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タイ王国の労働法

タイ王国の労働法

タイの労働法制は、1998年労働者保護法(Labour Protection Act B.E. 2541)を中核として形成されています。この法律は、「労働者保護主義(プロ・エンプロイー)」の思想に基づくもので、その思想は、雇用契約から労働条件の変更、そして雇用終了に至るまで、あらゆる場面で顕著に表れています。

タイの労働法では、口頭でも雇用契約は成立する一方、雇用契約書の作成は事実上必須であり、労働時間に関する規律や賃金の計算方法には日本法と異なるルールがあります。このため、タイの法制度に準拠した労務管理などのシステムを導入することが必要です。また、労働条件の変更や解雇に関しては、日本と同様にリスクがありますが、その規律や裁判例の傾向は日本と異なっており、タイ特有の規制や判例法理を理解しておく必要があります。

本記事では、そのような厳格な労働者保護を目的とするタイの労働法について詳しく解説します。

なお、タイ王国の包括的な法制度の概要は下記記事にてまとめています。

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タイにおける雇用契約の法的性質と留意点

雇用契約の成立

タイ労働法は、雇用契約の成立要件として書面を求めていません。ただ、雇用関係が成立した後に労働紛争が発生した場合、契約内容の立証責任は使用者側に課せられることになります。例えば、労働時間や賃金、福利厚生について口頭で約束したつもりの内容が、従業員側から異なる主張をされた場合、書面がないと、その内容を証明することは困難となります。したがって、雇用契約書には、法的な紛争を未然に防ぐため、以下の事項を明確に記載することが推奨されます。

  • 使用者の詳細(法人名、所在地)
  • 従業員の詳細(氏名、職務内容、雇用開始日)
  • 雇用期間の有無(無期雇用または有期雇用)
  • 法定労働時間、休憩時間、週休日
  • 賃金の金額、計算方法、支払い方法、支払い時期
  • 手当、賞与、有給休暇、病気休暇、産前産後休暇などの福利厚生に関する詳細
  • 退職および解雇に関する規定

特に賃金や手当、福利厚生については、その法的性質を明確にすることが重要です。雇用契約書で賃金や手当を明確に定めていない場合、後々の紛争リスクが高まります。例えば、ボーナスや特定の現物支給、手当が「慣例」として支払われてきた場合、それが裁判所の判断で「賃金」として扱われ、法的な支払義務が生じる可能性があります。また、社用車の提供や通勤手当といった「福利厚生」も、裁判所の判断によっては「賃金」または「労働条件」と見なされ、その廃止が不利益変更として問題視されるケースも存在します。

試用期間の法的取り扱いと注意点

タイ労働法には試用期間に関する明確な規定はありませんが、雇用契約で定めることは可能です。ただ、タイでは試用期間中であっても「期間の定めのない雇用契約」と見なされる場合があり、試用期間終了時の解雇には解雇補償金の支払いが義務付けられる可能性があります。

タイの労働時間・休暇・賃金計算

法定労働時間と休憩

タイの法定労働時間は、業務の種類によって区別されています。

  • 一般業務:1日8時間、週48時間以内
  • 危険業務:労働者の健康や安全に危険を及ぼす可能性のある業務(建設、化学物質取扱い等)は、1日7時間、週42時間以内

また、全ての従業員は、連続して5時間以上労働した場合、最低1時間の休憩を取得する権利を有します。この休憩時間は勤務時間には含まれません。

法定休日と年次有給休暇

法定の休日制度は以下の通りです。

  • 週休日:1週間に最低1日、最大6日間の勤務後に付与されます。
  • 法定祝日:年間最低13日
  • 年次有給休暇:1年間継続して勤務した従業員に対し、最低6日の取得権利が生じます。
  • 必要業務のための有給休暇:年間3日以上の有給休暇が義務付けられています。

賃金体系と割増賃金の計算

タイの賃金体系には「月給制」と「日給制」という法的区分が存在し、これが割増賃金の計算に影響を与えます。

  • 月給制:勤務日以外の休日(週休日、祝日)についても賃金が支払われるのが原則です。ただし、遅刻や無給休暇、欠勤分は控除される「月給日給制」が一般的です。
  • 日給制:労働した日に対してのみ賃金が支払われ、週休日は原則無給となります。

