スペインの会社法が定めるコーポレートガバナンスの詳細解説

スペイン(正式名称、スペイン王国)において会社(Sociedad)を設立し、経営を監督する際には、主要な根拠法である「資本会社法」(Ley de Sociedades de Capital、以下LSC)の理解が不可欠です。LSCは、2010年7月2日付勅令第1号により承認された統合テキストであり 、株式会社(SA)と有限責任会社(SL)を含む全ての資本会社のコーポレートガバナンス(CG)の枠組みを規定しています。特に2014年の主要な法改正(Ley 31/2014)を経て、LSCは取締役の義務、責任、報酬に関する透明性を大きく高めました。これは、国際的なCGトレンドに沿ったものであり、同時に取締役に対する法的要件を厳格化するものでした。
LSCに基づくスペインのCG制度は、取締役の忠実義務と注意義務に高い基準を課し、少数株主の保護を非常に重視している点に特徴があります。日本の会社法(特に非公開会社)と比較した場合、スペイン法は、取締役の責任範囲、報酬決定の合理性、そして資本政策における株主権利の明確化において、より詳細かつ厳格なルールを法典内に定めています。スペインでの事業展開を検討する企業にとって、これらの厳格な法的要件、特に日本の法体系と異なる特異な制度は、法的リスク管理の観点から深く理解しておくべき重要事項となります。
本記事では、スペインの資本会社法(LSC)におけるコーポレートガバナンス制度を、日本の会社法との比較を通じて掘り下げ、特に取締役の責任構造、報酬決定の合理性、ビジネス判断の原則の適用、そして少数株主保護に関する特異な制度について、詳細に解説します。
LSCの公式統合版は、スペイン国家官報(BOE)のウェブサイトで確認することができます。
この記事の目次
スペインにおける取締役の選任形態と責任の構造
法人取締役の許容と自然人代表者の連帯責任
スペインのLSCでは、定款に別段の定めがない限り、株主であるか否かにかかわらず、取締役として任命することができます。最も注目すべき点は、日本の会社法と異なり、法人(Persona Jurídica)を会社の取締役として任命することが可能であることです。
しかしながら、LSCはこの柔軟な制度に対し、責任の所在を明確にする厳格な要件を設定しています。法人が取締役として任命された場合、その法人取締役は、取締役としての職務を恒久的に遂行するために、一人の自然人を指名しなければなりません。この指名された自然人代表者は、取締役として法定の要件を満たす必要があり、その職務を遂行する上で、取締役と同等の義務と責任を負うことになります。
LSC 第236条第5項は、この自然人代表者が「法人取締役と連帯して」(responderá solidariamente con la persona jurídica administrador)責任を負うことを明確に規定しています。
この規定は、グループ会社間のガバナンスにおいて、日本の親会社がスペイン子会社の取締役を法人として指名した場合でも、実際に経営に携わる自然人(例えば、現地に派遣された日本人駐在員)が、法人である親会社と並んで、自らの行為について個人責任を負うことを意味します。この連帯責任の明確化は、法人取締役制度が責任回避の手段として利用されることを防ぐ、LSCの強い意図を示すものです。したがって、スペイン子会社に自然人代表者を置く際には、その代表者がスペイン法上の取締役義務を厳格に負うことを認識しておく必要があります。
取締役の任期に関する規定(原則4年間)
取締役の任期は、原則として4年間に短縮され、再任も可能です。LSC 第221条が任期について規定していますが 、任期満了後の取り扱いについて、日本の制度とは異なる厳格なルールが適用されます。
日本の会社法では、取締役の任期が満了しても、後任者が選任されるまでの間は、権利義務を継続して有する(権利義務取締役)のが一般的です。これに対し、スペインLSCの規定では、任期が満了した場合、その後に前年度の計算書類の承認を目的として開催される株主総会、またはその総会開催期限が経過した時点で、取締役の任命は失効(Caducidad)するとされています。
