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法律記事MONOLITH LAW MAGAZINE

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ギリシャの医療・医薬品法を弁護士が解説

ギリシャの医療・医薬品法を弁護士が解説

ギリシャ共和国(以下、ギリシャ)の医療・医薬品法制は、欧州連合(EU)の厳格な規制枠組みと、同国独自の歴史的・財政的背景に基づく国内法が融合した複雑な体系を有しています。近年、ギリシャは経済危機からの回復過程において医療セクターの大規模な構造改革を断行しており、日本企業の皆様が同国市場への参入や投資を検討するにあたり、これらの法的変動を正確に把握することは不可欠です。

本稿では、ギリシャの医療提供体制の根幹をなす国民保健制度(ESY)の構造から、日本企業にとって最大の事業リスクとなり得る「クローバック(Clawback)」制度、そして近年の判例により劇的な変化を遂げつつある薬局経営の規制緩和や、医療ツーリズム・医療大麻といった新たな投資機会に関する法律までを網羅的に解説します。特に、日本の国民皆保険制度や薬機法との法的な差異に焦点を当て、ビジネス実務に直結する最新の法令および判例に基づいた情報を提供します。

ギリシャ医療法体系の基本構造と国民保健制度(ESY)

ギリシャの医療法体系は、1983年に制定された「国民保健制度(ESY:Ethniko Systima Ygeias)」を基盤としています。憲法第21条が定める健康権の保障を具現化するために制定された法律第1397/1983号は、全ての国民に対して無償または低負担での医療アクセスを保障する公的医療システムの骨格を形成しました。

日本の医療制度が社会保険方式(被用者保険や国民健康保険など)を主軸とするのに対し、ギリシャのESYは、税財源と社会保険料を併用するハイブリッドな構造を持ち、英国の国民保健サービス(NHS)に近い性格を有しています。この制度の下、公立病院や地方のヘルスセンターが整備され、都市部と地方部の医療格差是正が図られてきました。

ビジネスの観点から最も留意すべき変革は、2011年の法律第3918/2011号による「国家医療サービス提供機構(EOPYY)」の設立です。かつて職業別に分立していた複数の社会保険基金の医療部門がEOPYYに統合されたことで、ギリシャには絶大な購買力を持つ単一の支払機関(Single Payer)が誕生しました。日本企業がギリシャの公的市場において医薬品や医療機器を販売する場合、事実上の唯一の交渉相手となるのがこのEOPYYであり、その決定は市場全体に直接的な影響を及ぼします。

また、プライマリ・ケア(第一次医療)の強化を目的とした2014年の法律第4238号により、地域医療ネットワーク(PEDY)の整備が進められました。さらに、2024年に制定された法律第5102/2024号および第5157/2024号は、プライマリ・ケアの機能を抜本的に強化するための「パーソナル・ドクター(かかりつけ医)」制度の改革を定めています。これにより、地方勤務医やEOPYYと契約していない開業医も含めた医師プールが拡大され、市民の登録が義務化されるなど、ゲートキーパー機能の強化が法的に推進されています。

ギリシャ医薬品規制当局とEU法との整合性

ギリシャ医薬品規制当局とEU法との整合性

ギリシャにおける医薬品規制の中心的役割を担うのは、保健省管轄下の公的法人である「国家医薬品機構(EOF)」です。法律第1316/1983号によって設立されたEOFは、日本の医薬品医療機器総合機構(PMDA)に相当する機能を持ち、医薬品の製造販売承認、市場監視、価格設定の技術的評価などを所管しています。

ギリシャはEU加盟国であるため、その規制は欧州医薬品庁(EMA)と密接に連携しています。バイオ医薬品や先端医療製品など、EUの集中審査方式で承認された製品は、ギリシャ国内でも追加の科学的評価なしに承認されます。一方で、薬価の決定や社会保険による償還(Reimbursement)の可否については、ギリシャ独自の国内法が適用されます。

特筆すべきは、2025年に施行された大臣決定第6030/2025号による医薬品の安全性強化措置です。この決定は、偽造医薬品対策として処方箋医薬品への安全機能(Safety Features)の搭載を義務付け、卸売業者に対する厳格な真正性確認義務を課しています。また、ギリシャ国内で流通すべき安価な医薬品が他国へ転売される「並行輸出(Parallel Trade)」の問題に対処するため、EOFは頻繁に輸出禁止措置を講じており、サプライチェーン管理において高度な注意が求められます。