月給制と日給制の最大の違いは、休日労働時の割増賃金の考え方にあることです。日本の給与計算の概念(休日出勤は1.35倍)と大きく異なり、タイでは給与体系に応じた厳格な計算が求められます。月給制の場合、休日の賃金は月給にすでに含まれていると解されるため、休日労働の対価として「通常賃金の1倍以上」の追加手当を支払えば良い(合計2倍)とされています。一方、日給制の場合、休日は無給であるため、休日労働には「通常賃金の2倍以上」を支払う必要があります。

タイ労働法に定められた割増賃金率は以下の通りです。

  • 労働日時間外労働(Overtime Pay):通常の時間当たり賃金の1.5倍以上
  • 休日労働(Holiday Pay)
    • 月給制(有給休日)の場合:通常賃金の1倍以上の追加支給
    • 日給制(無給休日)の場合:通常賃金の2倍以上
  • 休日時間外労働(Holiday Overtime Pay):通常の時間当たり賃金の3倍以上

賃金からの控除

賃金からの控除は原則として禁止されており、例外的に認められる項目は所得税、労働組合費、社会保険料、罰金、積立金、弁済金などごく限定的です。また、従業員の書面による同意がない場合、各控除は賃金等の10%以下、かつ合計で20%以下に制限されます。日本の企業が慣行的に行う、例えば団体生命保険料や親睦会費の控除も、従業員の同意と法律上の要件を満たす必要があります。 

タイにおける労働条件変更の法的リスクと実務対応

労働条件変更の基本原則

タイ労働法は、労働者に不利となる労働条件の変更を、従業員のインフォームド・コンセント(十分な情報提供に基づく同意)なしに一方的に行うことを認めていません。これは、日本の法律のように「変更の合理性」を根拠に一方的変更を有効と認める判例がほとんど見当たらない点で、日本企業が最も注意すべき点です。

判例による労働条件変更の有効性

タイの判例では、労働条件が従業員にとって有利に変更される場合、従業員の同意がなくとも変更は有効であるとの考え方が示されています。しかし、賃金の減額や職位の変更など、従業員にとって不利益となる変更は、たとえ雇用契約書に同意の署名があったとしても、その合意が一時的なものであったと判断され、解雇補償金等の計算根拠となる賃金が元の高い賃金で算定された事例があります。これは、従業員の同意を形式的に得ただけでは不十分であり、真意に基づく同意であったかが裁判所で厳しく精査されることを示しています。 

この原則を理解することは、不当解雇のリスクを避ける上で極めて重要です。従業員の同意なく一方的に労働条件を不利益に変更した場合、従業員は「みなし解雇(Constructive Dismissal)」を主張し、会社を辞職した上で解雇補償金や損害賠償を請求することができます。これは、会社が従業員を解雇したわけではなく、従業員が自ら辞職した場合であっても、法的に解雇と見なされるという点で、日本の法律にはない重大なリスクです。したがって、 

たとえ「合理的」な変更であったとしても、従業員の同意を確実に得るための手続きとコミュニケーションが必須です。

労働関係法に基づく団体交渉の手続き

労働条件の変更が多数の従業員に影響する場合、労働関係法(Labour Relations Act B.E. 2518)に基づく「労働要求(Labor Demand)」の手続きが適用される場合があります。これは、従業員側または使用者側が、労働条件の変更に関する要求書を相手方に書面で提出することで開始されます。

労働要求が提出されると、雇用者は3日以内に交渉を開始しなければならないという厳格な時間的制約が課されます。交渉がまとまらない場合、自動的に「労働紛争」となり、労働省が任命する調停官が介入します。この交渉・調停期間中、雇用者は当該従業員や労働組合員を解雇または異動させてはならないという法的義務が発生し、違反した場合は刑事罰(最長6か月の禁錮刑)の対象となります。これは、交渉のテーブルについた時点で企業側の行動が厳しく制限されることを意味し、日本のような柔軟な人事異動が困難になる可能性があります。 

タイにおける労働条件変更は、単なる労務管理上の問題ではなく、刑事リスクを伴う企業法務の最重要課題であるという認識を持つべきです。

タイにおける雇用の終了

雇用終了の法的要件

期間の定めのない雇用契約を終了する場合、雇用者は賃金支払いサイクルの前日または当日に書面で通知する必要があります。即時解雇の場合は、通知期間に相当する解雇予告手当の支払いが必要となります。

