米国NASDAQにおけるSECと裁判所の権限に関する2024年判決

米国の株式市場、特にNASDAQへの上場は、グローバルな事業展開を目指す日本企業にとって選択肢の一つになっていると言えます。しかし、NASDAQには、日本の法制度とは異なる複雑な規制と監督の仕組みが存在します。
2024年12月、米国の連邦裁判所は、米国証券取引委員会(SEC)の広範な権限に司法的な限界を課す判決を下しました。この判決は、NASDAQの「取締役会における多様性ルール」をSECが承認した行為を無効としたものであり、今後の米国における規制動向を理解する上での重要判決と言えます。
本記事では、米国市場におけるSECとNASDAQの関係性と、この重要判例の法的背景と詳細を解説します。
この記事の目次
米国における証券取引所とSECの規制構造
NASDAQに代表される「自主規制機関」の役割
米国では、NASDAQのような証券取引所は「自主規制機関」(Self-Regulatory Organization, SRO)と呼ばれ、1934年証券取引所法(Securities Exchange Act of 1934)に基づき、自ら上場基準や運営規則を定めています。この仕組みは、市場参加者が自らの手で市場の健全性を保つという考え方に基づいています。NASDAQの上場ルールは、Rule 5200 SeriesやRule 5600 Seriesなどで詳細に定められており、純資産や利益基準といった「定量的要件」と、コーポレートガバナンスや取締役会の構成に関する「定性的要件」の両方を含んでいます。
例えば、Rule 5605は、企業に独立取締役の設置を義務付けるとともに、特定の関係性を持つ者は独立とはみなされないことを明記しています。このように、表面上はNASDAQが自主的に規則を定めているように見えますが、その背後には政府機関であるSECによる厳格な監督が存在します。この二層構造は、市場の効率性を高めるための自律性を尊重しつつ、投資家保護という公益を損なわないよう政府が最終的な権限を持つという、米国の規制構造によるものです。
1934年証券取引所法に基づくSECの規則承認権限
NASDAQのようなSROが規則を変更する場合、連邦法である1934年証券取引所法第19条(b)に基づき、SECの承認を得なければなりません。このプロセスは、SROがSECにForm 19b-4を提出することで開始されます。この提出書類の中で、SROは新たな規則が公正な取引市場を維持し、投資家保護に資するものであることをSECに対して主張する必要があります。SECは規則案を審査するにあたり、パブリックコメント期間を設け、一般からの意見も募ることで、透明性を確保します。
1934年証券取引所法は、もともと1929年の世界恐慌の教訓から、「投機、相場操縦、詐欺的行為から投資家と米国経済を保護する」ことを目的として制定されました。SECは、この法律が「開示(disclosure)」を目的とする広範な法律であると解釈し、これに基づき、サイバーセキュリティ、エグゼクティブ・コンペンセーション、気候変動といった多岐にわたる分野での開示規則を承認してきました。しかし、この広範な解釈こそが、今回の訴訟の主要な論点となりました。裁判所は、法律の「テキストと歴史」を詳細に分析した上で、「開示のための開示」は法の目的ではないとし、開示規則も法の明示的な目的に紐づいていなければならないという、SECの権限に対する制限を行った事になります。
NASDAQの多様性ルールと第五巡回控訴裁判所の判断

