スリランカ連邦共和国の労働法に関する解説

スリランカの労働関係は、日本の厚生労働省に相当する労働省(Department of Labour)が中心となって包括的に管轄しています。同省は、労働紛争の解決、賃金の規制、社会保障基金の管理、労働安全衛生の確保など、多岐にわたる労働関連法令を所管しています。主要な法令としては、賃金委員会条例(Wages Boards Ordinance)、商店・事務所従業員法(Shop and Office Employees Act)、工場条例(Factories Ordinance)などがあり、これらの法令が有機的に連携して労働者の権利を保護しています。
スリランカの労働法は、日本の社会保険制度とは異なる二つの強制的な社会保障基金である従業員積立基金(EPF)と従業員信託基金(ETF)の二重構造、労働大臣の事前承認を原則とする厳格な解雇規制、そして最近施行されたばかりの最低賃金の大幅な引き上げなどが、その特徴です。また、外国人雇用に関するビザ手続きも、現地の事業内容や人材要件を厳しく問う独自のプロセスが定められています。
この記事の目次
スリランカの労働法制と労働時間・超過勤務
雇用契約の成立
スリランカの労働法の特徴として、雇用契約の成立に関する規定が挙げられます。スリランカの労働紛争法(Industrial Dispute Act)第48条では、「労働者(Workman)」を「口頭であるか書面であるかを問わず、明示的または黙示的な契約に基づいて、使用者との間で職務に従事している、または従事したことがある人物」と定義しています。安易な口約束で雇用を開始した場合、その後に雇用条件を巡る紛争が生じ、予期せぬ法的リスクにつながる可能性があると言えるでしょう。したがって、現地の法務専門家と連携し、雇用開始時に職務内容、給与、労働時間、福利厚生、解雇条件など、すべての雇用条件を詳細に明記した書面契約を締結することが、後のトラブルを未然に防ぐ上で重要になります。
全国一律の最低賃金制度
スリランカでは、職種や地域にかかわらず、全国一律の最低賃金が法令で定められています。これは各都道府県の最低賃金が個別に設定されている日本とは異なる大きな特徴です。特に、2025年7月に可決・成立した「National Minimum Wage for Workers (Amendment) Act, No. 11 of 2025」により、最低賃金が大幅に引き上げられました。
この法改正により、2025年4月1日から2025年12月31日までの期間、全国最低月額賃金は27,000スリランカルピー(LKR)に、日額賃金は1,080LKRに引き上げられました。さらに、2026年1月1日以降は、最低月額賃金は30,000LKR、日額賃金は1,200LKRにまで引き上げられることが決定しています。また、この法改正では、これまで別枠で支給されていた「Budgetary Relief Allowance」が最低賃金に統合されるという重要な変更も行われました。正確な労務管理のためには、最新の法令や労働省の公式発表に常に注意を払い、信頼できる情報源から情報を得ることが不可欠です。本記事公開後もこの部分の改正は頻繁に行われると思われるため、最新情報の調査が不可欠です。
効力発生日 | 最低月額賃金 | 最低日額賃金 |
---|---|---|
2025年4月1日〜2025年12月31日 | LKR 27,000 | LKR 1,080 |
2026年1月1日〜 | LKR 30,000 | LKR 1,200 |
労働時間と超過勤務の規制
スリランカの主要な労働法令である商店・事務所従業員法(Shop and Office Employees Act)や賃金委員会条例(Wages Boards Ordinance)に基づき、標準労働時間は1日8時間、週45時間と定められています。これを超える労働は超過勤務と見なされ、厳格な規制の対象となります。
超過勤務には上限があり、原則として週12時間を超えて労働させることはできません。超過勤務手当は、通常の賃金の1.5倍で支払う必要があります。さらに、週休日(通常は日曜日)や法定休日に労働をさせた場合、その日の賃金は通常の2倍で支払う義務が生じます。
EPFとETFによるスリランカの社会保障制度