この「失効」の規定は、総会の運営を怠った取締役に対する一種のペナルティとして機能します。取締役会が法定の期限内に株主総会を開催し、前年度の会計承認を適切に行う義務を怠る場合、取締役の地位が自動的に失効し、会社の経営管理に混乱が生じる可能性があります。これは、取締役が任期管理と、定期的な株主総会招集義務を、日本の実務よりも遥かに厳密に遵守しなければならないことを示唆しています。
スペインLSCに規定されている取締役の報酬決定における透明性要件

スペインLSCは、取締役の報酬決定に関する透明性を高め、株主の関与を強化するために、厳格な枠組みを設けています。
まず、LSC 第217条に基づき、取締役の報酬システムは、その種類や金額に関わらず、必ず会社の定款(Estatutos Sociales)に規定されていなければなりません。定款に報酬規定がない場合、いかなる報酬も支払うことができないのが原則です。
さらに、報酬体系には実体的な要件が課されています。LSC 第217条第4項は、取締役の報酬が、会社の状況や、同業他社の市場標準を考慮して合理的(razonable)でなければならないと明確に要求しています。報酬制度の設計においては、会社の長期的な収益性および持続可能性を促進するよう指向されるべきであり、過度なリスクの引き受けを誘発したり、不利な結果に対して報酬を与えることを避けるための予防策が組み込まれていなければなりません。
また、株主総会は、定款で定められたシステムに沿った報酬の最大総額を承認しなければなりません。上場会社(Sociedades Anónimas Cotizadas)の場合、この統制はさらに強化され、株主総会は、取締役の報酬政策を少なくとも3年間の期間で承認する義務があります。
日本の会社法においては、取締役報酬の決定は多くの場合、株主総会または取締役会の裁量に委ねられ、報酬額の「合理性」そのものが法的に厳しく審査されることは稀です。しかし、スペイン法では、この「合理性」が明確な法定要件となっています。裁判所は、株主総会による報酬決定の自由を尊重しつつも、報酬が「最小限の合理性」を欠いている場合や、「著しく不均衡」であると判断される場合には、その適法性を審査する立場にあります。このため、スペイン子会社の経営陣は、報酬の決定とその文書化において、長期的な企業価値との整合性、および市場標準との適合性を緻密に証明する必要があります。
スペインLSCに規定されている取締役の忠実義務、注意義務及び「ビジネス判断の原則」
スペインLSCは、取締役に対する注意義務(Deber de diligencia)と忠実義務(Deber de lealtad)を極めて重視しており、これらの義務の遂行は取締役責任を判断する上での核心となります。
忠実義務と注意義務
忠実義務は、LSC 第227条に規定されており、取締役は「忠実な代表者としての誠実さ」をもって職務を遂行し、常に会社の最善の利益のために行動しなければなりません。この義務には、会社の情報と事項を秘密に保持すること、そして何よりも利益相反の状況を避ける義務が含まれます。
一方、注意義務は、取締役が会社の業務を適切に管理・監督するために、会社から必要な情報を要求し、それを収集する権利と義務を有することを意味します。取締役は、誠実さ、十分な情報収集、および適切な意思決定プロセスに基づいて行動することが求められます。
ビジネス判断の原則(BJR)の成文化と適用要件
スペインLSCは、取締役が負う高水準の注意義務を前提としつつ、健全な経営判断を保護するために、「ビジネス判断の原則」(Business Judgement Rule, BJR)を「企業裁量の保護」(regla de la discrecionalidad empresarial)として法典化しています。これはLSC 第226条に明記されています。
この原則に基づけば、取締役がリスクを伴う経営判断を下した場合でも、一定の要件を満たしていれば、その決定のメリットやデメリットについて裁判所が遡及的に審査することを避けることができます。しかし、スペインLSCが定めるBJRの適用要件は、日本の裁判実務におけるBJRの解釈と比較して、非常に厳格なものとなっています。
