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法律記事MONOLITH LAW MAGAZINE

IT・ベンチャーの企業法務

イタリアにおける日本資本による現地法人買収・M&Aの法律実務

イタリアにおける日本資本による現地法人買収・M&Aの法律実務

イタリアにおける企業買収の場面では、日本の商慣習や法制度とは異なる複雑な法的課題が伴います。特に、日本法における株式会社と合同会社に相当するイタリアの主要な会社形態の特性、デューデリジェンスの際に露見しがちな非公式な商慣習、そして近年その適用範囲が大幅に拡大している外国投資規制「ゴールデン・パワー」制度は、M&Aを成功させる上で理解が不可欠です。 

本記事では、イタリアでのM&Aを検討する日本企業向けに、事業分野を問わず適用される基本的な法制度と、特定の分野で問題となる特別な規制について解説します。

イタリアにおける買収の基本スキームと対象となる会社形態

イタリアの主要な会社形態

イタリアのM&A市場で対象となりうる主要な会社形態は、「Società per azioni(S.p.A.)」と「Società a responsabilità limitata(S.r.l.)」の二つに大別されます。

S.p.A.は日本の株式会社に相当する会社形態であり、大規模な事業や株式市場への上場を視野に入れる企業に適しています。最低資本金は5万ユーロと定められており、資本は「株式(shares)」に分割されます。一方、S.r.l.は日本の合同会社に似た性質を持ち、設立時の最低資本金はわずか1ユーロから可能であり、柔軟なガバナンス構造を持つことから、中小企業やスタートアップで広く採用されています。 

両者の最も重要な違いは、そのガバナンスと管理コストにあります。S.p.A.では、伝統的、二層式(dualistic)、一層式(monistic)のいずれかの厳格なガバナンス体制が義務付けられ、特定の条件下では監査役会(statutory auditors)の設置も必要となります。これは日本の会社法が定める機関設計と比較しても、より厳格な印象を受けます。これに対し、S.r.l.のガバナンスは非常に柔軟であり、取締役会ではなく単独の取締役を置くことが可能です。また、監査役会は特定の経済規模や従業員数を超える場合にのみ設置義務が生じるため、管理コストはS.r.l.の方が一般的に低いと言えます。

この柔軟性が、買収実務において特有の課題を生み出すことがあります。イタリアの中小企業、特にS.r.l.の多くは、革新的で高い収益性を有する一方で、コーポレートガバナンスの基準に完全に準拠していない場合があります。例えば、株主間の合意が文書化されていなかったり、非公式な意思決定が行われ議事録が作成されていなかったりといった事態が頻繁に見受けられます。これは、外国投資家がデューデリジェンスの際に、所有権の不完全な記録や帳簿に記載されていない債務といった予期せぬリスクを発見する可能性を高める要因となります。したがって、S.r.l.を対象とするM&Aでは、S.p.A.を対象とする場合以上に、イタリアの商慣習に精通した法務デューデリジェンスの専門家を起用し、潜在的な「レッドフラッグ」を特定することが不可欠です。 

株式取得と事業譲渡

イタリアにおけるM&A取引は、ほとんどの場合、株式取得(share deal)または事業譲渡(asset deal)のいずれかで行われます。合併(merger)は、法的・実務上の複雑さから、より頻度が低いとされています。 

株式取得の場合、買主は対象会社の株式を取得することにより、対象会社の資産、負債、およびすべての法的関係を間接的に承継します。このスキームは主に税務上の理由から好まれますが、デューデリジェンスで発見できなかった隠れた負債を含む、過去の経営に起因するすべてのリスクを負うことになります。 

一方、事業譲渡の場合、買主は事業運営のために組織化された特定の資産(不動産、機械、特許、従業員、契約など)を選択的に取得します。このスキームの最大の利点は、買主が引き継ぐ資産と負債を厳選できるため、リスクを限定できる点にあります。 

この二つのスキームは日本法にも存在しますが、イタリア民法には事業譲渡における債務や契約の承継に関して特有のルールが定められており、この点が日本法と大きく異なります。