解雇補償金(Severance Pay)の計算

タイの労働者保護法では、従業員の勤続期間に応じて、法定の解雇補償金水準が厳格に定められています。これは日本の解雇予告手当とは異なり、勤続年数が長くなるほど支払額が増加します。2019年の法改正により、勤続20年以上の従業員に対する補償金が、従来の300日分から400日分の最終賃金に引き上げられました。

勤続期間解雇補償金の計算
120日〜1年未満30日分以上 
1年〜3年未満90日分以上 
3年〜6年未満180日分以上 
6年〜10年未満240日分以上 
10年〜20年未満300日分以上 
20年以上400日分以上 

解雇補償金の支払いが免除される事由

解雇補償金の支払いが免除されるのは、不正行為、使用者への損害、3日以上の正当な理由なき無断欠勤など、限定された事由に該当する場合のみです。日本のように、「合理性」や「社会通念上の相当性」といったあいまいな基準は適用されず、法定の免除事由に厳密に該当しない限り、解雇自体が「不当」と見なされるリスクが高いです。解雇補償金の支払いを怠った場合、後述の通り刑事罰に発展する可能性もあります。

不当解雇関連の近年の裁判例

不当解雇を巡る最近の裁判例には、下記のようなものがあります。

まず、異動命令拒否に関して、日本では業務命令として配転が認められることが多いですが、タイでは、従業員の同意なく行われた異動命令は、それが昇進や賃金増を伴うものであっても、違法かつ不当な命令とみなされ、従業員が拒否しても懲戒解雇事由にならないと判断した判例があります。これは、日本の「配転命令権」の概念とは大きく異なり、特に多拠点展開する日本企業にとって高いリスクと言えます。異動には従業員の個別同意が必須であり、同意がない場合は解雇補償金支払いによる雇用契約の解消が選択肢となるという認識が必要です。

次に、SNS投稿に関する裁判例ですが、勤務中のSNS利用が業務に悪影響を与えたとして解雇が有効とされた判例がある一方で、従業員の私生活の尊重権を侵害するとして解雇が違法とされた判例も存在します。この分野は判例の動向を注視する必要があり、明確なルールを就業規則に設けることが重要です。 

タイの労働紛争解決

労働者からの申し立て窓口

賃金未払いなど労働者保護法上の権利が侵害された場合、労働者はまず労働省傘下の労働福祉・労働者保護局(Department of Labour Protection and Welfare)の労働監督官に申し立てを行うことができます。監督官は申立て内容を調査し、雇用者に対して支払い命令等の行政指導を行います。

労働裁判所の機能と刑事罰

労働監督官の命令に不服がある場合、雇用者または労働者は30日以内に労働裁判所に提訴することができます。多くの外国企業は、タイ労働法は運用が緩やかだと誤解しがちですが、これは大きな間違いです。労働監督官の命令に従わない、または悪質な賃金未払いや解雇補償金の不払いは、刑事訴追の対象となります。

最近の裁判例では、800人以上の従業員に対する解雇補償金の不払いで、経営幹部が保釈なしの即時収監となったケースが報じられています。これは、タイの労働法違反が単なる民事上の金銭問題に留まらず、個人の自由を脅かす重大な刑事罰リスクを内包していることを明確に示しており、日系企業は労働コンプライアンスを最優先事項として捉えるべきです。

まとめ

タイの労働法は、労働者保護を目的とする厳格な法律であり、日本の慣行を安易に適用することは、法的紛争、高額な賠償金、そして経営幹部個人の刑事罰という深刻なリスクを招きます。また、タイで雇用される日本人駐在員であっても、現地法人との間で雇用契約が結ばれている場合、タイ労働者保護法の対象となります。日本の本社で締結した雇用契約の内容が、タイの法律に反する場合は無効となるため、現地法に準拠した契約の再確認が不可欠です。 

タイでの労務管理のためには、雇用契約書の書面化・就業規則の整備・割増賃金の算出における、月給制と日給制の法的差異を正確に理解し、給与体系に応じた正確な計算といった手続が必要不可欠です。また、一方的な不利益変更は「みなし解雇」のリスクを伴うため、労働条件の変更は、従業員との丁寧な対話と個別の同意を基本とするべきです。そして、解雇の際には、法定事由に厳密に該当するかを慎重に判断し、安易な解雇を避けるべきです。

関連取扱分野:国際法務・海外事業

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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