ドイツの契約法における損害賠償と一般取引条件による責任制限の原則

日本企業がドイツ市場へ進出し、現地のサプライヤーや顧客と契約を締結する際、最も注意を要する分野の一つが損害賠償責任の範囲と、それを制限するための条項の有効性です。特に、国際取引で慣用される「間接損害」(Indirect Loss)の排除や、責任の上限設定に関するドイツ法の厳格な判断基準を理解せずに契約を締結すると、予期せぬ巨額の賠償リスクを負うことになります。
ドイツの損害賠償法は、その根幹をドイツ民法典(Bürgerliches Gesetzbuch, BGB)第249条以下に置き、「原状回復の原則」(Naturalrestitution)を基本理念としています。この原則は、契約違反がなかったならば被害者が享受していたであろう状態、すなわち完全な財産状態を回復させることを目的としており、逸失利益(Entgangener Gewinn, BGB第252条)もこの賠償範囲に当然に含まれます。
日本の民法が損害を「通常損害」と「特別損害」に二分するのに対し、ドイツ法は統一的な損害概念の下で完全賠償を目指すため、国際契約で頻繁に使用される「間接損害」といった概念はドイツ法典には存在しません。この構造的な違いから、ドイツの裁判所は、一般取引条件(Allgemeine Geschäftsbedingungen, AGB)に含まれる包括的な責任排除条項を、不明確または不当であるとして無効化する傾向が非常に強いのです。さらに、契約の根幹に関わる「中核的義務」(Kardinalpflicht)の違反に対しては、単純な過失であっても責任を完全に排除することが許されず、予見可能な典型的な損害額までしか制限できません。
本稿では、ドイツ法の損害賠償原則の構造を深く掘り下げ、日本企業が責任制限条項を起草する際に不可避的に直面する法的リスクと、その回避策について具体的な法令および判例に基づき詳細に解説します。
この記事の目次
ドイツ契約法における損害賠償の基本理念
原状回復の原則(Naturalrestitution)
ドイツ契約法における損害賠償の出発点は、コモンロー法域とは異なり、BGB第249条第1項に定められた「原状回復の原則」(Naturalrestitution)にあります。この規定は、「損害賠償の責任を負う者は、その原因となった事情が存在しなかったならば存在したであろう状態を回復させなければならない」と定めています。
この原則は、被害者の財産状況を、損害を生じさせた事象がなかった場合の仮説的な状況(hypothetical asset situation)と比較し、その差額を埋めることを目指すものです。ドイツの法学で確立されたこの考え方は「差額説」(Differenztheorie)と呼ばれ、損害の概念を統一的に捉え、被害者が被ったすべての損失を完全に補償するという「完全賠償の原則」(principle of complete reparation)を支えています。金銭による賠償は、この原状回復が不可能である場合や、そのために不十分な場合にのみ二次的な手段として適用されます。
また、ドイツ法における損害賠償の目的は、あくまでも発生した損害の「填補」(補償)にあり、違反者に対する「懲罰」を目的とするものではありません。このため、英米法で一般的に認められる懲罰的損害賠償(Punitive Damages)は、ドイツ法の下では原則として認められない構造となっています。
逸失利益(Entgangener Gewinn)の補償
「完全賠償の原則」が適用される結果、逸失利益はドイツ法において損害賠償の当然の範囲に含まれます。BGB第252条は、逸失利益(Entgangener Gewinn)は、賠償されるべき損害に含まれるものと明確に規定しています。
逸失利益とは、契約が適切に履行されていたならば得られたであろう純利益(ネットの収益であり、売上や総収入ではない)を指します。請求を行うためには、その利益損失が被告の違反行為によって引き起こされたこと、そして合理的な確実性をもって見積もりが可能であることが必要です。
この逸失利益は、契約が履行されていれば当然に実現されていたはずの財産状況(BGB第249条の「原状」)を構成するため、ドイツ法の原則から見れば「間接的な」損害ではなく、契約違反から直接的かつ不可欠に生じる損害要素として位置づけられます。この根本的な理解が、後述する国際契約上の責任制限条項の有効性を判断する上で極めて重要になります。
