イギリスの薬機法制と医薬品・医療機器規制における国際承認手続き(IRP)

イギリスが欧州連合(EU)を離脱して以降、その医薬品・医療機器規制は、EUの制度に依存することなく独自の道を歩み始めました。この変革期において、イギリスの医薬品医療製品規制庁(Medicines and Healthcare products Regulatory Agency, MHRA)が主導する新たな取り組みは、国際的なビジネス環境における競争力を維持し、国内の患者に革新的な医療製品を迅速に提供するという、明確な戦略的意図に基づいています。特に注目すべきは、EU離脱後の過渡期に存在した制度を置き換え、2024年1月1日に運用が開始された医薬品向けの「国際承認手続き(International Recognition Procedure, IRP)」です。
このIRP制度は、米国、EU、オーストラリア、カナダ、そして日本を含む信頼できる他国の規制当局が下した承認を、イギリスの承認審査に積極的に取り込むという画期的なアプローチを採用しています。これは、従来の国内審査プロセスと比較して、手続きを大幅に簡素化し、審査期間を短縮することを可能にします。
本稿は、イギリスでの事業展開を検討している日本の経営者や法務担当者の皆様に向けて、このIRP制度の全容を、日本の薬機法との比較分析を交えながら、詳細かつ専門的に解説します。日本の医薬品医療機器総合機構(PMDA)の承認がこの制度において国際的に高く評価されている事実は、今後の日本企業のグローバル戦略に新たな選択肢をもたらすことになります。
この記事の目次
イギリスの医薬品規制の根幹と国際承認手続(IRP)
規制の法的根拠であるHuman Medicines Regulations 2012 (HMRs)
イギリスにおける医薬品規制の法的基盤は、2012年に制定された「Human Medicines Regulations 2012 (HMRs)」に集約されます。この包括的な法令は、医薬品の製造、輸入、流通、広告、ラベリング、販売、供給、そして市販後安全対策(ファーマコビジランス)など、日本の薬機法と同様に広範な領域を規定しています。このHMRsは、EUの指令を国内法に移行するために制定されたものであり、イギリスのEU離脱後も、その多くが引き続きイギリスの医薬品規制の根幹を成しています。IRPもまた、このHMRsに基づく形で導入されており、その目的は、医薬品の製造販売承認(Marketing Authorisation, MA)を効率的に付与することにあります。
IRPの目的と適用範囲
IRPは、2024年1月1日に運用が開始された、医薬品の製造販売承認を取得するための新たな手続きです。この制度は、EU離脱後の暫定措置であった「EC Decision Reliance Procedure (ECDRP)」と「Mutual Recognition/Decentralised Reliance Procedure (MRDCRP)」を統合し、より広範な製品と手続きをカバーするように拡張されました。IRPの核心的な目的は、MHRAが、信頼できる他国の規制当局の専門的知見と意思決定を活用することで、審査の重複を排除し、迅速な承認を可能にすることです。
IRPの適用範囲は、以下の種類の医薬品製造販売承認申請(MAA)に及んでいます。
- 新有効成分(New Active Substances)
- 既知の有効成分(Known Active Substances)
- ジェネリック医薬品
- ハイブリッド医薬品
- バイオシミラー
- 新固定組み合わせ製品
一方で、以下の種類の申請はIRPの対象外とされています。
- 伝承ハーブ製剤(Traditional Herbal Registrations)
- ホメオパシー製剤(Homoeopathic Registrations)
- 文献に基づく申請(Bibliographic applications)
- 緊急承認(Emergency approvals)
この制度は、新規の製造販売承認申請だけでなく、製品のライフサイクル全体にわたる変更手続き(例:ラインエクステンション、バリエーション、更新)にも利用できる点が、実務上の大きなメリットとなっています。
信頼できる参照規制当局(RR)
