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フランスでの契約書作成・交渉時に問題となる民法・契約法【2016年改正後】

フランスでの契約書作成・交渉時に問題となる民法・契約法【2016年改正後】

フランス(正式名称、フランス共和国)での事業展開を検討されている日本企業にとって、現地の法的枠組み、特に契約法への深い理解は不可欠です。フランスの民法典(Code civil)は、ナポレオン法典として知られる220年以上前の規範を基盤としてきましたが、2016年の大改正(Ordonnance n° 2016-131 du 10 février 2016)によって大きく刷新されました。この改正は、現代のビジネス慣行に合わせた明確な規定を導入し、契約交渉の段階から当事者に新たな法的義務を課すものです。この刷新された法体系を理解しなければ、予期せぬリスクに直面する可能性があります。

本記事では、この改正、特にその中心となる民法典第1104条の「信義誠実の原則」と第1112-1条の「情報開示義務」に焦点を当て、その具体的な内容を解説します。また、日本の法体系、特に判例法理で築かれてきた「信義則」や「契約締結上の過失」との比較を通じて、フランス法特有の考え方と実務上の重要な相違点に着目します。

2016年フランス民法典改正の概要

2016年のフランス契約法改正は、単なる既存ルールの整理統合にとどまるものではなく、フランス法を国際競争の場でより魅力的なものにするための、戦略的な法制度改革という側面を持っています。改正以前、フランスの契約法は、長年にわたる裁判所の判例法理によって多くのルールが形成されており、その全容を把握することは外国企業にとって容易ではありませんでした。しかし、この改正によって、それまで判例法として確立されていた原則の多くが、民法典という成文法に明文化されました。

この成文化は、契約の原則、類型、成立要件、解除、履行責任など、広範な分野に及びます。これにより、フランスの契約法は、外国企業を含むあらゆる当事者にとって、よりアクセスしやすく、透明で、そして予見可能なものになったということが言えるでしょう。成文化されたルールの中には、例えば、一方の当事者が一方的に定めた「附合契約」(contrat d’adhésion)における不当条項の無効化を裁判所の権限として明確に定めた規定や 、長期契約において予見不可能な状況変化が生じた場合に、裁判官が契約内容を修正できる権限を認める「ハードシップ条項」など、革新的な内容も含まれています。

これらの新しい規定は、判例法に頼っていた不安定な部分を成文法によって明確化し、透明性と予見可能性を高めることで、外国企業がフランス市場に参入する際の障壁を下げる意図があると考えられます。これは、ビジネス上の取引における公正性を担保しつつ、フランス法を国際的に「売る」ための国家戦略の一部であるという見方もできます。 

契約交渉段階から適用されるフランスの「信義誠実の原則」

契約交渉段階から適用されるフランスの「信義誠実の原則」

民法典第1104条の明文規定

フランス民法典第1104条は、「契約は、交渉、締結及び履行の各段階において、信義誠実に行われなければならない」(Les contrats doivent être négociés, formés et exécutés de bonne foi.)と明文で規定しています。この規定は、契約の「履行」段階にのみ信義誠実義務を課していた旧法から大きく変更された点であり、契約の「交渉」および「締結」の段階から当事者が信義誠実に行動する法的義務を負うことになりました。

この原則は、ただの倫理規範ではありません。第1104条は「公序」(d’ordre public)に関する規定であるとされており、当事者間の合意によってこの義務を制限したり排除したりすることはできません。この規定に違反する不誠実な行為は、損害賠償だけでなく、契約そのものの無効化につながる可能性も明記されています。たとえば、正当な理由なく交渉を突然打ち切った場合、単なる交渉コストの損失だけでなく、より深刻な法的責任を問われることになります。これは、契約交渉における行動規範を法的に担保し、当事者間の信頼関係を保護するための非常に強力な手段であるということが言えるでしょう。 

日本の「信義則」との相違点

日本法においても、民法第1条第2項が信義誠実の原則(信義則)を定めています。しかし、契約交渉段階における信義則上の具体的な義務は、判例法理によって「契約締結上の過失」として形成されてきた経緯があります。交渉の不当な破棄に対する損害賠償を認める裁判例は存在しますが 、その法的根拠は不法行為(民法第709条)や、場合によっては錯誤といった条文に求められることが一般的です。

フランス民法典第1104条と日本法の信義則の最大の違いは、「法的根拠の明確さ」と「違反の法的効果」にあるという点が挙げられます。フランス法が「契約の無効化」という手段を条文に明記しているのに対し、日本法では、不誠実な交渉行為に対する救済は、主に交渉のために発生した費用など、限定的な損害賠償に留まる傾向があります。これは、フランス法が、不誠実な行為によって得られた同意は、契約全体を無効にするに足る重大な瑕疵であるという考え方に基づいているためです。日本企業は、フランスでの契約交渉において、不誠実とみなされる言動が、単なるコスト増に留まらず、ビジネスそのものの破綻につながるリスクがあることを十分に認識しておくべきです。 