損害の範囲に関するドイツ法と日本法の比較
ドイツの法制度、特に契約法や損害賠償の理論は、明治時代に日本の民法典の制定に強い影響を与えましたが、損害賠償の範囲を規定する条文の構造には、現在でも重要な違いが存在します。
日本民法第416条の構造と歴史的背景
日本の民法第416条は、損害を「通常生ずべき損害」(一般損害)と「特別の事情によって生じた損害」(特別損害)に二分する構造を採用しています。特別損害については、債務者がその事情を予見し、または予見することができたときに限り、賠償責任を負うという制限を課しています。
この日本法の構造は、英米法の有名な判例であるハドリー対バクセンデール事件(Hadley v. Baxendale, 1854年)の影響を受け、損害賠償の範囲を制限的に捉えるという原則を採用した歴史的経緯があります。この二分法に基づき、逸失利益は、通常は特別損害として扱われることが多く、賠償を受けるためには、債務者が契約締結時にその発生を予見できたことが立証されなければならない傾向があります。
ドイツ法における統一的な損害概念
一方、ドイツ法(BGB第249条)は、日本法のような「通常損害」と「特別損害」という二分法を公式には採用していません。損害はすべて「差額説」に基づき統一的に扱われます。
損害賠償の範囲の調整は、主に「相当因果関係」(Adäquanztheorie)によって行われます。これは、ある違反行為から客観的に見て、その結果としての損害が発生することが通常予見可能であったかという基準を用いて、遠隔すぎる損害の賠償を制限するものです。この基準は、日本における特別損害の「予見可能性」要件と類似している部分もありますが、ドイツ法では逸失利益(BGB第252条)がこの統一的な損害概念の不可欠な要素として組み込まれているため、その取り扱いの厳しさが異なります。
ドイツ法の下では、逸失利益は「間接的な損失」として切り離されるのではなく、契約が履行されていれば当然得られたはずの「直接的」な利益回復の一部と見なされます。このため、包括的に逸失利益を排除しようとする契約条項は、法定の完全賠償原則を不当に侵害するものとして、無効と判断される可能性が高くなるのです。
ドイツの一般取引条件(AGB)における責任制限条項の危険性
ドイツ法において、一般取引条件(AGB)は、B2B取引においてさえも、BGB第305条以下に定める厳格な内容審査を受けます。これは、AGBが個別の交渉を経ずに一方的に提供される標準約款であるため、契約相手方を不当に不利にしないよう、法的保護が強く働くためです。
「間接損害」および「結果的損害」排除条項の危険性
国際的な契約実務では、「間接損害」(Indirect Loss)や「結果的損害」(Consequential Loss)の責任を包括的に排除する条項が一般的に使用されます。しかし、ドイツ法の下でこのような条項をAGBに含めることは、極めて高い無効化リスクを伴います。
ドイツ民法典は、これらのコモンローに由来する用語を公式に定義も使用もしていません。このため、企業が「間接損害、逸失利益、または事業中断損失を全て排除する」といった包括的な責任制限をAGBに設けた場合、裁判所は、これらの用語がドイツ法下で不明確であるとして、BGB第307条第1項の「透明性原則」(Transparenzgebot)に違反すると判断する可能性が高いです。裁判所は、平均的な契約当事者にとって、これらの用語が具体的にどの損害範囲を意味するのか理解できない場合、AGBが不透明であると見なします。
条項が無効化された場合、ドイツの契約法には「有効性を維持するための縮小解釈」(geltungserhaltende Reduktion)という概念が存在しないため、当該制限条項全体が無効となります。その結果、AGBの提供者は、本来排除したかったはずの逸失利益を含む全損害について、意図しなかった無制限の法定責任を負わなければならないという重大なリスクに直面します。
具体的損失項目の列挙による対応
法的確実性を高めるためには、抽象的な包括的用語を避け、制限したい損害の類型を具体的かつ明示的に列挙するアプローチが必須となります。