IRPを利用するためには、MHRAが指定する「参照規制当局(Reference Regulators, RRs)」のいずれかから、事前に同一製品の承認を受けている必要があります。MHRAが指定するRRは以下の7つの国・地域です。
- オーストラリア
- カナダ
- 欧州連合(European Medicines Agency, EMA)
- 日本(医薬品医療機器総合機構, PMDA)
- スイス
- シンガポール
- 米国(Food and Drug Administration, FDA)
このリストに日本のPMDAが含まれていることは、日本の製薬企業にとって極めて重要です。日本の当局が下した承認が、イギリスという主要市場での迅速な承認の根拠として公式に認められていることを意味します。これにより、日本の企業は、米国やEUへの申請と並行して、あるいはそれらに先行してイギリス市場への参入を検討するという、新たなグローバル戦略を構築できることになります。
二つの審査経路
IRPには、申請内容の複雑性やRRによる承認からの経過期間に応じて、二つの異なる審査経路が設けられています。これは、審査プロセスを合理化し、リスクに応じて適切な評価を確保するためのものです。申請者は、本申請の6週間前までにMHRAの適格性チェッカーツールを用いて、どちらの経路が適切であるかを事前に確認する必要があります。
認識A(Recognition A)は、より単純でリスクが低いと判断される申請に適用されます。
- 審査期間:60日間。この期間中に「クロックストップ」はありません。
- 主な要件:RRの承認が過去2年以内に付与されていること。製造プロセスがRRが承認したものと同一であること。
- 特記事項:重大な異議が特定され、60日以内に解決できない場合、認識Bのタイムテーブルに移行する可能性があります。
認識B(Recognition B)は、認識Aの基準を満たさない、より複雑な申請に適用されます。
- 審査期間:110日間。この期間中に最大1回の「クロックストップ」が設けられています。
- 主な要件:RRの承認が過去10年以内に付与されていること。条件付き承認や、新規有効成分、高度な治療用医薬品(ATMPs)、複雑な臨床データを含む製品などがこの経路に該当します。
- 特記事項:クロックストップはDay 70から始まり、申請者は最大60日間の回答期間が与えられます。
この二つの経路が設定されていることで、企業は製品の特性や開発状況に応じて、最も効率的なイギリス市場参入戦略を立てることができます。例えば、PMDAによる承認を最近取得したばかりの革新的な医薬品は、認識Aを利用して60日間でイギリス市場に参入できる可能性があります。一方で、承認から時間が経過した製品や、より複雑な製品については、認識Bを選択することで、より現実的なタイムラインで承認を目指すことができるでしょう。
申請プロセスの実務的要件
IRPの申請手続きは、特定の要件を満たす必要があります。これらの要件を理解することは、申請を円滑に進める上で不可欠です。
- 申請書類:RRに提出された電子版コモン・テクニカル・ドキュメント(eCTD)を基盤とします。これに、イギリス固有の要件(製品情報概要、ファーマコビジランスシステム、イギリスにおける小児治験等)を記載した「UK-specific Module 1」を追加して提出することが求められます。
- 言語:RRが評価した完全かつ非編集済みの評価パッケージを含むすべての申請資料は、英語で提出される必要があります。
- 申請者要件:申請者または製造販売承認保持者(Marketing Authorisation Holder, MAH)は、イギリス(グレートブリテンまたは北アイルランド)またはEU/EEAに事業所を設立している必要があります。
認識A | 認識B | |
---|---|---|
審査期間 | 60日間 | 110日間 |
RR承認時期 | 過去2年以内 | 過去10年以内 |
クロックストップ | なし | 1回(Day 70から最大60日間) |
主な対象 | 単純な申請、RRの承認から時間が経っていない製品 | より複雑な申請、条件付き承認、ATMPs、新規有効成分など |
法的根拠 | Human Medicines Regulations 2012 | Human Medicines Regulations 2012 |
医療機器分野におけるイギリスIRPの展望

医薬品との制度的差異