フランスの広範な「情報開示義務」と法的効果

民法典第1112-1条の規定

信義誠実の原則を具体化するものとして、フランス民法典第1112-1条は、契約交渉における広範な「情報開示義務」(devoir d’information)を規定しています。同条は、「相手方の同意にとって決定的に重要な情報を知っている当事者は、その相手方が正当な理由でその情報を知らないか、または信頼している場合、その情報を開示しなければならない」と定めています。

この義務には重要な例外が明記されています。すなわち、「役務の価値評価に関する情報」(l’estimation de la valeur de la prestation)は、この情報開示義務の対象外となります。この例外規定は、ビジネス取引における当事者自身の価値判断の自由を尊重し、情報開示義務の範囲を不当に拡大させないためのものです。また、第1112-1条は、この義務が当事者間の合意によって制限または排除することができない、という強い拘束力を有していることも特徴です。

判例から読み解く義務の範囲

情報開示義務の具体的な解釈は、近年の判例によってさらに明確化されています。この義務の適用範囲を厳格に解釈した事例として、フランス破毀院商事部2025年5月14日判決(判例番号:n° 23-17.948)が挙げられます。この事案は、ファストフード事業の譲渡において、譲受人が譲渡人に対し、揚げ物調理の可能性に関する情報開示義務違反があったと主張したものです。

しかし、破毀院は、情報開示義務は、契約内容や当事者の性質と「直接的かつ必要な関連性」(un lien direct et nécessaire)を持ち、かつ相手方の同意にとって「決定的に重要」な情報にのみ及ぶと判断し、譲受人の主張を退けました。

この判例は、情報開示義務の範囲が際限なく拡大するのを防ぎ、取引の安全性を確保しようとするフランス司法の姿勢を示すものです。法改正の起草段階では、義務の適用範囲をより広範にする案も検討されていましたが、最終的な条文は「知っている情報」に限定され、義務の適用要件が厳格化されました。今回の2025年判例は、この厳格化の意図を忠実に解釈し、義務の適用範囲を限定したということが言えるでしょう。これは、取引の予見可能性を犠牲にしてまで「弱者保護」を過度に追求することは、法制度の魅力を損なうという実務的配慮が働いていると捉えることができます。この判例動向は、日本企業がフランスでの契約交渉に臨む際、過度な情報開示責任を負うことへの懸念を和らげる重要な示唆を与えてくれます。 

義務違反の法的効果と日本法との比較

フランス法では、情報開示義務に違反した場合、義務を負っていた当事者が責任を問われるだけでなく、契約の取消し(annulation du contrat)につながる可能性があります。これは、日本法と比較した際の根本的な違いの一つです。 

日本法では、情報提供義務違反は、主に不法行為に基づく損害賠償(民法第709条)の問題として扱われることが多く、民法第95条の錯誤取消しが適用される場合もあります。しかし、日本の裁判例では、義務違反があった場合でも、必ずしも契約そのものを無効とするのではなく、賠償額を減額するといった柔軟な解決策が取られることも少なくありません。

これに対し、フランス法が契約の取消しという強力な手段を条文に明記していることは、契約成立過程における当事者の「同意の完全性」をより強く保護するという法的思想が背景にあるということが言えるでしょう。不完全な情報に基づいて行われた同意は、根本的な瑕疵を持つと見なされるため、契約そのものを遡及的に無効とする解決策が選択されます。この違いは、フランスでの契約締結におけるデューデリジェンスと、交渉段階での透明性が、日本で想定される以上に重大な意味を持つことを示しています。 

フランスにおける事前合意の法的位置づけ

フランスにおける事前合意の法的位置づけ

2016年改正では、本契約締結に先立って行われる「事前合意」(avant-contrat)についても明確な規定が設けられました。

優先権の合意(pacte de préférence)

民法典第1123条は、当事者の一方が、将来契約を締結する意思がある場合に、特定の相手方に対して優先的に交渉する権利を付与する合意を定義しています。この規定は、約束者がこの合意に違反して第三者と契約を締結した場合、受益者は損害賠償を請求できると定めています。さらに、第三者が優先権の合意の存在とその受益者の利用意思を知っていた場合、受益者はその第三者との契約を無効化し、自らが契約当事者の地位に就くことを裁判所に請求できます。

また、この条文は、第三者が優先権の合意の存在について受益者に書面で確認を求めることができる「照会行為」(action interrogatoire)の制度を導入しました。これにより、第三者は自らの取引の安全性を確保できます。 

片務的な約束(promesse unilatérale)