LSC 第226条に基づき、取締役がBJRの保護を受けるためには、以下の四つの要件をすべて満たさなければなりません。
- 善意に基づき、下された決定が合理的であり、会社の最善の利益であると誠実に信じて行動したこと。
- 当該事項について利益相反がないこと。
- 十分な情報を基に行動したこと。
- 適用される内部規制および法令に従い、適切な意思決定プロセスを経たこと。
この要件の中で、特に留意すべきは、第2項の「利益相反がないこと」という点です。取締役が、その決定事項に関して直接的または間接的に個人的な利害関係を有している場合、その経営判断はBJRによる保護を直ちに失います。日本の会社法では、取締役が会社との間で取引を行う際には、取締役会(または株主総会)の承認を得る手続き(利益相反取引規制)が必要となりますが、承認を経ていれば、BJRの適用そのものが直ちに否定されるわけではありません。
しかし、スペインLSCの規定は、利益相反状況では、当該取締役は投票を棄権しなければならないという、より厳しい基準を要求しています。この利益相反の不在という実体的な要件は、グループ会社間の取引や、取締役の個人的な地位が絡む取引において、日本の実務よりも高い注意と手続きの透明性が求められることを意味します。
比較のために、スペインLSCにおけるBJRの適用要件と、日本における一般的な解釈との差異を以下に示します。
スペイン資本会社法(LSC 第226条) | 日本の会社法における一般的な解釈 | |
---|---|---|
誠実性(善意) | 必須:善意で、合理的かつ会社の最善の利益を信じて行動すること。 | 必須:職務を誠実に、会社のために行動すること(善管注意義務の根幹)。 |
利益相反の不在 | 必須:当該事項について利益相反がないこと。 | 取引等の承認手続きが要求されるが、利益相反の存在そのものがBJRの適用を直ちに否定するわけではない。 |
情報収集の基礎 | 必須:十分な情報を基に行動すること。 | 必須:意思決定に必要な情報の収集と検討。 |
適切な意思決定プロセス | 必須:適切な意思決定プロセスと内部規制に従うこと。 | 必須:判断過程の合理性(判断内容そのものの合理性ではない)。 |
忠実義務違反の法的結果と裁判例
忠実義務の遂行は、取締役の最も重要な義務の一つであり、LSC 第229条は、競合の禁止など、利益相反を避けるための具体的な義務を定めています。
忠実義務に違反する行為、特に利益相反を回避しなかった場合、その行為や関連する会社決定は無効となる可能性があり 、取締役は会社や株主に対して損害賠償責任を負います。
スペイン最高裁判所(Tribunal Supremo)は、取締役の忠実義務違反に対して厳格な判断を下しています。例えば、少数株主の代表として取締役に選任された者が、会社の競合他社の資本に関与し、当該競合会社が取締役会で議論されている情報を利用した疑いがある場合など、利益相反が認められる事案では、その行為はLSC 第229条に違反するとして、当該取締役を解任する正当な理由となると判断されました。
取締役の忠実義務違反に関する訴訟の例として、スペイン最高裁判所は、2020年11月17日付判決(手続き番号 5135/2017)において、LSC 第229条第1項に規定される利益相反回避義務の解釈と適用について詳細な議論を行っています。これらの裁判例は、取締役会がグループ内取引や競合に関する決定を行う際、忠実義務違反のリスクを回避するため、取締役の利害関係について厳格な検討と、必要に応じた投票棄権を徹底する必要があることを示しています。
スペインLSCに規定されている株主の権利
株主は、利益分配、清算資産への参加、総会への出席・議決権行使、決議の異議申し立て、会社情報へのアクセスなど、基本的な権利を有しています。特にLSCは、資本政策に関連する少数株主の権利保護について、日本の法制度よりも強力なメカニズムを設けています。
優先引受権の確保と排除の厳格な「社会の利益」要件