日本の社会保険制度が厚生年金、雇用保険、健康保険などの公的制度に分かれているのに対し、スリランカの社会保障制度は、従業員積立基金(Employees’ Provident Fund、EPF)と従業員信託基金(Employees’ Trust Fund、ETF)という二つの強制的な基金からなる二重構造が大きな特徴です。これらの基金はそれぞれ異なる役割と目的を持っています。
従業員積立基金(EPF)
EPFは、1958年の従業員積立基金法(Employees’ Provident Fund Act No. 15 of 1958)に基づき設立された、民間および半官半民セクターの従業員を対象とした強制的な確定拠出型退職年金制度です。同国最大の退職金基金であり、退職後の経済的安定を確保することを目的としています。
日本の厚生年金保険料が労使折半で負担されるのに対し、EPFへの拠出は、使用者が従業員の月額総収入の12%、従業員が8%を負担し、合計で20%を基金に拠出することが義務付けられています。給付は、男性は55歳、女性は50歳の定年退職時に全額を請求できますが、永住目的での移住、永久的な障害、特定の住宅ローンの利用など、特定の条件下で退職前に一部または全額を引き出すことが認められています。
従業員信託基金(ETF)
ETFは、1980年の従業員信託基金法(Employees’ Trust Fund Act No. 46 of 1980)に基づいて設立された基金です。EPFとは異なり、こちらは使用者がのみ拠出義務を負い、従業員からの拠出は一切ありません。拠出率は、従業員の月額総収入の3%です。
ETFの目的は、単なる退職金給付に留まらず、従業員の生活向上や経済的民主主義の促進にあります。具体的には、退職給付に加え、奨学金制度や住宅ローン、医療支援、障害給付、生命保険などのユニークな福利厚生をメンバーに提供しています。これは、ETFが一種の包括的な社会福祉基金として機能していることを示しています。
企業の拠出義務
企業は、これら二つの基金を合わせて、給与総額の15%(EPF 12% + ETF 3%)という、比較的高い拠出義務を使用者が負担することになります。これは、単なるコスト増として捉えるだけでなく、従業員に対する包括的な福利厚生を提供し、エンゲージメントを高める機会と見なすこともできるでしょう。
制度名 | EPF(従業員積立基金) | ETF(従業員信託基金) |
---|---|---|
法的根拠 | Employees’ Provident Fund Act No. 15 of 1958 | Employees’ Trust Fund Act No. 46 of 1980 |
拠出義務者 | 使用者・従業員双方 | 使用者のみ |
拠出率 | 使用者 12% 従業員 8% 合計 20% | 使用者 3% |
主な目的 | 老後の生活保障を目的とした確定拠出年金制度 | 退職給付に加え、在職中の社会福祉・福利厚生を提供 |
日本での類似点 | 確定拠出型年金制度に近い | 福利厚生制度に近い |
スリランカの雇用契約と解雇の規制
スリランカの労働法において最も注意すべきは、雇用契約の終了、特に解雇に関する厳格な規制です。スリランカでは、「At-Will Employment(任意雇用)」の原則は適用されず、解雇が厳しく規制されています。これは、労働者の権利を強く保護するというスリランカの法制度の思想を色濃く反映していると言えます。
解雇の法的根拠となるのは、主に「Termination of Employment of Workmen (Special Provisions) Act (TEWA), No. 45 of 1971」と「Industrial Disputes Act」です。
TEWAは、従業員数15人以上の事業所に適用され、対象となるのは勤続期間が180日以上の労働者です。この法律の最も重要な点は、原則として、使用者が労働者を解雇する場合、労働者の同意を得るか、または労働大臣の書面による事前承認を得なければならないという点です。この事前の承認プロセスを怠ると、解雇は無効とされます。
一方で、重大な不正行為、能力不足、事業再編に伴う人員削減など、正当な理由が存在する場合には解雇が可能とされています。しかし、このような場合でも、使用者は労働審判所や裁判所での不当解雇の訴えに備え、厳格な手続き(書面での通知、公正な懲戒ヒアリングの実施など)を遵守する必要があります。
不当解雇と判断された場合、労働審判所(Labour Tribunal)は、従業員の原職復帰を命じる権限を持つほか、原職復帰が難しい場合には、高額な補償金の支払いを命じることができます。補償金の額は、勤続年数、給与、雇用状況といった要素を考慮し、「公正かつ衡平な」額が決定されます。
スリランカの労使紛争解決制度と外国人雇用

労使紛争解決の枠組み
スリランカの労使紛争解決システムは、紛争の性質に応じて複数の機関が関与する多層的な構造を持っています。個別の紛争、例えば不当解雇や退職金の未払いなどについては、主に労働審判所(Labour Tribunals)が管轄します。労働審判所での審理は、比較的非公式な手続きで行われ、迅速な解決を目指す特徴があります。一方、より広範な集団的紛争、例えば賃金や労働条件に関する組合と使用者の対立などについては、産業裁判所(Industrial Court)が担当します。これらの機関は、調停・仲裁努力が失敗に終わった場合に、最終的な解決手段として機能します。
外国人従業員の雇用
日本の経営者が、日本からの駐在員や技術者などをスリランカで雇用する際には、独自のビザ制度を理解する必要があります。スリランカでは、就労する外国人は、就労を目的とした「就労ビザ」と「居住ビザ」の両方を所持することが義務付けられています。観光ビザやビジネスビザでの就労は厳しく禁止されており、違反した場合は企業と個人の双方が法的ペナルティに直面します。
外国人雇用のビザ申請プロセスは、複数のステップからなる複雑なものです。まず、雇用主である現地企業がスポンサーとなり、スリランカ投資委員会(Board of Investment, BOI)などの関連省庁から、外国人雇用に関する事前承認を取得する必要があります。このプロセスでは、その職務が現地の労働者で代替不可能であること、および企業が現地に法的実体を有することが厳しく問われます。この証明義務は、単にビザを取得する手続きというだけでなく、企業がスリランカ市場に長期的にコミットし、現地雇用を阻害しないという政府の方針を反映していると言えるでしょう。事前承認後、外国人従業員は本国のスリランカ在外公館でエントリービザを取得し、スリランカ入国後に居住ビザの申請手続きを完了させる必要があります。
まとめ
スリランカの労働法は、日本とは異なる歴史的背景と社会構造に基づいており、労働者の保護を強く志向する体系を確立しています。口頭での雇用関係の成立、二重の社会保障基金、そして労働大臣の事前承認を原則とする厳格な解雇規制など、日本の法制度と根本的に異なる部分が多々存在します。また、最新の最低賃金情報や外国人雇用の複雑な手続きについても、非公式な情報に頼らず、常に信頼できる情報源から最新の法令を正確に把握することが、法令違反のリスクを回避する上で不可欠です。
関連取扱分野:国際法務・海外事業
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務