具体的には、「逸失利益」(entgangener Gewinn)、「事業中断コスト」(business interruption costs)、「生産の損失」(loss of production)、「のれんの損失」(loss of goodwill)など、除外したい具体的な損失項目を個別に特定して排除する記述方法を採用すべきです。
ただし、この個別列挙による排除も万能ではありません。列挙された損害が、後述する中核的義務の違反によって生じた場合や、契約の性質に鑑みて予見可能かつ典型的な損害である場合には、その排除自体がBGB第307条に違反し、無効となる可能性があります。
ドイツにおける中核的義務(Kardinalpflicht)の保護

ドイツのAGB規制において、責任を制限する上で最も厳しい制約となるのが、契約の根幹をなす「中核的義務」(Kardinalpflicht)の概念です。
中核的義務の定義と法的意義
中核的義務とは、契約を適切に履行し、その契約目的の達成に不可欠な、基本的な義務を指します。この義務の違反は、契約関係の基盤を揺るがす行為と見なされます。
中核的義務の具体的な例としては、売買契約における合意された期日までの納入、欠陥のない商品の提供、または購入者に対する商品の適切な使用・保守に関する情報提供義務などが挙げられます。これらの義務が守られることを当事者は当然に期待して契約を締結するため、AGBによってその責任を不当に制限することは許されません。
単純な過失(Einfache Fahrlässigkeit)による違反への制限
ドイツ法では、故意(Vorsatz)または重過失(grobe Fahrlässigkeit)による損害については、AGBによる責任の排除や制限は一切認められていません。さらに、中核的義務の違反が発生した場合、たとえそれが単純な過失(einfache Fahrlässigkeit)によるものであったとしても、AGBによって責任を完全に排除することはできません。
この場合、許容される責任制限は、当該契約の種類に鑑みて「予見可能で典型的な損害」(typisch vorhersehbare Schäden)の補償額に限定されます。この「典型的な損害」の概念は、サプライヤーが契約価値を遥かに超える顧客の逸失利益や事業中断コストを賠償するリスクにつながります。例えば、製造ラインへの部品納入契約で違反が生じた場合、その部品代を超えて、顧客の生産停止による利益損失が典型的な損害と見なされる可能性があるためです。
この概念を契約締結前に徹底的に分析し、予見されるリスクと責任制限額が適切に対応しているかを検証することが、リスクマネジメント上極めて重要になります。
中核的義務という用語の使用そのもののリスク
AGBを起草する際、この中核的義務(Kardinalpflicht)の概念を安易に使用すると、透明性原則に違反してAGB全体が無効となる「透明性の罠」に陥るリスクがあります。
オーバーラントゲリヒト・ツェレ(Oberlandesgericht Celle)の判決(Urteil vom 5. März 2025、事件番号:7 U 134/23)では、AGBにおいて「[Xは]…重要な契約上の義務(wesentliche Vertragspflicht, Kardinalpflicht)の過失による違反の場合にのみ責任を負う」と定めた条項が問題となりました。
裁判所は、この条項がBGB第307条第1項の透明性原則に違反し、無効であると判断しました。その理由として、裁判所は、法学上の専門用語である「重要な契約上の義務」や「中核的義務」という用語は、平均的な契約当事者にとって不明確であり、どのような場合に責任が限定されるのかが不透明になると指摘しました。これは、AGBの起草者が意図的に制限範囲を明確にしようとしたにもかかわらず、その用語自体が一般性・明瞭性を欠くために、かえって法的確実性を失うという、ドイツAGB法特有の厳しさを示す事例です。
ドイツにおけるリスク回避のための契約ドラフティング戦略
ドイツ法下で責任制限の有効性を確保するためには、AGBの厳格な審査基準を回避し、法的確実性を高める戦略的なアプローチが求められます。
個別合意(Individualvereinbarung)によるAGB規制の回避
