存在します。

近年のオランダの法制度は、競争法上の閾値を満たさないM&A取引に対しても、国家安全保障と国内市場競争の観点から監視を強化する傾向にあります。これは、外国投資を歓迎しつつも、自国の重要利益を守るという、より防衛的な政策への転換を示唆するものです。その象徴が、2023年6月1日に施行された「国家安全保障審査法(Vifo Act)」です。この法律は、競争法上の閾値とは無関係に、外国および国内の投資が「国家安全保障にリスクをもたらす可能性」を審査するものです。審査の対象は、防衛関連、重要インフラ(エネルギー、通信、空港など)、および特定の「センシティブ技術」分野(AI、量子技術、半導体、バイオテクノロジーなど)の企業です。

さらに、2025年9月1日以降、ACMは独占禁止法第24条に基づき、閾値以下の取引を審査する権限を強化しました。この改正は、オランダ国内市場のみに影響を与える取引も対象となるため、ACMの監視範囲を広げるものです。

したがって、日本企業は、M&Aの計画初期段階で、競争法上の閾値だけでなく、対象事業がVifo Actの対象となるか否か、また将来的にACMの審査を受ける可能性があるか否かを、事前に徹底的に確認する必要があります。特に、小規模なテック企業やスタートアップ企業への投資において、競争法上の届出が不要と判断されても、これらの新しい審査制度によって取引の予測可能性が低下する可能性があるため、注意が求められます。

知的財産権法

オランダの知的財産権法は、特許権、商標権、著作権などの国内法と、EU統一特許制度といったEU法が共存する二重構造を持っています。M&A取引において、知的財産権(IP)の移転は重要な要素であり、その手続きは知的財産権移転契約(Intellectual Property Transfer Agreement)によって規定されます。この契約は、オランダ民法典および各知的財産権法に準拠して作成される必要があります。

デュー・デリジェンスでは、対象企業が保有するIPの有効性、第三者の権利侵害の有無、既存のライセンス契約などを綿密に調査する必要があります。特に、著作権については、オランダの著作権法(Auteurswet)が、著作者人格権(moral rights)が完全に移転できない権利と規定している点が注目されます。これは、日本の法制度との重要な相違点であり、M&A後の事業運営、例えば著作物を利用した製品開発やマーケティングにおいて、著作者の同意が引き続き必要となるなど、影響を及ぼす可能性があります。 

オランダM&A関連法制の最新動向と重要判例

オランダM&A関連法制の最新動向と重要判例

司法判断の潮流

オランダの最高裁は、M&Aにおけるタックス・プランニングについて、形式的な法的要件の充足だけでなく、「経済的実体」と「事業上の合理性」を厳格に評価する傾向を強めています。これは、過去の租税回避的なスキームに対する司法の断固たる姿勢の表れです。

M&A融資の利子控除に関する最高裁判決は、この潮流を象徴するものです。この判例では、反ベースエロージョン規定(CITA第10a条)の形式的な要件を満たし、事業上の合理性があると見なされた取引であっても、最高裁は「fraus legis」(法の濫用)の原則に基づき、利子控除が拒否される可能性があることを示しました。

同様に、配当源泉税の免除に関する最高裁判決も、この傾向を裏付けています。この判決では、配当源泉税の免除を認める「濫用防止規定」の適用判断において、「経済的実体と関連性のない人工的な仕組み」であるかを厳格に審査する方針が示されました。最高裁は、当初は事業上の合理性があったとしても、状況変化によりその仕組みが「人工的」と見なされる可能性があると判断しました。この判例は、濫用テストが取引実行時だけでなく、その後の状況変化を考慮する「継続的なテスト」であることを示しており、定期的な見直しが必要となることを意味します。

これらの判例は、タックス・プランニングにおいて、単に法令の条文を形式的に遵守するだけでなく、取引の背後にある「商業的・経済的合理性」を常に記録し、説明できるようにしておくことが不可欠であることを示唆しています。

M&A関連費用については、成功・失敗に関わらず、関連費用(内部コスト・外部コスト)の税務上の取り扱いに関する最高裁判決が存在します。この判決は、M&Aプロセスが成功した場合、関連費用は損金不算入となるが、交渉が不調に終わった場合、特定の条件で費用が損金算入可能となるという詳細な指針を提供しています。

Broadcom/VMware買収における判決

2024年、BroadcomによるVMware買収後、オランダの裁判所が下した判決は、M&A後の商業的決定が公共の利益に与える影響について、オランダの司法が強い姿勢を持っていることを示す画期的な事例となりました。

事案の概要は、Broadcomが買収後、オランダ政府機関が利用するVMware製品のライセンス体系を、従来の永続ライセンスからサブスクリプション型へ変更し、サポートを中断する方針を打ち出したことに端を発します。これに対し、道路、橋梁、水門といった重要インフラを所管する政府機関は、システム移行のための猶予期間として2年間の継続サポートが必要であると主張しました。

裁判所は、政府機関の主張を認め、Broadcomに対し、年額176万5千ユーロの有償サポートを2年間提供することを命じる判決を下しました。裁判所は、「永続ライセンス契約に基づくユーザーの期待は正当」であること、および「Broadcomが実質的に独占的な立場を濫用した」という点を重視しました。

この判決は、オランダの司法が、M&A後の商業的決定が公共の利益、特に重要インフラの安定性やセキュリティに影響を与える場合、これを制約しうるという強い姿勢を示したものです。これは、Vifo Actに代表される国家安全保障審査の枠組みが、実際の司法判断においても裏付けられていることを意味します。この判例は、特にIT、通信、エネルギーといった分野の企業を買収する際、買収後の事業統合計画やサービス提供方針が、単純な商業的合理性だけでなく、政府や司法が重視する公共的利益と合致するかを慎重に検討しなければならないという重要な教訓を提供します。

まとめ

本解説記事は、オランダM&A法制が、単なる成文法典の体系にとどまらず、動的な司法判断と変化する国際情勢(特に国家安全保障の重視)によって形作られていることを明らかにしました。特に、近年の最高裁判例が、タックス・プランニングや商業的決定において「経済的実体」と「公共的利益」を厳格に評価する傾向は、日本企業がオランダでM&Aを遂行する上で、従来の法務デュー・デリジェンスを超える、より深い戦略的思考を求めることを示唆しています。

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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