クローバックとリベート:ギリシャの厳格な法的メカニズム

日本企業がギリシャ市場に進出する際、最も警戒すべき法的リスクが「クローバック(Clawback)」制度です。これは、公的医薬品支出が国会で定められた年間予算上限を超過した場合、その超過分全額を製薬企業が国に返還しなければならないという、極めて強力な財政調整メカニズムです。

この制度は、経済危機下の2012年に法律第4052/2012号によって導入され、当初は一時的な措置とされていましたが、その後恒久化しました。クローバックの負担率は年々上昇しており、一部の高額医薬品や病院用医薬品では売上高の40%から50%以上を返還しなければならないケースも報告されています。

日本には「市場拡大再算定」などの薬価引き下げルールが存在しますが、ギリシャのクローバックは「売上があっても利益が事後的に没収される」という点で、その厳しさは次元が異なります。この制度の合憲性は度々法廷で争われてきましたが、ギリシャ国務院(最高行政裁判所)は2024年の判決(第904/2024号および第905/2024号)において、公衆衛生の維持と財政の均衡という公益目的を理由に、同制度の合憲性を改めて支持しました。

ただし、政府はこの負担を軽減するための措置も講じています。リカバリー・レジリエンス・ファンド(RRF)を活用し、企業が行う臨床試験や生産設備への投資額の一部を、支払うべきクローバック額から相殺(Offset)することを認める制度が運用されています。日本企業にとっては、現地でのR&D活動や投資を行うことが、直接的なコスト削減につながる法的なインセンティブとなります。

以下の表は、日本とギリシャにおける薬価調整メカニズムの主要な違いを整理したものです。

比較項目日本の制度ギリシャの制度
価格調整の仕組み薬価改定(通常2年に1回)、市場拡大再算定による価格引き下げ。参照価格制度(EU域内最低価格等を参照)に加え、予算超過分の全額返還(クローバック)を毎年実施。
企業の予見可能性改定ルールに基づき、ある程度の予測が可能。予算超過額が確定するまで最終的な返還額(損失)が確定せず、予見可能性が低い。
超過分の扱い翌年度以降の薬価引き下げに反映されるが、過去の売上の返還は求められない。予算を超えた売上分は、事後的に企業が国(EOPYY)に現金を返還する法的義務を負う。
救済措置新薬創出等加算などによる価格維持メカニズムがある。投資額(臨床試験費用等)を返還額から控除できる「投資相殺措置」がある。

ギリシャ薬局開設規制の緩和と国務院判決

ギリシャ薬局開設規制の緩和と国務院判決

ギリシャにおける薬局経営は、長らく薬剤師のみに許された独占的な分野でしたが、近年の法改正と判例により、その構造は大きく変化しています。2017年の法律第4509号およびそれに続く大統領令第64/2018号は、薬剤師資格を持たない自然人や、一定の形態の会社による薬局の開設を認めました。この規制緩和に対し、薬剤師会などがその取り消しを求めて訴訟を起こしましたが、国務院は2020年の全体会議判決(第201/2020号)において、この規制緩和を合憲と判断しました。

裁判所は、憲法が保障する経済活動の自由と競争促進の観点から、非薬剤師による薬局所有を認めることは正当であり、管理薬剤師を配置することで公衆衛生上の安全性は担保されると判示しました。これにより、日本のような外部資本による薬局経営の道が開かれましたが、完全に自由化されたわけではありません。判決では「匿名会社(SA)」による薬局所有の禁止は維持されており、薬局を開設する法人は「有限責任会社(EPE)」等の形態をとる必要があります。また、非薬剤師が開設者となる場合でも、責任薬剤師が会社の持分の20%を保有しなければならないといった制約が残されています。

ギリシャ投資法4887/2022と医療ツーリズム

ギリシャ政府は、観光産業と医療産業を融合させた「医療ツーリズム」を戦略的成長分野と位置付けています。2022年に制定された「開発法(法律第4887/2022号)」は、この分野への投資に対して強力なインセンティブを提供しています。

