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排気を操り、ルールを欺く──レッドブルが突いた”合法スレスレ”のF1空力革命とは?

弁護士 谷川 智

執筆:弁護士 谷川 智

セナとプロストの因縁「セナプロ対決」が鈴鹿で頂点に達した1989年に生まれる。父の影響で幼少期からF1を観戦し、最初に心を奪われたのはマクラーレンMP4-5B。現在もサーキットを訪れ、ヨーロッパにも遠征。ピットウォールの動きやレギュレーション解釈にも目を凝らし観戦中。「好き」が高じて競技規則や技術規定などのルールにも興味を持つ。弁護士という立場からF1と法務の問題について考える。

2023年のF1シーズンにおいて、レッドブル・レーシングが圧倒的な強さを見せつけたことは記憶に新しいのではないでしょうか。マックス・フェルスタッペンは全22戦中19勝を挙げ、ドライバーズタイトルを獲得。チームとしても21勝を記録し、コンストラクターズチャンピオンに輝きました。この活躍は、まさにシーズンの「圧倒的支配」といえますが、かつて、レッドブル・レーシングが同じようにシーズンを圧倒的に支配したことがありました。それが2010年、セバスチャン・ベッテルが乗ったRB6でした。

前回の記事では、2025年スペインGP以降に適用された空力規制強化を切り口として、F1におけるフレキシブルウイング規制の歴史を概観しました。この空力規制の背景には、かつてF1界を根底から揺るがせたある技術論争の影響が色濃く残されています。それが「ブロウンディフューザー」問題です。2000年代末から2010年代初頭にかけて、排気流を利用して空力性能を劇的に高めたこの技術は、レギュレーションの“文言”と“精神”の解釈をめぐる争いの象徴であったと言えるでしょう。

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排気による空力制御──レッドブルとルノーが切り開いたF1の設計思想

排気による空力制御──レッドブルとルノーが切り開いた設計思想

2010年、レッドブル・レーシングは「RB6」において、「ブロウンディフューザー(blown diffuser)」を本格的に導入しました。これは、排気ガスをディフューザーの気流に積極的に吹き付けることで、車体下部の空気の流速を高め、人工的にダウンフォースを増大させ、コーナリングなどを安定させる技術です。

とりわけ注目すべきは、「スロットルオフ・ブロウン・ディフューザー(Off-Throttle Blown Diffuser)」と呼ばれる手法をいち早く取り入れた点です。排気ガスは、アクセルを踏んでいないと発生しませんが、この技術では、ドライバーがアクセルを離した状態でも燃料噴射や点火タイミングを調整することで排気を継続させ、減速中でもディフューザーに空気を吹き続けることができるようになります。つまり、常に車体の安定性が大きく向上し、他チームに対して圧倒的な優位性を築くことに成功しました。

この技術を武器としたRB6は、2010年シーズンを通じて極めて高い競争力を示しました。予選では全19戦中15戦でポールポジションを獲得し、セバスチャン・ベッテルとマーク・ウェバーの2人で計9勝を挙げました。特に空力性能が問われる中・低速コーナーにおいては群を抜く速さを見せ、前回ご紹介したフレキシブルウイングと相まって、マシンの挙動は「地面に吸い付くようだ」と評されました。

その結果、レッドブルはチーム創設以来初となるコンストラクターズタイトルを獲得し、ベッテルは最終戦アブダビGPで逆転勝利を収め、自身初のドライバーズチャンピオンに輝きました。

ブロウンディフューザーの問題点とは

当然ながら、ライバルチームはRB6の圧倒的な支配力に疑問を抱くようになり、ブロウンディフューザーの使用がテクニカルレギュレーションに違反しているのではないかとの指摘が高まっていきました。

問題の核心は、F1テクニカルレギュレーション第3章に規定された「可動空力装置の禁止」(Article 3.15)にあります。

*With the exception of the parts described in Articles 3.16, 3.17 and 3.18, any specific part of the car influencing its aerodynamic performance must comply with the rules relating to bodywork and be rigidly secured to the entirely sprung part of the car (rigidly secured means not having any degree of freedom).*

*With the exception of the DRS under Article 3.18, any such device must remain immobile in relation to the sprung part of the car.*

Article 3.15 (2010 Formula One Technical Regulations)

この条文に基づき、FIAはウイングなどの可動要素を制限していましたが、排気ガス自体は「装置(device)」に該当しないと解釈されていました。これが、ブロウンディフューザーを技術的に「合法」とする根拠とされていたのです。

レッドブル・レーシングは、この「静的構造」に関する規制の盲点を突き、排気ガスという“動的な流体”を利用して空力性能を変化させるという革新的手法を導入しました。さらに、スロットルオフ時にも燃料噴射と点火を継続する制御技術を開発し、減速中であってもディフューザーに排気を送り続けることにより、ダウンフォースを常時最大化するという、前例のない挙動を実現したのです。

FIAの揺れる対応──TD011/11による“精神違反”の認定

しかし2011年、FIAは突如として、この手法がテクニカルレギュレーション第3.15条の「規則の精神」に反すると判断しました。明文の禁止規定が存在しないなか、FIAは次のような見解を示しました。

The use of engine maps which result in the exhaust gases being blown primarily for aerodynamic effect when the driver is off-throttle is to be considered contrary to the spirit of the regulations.

