ベルギー王国における法体系と司法制度の解説

ベルギーは、日本と同様に大陸法系に属しており、その法体系は一見すると多くの共通点を持つように思えるかもしれません。しかし、1830年の立憲君主制国家としての成立以来、歴史的経緯と複雑な社会構造を経て形成されたその法制度は、日本の法務担当者が理解しておくべき独自の特性を数多く有しています。特に、欧州連合(EU)の創設国であり、その主要機関が集中する首都ブリュッセルを擁するベルギーは、EU法との密接な関係性を持ちます。
本稿では、ベルギー法の全体像を分かりやすく解説するとともに、特に日本企業が直面しうる実務上の課題に焦点を当てて詳述します。
この記事の目次
ベルギー法体系の大陸法と連邦制
ベルギーの法制度を理解する上で、最も重要な土台となるのが「大陸法」と「連邦制」という二つの柱です。これらの特性は、日本の法体系と対比することで、より明確に理解できます。
ナポレオン法典の深遠な影響
ベルギーは1830年の独立以来、大陸法系の立憲君主国として発展してきました。その法体系の根幹は、1804年のフランス民法典、通称「ナポレオン法典」に強く影響を受けています。この事実は、日本が明治時代にドイツ法をモデルとして法体系を整備した経緯と対比して考えると興味深いでしょう。
ナポレオン法典は1795年のフランスによる征服後にベルギーに導入され、独立後もその主要な条項は維持されました。ある研究によれば、ベルギーは2004年時点でも、ナポレオン法典を本家フランスよりも多くの条文が原文のまま維持していることが指摘されています。このことは、ベルギーの法制度が、単に歴史的な遺産を受け継いだだけでなく、その実用性を重視しながら、徐々に社会の変遷に合わせて調整を加えてきたことを示しています。このように、ベルギー法は歴史的背景と実用性を兼ね備えた、柔軟な発展を遂げてきたと言えるでしょう。
連邦制国家への変遷と権限分属
ベルギー最大の相違点は、その複雑な「連邦制」にあります。日本の単一国家体制とは異なり、ベルギーは1993年の憲法改正により、複数の「共同体」と「地域圏」から成る連邦制へと完全に移行しました。
ベルギー憲法第1条は「ベルギーは、複数の共同体及び地域圏で構成する連邦国家である」と定めています。この連邦制は、三つの「共同体」(フランス語共同体、フラマン語共同体、ドイツ語共同体)と、三つの「地域圏」(ワロン地域圏、フランダース地域圏、ブリュッセル首都地域)に権限が分属する多層的な構造を形成しています。憲法上、これらの政府レベルは対等であり、連邦政府と地域・共同体の間に上下関係はありません。この複雑な権限分属は、日本の法務担当者が最も注意すべき点の一つと言えます。
法令の種類と権限の具体例
この複雑な連邦制の下では、法令にも種類があります。連邦政府は「法律(wet/loi)」を制定する一方、共同体や地域圏は「政令(decreet/decret)」を発行します。なお、ブリュッセル首都地域では、その独自性から「命令(ordonnance)」と呼ばれる別の形式の法令を発行します。
連邦政府は、司法制度、軍隊、社会保障、外交、財政といった全国民に関わる事項を管轄します。一方、共同体は教育、文化、青少年福祉といった言語・文化に紐づく分野を、地域圏は環境、農業、都市計画、雇用といった物質的な管轄権を持っています。
この権限分属は、日本企業がベルギーでビジネスを行う上で、具体的な実務課題を引き起こします。例えば、近年制定された連邦の「エコサイド(環境破壊罪)」に関する法律は、連邦政府の管轄下にある北海や核廃棄物管理にのみ適用されます。したがって、陸上での環境問題は各地域圏の政令によって規制されることになり、フランダースとワロン地域では異なる環境規制に直面する可能性があります。このように、ベルギーでは、事業を行う地域によって準拠すべき法律が異なるという、日本の単一国家体制からは想像しにくい状況が生じ得るのです。
以下の表は、ベルギーの連邦制における権限分属の具体例を簡潔に示しています。
連邦政府 | 共同体 | 地域圏 | |
---|---|---|---|
主な管轄分野 | 全国的な公共利益 | 言語・文化的な事項 | 領土に紐づく事項 |
具体例 | 司法制度、軍隊、社会保障、外交、対外貿易、財政、警察 | 教育、文化、青少年福祉、健康政策の一部 | 環境、農業、都市計画、雇用、公共事業、道路、内水路 |
ベルギー国内法とEU法との統合

EUの創設国であり、その主要機関が置かれるベルギーは、EU法の影響を最も強く受ける国の一つです。EU法がベルギー国内法に与える影響は、もはや外部的な要因ではなく、法体系を形成する不可欠な要素となっています。
EU法の階層と直接適用性
EUの「規則(Regulation)」は、国内法への転換を必要とせず、EU加盟国において直接的に適用されます。一方、「指令(Directive)」は、特定の目標を定めるものであり、加盟国は指定された期限までに国内法として転換する必要があります。
EU法には「直接効果(direct effect)」という重要な概念があります。これは、個人がEU法の規定を国内裁判所で直接援用できる権利を指します。特に、国家に対して援用できる「垂直的直接効果」は広く認められており、ベルギーの裁判所は、この原則に基づいてEU法を適用します。例えば、EU法が規定する消費者の権利保護に関する規定は、ベルギー国内の裁判手続きにおいて、消費者自身が直接その権利を主張する根拠となり得ます。
ベルギーの複雑性による転換の遅延
EU指令の国内法への転換は、ベルギーの複雑な連邦制構造と密接に関わっており、しばしば遅延が生じます。この遅延は、欧州司法裁判所(CJEU)からの制裁、すなわち罰金を招くことさえあります。事実、ベルギーはEU指令の転換遅延に対して、数百万ユーロの罰金を科された事例が報じられています。
この遅延は、政府の権限が連邦、共同体、地域に分散していることが、法整備プロセスを遅らせる一因であることを明確に示しています。それぞれの政府レベルが管轄する分野の指令を個別に転換する必要があるため、単一国家に比べて調整に時間を要するのです。日本の法務担当者は、EU法の影響を理解するだけでなく、その転換プロセスがベルギーの国内事情によって遅れうるという実務上のリスクを認識しておく必要があります。
ベルギーの法源と司法制度の構造