BGB第305条以下に規定されるAGB規制の厳格な審査は、当事者間で具体的に交渉され、個別に合意された条項、すなわち個別合意(Individualvereinbarung)には適用されません。個別合意の下では、責任制限に関する契約の自由度が格段に向上します。
したがって、特に大規模なプロジェクトや高額な取引においては、責任制限条項を標準的なAGBとしてではなく、個別合意として成立させるよう努めることが最善の戦略となります。その際、条項がAGBであると見なされるリスクを排除するため、顧客との間で真摯な交渉が行われたこと、顧客に提案の機会を与えたこと、そして交渉内容や経緯(メール、議論の記録、契約ドラフトの変更履歴など)を詳細に文書化し、保管することが極めて重要となります。
制限条項の具体的な記述と法的確実性の確保
AGBを使用せざるを得ない場合でも、以下の点に注意し、無効化リスクを最小限に抑える必要があります。
- 排除する損害の具体的列挙:「間接損害」や「結果的損害」といった曖昧な包括的用語の使用は避け、具体的に排除したい損失類型(逸失利益、生産損失、のれんの損失など)を個別に明記します。
- 中核的義務の考慮:単純な過失による中核的義務違反の場合の責任制限は、契約の種類に鑑みて予見可能な典型的な損害の範囲を超えて排除できないことを念頭に置いた上で、責任上限額を設定する必要があります。
- 責任上限の合理性:設定する責任上限額は、契約価格との関係だけでなく、典型的な損害発生時の賠償額をカバーするのに十分合理的な金額であるかという観点から、裁判所によって審査されることを理解しておく必要があります。
比較法の視点から見た日独の責任制限の構造的差異
本テーマは、歴史的にドイツ法の強い影響を受けながらも、損害賠償の構造が異なる日本法とドイツ法との間の潜在的なリスクを明確に示しています。
日本法(民法第416条) | ||
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損害賠償の構造 | 統一的な「差額説」に基づく原状回復原則(完全賠償)。 | 通常損害と特別損害の二分法(英米法の影響)。 |
逸失利益の位置づけ | BGB § 252により、原則として「直接損害」の構成要素として賠償範囲に含まれる。 | 特別損害として扱われることが多く、明確な予見可能性要件が適用される。 |
「間接損害」排除条項 | 法的定義がなく、AGBで包括的に排除すると透明性原則違反(BGB § 307)として無効化されやすい。 | 「特別損害」の排除または制限として解釈され、予見可能性の範囲内で有効性が判断される傾向がある。 |
AGB規制の厳しさ (B2B) | 極めて厳格。中核的義務違反に対する単純な過失の責任も完全に排除不可。無効化されると無制限責任に逆転する。 | AGB規制はあるが、ドイツ法に比べるとB2B取引における制限の厳格性は低い。 |
まとめ
ドイツの契約法における損害賠償原則は、「原状回復の原則」と「完全賠償」の理念に深く根差しており、逸失利益はその不可欠な要素です。この原則体系の下では、国際契約で慣用される「間接損害」といった不明確な概念をAGBに用いて包括的に責任を制限することは、透明性原則(Transparenzgebot)違反により、条項全体が無効化されるという極めて高いリスクを伴います。
また、契約の核心をなす中核的義務(Kardinalpflicht)の保護は厳格であり、AGBでは、単純な過失による違反であっても責任を完全に排除できず、予見可能で典型的な損害に限定した賠償責任を負うことになります。日本企業がドイツでの事業展開や国際取引を行うにあたっては、日本の法務感覚で作成した標準的な責任制限条項が、ドイツ法の下では意図せず無効となり、無限責任を負う事態を招くことを深く理解する必要があります。
この構造的なリスクを回避し、法的確実性をもって責任制限を行うためには、「逸失利益」などの具体的損失項目を明確に列挙すること、そして可能な限り個別合意(Individualvereinbarung)を形成し、交渉記録を保全する戦略が不可欠です。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務