医療機器分野におけるIRPは、医薬品とは異なり、2025年中の導入が予定されている「提案」段階の制度です。この差異は、医薬品と医療機器がそれぞれ異なる法的・規制的枠組みを持つことに起因します。医薬品IRPが既にHMRsに基づき運用されているのに対し、医療機器IRPは、今後のイギリス医療機器規制(UK Medical Devices Regulations)の改正と並行して最終的な枠組みが定められることになっています。
対象となる「比較可能規制当局国(CRC)」
医療機器向けIRPの対象となる「比較可能規制当局国(Comparable Regulator Countries, CRCs)」として、現時点では以下の4つの国・地域がMHRAによって提案されています。
- オーストラリア
- カナダ
- 欧州連合
- 米国
医薬品IRPの対象国には日本が含まれている一方で、現時点の医療機器CRCリストには日本のPMDAは含まれていません。しかし、MHRAは、将来的にPMDAをリストに追加することについて協議しているという情報が示されており 、これは、医薬品IRPでPMDAがRRに指定された成功実績が、医療機器分野でも踏襲される可能性があることを示唆しています。
製品の除外規定
提案されている医療機器IRPは、すべての医療機器に適用されるわけではありません。特に、ソフトウェア医療機器(Software as a Medical Device, SaMD)や人工知能医療機器(AIaMD)は、MHRAが定める特定のガイドラインを満たさない場合、IRPから除外されることが提案されています。この除外規定は、イギリスがSaMDやAIaMDに対して独自の、より厳格な審査基準を適用する意図があることを示しています。これは、これらの技術が持つ特有のリスク(アルゴリズムの変更、データバイアス等)に対応するためと考えられます。日本の医療機器メーカーが強みを持つSaMD分野において、IRPが全面的に適用されない可能性があることは、イギリス市場参入戦略において考慮すべき重要なリスク要因です。
イギリスIRPと日本の薬機法の比較
イギリスのIRPと日本の薬機法は、医薬品・医療機器の品質、安全性、有効性を確保するという目的を共有していますが、その承認審査のプロセスや哲学には大きな違いがあります。この違いを理解することは、日本企業がグローバル展開を戦略的に考える上で不可欠です。
イギリスIRP | 日本の薬機法 | |
---|---|---|
審査の基本原則 | RRによる包括的な評価を「信頼」し、イギリス固有の要件に焦点を絞った「目標を定めた審査」を行う。審査の重複を排除する。 | 外国で承認済みの製品であっても、原則として国内の審査(適合性審査)を主体とし、科学的知見に基づいて品質、安全性、有効性を一から審査する。 |
外国承認の扱い | RRによる承認そのものを申請の根拠とし、その評価資料(eCTD)を直接活用する。 | 外国で実施された臨床データは「審査資料」として受け入れるが、承認手続き自体が簡略化されるわけではない。 |
申請書類の言語要件 | 申請資料はすべて英語で提出することが義務付けられている。 | 外国臨床試験データ等を含む申請資料は、その全文を日本語に正確に翻訳して提出することが義務付けられている。 |
申請者・事業者要件 | 申請者またはMAHは、イギリスまたはEU/EEAに拠点を置く必要がある。 | 外国製造業者は厚生労働大臣による「外国製造業者認定」を受ける必要があるが、製品の製造販売自体は、日本国内に拠点を置く「製造販売業者」が行う必要がある。 |
法的根拠 | Human Medicines Regulations 2012 (HMRs) | 医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(薬機法) |
承認審査のパラダイムの違い
イギリスのIRPは、「他国の承認を信頼する(reliance)」というパラダイムに基づいて設計されています。MHRAは、RRによる包括的な評価を前提とし、イギリス市場への導入に際して追加的な審査が必要となる特定の側面(例:イギリス固有の製品情報やファーマコビジランス体制)に焦点を絞った「目標を定めた審査(targeted assessment)」を行います。これは、審査の重複を排除し、審査リソースを効率的に活用することで、迅速な承認を可能にしていると言えるでしょう。