議論の対象となったNASDAQの規則の概要
2021年8月6日、SECはNASDAQが提案した「取締役会における多様性ルール」(Rule 5605(f)およびRule 5606)を承認しました。このルールは、ほとんどのNASDAQ上場企業に対し、取締役会に少なくとも2名の「多様性ある取締役」を持つこと、またはその要件を満たさない理由を公に説明すること(「Comply or Explain」方式)を求めていました。
この規則は、上場企業の取締役会に少なくとも1名の女性取締役と、1名のアンダーリプリゼンティッド・マイノリティまたはLGBTQ+に該当する者を含めることを目標として設定していました。企業は、取締役の多様性に関する情報をBoard Diversity Matrixという特定の形式で毎年開示することが義務付けられていました。この規則は、投資家が取締役会の構成をより適切に評価するための情報を提供することを目的としていました。
Alliance for Fair Board Recruitment v. SEC事件の法的論点と判決
SECによる規則承認後、Alliance for Fair Board Recruitmentなどの団体が、この承認はSECの権限逸脱であり、1934年証券取引所法に違反しているとして、米国第5巡回控訴裁判所に訴訟を提起しました。2024年12月11日、裁判所は9対8の僅差の投票で、SECの承認は無効であると判断しました。
裁判所は、1934年証券取引所法の目的が「投機、相場操縦、詐欺的行為から投資家と米国経済を保護する」ことにあると述べ、SECがNASDAQの多様性ルールがこの明示的な目的に関連していることを示せなかったと結論付けました。この判断は、「開示」そのものが法の目的ではなく、あくまで「市場の公正性や投資家保護」という本来の目的を達成するための手段であるという、1934年証券取引所法の趣旨に立ち返ったものです。これは、SECがこれまで広範に解釈してきた「開示の目的」を厳格に制限する判断であると言えます。
「主要問題原則(Major Questions Doctrine)」の適用
本件判決において、裁判所は「主要問題原則」(Major Questions Doctrine)を適用しました。この原則は、行政機関が「経済的・政治的に重大な」決定を行う場合、議会がその権限を明確な法律条文で付与していなければ、その行政行為は無効であるとするものです。
裁判所は、NASDAQの多様性ルールが「世界の最大手企業の多くにおける内部構造を変革しようと試みるものであり、政治的に議論を呼ぶ問題」であるとして、この原則を適用しました。この判決は、米国における行政機関の規制権限が、常に裁判所の司法審査という制約を受けていることを改めて明確化するものです。それは、近年議論の的となっているESGやDEI(Diversity, Equity, and Inclusion)といった社会的・政治的なテーマに関しても、議会の明確な意思表示がない限り、SECのような政府機関が規則を課すことは困難であるという構造的な限界を設定するものでしょう。この判決は、SECが今後新たな規則を導入する際、その規則が証券取引所法の本来の目的とどのように結びついているかを、より説得的に説明しなければならないというハードルを設定するものと言えます。
本件判決による今後の影響
拡大するSECの規制に対する司法の監視強化
本件判決は、SECの権限に対する司法の監視が強化されたことを示すものです。この判決後、NASDAQの多様性ルールはもはや有効ではなくなりました。また、SECは、他の規則案(例:ESG、サイバーセキュリティ関連)の防御を停止したり、過去の規則案を正式に撤回したりしています。これは、行政の力が一時的に後退していることを示しており、SECの広範な規制アジェンダ全体に影響を与える構造的な変化であると言えます。
この結果、企業はESGなどの非財務情報開示について、法的な義務ではなく、投資家や市場の要請に基づいて自主的に判断・行動することが、今後ますます重要となるでしょう。今回の判決は、多様性開示の強制力を失わせましたが、主要な機関投資家や議決権行使助言会社は、依然として取締役会の多様性を重視し、議決権行使の判断基準としています。
日本の上場制度との比較からみる権限の異同
日本の制度は、米国と同様に自主規制機関(東京証券取引所)が上場審査を行う仕組みですが、米国のように政府機関の規則承認行為が司法審査の対象となる可能性は低いと言えます。東京証券取引所(東証)は、日本取引所自主規制法人に上場審査を委託しており、その基準は「有価証券上場規程」に定められています。
東証の上場基準には、「企業の継続性及び収益性」や「コーポレート・ガバナンス及び内部管理体制の有効性」に加え、「その他公益又は投資者保護の観点から東証が必要と認める事項」という包括的な条項が存在します。しかし、日本の裁判所が証券取引所の規則自体を司法審査した例はほとんどなく、過去の裁判は主に、虚偽記載による上場廃止が引き起こした損害賠償責任を巡るものでした。また、行政処分に対する不服申立ては、行政不服審査法に基づき、行政庁自身や行政不服審査会によって審査されることが原則です。
この日米の最も重要な違いは、行政行為に対する司法審査の文化と構造にあります。米国では、行政機関の行為(本件ではSECの規則承認)は、常に裁判所による合法性審査の対象となります。一方、日本では、行政庁の裁量に対する司法の介入は一般的に限定的であり、不服がある場合はまず行政内部での審査を求める仕組みが中心です。
アメリカ(NASDAQ/SEC) | 日本(東証/金融庁) | |
---|---|---|
上場審査機関 | NASDAQ(自主規制機関) | 東京証券取引所(自主規制機関)(実際の審査は日本取引所自主規制法人) |
監督機関 | SEC(連邦政府機関) | 金融庁(政府機関) |
規則変更のプロセス | SROが案を提出し、SECが承認 | 東証が規則を定め、金融庁が監督 |
裁判所の介入 | 行政機関の行為に対する司法審査が広く認められる | 行政不服審査や個別事案における損害賠償訴訟が中心 |
根拠法令 | 1934年証券取引所法 | 金融商品取引法、有価証券上場規程 |
日本人経営者や法務部員が考慮すべき実務的ポイント

Alliance for Fair Board Recruitment v. SECの判決は、NASDAQ上場を目指す日本企業にとって、多様性に関する開示義務がなくなったことを意味します。しかし、これは多様性に関する対応が不要になったということではありません。多くの機関投資家や議決権行使助言会社(例えば、Glass LewisやBlackRockなど)は、依然として取締役会の多様性を投資や議決権行使の判断基準としています。
この判決により、多様性開示は「法律上の強制力を持つ義務」から「市場からの強い要請」へとその性質が変化しました。したがって、単に法規制を遵守するだけでなく、自社のガバナンス体制や開示方針が、投資家からの期待に応えうるものになっているかを能動的に検討する重要性が高まります。
まとめ:NASDAQ上場規制については弁護士に相談を
2024年12月11日の米国第5巡回控訴裁判所の判決は、米国市場における「開示」の目的と、SECの規制権限の境界線について再考を促す画期的な事例です。この判決から言えることは、SECの広範な権限は引き続き維持されるものの、特に政治的・経済的に重大なテーマに関しては、今後はより厳格な法的根拠が求められる時代に入ったということです。
日本企業にとって、この判決は、米国法特有の「司法審査」の仕組みを理解する上で極めて重要な教材となります。米国上場を目指す企業は、定量的要件だけでなく、SECや裁判所の動向、そして市場の非公式な要請を複合的に考慮した、多角的な法務戦略を構築する必要があります。
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カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務