まず、イタリア民法第2558条は、特段の合意がない限り、事業運営のために締結された非個人的性質の契約は、買主に自動的に承継されると規定しています。さらに、民法第2560条は、商業会社の場合、買主は強制的な会計帳簿に記載されている債務について、売主と共に連帯して責任を負うと定めています。これは、事業譲渡であっても、会計帳簿に記載された債務に対する連帯責任は避けられず、買主がリスクを完全に遮断できるわけではないことを示しています。また、民法第2112条は、事業譲渡の場合、従業員との雇用関係は買主に引き継がれ、売主と買主が譲渡時点での従業員の権利および請求について連帯して責任を負うことを定めています。 

これらの規定から、事業譲渡はリスクを限定できる一方で、デューデリジェンスの不十分さが潜在的な負債の承継につながる可能性があります。したがって、株式取得か事業譲渡かの選択は、単なるリスク許容度の問題ではなく、税務、そしてイタリア民法特有の承継ルールを総合的に考慮して判断する必要があると言えます。 

イタリアにおけるM&Aの法的要件と手続き

イタリアにおけるM&Aの法的要件と手続き

デューデリジェンスの目的と着眼点

どのような分野の企業を買収する場合でも、取引を成功させるためには、徹底したデューデリジェンスと、イタリア法特有の譲渡手続きを正確に理解し実行することが不可欠です。

イタリアにおけるM&Aでは、対象会社の法的・財務的健全性を調査し、リスクを事前に特定することがM&Aプロセス全体の基盤となります。特に法務デューデリジェンスは、単なる事実確認に留まらず、買収価格の減額交渉や、買主を保護するための特定の補償条項を設定する上でも重要な役割を果たします。 

法務デューデリジェンスの主な着眼点としては、以下のような事項が挙げられます。 

  • 会社の法的保有者や、株主・持分譲渡の有効性、そして隠れた株主間契約の有無を確認すること。
  • 主要な供給、流通、リース、ローン契約の有効性と譲渡可能性を分析すること。
  • 係争中の訴訟や潜在的な法的責任の有無を調査すること。
  • 事業に必要な許認可や、労働法・環境法といった分野のコンプライアンス状況を評価すること。

先に述べたように、イタリアの中小企業には、コーポレートガバナンスが非公式に行われているケースが多く見られます。例えば、議事録が適切に作成されていなかったり、資本の増減や譲渡が正しく登記されていなかったりすることがあります。こうした文化的な側面は、デューデリジェンスによって初めて明らかになることが多く、潜在的なリスクの特定と、それを適切に契約に反映させるために、イタリアの商慣習に精通した弁護士の知見が不可欠となります。 

持分・株式の譲渡手続きと公証人の役割

日本の株式会社では、原則として株式の譲渡は当事者間の合意のみで有効であり、株券不発行会社であれば株主名簿の名義書換請求によって第三者への対抗力が生じます。一方、イタリアでは、S.p.A.の株式、そしてS.r.l.の持分譲渡において、公証人(notary)が重要な役割を担う点が、日本法との顕著な違いです。

S.p.A.の株式譲渡では、株式が証券化されている場合、裏書(girata)によって譲渡が行われ、公証人の面前で売主が裏書し、会社が株主名簿に記載します。証券化されていない株式は、公証人による公正証書(notarial deed)を通じて譲渡が行われ、同様に株主名簿への記載が必要となります。 

S.r.l.の持分譲渡は、公証人による公正証書を通じて行うことが慣行的に必須とされており、その譲渡は、第三者に対抗するためには会社登記簿への登録が必須となります。この公証人の関与が必須となる慣行は、M&A手続きにおける日本法との最も顕著な違いの一つであり、買収完了までのプロセスを計画する際には、公証人のスケジュール確保を含めた綿密な調整が必要になります。 

特定の分野や条件で問題となるイタリアの規制

特定の事業分野や取引規模によっては、一般的な会社法に加え、競争法や外国投資規制が問題となります。特に、近年の地政学的な変化に伴い、これらの規制の適用範囲は大きく拡大しています。

外国投資規制(ゴールデン・パワー制度)