民法典第1124条は、当事者の一方が、他方がその意思表示をするだけで契約を成立させることができる「片務的な約束」について定めています。旧法下の判例では、約束者がオプション行使期間内に約束を撤回した場合、損害賠償責任は生じるものの、契約自体の成立は妨げられるとされていました。しかし、新法は、約束者がオプション行使期間中に約束を撤回した場合でも、契約の成立が妨げられないと規定しました。これは、日本の民法が定める片務予約の法理とは大きく異なる点であり、フランス法における契約拘束力の強さを示すものです。 

契約不履行に対する新たな救済手段

改正は、契約不履行が発生した場合の救済手段についても、実務に即した明確な規定を設けました。

履行拒絶の抗弁(exception d’inexécution)

民法典第1219条は、「相手方がその義務を履行しない、あるいは履行が不十分である場合、自らの義務の履行を拒否することができる」という履行拒絶の抗弁を明文で規定しました。この権利は、相手方の不履行が「十分に重大である」(suffisamment grave)場合にのみ行使できるとされています。これは、日本法における同時履行の抗弁権と類似していますが、フランス法では不履行の「重大性」が明確に要件として定められている点が特徴です。 

一方的な契約解除(résolution unilatérale)

旧法下では、契約不履行による解除は原則として裁判所の判断が必要でした。しかし、民法典第1224条は、契約不履行が「十分に重大である」(suffisamment grave)場合、債権者が自らのリスクで、裁判所の介入なしに契約を一方的に解除できることを明文で認めました。

この権利を行使する場合、原則として不履行債務者に対し、義務の履行を求める書面での通知(mise en demeure)を送る必要がありますが、緊急の場合や通知が意味をなさない場合には不要とされています。この規定は、日本の民法における契約の解除権(民法第541条)と同様に、裁判を経ずに契約関係から迅速に離脱することを可能にするものであり、ビジネスの実情に即した画期的な変更と言えるでしょう。 

その他の注目すべき改正点

予見不可能な状況変化と契約の再交渉(ハードシップ条項)

フランス契約法におけるもう一つの注目すべき規定が、民法典第1195条の「ハードシップ条項」(imprévision)です。これは、契約締結時に予見できなかった状況の変化により、一方の当事者の履行が著しく過重となった場合に、契約の再交渉を求める権利を認めるものです。この原則は、厳格な「契約遵守の原則」を掲げてきた伝統的なフランス法にとって画期的なものであり、日本法における「事情変更の原則」よりも適用範囲が広いという特徴があります。

附合契約における不当条項の排除

2016年改正は、当事者間の力関係の不均衡を是正する規定も導入しました。民法典第1171条は、「附合契約」(contrat d’adhésion)における不当条項(clause abusive)を排除するものです。附合契約とは、当事者の一方が事前に定めた、交渉不可能な条項の集合体で構成される契約を指します。

同条は、「交渉不可能な条項であって、事前に当事者の一方によって定められ、契約当事者間の権利義務に重大な不均衡を生じさせる条項」は、「書かれていないものとみなされる」(réputée non écrite)と定めています。これにより、当該条項は最初から契約に存在しなかったものとして扱われます。日本法では、消費者契約法で消費者保護のために同様の規定がありますが、フランス法では、この原則が専門家同士の取引を含む附合契約全般に適用される点が特徴です。ただし、この規定は、契約の主要な目的や価格と役務の釣り合いに関する条項には適用されないことが明記されています。

本質的な義務を空洞化する条項の無効化

民法典第1170条は、契約における「本質的な義務」(obligation essentielle)を空洞化する条項を無効とする規定です。この規定は、フランスの最高裁判所にあたる破毀院が1996年の「クロノポスト判例」で確立した法理を成文化したものです。

具体的には、宅配業者が「いかなる損害賠償責任も運賃に限定される」という条項を定めていた事案において、迅速な配達という契約の本質的な義務を空洞化する条項であるとして、破毀院は当該条項を無効と判断しました。この条項は、単なる責任限定条項にとどまらず、当事者間の契約関係の核心をなす義務そのものを事実上履行不能にするような条項を指します。この規定は、当事者の合意の自由を尊重しつつも、契約がその本来の目的を達成できるように、司法が介入する余地を明確に定めたものと言えるでしょう。 

まとめ

2016年の民法典改正は、フランスの契約法を現代のビジネス環境に適応させるための重要な一歩であり、取引の公正性と透明性を高めるパラダイムシフトであったということができます。特に、契約の交渉段階から適用される信義誠実の原則と、広範な情報開示義務の明文規定は、日本法とは異なるアプローチであり、フランスでのビジネス展開を検討する日本企業にとって、十分に理解しておくべき最重要ポイントです。

フランス法では、不誠実な交渉や情報開示義務違反が、単なる損害賠償に留まらず、契約そのものの無効や取消しにつながる可能性があり、これは取引の予見可能性に大きな影響を与えます。一方で、最新の判例は、情報開示義務の範囲を厳格に解釈し、取引の安全性を確保しようとする司法の姿勢も示しています。こうした法的環境の動向を正確に把握することが、フランスでのビジネスを成功させる鍵となります。

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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