大陸法系という共通点を持ちつつも、ベルギーの法源と司法制度は、日本とは異なる独自の特性を持っています。
制定法中心主義と判例の役割
ベルギー法においても、日本と同様に制定法が主要な法源とされています。判例は、日本の最高裁判所の判例が事実上の拘束力を持つこととは異なり、形式的には法的拘束力を持ちません。日本の民事法分野も同様に、最高裁判例には法的な拘束力がなく、判例はあくまで法律の解釈や運用を指し示すものとされています。
しかし、実務上は、破毀院(最高位の裁判所)のような最上級審の判例は、下級審の裁判官や法律専門家に大きな影響を与え、法律の解釈と適用を実質的に方向づける力を持っています。さらに、EU法との関係においては、この原則に明確な例外が存在します。ベルギーの破毀院は、欧州司法裁判所の判例に拘束され、解釈について不明瞭な点があれば、欧州司法裁判所に「予備的判決」を求める義務があります。この事実は、伝統的なベルギーの法源論がEU法の登場によって変容していることを示しており、日本法との決定的な違いを生み出しています。
裁判所体系の階層と役割
ベルギーの裁判制度は、フランスのシステムに酷似しており、複雑な階層構造を持っています。日本の三審制とは異なる多層的な裁判所の役割を理解することが重要です。
通常裁判所としては、軽微な事件を扱う「治安裁判所(民事)」と「警察裁判所(刑事)」が最も低いレベルに位置します。これらの裁判所からの上訴は、第一審裁判所が受け持ち、また第一審裁判所自身も、商事や労働問題などを扱う専門裁判所としての役割を担います。第一審裁判所の判決に対する控訴は、全国に5つある「控訴裁判所」が扱います。そして、最高位の裁判所である「破毀院」は、法律問題のみを扱い、新たな事実の提出は認められません。
通常裁判所とは別に、行政行為の適法性を審査する「行政裁判所」があり、その最高位は「国務院」です。この国務院は、1993年の憲法改正で憲法上の機関となりました。さらに「憲法裁判所」は、法律、政令、命令の合憲性を審査する特別な役割を担います。特に、連邦政府と共同体・地域圏の間の権限の衝突を解決することが、その主要な任務です。これは、日本の最高裁判所が事実上の違憲審査を行うこととは異なり、連邦制を維持するためのベルギー独自の重要な制度です。近年では、憲法裁判所がEU指令の有効性に関する予備的質問を欧州司法裁判所に付託するケースもあり、ベルギーの司法制度が国際法や超国家法とどのように相互作用しているかを示す好例と言えるでしょう。
まとめ
ベルギーでの事業展開を検討する日本企業が、事前に理解しておくべき実務上の課題を具体的に解説します。
まず、ベルギーの裁判手続きにおける言語の使用は、最も重要な実務上の特徴です。裁判所が所在する地域によってオランダ語、フランス語、または両言語が使用されます。この厳格な言語規制は、19世紀にフランス語圏の支配層が法律実務を独占していた歴史的背景に起因しており、法の下の平等を確保するために不可欠な要素とみなされています。この言語の壁は、訴訟の管轄、法的文書の作成、現地弁護士の選定、そして裁判戦略そのものに大きな影響を与えます。例えば、フランダース地域の法令は、雇用契約などの企業文書の言語をオランダ語に限定しており、この点がEUの「労働者の自由な移動」の権利と衝突する可能性も指摘されています。
次に、ベルギーでの訴訟は、日本と比較して解決に時間を要する傾向があります。第一審の通常手続きは1〜2年、控訴審は3年程度かかることが一般的です。特に首都ブリュッセルの裁判所は、著しい案件の滞留(バックログ)を抱えていることが指摘されています。訴訟費用は、行政費用と弁護士費用に分かれ、弁護士費用については「司法補償金」として一定額が定められています。しかし、複雑な訴訟においては、この補償金だけで実費を賄うことは困難であり、追加の費用を考慮に入れる必要があります。また、最近では集団訴訟(クラスアクション)の適用範囲が金融・デジタル分野にも拡大されており、日本企業が大規模な紛争に巻き込まれるリスクも高まっています。
ベルギーの法体系は、大陸法系という日本との共通点を持ちつつも、連邦制、EU法、そして言語といった独自の要素が複雑に絡み合っています。これらの特性を深く理解し、適切な法務戦略を立てることが、ベルギーにおける事業成功の鍵となります。日本の法務担当者や経営者の皆様がベルギーで直面し得る課題は、単なる法律の翻訳や解釈にとどまらない、多角的な視点での対応を求めます。モノリス法律事務所は、ベルギーの複雑な法制度に関する知見を有しており、現地での事業展開や法的課題の解決を検討されているお客様に対し、的確なサポートを提供いたします。
関連取扱分野:国際法務・海外事業
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務