ゴールデン・パワー制度は、イタリア政府が、国防・国家安全保障および戦略的資産に関わるM&A取引に介入し、条件を課したり、取引を阻止したりする特別権限です。 

この制度は、もともと国防や国家安全保障、エネルギー、運輸、通信といった特定のインフラ分野に限定されていましたが、近年その適用範囲が大幅に拡大しています。具体的には、EU規則2019/452に沿って、ハイテク、フィンテック、インシュアテック、医療、農業・食品(agri-food)といった分野が追加されました。 

さらに重要なのは、この制度が非EU投資家だけでなく、EU域内投資家、そして国内投資家にも適用されるようになった点です。COVID-19パンデミックや地政学的な不安定化を契機に、この制度は単なる「外国投資審査ツール」から、自国の「戦略的資産に対する広範な戦略的監視メカニズム」へと進化していると言えます。 

ゴールデン・パワーの通知義務は、投資家の国籍や買収持分割合によって異なります。非EU投資家の場合、対象会社への議決権や資本持分が5%(上場企業の場合は3%)を超えた場合、またその後10%、15%、20%、25%、50%に達した場合に、政府への事前通知義務が発生します。EUや国内投資家の場合、通常は「支配権の取得」が要件となりますが、一部の戦略的分野では株式取得でも通知義務が発生することがあります。 

通知後、政府は通常45日以内に決定を下すことになっており、追加情報が必要な場合は延長されることもあります。政府は、取引を無条件で承認するか、特定の条件を課すか、あるいは拒否することができます。 

この制度の適用範囲の拡大は、国内の著名な判例によっても裏付けられています。その代表的な事例が、UniCredit vs. Banco BPM事件です。この案件は、イタリアの大手銀行UniCreditが同じく国内銀行であるBanco BPMに買収提案を行ったという、純粋な国内取引でした。しかし、イタリア政府は「国家安全保障上の懸念」を理由に介入し、特定の融資比率の維持など、複数の条件を課しました。この判断に対して裁判所は、経済安全保障が国家安全保障の範囲内にあることを認めつつも、一部の条件が過剰であると判断しました。 

この判例から、イタリア政府がゴールデン・パワー制度を「経済安全保障」を旗印に、自国の経済構造や産業政策に影響を与えるための手段として用いていることが言えるでしょう。したがって、日本企業は、対象会社が戦略的分野に指定されていなくても、経済全体への影響が大きいと判断される場合には、ゴールデン・パワー制度の適用を受ける可能性があることを理解しておく必要があります。 

競争法(M&Aの届出義務)

イタリア競争法(法律第287号/1990)に基づき、特定の売上高の閾値を超えるM&Aは、AGCM(Autorità Garante della Concorrenza e del Mercato、競争・市場保証庁)への事前届出が義務付けられています。 

AGCMに届出が必要となるM&Aの売上高閾値は毎年更新されますが、2025年3月18日時点で、以下の両方の条件を満たす場合に届出が必要となります。 

  • 関与するすべての企業体のイタリア国内での合計年間売上高が5億8,200万ユーロを超えること。
  • 関与する企業体のうち少なくとも2社が、それぞれイタリア国内での年間売上高が3,500万ユーロを超えること。

届出後、AGCMは合併が競争を実質的に阻害するかどうかを審査します。AGCMの審査プロセスはEUの合併規制と大きく整合しているため、欧州の競争法に馴染みのある読者には類似性を感じられるでしょう。AGCMは、迅速かつ確実な意思決定を支援するため、正式な届出前に当事者との間で予備的な協議を行う機会を提供しています。この予備協議を積極的に活用することは、潜在的な競争法上の問題を早期に特定し、取引の遅延や政府による介入のリスクを最小限に抑える上で実務的な利点があると言えます。 

まとめ

イタリアにおけるM&Aは、日本企業にとって大きなビジネス機会を秘めていますが、日本とは異なる独自の法的・文化的な課題が伴います。特に、中小企業に多いS.r.l.の非公式なガバナンスに起因するデューデリジェンス上のリスク、事業譲渡におけるイタリア民法特有の債務承継ルール、そして地政学的な動向を背景に適用範囲が拡大した「ゴールデン・パワー」制度は、M&A取引を検討する上で最も重要な留意点と言えます。これらの複雑な法務課題を乗り越えるためには、現地の法律や商慣習に精通した専門家による的確なサポートが不可欠です。

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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