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安全とルールのはざまで――F1カナダGP、角田選手の赤旗追い越しによるペナルティを法的に考察

弁護士 谷川 智

執筆:弁護士 谷川 智

セナとプロストの因縁「セナプロ対決」が鈴鹿で頂点に達した1989年に生まれる。父の影響で幼少期からF1を観戦し、最初に心を奪われたのはマクラーレンMP4-5B。現在もサーキットを訪れ、ヨーロッパにも遠征。ピットウォールの動きやレギュレーション解釈にも目を凝らし観戦中。「好き」が高じて競技規則や技術規定などのルールにも興味を持つ。弁護士という立場からF1と法務の問題について考える。

F1は常に安全性と競技性のバランスの中で成り立っています。しかし、ときにドライバーの直感による判断と規則の条文が正面から衝突することがあります。それが2025年F1第10戦カナダGPで、オラクル・レッドブル・レーシングの角田裕毅選手に科せられたペナルティです。

F1では大事故が発生した際や、コース上に危険な障害物があるときに「赤旗」が提示されます。この赤旗が提示されている最中は、追い越しが禁止されたり、ピットに戻る措置が求められますが、角田選手はダメージを負ったマシンを追い越してしまいました。これに対し、FIAは厳格なペナルティを科しました。この判断の背後には、F1における厳格な安全管理の理念と、それを支える規則の適用があります。

角田選手は後のコメントで「デブリが飛び交う中で、危険を避けるための判断だった」と主張し、安全への配慮を理由にあえて追い越しを選択した経緯を語っています。この判断は果たしてルール違反なのでしょうか?それとも正当な自己防衛措置なのでしょうか?F1における安全と規律に焦点をあてて、本件の法的背景と裁定の妥当性を分析してみましょう。

10グリッド降格ペナルティの背景

10グリッド降格ペナルティの背景

2025年F1第10戦カナダGPで角田選手に対して科せられたのは、決勝レースでの10グリッド降格、すなわちスタートの位置を10番手も下げられる重いペナルティでした。一般的にF1はスタート位置が重要視されており、最後尾からのスタートでは表彰台(トップ3)を狙うのは極めて困難です。

問題となったのは、フリー走行3回目(FP3)での出来事でした。マクラーレンのオスカー・ピアストリ選手がターン14の出口でバリアに接触し、右リアタイヤのパンクおよびサスペンションの損傷という状況になりました。これを受けて赤旗が提示され、セッションは一時中断されました。

この時、角田選手はターン6付近を走行中であり、赤旗の提示後もスピードを維持し、ピアストリ選手のマシンに接近。レース後のデータによれば、ピアストリ選手が時速86kmで走行していたのに対し、角田選手は171kmで接近し、追い越しを行いました。

角田選手は後の聴取で、「ダメージを負ったマシンによる走行妨害やデブリによる危険を避けるために追い越した」と説明しましたが、スチュワード(競技を監督するスタッフ)はこれを不適切と判断しました。ピアストリ車の速度と状態は、追い越しを正当化するに足るものではないとされました。

角田選手は「右リアタイヤが脱落しかけていたピアストリのマシンから後方にデブリが飛んでくる危険性があり、周囲の安全を確認した上で抜いた。オスカーが左側を走っているのは見ていましたし、レッドフラッグでは追い越しができないことも理解しています。でもダメージを負ったピアストリの後ろでピットインするのを待つというのは、僕としてはデブリに当たるのを待つようなものです」と述べ、「馬鹿げたペナルティだ」と主張しました。インターネット上ではこれに賛同する意見も見られましたが、やはりこれは規則に関する理解が不十分であったという指摘も根強くあります。

赤旗は「例外なき絶対的ルール」

このペナルティの根拠となったのは、FIA国際競技規則付則H(Appendix H)の第2章「イベント運営手順」における第2.5.4.1 b項です。原文では以下のように規定されています:

b) 1)赤旗が提示された際、すべての車両はただちに速度を落とし、ピットレーンへゆっくりと戻らなければならない。追い越しは禁止される。

3)追い越しが禁じられるとともに、ドライバーは、レース車両およびサービス車両がトラック上に存在するかもしれないこと、サーキットは事故のための完全封鎖がされることがあること、天候により当該サーキットでレーススピードでの走行が不可能となることがあることについて留意していなければならない。

FIA国際競技規則付則Hを和訳

この規定の趣旨は、赤旗が提示された瞬間には、事故の発生地点やその影響がコース全体に及んでいるかどうかを全ドライバーが即座に把握できないことを前提としています。

つまり、赤旗は「状況把握が困難な非常事態宣言」であり、どこで車両やデブリが停止しているか、マーシャル(コースの係員)が作業しているか、さらには救急対応が行われているかも分からない。そうした状況下での追い越しは、予測不能な二次的事故や人的被害を招く危険性があるため、いかなる例外も原則として認められない「絶対的ルール」として設定されているのです。

角田選手に対しては、10グリッド降格に加え、ペナルティポイント2点が加算されました。これにより、直近12か月間の累積ペナルティポイントは2点となります。

F1におけるペナルティポイント制度は、FIAがスポーツマンシップと安全性を監視する手段のひとつであり、12か月で累積12点に達した場合は、次戦への出場停止という重大な制裁が科されます。

法的観点から見るFIAの裁量と限界

本件のような赤旗中の追い越し行為に対しては、原則的に「即時違反」として厳格に取り締まられるべきですが、その判断には事実認定と解釈の余地もあります。例えば、追い越された車両の挙動、進行方向、コース上の位置取り、安全性の程度などが考慮され、最終的にはスチュワードの裁量に委ねられます。

角田選手が主張した「安全確保のための追い越し」が事実かつ合理的であれば、警告や軽微なペナルティにとどめる選択肢も理論上はあり得ました。しかし、今回はテレメトリーと映像、各車両の状態を総合的に勘案し、スチュワードは「明白な違反」として処理しました。

まとめ:ドライバーと規則の関係性

F1は、限界の中での創造性と判断力が求められるスポーツであり、ルールの運用もまた精緻な法的判断の連続です。

角田選手の事例は、「規則の字面」と「レース中の現場判断」との間にあるグレーゾーンの存在を示す好例です。今後、赤旗中の追い越しについてより明確な運用基準が提示される可能性もありますが、現時点では「絶対禁止」という大原則をドライバーが再認識する必要があるでしょう。

次回は、今回の記事に続く内容として、同じくカナダGPの決勝において、セーフティカー導入中の追い越しについて取り上げます。今回と同様の行為にもかかかわらず、角田選手のようなグリッド降格ではなく、戒告にとどまったのはなぜなのでしょうか。FIAのペナルティ判断の一貫性と法的妥当性について検討していきます。

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弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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