株主は、現金拠出を伴う新株発行または転換社債の引受を行う際、自らが保有する株式の額面に比例した数の新株を優先的に引き受ける権利(優先引受権)を有します(LSC 第296条)。これは株主の持分希釈化を防ぐための重要な権利です。
LSC 第308条は、この優先引受権を制限または排除する手続きを規定していますが、その要件は厳格です。この権利を排除するためには、株主総会が、それが「社会の利益(el interés social)に必要である」ことを証明しなければなりません。
権利の排除を決議する場合、取締役会は、なぜこの排除が会社の利益に不可欠なのかを詳細に正当化する報告書を作成し、同時に、発行される新株の公正価値算定に関する専門家の報告書を株主総会に提出することが義務付けられています。
日本の会社法でも、募集事項の決定には株主総会の特別決議が必要ですが、スペインLSCのように、実体的な「社会の利益」の要件と、公正価値算定報告書の義務付けを課している点は、資本政策の実行に際しての法的ハードルを大幅に高めています。特に、債権を株式に転換する増資(Debt-to-equity swap)のように、現金の拠出を伴わない増資の場合、公正価値の算定と報告書の作成が欠かせず、この手続きを遵守しない増資決議は、少数株主からの訴訟により無効とされる高いリスクを伴います。
配当不分配時の少数株主の離脱権(Art. 348 bis LSC)
スペインLSCにおける少数株主保護の最も強力な規定の一つが、LSC 第348条の2(Art. 348 bis)に定める離脱権(Derecho de Separación)です。
この規定は、株主総会が、直近の会計年度で得られた利益の3分の1未満の金額しか配当しないと決議し、その決議に対して当該株主が反対票を投じた場合、その株主は会社に対して株式の買取を請求し、会社から離脱できる権利を認めています。この規定は、2017年1月1日以降、再び適用されています。
これは、配当政策を基本的に経営判断の範疇と捉える日本の会社法とは、根本的に異なる点です。LSC 第348条の2は、多数派株主が利益を不当に内部留保し、少数株主の投資収益(経済的利益)を阻害することを防ぐための、非常に強力な防御策です。
したがって、スペイン子会社において、親会社が利益を再投資目的で留保する戦略をとる場合、少数株主からこの離脱権を行使されるリスクを考慮しなければなりません。離脱権が実行された場合、会社は少数株主の持分を公正な価格で買い取らなければならず、これは予期せぬ大きなキャッシュアウトという財務リスクに直結します。配当政策の決定は、単なる資金繰りの判断ではなく、少数株主の権利行使による法的義務を伴うため、慎重な検討が求められます。
まとめ
スペイン会社法が定めるコーポレートガバナンスは、LSCという単一の統合法典に基づき、取締役の責任と株主の権利の透明性を重視する厳格な制度であることが確認されました。特に、スペインでの事業展開を検討する上で日本の実務と大きく異なる4つの制度的特徴があります。
第一に、法人を取締役とする制度が存在するものの、実際に職務を遂行する自然人代表者は、法人取締役と連帯して個人責任を負うという規定です(LSC 第236.5条)。第二に、「ビジネス判断の原則」が法典化されているにもかかわらず、その適用を受けるための必須要件として、意思決定時における利益相反の完全な不在が求められる点です(LSC 第226条)。第三に、取締役の報酬は、単なる手続き上の承認だけでなく、長期的な企業価値との整合性や市場標準との比較に基づいた実体的な合理性が法的に要求される点です(LSC 第217.4条)。そして第四に、資本増加時における少数株主の優先引受権の保護、および配当不分配時に少数株主が離脱権を行使できる強力なメカニズム(LSC 第348条の2)が存在する点です。
これらの法的フレームワークは、日本の経営者や法務部員にとって、予期せぬ法的・財務的リスクをもたらす可能性があります。特に、取締役責任の所在、利益相反の回避義務の徹底、そして資本政策決定における少数株主への対応については、スペイン法の厳格な要件に合わせたガバナンス体制の構築が不可欠となります。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務