Technical Directive TD011/11

ドライバーがアクセルを踏んでいない時に、排気ガスを主に空力目的で吹き出すようなエンジンマップの使用は、レギュレーション(規則)の精神に反するとみなされます。

つまり、構造上は規則に抵触していなくとも、挙動(エンジンマッピング)によって空力性能に影響を及ぼす行為そのものを違反と見なすという、新たな解釈が示されたのです。

もっとも、これは明文化された規則ではなく、シーズン途中に発行された技術指令であったため、チーム側からは「恣意的な判断ではないか」との強い反発が生じました。特に、エンジンを供給していたルノーは、エンジン冷却や潤滑保持のために一定量の排気流が不可欠であると主張し、FIAもこれを一部認めて特例を設けました。

その結果、シルバーストーンGPでは、ルノー系エンジンに限って「限定的なブロー」が認められるという歪な状態が発生し、レース週末中に規制内容が変更されるなど、FIAとチーム間の信頼関係に大きな影を落とす事態となりました。

明文化されたF1の「排気制限」──2012年の抜本的レギュレーション改正

明文化された「排気制限」──2012年の抜本的レギュレーション改正

このような混乱を受け、FIAは2012年にテクニカルレギュレーション第5章(排気系)を抜本的に改正し、排気管の出口位置および向きを厳格に制限する規定を導入しました。以下がその主な条文です。

The final 100mm of the tailpipe must be located between 250mm and 600mm above the reference plane and be directed rearwards and upwards.

The tailpipe must not be angled such that any exhaust gas flow is directed at the floor or diffuser.

Article 5.8.4 (2012 Formula One Technical Regulations)

テールパイプ(排気管)の最後の100mmは、基準面から250mm〜600mmの高さの間に位置しなければならず、後方かつ上向きに設置しなければなりません。

テールパイプの角度は、排気ガスの流れがフロアやディフューザーに当たるような向きにしてはいけません。

この条文により、排気ガスの流れがディフューザー方向に向けられることが明確に禁止され、ブロウンディフューザーは技術的に実現不可能な構造となりました。

加えて、マクラーレン・エレクトロニクス製の統一ECU(SECU)が全チームに導入され、スロットル開度とトルク供給の線形性が義務付けられたことで、エンジンマッピングによる空力操作も封じられることとなりました。

そして2025年──「合法に見せる技術」への警戒

このようにして表舞台から姿を消したブロウンディフューザー思想ですが、その設計哲学は、現在のフレキシブルウイング問題においてもなお息づいているように見受けられます。静的試験では合法とされる構造が、実際の走行中には選択的に変形し、空力性能を最適化する──。この挙動は、かつての排気流による空力制御と本質的に同じ発想に基づいています。

2025年のテクニカルレギュレーションにおいても、第3.15条は依然として空力装置の「固定性」を求めていますが、その解釈はさらに拡張されています。

With the exception of DRS and parts specified in 3.17 and 3.18, any component influencing aerodynamic performance must remain immobile and may not rely on flexibility, flow direction, or conditional behavior to change aerodynamic characteristics.

Article 3.15 (2025 Formula One Technical Regulations)

DRS(ドラッグ・リダクション・システム)と、規則3.17および3.18で指定された部品を除いて、空力性能に影響を与えるすべての部品は動いてはいけません。また、柔軟性・空気の流れの向き・特定の条件によって、空力特性が変わるような仕組みも禁止されています。

このように、柔軟性そのものや条件付きの挙動さえも違法とみなす方向へ条文が進化しており、ブロウンディフューザーの教訓が現在のレギュレーション体系にしっかりと根付いていることがわかります。

「合法的なズル」という高度な駆け引き

「合法的なズル」という高度な駆け引き

ブロウンディフューザーをめぐる一連の論争は、F1における「ルールとは何か」を根本から問い直す契機となった出来事でした。それは単なる技術開発の攻防にとどまらず、テクニカルレギュレーションの「文言」と「運用」の間に存在するグレーゾーンの扱いをめぐる、極めて高度な法的・戦略的駆け引きでもありました。

そして今、2025年に強化されたフレキシブルウイング規制もまた、その延長線上にあります。静的検査、動的荷重試験、カメラによる走行中の挙動の監視、そしてランダムなパルクフェルメ検査といった多層的な監視体制の背後には、かつて排気という目に見えない流体を使って“合法的にズル”をしたレッドブルとの攻防の記憶が、確かに刻まれているのです。

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弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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