これに対し、日本の薬機法は、外国で承認済みの製品であっても、原則として国内の審査体制が主体となります。日本の規制当局であるPMDAは、提出されたすべての審査資料(外国で実施された臨床データ等を含む)を、日本の基準に照らして科学的に評価し、品質、安全性、有効性を一から確認します。この違いは、イギリスが国際的な規制ネットワークに深く組み込まれようとしているのに対し、日本は国内の審査基準を厳格に維持するというスタンスを維持していることを示しています。
外国承認・臨床データの取り扱いの異同
イギリスのIRPは、RRによる承認そのものを申請の法的根拠とし、その際に作成された評価資料(eCTD)をイギリスへの申請資料として直接活用します。これにより、申請者はイギリス向けの新たな審査資料を一から作成する必要が大幅に軽減されます。
一方、日本の薬機法においても、外国で実施された臨床試験のデータは「審査資料」として受け入れられます。しかし、これはあくまでPMDAが国内審査を行う際の一環として評価されるものであり、承認手続きそのものが簡略化されるわけではありません。
申請者・製造販売業者の要件
イギリスIRPでは、申請者または製造販売承認保持者(MAH)が、イギリスまたはEU/EEAに事業所を設立している必要があります。これは、製品の市販後における法的義務(例:HMRs Regulation 74および75に規定される義務)を確実に履行させるための要件です。
一方、日本の薬機法では、外国で製品を製造する事業者は、厚生労働大臣による「外国製造業者認定」を受ける必要がありますが、製品の製造販売自体は、日本国内に拠点を置く「製造販売業者」によって行われる必要がある。これは、日本の法律上の責任の所在を明確にするための仕組みです。
申請書類の言語要件
実務上の大きな違いとして、申請書類の言語要件が挙げられます。イギリスIRPの申請では、RRが作成した評価資料を含むすべての関連文書が英語で提出されることが義務付けられています。
これに対し、日本の薬機法では、外国臨床試験データ等を含む承認申請資料は、その全文を日本語に正確に翻訳して提出することが義務付けられている。この翻訳コストは、特に広範な臨床データを持つ製品の場合、申請者の負担が大きくなる可能性があります。
まとめ
イギリスのIRPは、日本の製薬企業や医療機器メーカーにとって、イギリス市場への参入を大幅に加速させる可能性を秘めた画期的な制度です。PMDAによる承認が、この迅速な審査プロセスの基盤として公式に認められていることは、日本企業のグローバル展開戦略において非常に有利な要素となります。審査期間が60日または110日という迅速性は、従来のイギリス国内申請経路(210日)やEUの審査期間(210日)と比較しても非常に魅力的です。これにより、日本企業は、米国やEUと並行して、あるいはそれらに先行してイギリス市場を攻略するという、新たな戦略を構築できることになります。
しかし、この制度を利用するには、いくつかの実務的な注意点が存在します。
- 医療機器分野の不確実性:医療機器IRPはまだ提案段階であり、今後の最終的な制度設計を注視する必要があります。特に、日本の企業が強みを持つソフトウェア医療機器やAI医療機器がIRPの対象外となる可能性も考慮に入れるべきでしょう。
- 現地要件の遵守:IRPを利用する場合でも、イギリス固有の法的要件(例:現地でのファーマコビジランス担当者の設置、HMRs Regulation 74および75に基づく義務)への対応は免除されません。
- 申請書類の準備:PMDA承認を根拠とする場合、その評価資料の正確な英訳が必要不可欠です。この作業には、高度な専門知識と時間、コストがかかる可能性があります。
このような複雑な国際規制に対応するためには、日英の法制度に精通し、かつ技術的な知見を持つ専門家のサポートが不可欠です。当事務所は、IRP申請の法的側面に関するコンサルティング、現地パートナーとの連携支援、申請書類のレビュー、イギリス法における製造販売承認保持者としての法的義務に関する助言など、多岐にわたるサポートを提供します。これにより、お客様がイギリス市場で円滑かつ成功裏に事業を展開できるよう支援します。
関連取扱分野:国際法務・海外事業
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務