この法律では、医療ツーリズム施設の設立や拡張、ホテルのスパ・ウェルネス施設への転換、リハビリテーションセンターの整備などが支援対象として明記されています。投資を行う企業は、その規模や地域に応じて、法人税の免除、補助金の交付、設備リース料の補助、雇用助成といった恩恵を受けることができます。特に、大都市部以外の地域への投資には、より高い補助率が適用される仕組みとなっています。

日本の医療機器メーカーや介護・リハビリ事業者が、ギリシャ現地のホテルや医療機関と提携し、透析クリニックやリハビリテーション施設を展開する場合、この法律に基づく支援を享受できる可能性が高く、事業採算性を高める重要な要素となります。

ギリシャのデジタルヘルスと医療大麻の法整備

ギリシャのデジタルヘルスと医療大麻の法整備

デジタルヘルス分野では、法律第5102/2024号等の改革により、電子処方箋の普及や患者の電子健康記録(EHR)の整備が進んでいます。また、「パーソナル・ドクター」制度のデジタル化により、遠隔医療の基盤も強化されつつあります。EUの一般データ保護規則(GDPR)に加え、国内法である法律第4624/2019号が医療データの処理に関して厳格な規定を設けており、データ活用ビジネスにおいては高度なコンプライアンスが求められます。

一方、新たな成長産業として注目されるのが医療用大麻(Medical Cannabis)です。2018年の法律第4523号により、医療用大麻製品の生産、加工、および輸出が合法化されました。ギリシャ政府は、輸出向けの生産拠点としての誘致を積極的に行っており、厳格なセキュリティ要件を満たした施設に対して、統合的なライセンスを付与しています。製品は主に輸出用として想定されていますが、国内患者への供給ルートも法的に整備されています。

以下の表は、日本とギリシャにおける主な法規制の相違点をまとめたものです。

項目日本(参考)ギリシャ解説・ビジネスへの影響
規制当局厚生労働省・PMDAが承認審査と薬価・保険を一元的に管轄に近い形で運用。承認審査はEOF(EUと連携)、保険償還・支払いはEOPYYが管轄と機能が分化。EOPYYが唯一の強力な「買い手」となるため、価格交渉力が当局側に偏在しています。
薬局経営主体薬剤師以外の法人(株式会社等)も自由に経営可能。ドラッグストアチェーンが発達。原則は薬剤師。規制緩和により非薬剤師も参入可能だが、SA(株式会社)は不可、薬剤師の持分保有義務あり。日本型の大規模チェーン展開には、現地法に合わせた法人スキーム(EPE等)の構築が必要です。
医療用大麻大麻取締法の改正により、大麻草由来医薬品の使用が可能になる方向で議論が進展中。法律第4523/2018号により生産・加工・輸出が合法化。輸出産業として育成中。ギリシャは欧州向けの生産ハブとしての法的地位を確立しており、栽培・加工への投資が可能です。

まとめ

ギリシャの医療・医薬品法制は、EUという巨大市場へのゲートウェイとしての魅力を持つ一方で、クローバック制度に代表される厳しい財政規律メカニズムが、日本企業にとっての高い参入障壁となっています。しかし、近年の開発法による投資優遇措置や、R&D投資によるクローバック相殺措置は、単なる製品輸出にとどまらず、現地に根差した事業活動を行う企業に対しては合理的な解決策を提示しています。

国務院判決による薬局市場の開放や、法改正によるプライマリ・ケアの再編は、従来の閉鎖的な市場構造に風穴を開けるものであり、日本企業が持つ効率的な薬局運営ノウハウや、予防医療・デジタルヘルス技術を活用する余地が拡大しています。ギリシャ市場への参入は、これらの法的リスクと機会を精緻に分析し、適切な現地パートナーシップと法的スキームを構築できるかどうかが成功の鍵となります。

モノリス法律事務所では、EU法とギリシャ国内法の双方に精通した知見を活かし、クローバックリスクのシミュレーションから、開発法に基づく助成金申請、現地法人設立のサポートまで、貴社のギリシャ事業展開を包括的にサポートいたします。

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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